至りて堅きは石なり、至りて軟なるは水なり、水よく石を穿つ。
「心源もし徹しなば、菩提の覚道何事か成ぜざらん」といえる古き詞あり。
いかに不信なりとも、聴聞を心に入れて申さば、御慈悲にて候間、信を獲べきなり。
只仏法は聴聞に極まることなりと云々。(御一代聞書193番)
御一代聞書は蓮如上人の言行録。
蓮如上人があるときこんなことを言われたというものをまとめられたものです。
「堅い物といえば石である。軟らかいものといえば水である。
水に石をあけるということがある。
初志貫徹すれば何事が信心決定していなくても、
聴聞を心に入れて聞けば、阿弥陀仏の御慈悲にて
信心獲得することが出来る、だから仏法は聴聞に極まるのだ」
ここで特に蓮如上人が特に教えられているのは聞法相続、続けてする、
これが信心獲得に極めて大切なことである。
非常に堅いものが石である、一方水は非常に軟らかい、
ところが水良く石を穿つ、
軟らかい水が硬い石に穴をあけることがある。
一週間くらいではあかない。
五年十年二十年間断なくおちていったなら必ず穴が空く、
丁度そのように初心貫徹したならば、人生の目的必ず達成しよう、
絶対の幸福必ずなろうとつらぬいたならば、
未だ信心決定していなくても、真剣に聴聞の一本道進んでいったならば、
途中でやめてしまっては駄目ですけど。
私達の聴聞は雨だれのようになさけない聞法、
足痛いなとかいろいろなことを考えている、
丁度水のようなもの、なかなか信心開発できないが
続けてあきらめることなく聴聞していけば、
人生の目的を達成できるんですよ、ただ仏法は聴聞に極まることなり。
聞法相続こそ信心獲得に極めて大切であると教えられている。
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