2017年10月16日
拓馬篇前記−拓馬4
拓馬は自宅のリビングにいた。心境は上の空。床に座り、ボーダーコリーにそっくりな雑種犬とたわむれている。
白黒の中型犬は拓馬の投げたボールを追いかける。ボールを口にくわえては拓馬のもとにもどり、またボールを投げるよう催促する。その繰り返しだ。拓馬の関心は犬になく、今日の出来事にある。
(他校の生徒とケンカしたって……先生にバレるかな?)
教員に知られれば、高確率で学校の品位を落とす行為をしたと判断される。そして咎められるだろう。罰として親を呼び出されたり、停学処分を受けたりと、自分たちが不良相当の扱いを受けるかもしれない。
(学校の連中がどう思おうとかまやしないけど……)
家族を心配させることは避けたい。とくに父は拓馬を不憫がっている。ことさら父の心労を増やす真似はしたくなかった。
(私服だったから『才穎高校の生徒がやった』と気付く人はいない。でも、あの校長はあなどれないしな)
拓馬が通う高校の校長は地獄耳で有名だ。同じクラス内の生徒も知らない生徒同士の交際まで把握するという。情報収集能力の高さは校長の嗜好の偏りにつき、おもに恋話にばかり活用された。
本来、校長は生徒との関わり合いを教師に委ねる存在。生徒との接点が少ない校長が、単独で生徒の恋愛事情を知りうるはずはない。そのため、校内に情報提供者がいるとの噂がまことしやかに流れた。教員は生徒の情事を報告するよう義務付けられているとか、各学年に一人は校長に加担する生徒がいるのだとか。程度の低いスパイものの物語のような憶測が飛び交う。なにが真実であろうと恋愛に無関心な拓馬には無害な情報能力だ。正直なところ、どうでもよかった。
しかし恋愛脳の校長とて学校の長である。普段は趣味に費やす力を、まっとうに教育方面で発揮することは充分に考えられる。
(いつバレるかビクつくよか、白状して一発怒られたほうがスッキリするかな)
いっそ周知の事実になればよいと開き直った。父は拓馬が乱暴者でないことを知っているし、話せばちゃんと理解してくれるのだ。
拓馬は手に握ったボールを自分の頭上へ投げる。やや前方へと上がったボールは、飼い犬がキャッチしやすい位置へ落下していく。落下地点で犬が待機しているだろう、と予測したがボールは床を跳ねた。遊び相手のいないボールは跳躍力を弱めていき、最終的に転がる。
(トーマ? もう飽きたのか)
リビングの引き戸は犬が通れるだけの幅が開いていた。飼い犬が自力で戸を開けることはままある。閉めることまで意識が回らないのが困りものだ。
廊下から冷たい空気が侵入する。拓馬は冷気を遮断しようと思い、腰をあげる。そこへ呼鈴が鳴った。来客だ。
(人を出迎えにいったか)
拓馬の予想は的中した。人感センサー付き照明の点灯した玄関を犬が見つめている。人間には聞こえぬ外からの足音などで気配を察知し、先回りしたのだ。その尻尾はゆっくり左右に揺れた。
すりガラスをはめこんだ玄関の戸が開く。そこには防寒着で身を包んだヤマダがいた。彼女が立つ背景は自然界が放つ光を失っている。
「ヤマダ、日が暮れたらうちには来ないんじゃなかったか?」
「ちょっと遅れちゃったね。でもパンは見つかったんだよ」
ヤマダは手にした紙袋を拓馬に差し出した。拓馬が中身を見てみると真っ黒いパンが目につく。これが姉の所望していた竹炭入りのパンだ。
「うわ、ホントに黒いな」
「うん、炭が混ざってるからそんな色になるんだとか。健康にはいいらしいよ」
両手の空いたヤマダは犬の背中や首をなでている。犬の尻尾はせわしなく揺れた。
「炭も竹も、食べようとする人がいるんだな」
「『健康』を売りにしたら欲しがる人はいっぱいいるんじゃない?」
