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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2018年01月05日

なぜ仏教は聞きがたいのか

お釈迦さまは仏法聞き難しといわれています。

仏教は聞きがたいということです。

 

どうして仏教は聞き難いかというと、
真実の仏教を教える先生が少ないからです。

 

仏教には、
真実と方便が教えられています。

 

聖道門と浄土門を教えられた仏教の事を真仮といいます。

 

教行信証後序に親鸞聖人は、
「諸寺の釈門、教に昏くして、真仮の門戸を知らず」
といわれています。

「諸寺の釈門」とは、日本中のに住まいする僧侶のことです。
日本中の坊主よ!おまえら仏教に真っ暗ではないか?
ということです。

 

「真仮の門戸」とは、
「真仮」とは、真実と方便です。
「門戸」とはイロハです。

 

仏教を家に譬えるとその敷地に入る門さえ分かっていない
仏教のイロハも分かっていない。

 

仏教には、真実と方便が説かれています。
真実の仏教を浄土門他力の仏教といいます。
方便の仏教を聖道門自力の仏教といいます。

 

聖道門自力の仏教に共通するのは、

私たちの心、仏性があるそれが煩悩の錆によって覆われている。
だからそれを磨けばよいと教えています。

 

しかし、私たちは煩悩でできているので、
どこまで磨いても煩悩をなくすことはできません。

 

それに対して浄土門仏教は、
煩悩ではなく、苦悩の根元を抜き取って、
煩悩あるがままで絶対の幸福に救うのです。

絶対の幸福になられた親鸞聖人は、
「愚禿釈の親鸞、慶ばしきかなや、
西蕃・月氏の聖典、東夏・日域の師釈に、遇い難くして今遇うことを得たり、
聞き難くして已に聞くことを得たり。
真宗の教・行・証を敬信して、特に如来の恩徳の深きことを知んぬ。
ここを以て聞く所を慶び、獲る所を嘆ずるなり。
(教行信証総序)」
と聞き難い仏法を聞かれ、救われたことを慶ばれています。

タグ:教行信証
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 聞法
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