2020年09月03日
習一篇−3章4
習一は教室を出た。目下の移動先は校舎の外である。おそらく外に、今朝、習一を学校へ導いた少女がいる。彼女は習一の昼食を用意すると言った。だが部外者が校内へ入ることは一般的にはばかられる。事務所に話を通せば許可は得られるだろうが、相手は習一の家でさえ玄関を通らずに侵入した少女だ。正攻法で食事を届けてくれる期待はできない。
(オレが校内にいたらあいつ、また壁をのぼってくるかもな……)
変身物のヒーローか忍者まがいの登場をされては目立ってしょうがない。ただでさえ自分が校内で悪目立ちしているのに、と習一はいま自分に刺さる冷たい視線を感じながら思った。この視線は廊下ですれちがう生徒がよこすものだ。これは今朝の視線とはすこし異なる意味をもつ。
今日の習一は遅刻してきた。退院後すぐの登校という致し方ない遅刻とはいえ、そんないきさつを知れていた生徒はいない。それゆえ、他者の目では習一が定刻通りに学校にこれなかった怠け者にしか見えなかったはずだ。もし遅刻してきても怠け者に思われない生徒がいるとしたら、それは日頃から無遅刻をつらぬく真面目な者にかぎられるだろう。
今朝の批判的な視線は遅刻者に注がれるもの。しかしこたびの習一は休憩時間に廊下を通っているだけである。ほかの生徒と同じことをしていても通行人は恐怖に顔をひきつり、習一と距離を置こうとする。この反応は習一その人に対するものである。
生徒らが習一を避ける目印は頭髪だ。習一は校則で禁じた染髪を堂々と行なう。こんな規則破りをする生徒はひとり。おまけにそんな生徒には前代未聞の悪評判もある、とくれば生徒たちは習一を避けて当然だ。教師にしても同じである。さきほど習一に話しかけてきた掛尾が異例であり、ほかの教師は習一と関りたがらない。せいぜい関わってくるのは貧乏くじを引いた担任の教師が、業務の一環で嫌々習一をたしなめる程度だ。これらの敬遠は習一がのぞんで生み出したもの。いつものことだと思い、習一は無視して玄関を出た。
習一は太陽が照りつける外へ行く。直射日光を浴びつづけるのはつらいため、心持ちすずめる木陰に入る。日差しを避けられる状態になってから冷静にまわりを見てみると、人の気配はまったくない。天気のよい昼休みといえど、暑さのあまりに飲食や遊興にふける生徒はいないようだ。
(だれもいないか……)
習一は好都合だと思った。いまなら銀髪の少女と接触しても、それを目撃する者はいない。妙な噂を立てられるおそれはなさそうだ。
木々の下を通り、学校の正門へ向かう。その道中で、木の上からなにかが落ちた。それは逆さまになった人影だ。木から落ちた人は空中で止まったまま、銀の髪を垂らす。この人物は今朝、習一に登校をうながした少女だ。彼女は枝をひざ裏とふくらはぎではさんで、逆さ吊りの状態になっている。逆さまの顔を習一に向け、「ごはんもってきた」と言う。
「エイヨウってよくわかんないんだけど、今日はこれ食べてね」
少女は両手で枝をつかみ、ひざを浮かすと、くるりと後転した。そしてすとんと両足を地につける。見事な軽業だ。習一はやはりこの少女が只者ではないのだと感じたが、当の本人はその技芸をなんとも思っていないらしく、すぐにリュックサックを下ろす。リュックの中からビニール袋を出し、それを習一に渡した。習一が受けとった袋にはスーパーやコンビニで見かけるサンドイッチ、おにぎり、サラダ、お茶のペットボトルが入っている。
「これがオレの昼飯か。お前の分は?」
「いらない。シューイチだけ食べて」
「ふーん、ありがとよ」
習一は代金を支払おうと思い、ポケットに手をつっこむ。
「全部でいくらだ?」
「いーの。シドのおごり」
少女がきっぱりと断る。習一はポケット内の財布に触れたまま、固まった。
「補習がおわるまでのごはんはシドが用意する。だから勉強にせんねんしてね」
「なんでそこまでする?」
銀髪の教師が習一の復学に付き添うのは無償の善意によるのだろう。それにくわえて飲食代も負担するのはいきすぎた善意だと習一は感じる。
「若い教師の給料なんざ、たかが知れたもんだろ」
「おかねは心配いらない。シドが好きでやってることなの」
「好きで、って……オレみたいなよそのガキに金をばらまいてるんなら、教え子にも奢ってるんだろ。生活にひびかないか?」
「いいの。つかいみちなくて、たまってくから」
「金の使い方を知らないわけか」
勉強や仕事ばかり努めてきた人間にはありがちなこと、と習一は聞いている。教師自身も遊びにはうといと言っていた。その自己申告と貯金がたまる傾向は合致する。
「浪費するのは他人のため、なーんて、どこの慈善家だよ」
一般的にはほめられる利他的な支出を、ひねくれ者な習一はからかってみた。
「うん。そうやって子どもを助けるって、ある人とやくそくしたの」
「へえ、その約束にはたいそうな美談があるんだろうな」
習一は彼らの背景を聞くつもりはない。早々に冷えた室内へもどるため、踵を返した。
「……きれいなはなし、じゃない。いっぱい、ひどいことした」
後方から少女の声がかすかに伝わった。習一は意味深な言葉の真意を聞こうと振り返ったが、少女の姿はもうなかった。
(なんだよ、思わせぶりな……)
