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2017年05月11日

無常と罪悪・無慚無愧

無常を無常と思わない心、罪悪を罪悪とおもわない心に対抗して聴聞

自分の理屈に反する腹底に聞かせるには、

どういうことを胸に止めていけばいいのでしょうか。

 

どんなに自分に言い聞かせても仏法も鉄砲もないと反抗する、

効果のある言葉はないでしょうか。

 

思おうが思うまいが無常、罪悪はかわらない。

 

悪はどのように知らされてくるのでしょうか?

 

人によって違います。

親不孝してきたなあ、子供の頃作った悪が思い出される人もある。

 

悪は共通、具体的には人によって違う、当たり前でなくなって、

恐ろしい悪、人を苦しめてきた、反省させられていく。


相対的な悪から、少しも罪を罪と思わない厚かましい本性が知らされる。

懺悔する心すらない、みんなやってるじゃないか。

認めようとしない心こそが本当の悪です。

 

悪を謝る人は悪人ではあるが悪を認める心がある。

悪いことを隠そうとするのは恥ずかしい、そういう心がある人は望みがある。

恥ずる心の無いのを無慚無愧とおっしゃっています。


仏法聞くと知らされてくる言葉にかからない恐ろしい姿、絶対悪。

無始より苦しませてきた親玉、心も言葉も絶えてしまいます、

体験しなければ毛頭分からない。


悪人悪をなさんとすれどもなお悪を隠さんとする、

恥ずかしいと思っているのはまだ上等。


我々は作りながら本当は恥じる心がない、ひらきなおっている、

俺だけじゃない、隠そうともしない。


そういう心を親鸞聖人は無慚無愧

 

慚、自分に恥じる心それもない。

愧、他人に恥ずる心、それもない。

 

自分にも他人にも恥じる心がない。

そういう心を無慚無愧という。

タグ:聴聞
posted by 陽葵 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教
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