2017年11月05日
拓馬篇前記−実澄10
実澄は青年の道案内兼、服装の助言を続けた。はじめは他人に怖がられない色選びを主題にした。徐々に普通のコーディネート話へ変容する。実澄は青年の髪がグレーなことから、色相に迷った時に灰色で固めれば一安心だと勧めた。青年は「むかし、言われたことがある」と述べる。
「風土がちがえば色彩感覚も変わると思ったが……」
「人間の本能的な部分はいっしょなんじゃないかしら。赤は闘争本能を刺激する、とか」
実澄は青年の口ぶりにより、彼が異国の者なのだと確信した。だが自身の本名さえ明かさぬ秘密主義者だ。彼に「どこの出身?」と聞いてはいけないと思い、その話題を避ける。
「いまはどうして黒で決めるようになったの?」
「私が世話になる人たちのおすすめの中で、もっとも無難だった」
「んー、モノトーンルックは無難なんだけれどね。銀くんはきれいな髪を持ってるから、白と黒よりは灰色がよく似合いそう」
「白は合わないか?」
「そうねえ……小麦色の肌を目立たせたいなら、いいと思う」
これには青年が「やめておこう」と消極的だ。
「地味でいい。あまり人の印象に残らないくらいの──」
「その体格では難しそうね」
街灯が照らす夜道においても青年の姿は目立つ。すれ違う人々は実澄が一人で出歩く時以上に距離をとって歩いていた。
「それはそうだ。もうすこし低ければよかったな」
「そう? 背の高い人にも悩みはあるのねえ。うちの夫はぜんぜんそんなこと言わないけれど、あれくらいがちょうどいいのかも」
「何センチだ?」
「一八五センチ。銀くんとは二十センチくらいちがう?」
「高く見積もってくれたな。あいにくだが私は二メートルを超していない」
実澄は目測をあやまる心当たりが思い浮かんだ。彼の帽子、靴底の高さ、実澄との体格差による印象の増加。とりわけ自身が小柄なせいだと考えた。「チビだから余計に大きく見えた」と言おうとしたところ、青年が「ミスミ」と改まる。
「話していたことと関係ない質問をしてもいいだろうか?」
「え? ええ、どうぞ」
実澄は内心焦った。彼の問いにちゃんと答えられる自信がない。自身がおよそ一般的な考えの持ち主ではないと自認していた。
「親は、子がどのように動けばよろこぶ?」
「え……」
「『幼いうちは親の指示を聞け』、『思春期をすぎてからは自分で考えて動け』というのがミスミの主張だと思ったが、それで合っているか?」
「ええ、そうね……」
「娘がミスミの良しとすることと真逆の行動をしても、ミスミは歓迎するか?」
イエスと答えねばならない問いだ。実澄が他者に説いた親子論にもとづけば。だが完全肯定することに欺瞞を感じる。
「……最初は嫌がると思う。えらそうに言ってても、これが本音」
「なら、やはり子は親に従うほうがいいか」
「ううん。それも……ちがう」
青年の提示する仮定は両極端だ。それは実澄の本意ではない。
「ほどほどがいいのよ。だれにだってゆずれない考えはあるでしょう? でも百パーセントゆずらなかったらケンカが起きちゃう。反対にゆずってばかりいたら、不幸な一生になってしまいそう」
「だから、話し合えと?」
「そう。みんながそこそこに満足できるところを探すの。それは家族にかぎったことじゃないけどね」
「血縁の無い他人もか?」
「そうよ。たとえ顔も見たことのない、ちがう土地や国の人だって幸せになれたほうがいいでしょ?」
そうは思わない人間もいると実澄はわかっていながら、この青年なら同意すると期待した。青年は答えない。実澄はあてが外れたかと不安になる。
「銀くんは、わたしの考えがおかしいと思った?」
「変だとは言わない。だが同じ気持ちにはなれない」
「そう、なの? 意外ね……」
「私は、貴女が思うような良い人間じゃない」
静かだが気迫のこもった声だった。実澄はその言葉をかるがるしく否定してはいけないのだと察する。たった半日、共にいただけの他人になにがわかるというのか。そんな言葉が裏にひそんでいるかのようだ。
実澄はどうとも言えなかった。同じ会話を継続させるのも、テーマを変えるのも気が引けた。気まずい空気ができる。しかし目的の駅が目につくと会話のネタをつかむ。
「あ、あそこよ。銀くんはどっち方面に行くの?」
