平安時代の「権力者」というのは「天皇」のことです。
天皇というのは「現人神」といわれまして
「あら!人だったのね神様」という感じで、
神の生まれ変わりが天皇だぞ、と教えるものです。
日本神道もそうですね。
ですので、天皇に従うということは、
神信心にならねばならないということです。
聖道諸宗、自らの勢力を強くしようと思ったならば、
天皇に逆らうわけにはいきません。
ですので、天皇を接待する。
銀行が大蔵省を接待するならまだ分かりますが、
聖道仏教の連中が天皇を接待した。
「もとは一緒だったから仲良くしましょう」
と言って『神仏一体説』なるものを打ち立てたわけです。
神に向かってもイイじゃないか、
お釈迦さまが教えられたように
「一向専念無量寿仏」なんて言ってたら
彼女とクリスマスも過ごせない、
友達と初詣にも行けないぞ、
なんて言って神に仕えてもいいと言い始めたんです。
彼らには、後生の一大事がまったく頭にないんです。
苦悩の根元なんて全く問題になってないんです。
少しも悩んでない、苦しんだこともない。
考えているのは自らの保身のみです。
どう生きるかしか考えてない。
本当に後生の一大事が問題になったなら、こんな気楽にはいかないのです。
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