拓馬はパンの入った袋を下足の棚に置いた。玄関に並べた自分の靴を履く。
「パンのお礼に家まで送ってく」
「そのカッコでいいの?」
「近いから平気だ」
送るまでもない距離なのだが、ほかに彼女の足労に報いる方法は思いつかない。ヤマダは「また来るからね」と犬の両頬をむにむに揉んだ。彼女が拓馬宅へ訪問する目当てはかなりの割合で犬にあった。ヤマダにとっては犬とのふれあいが充分な報酬に値するのかもしれないが、拓馬はそのことに触れなかった。
ヤマダが先に外へ出て拓馬があとに続く。玄関先の照明のおかげで確認できる道に、光を吸収する黒い物体があった。拓馬は警戒する。しかしヤマダはそのまま直進しようとした。拓馬はとっさに彼女の腕を引く。
「待て、変なのがいる」
「え、どこに?」
ヤマダの目は異変を捉えていない。同じ体験は過去に数えきれないほどあった。
またたくまに黒い異形がサーッとその場を引いた。照明は見慣れた通路をいつも通りに照らしている。
「……もう、どっかに行ったみたいだ」
「なんだろね、今日は……」
ヤマダの「今日は」発言を受けた拓馬は不良とのもめ事を連想した。それが本日一番の大事件だ。だがあれはある程度予想ができたこと。異形が出現する現象とは同列にできない。
(べつのことを言ってる? ……あ)
事件のさなかに拓馬が見かけた男を想起した。学校側の処分方法に気を揉んだかわりに、すっかり忘却していた対象だ。
「デパートの男はともかく、いまのやつはお前を追いかけてきたのかもしんないな」
何者も拓馬を追跡していないことは、犬の散歩の時にわかっていた。
「んー、また変なのに気に入られたかな?」
「あとでシズカさんに伝えてみるか」
シズカとは拓馬が信頼する知人のあだ名だ。表面上は普通の警官だが、不可解な事件に取り組むすべを持っている。ヤマダも拓馬の提案に同調し、二人はヤマダ宅へ向かった。
白黒の中型犬は拓馬の投げたボールを追いかける。ボールを口にくわえては拓馬のもとにもどり、またボールを投げるよう催促する。その繰り返しだ。拓馬の関心は犬になく、今日の出来事にある。
(他校の生徒とケンカしたって……先生にバレるかな?)
教員に知られれば、高確率で学校の品位を落とす行為をしたと判断される。そして咎められるだろう。罰として親を呼び出されたり、停学処分を受けたりと、自分たちが不良相当の扱いを受けるかもしれない。
(学校の連中がどう思おうとかまやしないけど……)
家族を心配させることは避けたい。とくに父は拓馬を不憫がっている。ことさら父の心労を増やす真似はしたくなかった。
(私服だったから『才穎高校の生徒がやった』と気付く人はいない。でも、あの校長はあなどれないしな)
拓馬が通う高校の校長は地獄耳で有名だ。同じクラス内の生徒も知らない生徒同士の交際まで把握するという。情報収集能力の高さは校長の嗜好の偏りにつき、おもに恋話にばかり活用された。
本来、校長は生徒との関わり合いを教師に委ねる存在。生徒との接点が少ない校長が、単独で生徒の恋愛事情を知りうるはずはない。そのため、校内に情報提供者がいるとの噂がまことしやかに流れた。教員は生徒の情事を報告するよう義務付けられているとか、各学年に一人は校長に加担する生徒がいるのだとか。程度の低いスパイものの物語のような憶測が飛び交う。なにが真実であろうと恋愛に無関心な拓馬には無害な情報能力だ。正直なところ、どうでもよかった。
しかし恋愛脳の校長とて学校の長である。普段は趣味に費やす力を、まっとうに教育方面で発揮することは充分に考えられる。
(いつバレるかビクつくよか、白状して一発怒られたほうがスッキリするかな)
いっそ周知の事実になればよいと開き直った。父は拓馬が乱暴者でないことを知っているし、話せばちゃんと理解してくれるのだ。
