2018年11月09日
ショートショート(超短編)ーー第5話少年の思い出
第5話 少年の思い出
僕が夜、目を覚ますと、母がいなかったんです。いつもいるはずの母が、いないんです。どうしたらいいかって不安でした。母はいつもそんなことをする人でした。一生懸命探してみると、母は風通しのいいところに布団と枕をもって行って寝ていたのです。突然、誰にも何も言わないで実家に何日も帰ったこともありました。僕の中で一番辛かったことは、母が一番上の姉と一緒に出て行くという話しを、僕と2番目の姉にした時のことです。どうしたらいいかわからなくて、ただただ、泣いていたのをよく覚えています。不思議なんですね。とてもよく覚えているんです。もう、悪いことはしないから、もう、お母さんを困らせるようなことはしないから、もう、お姉ちゃんたちとけんかしませんから、もう、もう、もう、もう、もう、・・・。何回もうっていったか知れません。思いつく限りのことを、一生懸命言いました。何もその時、悪いことをしたという実感は何もなかったのですが、とにかく必死で謝ったことをよくよく覚えています。母はそんな人でした。いつも僕の気持ちを不安にさせるような、どこか意地悪だったんですね。だから、僕は一時でも早く母の下から離れたいといつも思っていました。僕は不安にさせられたくなかったんです。
被告人は何故、あのような形で女性を殺害しなければならなかったのだと思いますか?と裁判長の声が僕の耳に鋭く迫ってきました。僕は、言いたくない、言いたくない、言いたくない、と自分の中で何度も繰り返していました。僕の気持ちを口にしても、何が解決するのだ。何も解決しないではないか。お前の自身の問題であって、それを、裁判とか弁護士とか新聞とか週刊誌とかで解決しても、何の役にも立たないぞ。どうせお前は地獄に落ちるのだから、それで良いではないか。黙ってろ!何も言うことはない。
貴方は大学の教授でもありました。社会的に責任のある立場にある人です。社会の人々が、貴方の殺人のわけを知りたがっています。それは興味本位の人も多くいるでしょう。しかし、多くの人は貴方の心の奥の奥に潜んでいる、貴方の歪んだ本心を知りたがっているのです。貴方は社会的責任を果たすためにも、自分の本当のところを話す義務があるのです。今まで通り黙秘を続けることは、貴方にとっても不利になることはよくわかっていることと思います。それに、話すことで貴方の心も救われるはずですし、お母さんの御霊も救われるはずです。お母さんの御霊のことを考えなければなりません。
僕はとにかく黙り通そうと決めていた。誰になんと言われようと、自分だけの問題なので、誰にも心の内を話す必要はないと考えていた。昼寝をしている母を見たのは秋祭りから帰ったときのことでした。普段一緒に住んでいなかったが、秋は特に、家に帰って2,3泊するのが習慣になり始めていました。昔から秋には神社でお祭りがあり、子供の頃から、それは楽しみの一つだったのです。東京の大学に行き、広島の大学に就職をしてからも、10年以上お祭りに行くことはなかったが、自分の研究領域が民俗学的方向に向かい始めた頃から、祭りのことを思い出し始めて、懐かしさも手伝って、再び祭りに行ってみようという気持ちになって、神社まで足を伸ばしてみたのです。昔のままでした。昔ほど子供は多くなかったが、屋台の店が沢山出ていて、懐かしさが一層高まってきました。ようよう、金魚すくい、綿菓子、イカ煮、砂糖菓子、などなど、昔のままの店だ。値段だけは昔とはゼロが一つ違っていました。昔なら10円で出来たのに、と思いならが、屋台を次々に回りながら、店の親父と会話しました。昔はよかったという気持ちになってきたのも、年をとったせいかと思いながら、ホットドッグをほおばりながら、神社の特設ステージで行われる余興を見たり、時々出くわすオカメやヒョットコのお面を被って、着物を着た人と話をしたりしながら2、3時間過ごしたのです。昔を懐かしみながら家に帰ってきたのが、4時頃だったように記憶しています。自転車で家までの坂道を必死でこいできたため、額に汗をいっぱいかいていました。小さい声でただいまといいながら、汗を拭き拭き家の中に入っていくと、風通しのいいところに、母が寝ていたんですね。その後の行動は本当はよく覚えていないんです。ただ、母のほうに近づいて行きました。目的があったわけではないのですが、どういうわけか、自然に足がその方向に向かったって感じでした。僕は言い訳はしたくないのです。自己弁護するつもりもありません。しかし、僕にはどうすることも出来なかった感じがしてならないのです。僕にはどうすることも出来ない力が働いていたって感じなのです。それは、それは、やはり母親ですから。非情なことをする事件を、僕もよくニュースなどで見聞きして来ました。僕の場合も、他の人たちには非情な息子ということになるでしょう。でも、僕の意識の中では、どうすることも出来なかったんです。別な言い方をすると、ああするしかない状態に心があったのかもしれません。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。コメントなどありましたら、お願いします。また、ご訪問下されば幸いです。
