お釈迦さまは仏法聞き難しといわれています。
仏教は聞きがたいということです。
どうして仏教は聞き難いかというと、
真実の仏教を教える先生が少ないからです。
仏教には、
真実と方便が教えられています。
聖道門と浄土門を教えられた仏教の事を真仮といいます。
教行信証後序に親鸞聖人は、
「諸寺の釈門、教に昏くして、真仮の門戸を知らず」
といわれています。
「諸寺の釈門」とは、日本中の寺に住まいする僧侶のことです。
日本中の坊主よ!おまえら仏教に真っ暗ではないか?
ということです。
「真仮の門戸」とは、
「真仮」とは、真実と方便です。
「門戸」とはイロハです。
仏教を家に譬えるとその敷地に入る門さえ分かっていない
仏教のイロハも分かっていない。
仏教には、真実と方便が説かれています。
真実の仏教を浄土門他力の仏教といいます。
方便の仏教を聖道門自力の仏教といいます。
聖道門自力の仏教に共通するのは、
私たちの心、仏性があるそれが煩悩の錆によって覆われている。
だからそれを磨けばよいと教えています。
しかし、私たちは煩悩でできているので、
どこまで磨いても煩悩をなくすことはできません。
それに対して浄土門仏教は、
煩悩ではなく、苦悩の根元を抜き取って、
煩悩あるがままで絶対の幸福に救うのです。
絶対の幸福になられた親鸞聖人は、
「愚禿釈の親鸞、慶ばしきかなや、
西蕃・月氏の聖典、東夏・日域の師釈に、遇い難くして今遇うことを得たり、
聞き難くして已に聞くことを得たり。
真宗の教・行・証を敬信して、特に如来の恩徳の深きことを知んぬ。
ここを以て聞く所を慶び、獲る所を嘆ずるなり。(教行信証総序)」
と聞き難い仏法を聞かれ、救われたことを慶ばれています。
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