あのようにつぶやかれては知りたくないと思っていたことでも関心が寄せてしまう。習一は必要のない好奇をおさえつけつつも、昼食を快適にとれる場所をさがしに移動した。
(オレが校内にいたらあいつ、また壁をのぼってくるかもな……)
変身物のヒーローか忍者まがいの登場をされては目立ってしょうがない。ただでさえ自分が校内で悪目立ちしているのに、と習一はいま自分に刺さる冷たい視線を感じながら思った。この視線は廊下ですれちがう生徒がよこすものだ。これは今朝の視線とはすこし異なる意味をもつ。
今日の習一は遅刻してきた。退院後すぐの登校という致し方ない遅刻とはいえ、そんないきさつを知れていた生徒はいない。それゆえ、他者の目では習一が定刻通りに学校にこれなかった怠け者にしか見えなかったはずだ。もし遅刻してきても怠け者に思われない生徒がいるとしたら、それは日頃から無遅刻をつらぬく真面目な者にかぎられるだろう。
今朝の批判的な視線は遅刻者に注がれるもの。しかしこたびの習一は休憩時間に廊下を通っているだけである。ほかの生徒と同じことをしていても通行人は恐怖に顔をひきつり、習一と距離を置こうとする。この反応は習一その人に対するものである。
生徒らが習一を避ける目印は頭髪だ。習一は校則で禁じた染髪を堂々と行なう。こんな規則破りをする生徒はひとり。おまけにそんな生徒には前代未聞の悪評判もある、とくれば生徒たちは習一を避けて当然だ。教師にしても同じである。さきほど習一に話しかけてきた掛尾が異例であり、ほかの教師は習一と関りたがらない。せいぜい関わってくるのは貧乏くじを引いた担任の教師が、業務の一環で嫌々習一をたしなめる程度だ。これらの敬遠は習一がのぞんで生み出したもの。いつものことだと思い、習一は無視して玄関を出た。
習一は太陽が照りつける外へ行く。直射日光を浴びつづけるのはつらいため、心持ちすずめる木陰に入る。日差しを避けられる状態になってから冷静にまわりを見てみると、人の気配はまったくない。天気のよい昼休みといえど、暑さのあまりに飲食や遊興にふける生徒はいないようだ。
(だれもいないか……)
習一は好都合だと思った。いまなら銀髪の少女と接触しても、それを目撃する者はいない。妙な噂を立てられるおそれはなさそうだ。
木々の下を通り、学校の正門へ向かう。その道中で、木の上からなにかが落ちた。それは逆さまになった人影だ。木から落ちた人は空中で止まったまま、銀の髪を垂らす。この人物は今朝、習一に登校をうながした少女だ。彼女は枝をひざ裏とふくらはぎではさんで、逆さ吊りの状態になっている。逆さまの顔を習一に向け、「ごはんもってきた」と言う。
「エイヨウってよくわかんないんだけど、今日はこれ食べてね」
少女は両手で枝をつかみ、ひざを浮かすと、くるりと後転した。そしてすとんと両足を地につける。見事な軽業だ。習一はやはりこの少女が只者ではないのだと感じたが、当の本人はその技芸をなんとも思っていないらしく、すぐにリュックサックを下ろす。リュックの中からビニール袋を出し、それを習一に渡した。習一が受けとった袋にはスーパーやコンビニで見かけるサンドイッチ、おにぎり、サラダ、お茶のペットボトルが入っている。
「これがオレの昼飯か。お前の分は?」
「いらない。シューイチだけ食べて」
「ふーん、ありがとよ」
習一は代金を支払おうと思い、ポケットに手をつっこむ。
「全部でいくらだ?」
「いーの。シドのおごり」
少女がきっぱりと断る。習一はポケット内の財布に触れたまま、固まった。
「補習がおわるまでのごはんはシドが用意する。だから勉強にせんねんしてね」
「なんでそこまでする?」
銀髪の教師が習一の復学に付き添うのは無償の善意によるのだろう。それにくわえて飲食代も負担するのはいきすぎた善意だと習一は感じる。
「若い教師の給料なんざ、たかが知れたもんだろ」
「おかねは心配いらない。シドが好きでやってることなの」
「好きで、って……オレみたいなよそのガキに金をばらまいてるんなら、教え子にも奢ってるんだろ。生活にひびかないか?」
「いいの。つかいみちなくて、たまってくから」
「金の使い方を知らないわけか」
勉強や仕事ばかり努めてきた人間にはありがちなこと、と習一は聞いている。教師自身も遊びにはうといと言っていた。その自己申告と貯金がたまる傾向は合致する。
「浪費するのは他人のため、なーんて、どこの慈善家だよ」
一般的にはほめられる利他的な支出を、ひねくれ者な習一はからかってみた。
「うん。そうやって子どもを助けるって、ある人とやくそくしたの」
「へえ、その約束にはたいそうな美談があるんだろうな」
習一は彼らの背景を聞くつもりはない。早々に冷えた室内へもどるため、踵を返した。
「……きれいなはなし、じゃない。いっぱい、ひどいことした」
後方から少女の声がかすかに伝わった。習一は意味深な言葉の真意を聞こうと振り返ったが、少女の姿はもうなかった。
(なんだよ、思わせぶりな……)
あのようにつぶやかれては知りたくないと思っていたことでも関心が寄せてしまう。習一は必要のない好奇をおさえつけつつも、昼食を快適にとれる場所をさがしに移動した。
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