僕が夜、目を覚ますと、母がいなかったんです。いつもいるはずの母が、いないんです。どうしたらいいかって不安でした。母はいつもそんなことをする人でした。一生懸命探してみると、母は風通しのいいところに布団と枕をもって行って寝ていたのです。突然、誰にも何も言わないで実家に何日も帰ったこともありました。僕の中で一番辛かったことは、母が一番上の姉と一緒に出て行くという話しを、僕と2番目の姉にした時のことです。どうしたらいいかわからなくて、ただただ、泣いていたのをよく覚えています。不思議なんですね。とてもよく覚えているんです。もう、悪いことはしないから、もう、お母さんを困らせるようなことはしないから、もう、お姉ちゃんたちとけんかしませんから、もう、もう、もう、もう、もう、・・・。何回もうっていったか知れません。思いつく限りのことを、一生懸命言いました。何もその時、悪いことをしたという実感は何もなかったのですが、とにかく必死で謝ったことをよくよく覚えています。母はそんな人でした。いつも僕の気持ちを不安にさせるような、どこか意地悪だったんですね。だから、僕は一時でも早く母の下から離れたいといつも思っていました。僕は不安にさせられたくなかったんです。
被告人は何故、あのような形で女性を殺害しなければならなかったのだと思いますか?と裁判長の声が僕の耳に鋭く迫ってきました。僕は、言いたくない、言いたくない、言いたくない、と自分の中で何度も繰り返していました。僕の気持ちを口にしても、何が解決するのだ。何も解決しないではないか。お前の自身の問題であって、それを、裁判とか弁護士とか新聞とか週刊誌とかで解決しても、何の役にも立たないぞ。どうせお前は地獄に落ちるのだから、それで良いではないか。黙ってろ!何も言うことはない。
貴方は大学の教授でもありました。社会的に責任のある立場にある人です。社会の人々が、貴方の殺人のわけを知りたがっています。それは興味本位の人も多くいるでしょう。しかし、多くの人は貴方の心の奥の奥に潜んでいる、貴方の歪んだ本心を知りたがっているのです。貴方は社会的責任を果たすためにも、自分の本当のところを話す義務があるのです。今まで通り黙秘を続けることは、貴方にとっても不利になることはよくわかっていることと思います。それに、話すことで貴方の心も救われるはずですし、お母さんの御霊も救われるはずです。お母さんの御霊のことを考えなければなりません。
僕はとにかく黙り通そうと決めていた。誰になんと言われようと、自分だけの問題なので、誰にも心の内を話す必要はないと考えていた。昼寝をしている母を見たのは秋祭りから帰ったときのことでした。普段一緒に住んでいなかったが、秋は特に、家に帰って2,3泊するのが習慣になり始めていました。昔から秋には神社でお祭りがあり、子供の頃から、それは楽しみの一つだったのです。東京の大学に行き、広島の大学に就職をしてからも、10年以上お祭りに行くことはなかったが、自分の研究領域が民俗学的方向に向かい始めた頃から、祭りのことを思い出し始めて、懐かしさも手伝って、再び祭りに行ってみようという気持ちになって、神社まで足を伸ばしてみたのです。昔のままでした。昔ほど子供は多くなかったが、屋台の店が沢山出ていて、懐かしさが一層高まってきました。ようよう、金魚すくい、綿菓子、イカ煮、砂糖菓子、などなど、昔のままの店だ。値段だけは昔とはゼロが一つ違っていました。昔なら10円で出来たのに、と思いならが、屋台を次々に回りながら、店の親父と会話しました。昔はよかったという気持ちになってきたのも、年をとったせいかと思いながら、ホットドッグをほおばりながら、神社の特設ステージで行われる余興を見たり、時々出くわすオカメやヒョットコのお面を被って、着物を着た人と話をしたりしながら2、3時間過ごしたのです。昔を懐かしみながら家に帰ってきたのが、4時頃だったように記憶しています。自転車で家までの坂道を必死でこいできたため、額に汗をいっぱいかいていました。小さい声でただいまといいながら、汗を拭き拭き家の中に入っていくと、風通しのいいところに、母が寝ていたんですね。その後の行動は本当はよく覚えていないんです。ただ、母のほうに近づいて行きました。目的があったわけではないのですが、どういうわけか、自然に足がその方向に向かったって感じでした。僕は言い訳はしたくないのです。自己弁護するつもりもありません。しかし、僕にはどうすることも出来なかった感じがしてならないのです。僕にはどうすることも出来ない力が働いていたって感じなのです。それは、それは、やはり母親ですから。非情なことをする事件を、僕もよくニュースなどで見聞きして来ました。僕の場合も、他の人たちには非情な息子ということになるでしょう。でも、僕の意識の中では、どうすることも出来なかったんです。別な言い方をすると、ああするしかない状態に心があったのかもしれません。
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