私たちは、苦しい人生で、何か当てになるものはないか、
人生を海にたとえると、
生きていくということは、
泳いで行く、ということ。
何か支えになるものはないかと思って泳いでいる。
見渡す限り水平線。
そこで丸太があったら、必ずそこに向かって泳いでいきますよ。
とりあえずあそこに泳いでいって見よう。
そしてつかまろうとしますよね。
そして、やれやれとつかまっている。
しかしその丸太ん棒、いつまでもつかまっておれるのか、というと、
クリーっとひっくり返って裏切る。
これは生き甲斐。
生き甲斐と思われるものにどんなものがあるか。
旅行。
貯金。これが生き甲斐の人多いそうですよ。
60歳以上の人が持っているお金、何千万、すごいお金持ってる。
最初は何かに使おうと思っているのに、
だんだん額が大きくなると、手が出せなくなる。
そして使えないまま死んでいく。
子供・家族。
昔は家族を犠牲にして仕事。
今は仕事を犠牲にして家族という感じ。
酒。繁華街に夜行くと、みんな酒ばっかり。
仕事。
趣味。
スポーツ観戦。
コレクション。
こういうのにみんな捕まっている。しがみついて泳いでいる。
これらもの生き甲斐でなくなってしまう。
楽しめなくなってしまうということがある。
丸太ん棒に裏切られる。
色々なパターンあると思いますけど。
これが自分の大事なものだ、と思っていたのが、
ある時突然関心がなくなってしまうことありませんか。
仕事。
山一証券、倒産するときに、社長が土下座、惨めな相ですみません。
ところがあの社長、中小企業の一社員として生き生きとやっている。
この会社は俺が守る、しかし倒産して苦しんだ、
今度は別の丸太に捕まっている。
絶対にこれ放すまいとしっかり掴んでいるものあると思いますが、
後から思うと何であんなものに。
いつまでも掴んでいたいと思うんだけど、それが続かなくなってしまう。
秀吉は夢のまた夢と言っている。
それが火宅無常の世界ということ。
万のこと、ということは、例外はない。
「真実有ること無し」有ること無いということは、どういう意味。
真実無し、とどう違うか。
有ること無し、といったら金輪際無いということ。
真実、というのは、続くもの。
それが有ること無し。
それが難度海の人生。丸太を掴んでは裏切られを繰り返す、これが難度海の人生。
これからも掴んでは裏ぎられ、
それをずっと繰り返す。
家庭悲劇続発の現代。
家庭悲劇と言えば、双子山親方の家、悲惨。
一昔前だったら、日本で一番ハッピーな家族。
一家に二人の横綱。外にも優秀な力士。
二人の子にも綺麗な奥さん。みんなの愚痴をかうような。
ところが今は女将さんが不倫に走ったとか。
私たちああいうの見ても、私たちああいうの関係ないと思う。
確かに家庭ではないかもしれないが、他のことで同じようなことになる。
苦しみ悩みの次々やってくる人生の荒海では、
私たちが頼りにしているものに次々と裏切られ、
別のものに捕まる。
泳いで行く途中に、一息ついてもまた裏切られる。
すがりついていた丸太に裏切られると、塩水飲んで苦しむ。
あなたは海で塩水飲んだこと有りますか。
もう二度とやりたくない、と思うようなこと。
それを何度も繰り返さなくてはならない。
ところが、丸太や板きれではなく、
絶対裏切らない大きな船が、
仏教に教えられている。
それは、趣味や生き甲斐の丸太や板きれではなく、
人生の目的。
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