拓馬は手に握ったボールを自分の頭上へ投げる。やや前方へと上がったボールは、飼い犬がキャッチしやすい位置へ落下していく。落下地点で犬が待機しているだろう、と予測したがボールは床を跳ねた。遊び相手のいないボールは跳躍力を弱めていき、最終的に転がる。
(トーマ? もう飽きたのか)
リビングの引き戸は犬が通れるだけの幅が開いていた。飼い犬が自力で戸を開けることはままある。閉めることまで意識が回らないのが困りものだ。
廊下から冷たい空気が侵入する。拓馬は冷気を遮断しようと思い、腰をあげる。そこへ呼鈴が鳴った。来客だ。
(人を出迎えにいったか)
拓馬の予想は的中した。人感センサー付き照明の点灯した玄関を犬が見つめている。人間には聞こえぬ外からの足音などで気配を察知し、先回りしたのだ。その尻尾はゆっくり左右に揺れた。
すりガラスをはめこんだ玄関の戸が開く。そこには防寒着で身を包んだヤマダがいた。彼女が立つ背景は自然界が放つ光を失っている。
「ヤマダ、日が暮れたらうちには来ないんじゃなかったか?」
「ちょっと遅れちゃったね。でもパンは見つかったんだよ」
ヤマダは手にした紙袋を拓馬に差し出した。拓馬が中身を見てみると真っ黒いパンが目につく。これが姉の所望していた竹炭入りのパンだ。
「うわ、ホントに黒いな」
「うん、炭が混ざってるからそんな色になるんだとか。健康にはいいらしいよ」
両手の空いたヤマダは犬の背中や首をなでている。犬の尻尾はせわしなく揺れた。
「炭も竹も、食べようとする人がいるんだな」
「『健康』を売りにしたら欲しがる人はいっぱいいるんじゃない?」
拓馬はパンの入った袋を下足の棚に置いた。玄関に並べた自分の靴を履く。
「パンのお礼に家まで送ってく」
「そのカッコでいいの?」
「近いから平気だ」
送るまでもない距離なのだが、ほかに彼女の足労に報いる方法は思いつかない。ヤマダは「また来るからね」と犬の両頬をむにむに揉んだ。彼女が拓馬宅へ訪問する目当てはかなりの割合で犬にあった。ヤマダにとっては犬とのふれあいが充分な報酬に値するのかもしれないが、拓馬はそのことに触れなかった。
ヤマダが先に外へ出て拓馬があとに続く。玄関先の照明のおかげで確認できる道に、光を吸収する黒い物体があった。拓馬は警戒する。しかしヤマダはそのまま直進しようとした。拓馬はとっさに彼女の腕を引く。
「待て、変なのがいる」
「え、どこに?」
ヤマダの目は異変を捉えていない。同じ体験は過去に数えきれないほどあった。
またたくまに黒い異形がサーッとその場を引いた。照明は見慣れた通路をいつも通りに照らしている。
「……もう、どっかに行ったみたいだ」
「なんだろね、今日は……」
ヤマダの「今日は」発言を受けた拓馬は不良とのもめ事を連想した。それが本日一番の大事件だ。だがあれはある程度予想ができたこと。異形が出現する現象とは同列にできない。
(べつのことを言ってる? ……あ)
事件のさなかに拓馬が見かけた男を想起した。学校側の処分方法に気を揉んだかわりに、すっかり忘却していた対象だ。
「デパートの男はともかく、いまのやつはお前を追いかけてきたのかもしんないな」
何者も拓馬を追跡していないことは、犬の散歩の時にわかっていた。
「んー、また変なのに気に入られたかな?」
「あとでシズカさんに伝えてみるか」
シズカとは拓馬が信頼する知人のあだ名だ。表面上は普通の警官だが、不可解な事件に取り組むすべを持っている。ヤマダも拓馬の提案に同調し、二人はヤマダ宅へ向かった。
タグ:拓馬
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