「光に向かって進む者は栄え、闇に向いて走るものは滅ぶ」
これは仏教の教え
仏教の教えは多くの人に勇気を与えてくれる。
ここでいう「光」とは何か、これを考えてもらいたい。
実際に良いことをすれば幸せになることはできるが、
それは相対の幸せであって、人生の目的ではない。
これを考えるのが仏法者。
光とは人生の目的の事です。
人生の目的は日常生活の善根によって達成できるか。
これはできない。
ではどうして善いことを勧められるのか。
阿弥陀如来が、19願で勧めておられるからです。
ですから、
私たちの行う善は、すべて宿善になります。
浄土和讃
「諸善万行ことごとく 至心発願せるゆえに
往生浄土の方便の 善とならぬはなかりけり」
良い事すべて(一つの例外もない)、往生浄土の方便の善となる。
この往生浄土の方便の善が、宿善です。
人生の目的は、往生一定の身になること、
私達は未来がハッキリして初めて、現在が明るくなる。
その身になるための方便の善、
私たちのやった善が間に合って往生浄土できるというということではない。
教行信証信巻
一切凡小一切時の中に、貪愛の心常に能く善心を汚し、瞋憎の心常に能く法財を焼く。
急作・急修して頭燃を灸うが如くすれども、衆て「雑毒・雑修の善」と名け、
また「虚仮・諂偽の行」と名く。「真実の業」と名けざるなり。
この虚仮・雑毒の善を以て、無量光明土に生ぜんと欲す、これ必ず不可なり。
すべての人は常に、欲望によって私たちの善心を汚してしまう。
諸善万行を六つにまとめられたのが六波羅蜜(ろくはらみつ)、
その一番最初が布施行。
仏法を人に施すということは最も素晴らしい善です。
仏教の講座に友達や家族と一緒に参詣した、これは法施です。
またご法礼や御報謝、これは財施です。
いずれも尊い善です。
しかし、われわれの善では絶対に往生浄土できない。
ではどうして善を勧められるのかというと、
「諸善万行ことごとく 至心発願せるゆえに
往生浄土の方便の 善とならぬはなかりけり」
人生の目的達成に近づくことができる、方便になる。
それは「至心発願せるゆえに」至心発願するからです。
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