家路の方角を聞いたが返事はない。実澄は青年の姿を捜す。街灯や家屋から漏れる電灯が照らす町中には巨大な図体がどこにもない。
「あれ? どこに──」
来た道をさかのぼり、周囲を見渡す。やはり特徴的な高身長の人物はいない。だがべつの人影が目に留まった。わが子によく似た背格好の者が走ってくる。既製品の緑色のニット帽子を被った少女だ。夫の目鼻立ちをよく受け継いでいる。
「お母さん? どこに行くの」
娘が息を切らしながらきた。実澄は青年が吐いた冷たい言葉を思考の外に追いやる。
「よそから来た人に道案内をしてたの。でもいなくなっちゃって……」
「その人、『案内して』って言った?」
「いいえ、わたしがおせっかいしたの。本人は『必要ない』と断ってたけれど」
「じゃあもう帰ったんじゃない? お母さん、しつこいとこあるから逃げたのかな」
普段の実澄なら「ずいぶん言ってくれるじゃない」と娘の予想に言い返すのだが、どうもその指摘がハズレでない気がする。
「そうかもね……」
後味の悪い別れだ。礼も挨拶も物足りない。こんな中途半端なやり取りを最後に、あの青年と永遠に別離してしまう。そう思うと今日一番のしくじりだったと反省した。
娘は買い物袋を掲げて「洗剤買ったよ」と報告する。朝方、広告で知った特売品の衣類洗剤だろう。それが彼女が外出していた理由だ。
「わたしはもう帰るつもりだけど、お母さんは?」
「そうね、帰ってご飯の支度をしなきゃ」
「ついでに案内してた人の話を聞かせてくれる? 悪い人じゃなかったんでしょ」
実澄は青年の行方を不明のままにし、娘とともに帰路をたどることにした。
「風土がちがえば色彩感覚も変わると思ったが……」
「人間の本能的な部分はいっしょなんじゃないかしら。赤は闘争本能を刺激する、とか」
実澄は青年の口ぶりにより、彼が異国の者なのだと確信した。だが自身の本名さえ明かさぬ秘密主義者だ。彼に「どこの出身?」と聞いてはいけないと思い、その話題を避ける。
「いまはどうして黒で決めるようになったの?」
「私が世話になる人たちのおすすめの中で、もっとも無難だった」
「んー、モノトーンルックは無難なんだけれどね。銀くんはきれいな髪を持ってるから、白と黒よりは灰色がよく似合いそう」
「白は合わないか?」
「そうねえ……小麦色の肌を目立たせたいなら、いいと思う」
これには青年が「やめておこう」と消極的だ。
「地味でいい。あまり人の印象に残らないくらいの──」
「その体格では難しそうね」
街灯が照らす夜道においても青年の姿は目立つ。すれ違う人々は実澄が一人で出歩く時以上に距離をとって歩いていた。
「それはそうだ。もうすこし低ければよかったな」
「そう? 背の高い人にも悩みはあるのねえ。うちの夫はぜんぜんそんなこと言わないけれど、あれくらいがちょうどいいのかも」
「何センチだ?」
「一八五センチ。銀くんとは二十センチくらいちがう?」
「高く見積もってくれたな。あいにくだが私は二メートルを超していない」
実澄は目測をあやまる心当たりが思い浮かんだ。彼の帽子、靴底の高さ、実澄との体格差による印象の増加。とりわけ自身が小柄なせいだと考えた。「チビだから余計に大きく見えた」と言おうとしたところ、青年が「ミスミ」と改まる。
「話していたことと関係ない質問をしてもいいだろうか?」
「え? ええ、どうぞ」
実澄は内心焦った。彼の問いにちゃんと答えられる自信がない。自身がおよそ一般的な考えの持ち主ではないと自認していた。
「親は、子がどのように動けばよろこぶ?」
「え……」
「『幼いうちは親の指示を聞け』、『思春期をすぎてからは自分で考えて動け』というのがミスミの主張だと思ったが、それで合っているか?」
「ええ、そうね……」
「娘がミスミの良しとすることと真逆の行動をしても、ミスミは歓迎するか?」
イエスと答えねばならない問いだ。実澄が他者に説いた親子論にもとづけば。だが完全肯定することに欺瞞を感じる。
「……最初は嫌がると思う。えらそうに言ってても、これが本音」
「なら、やはり子は親に従うほうがいいか」
「ううん。それも……ちがう」
青年の提示する仮定は両極端だ。それは実澄の本意ではない。
「ほどほどがいいのよ。だれにだってゆずれない考えはあるでしょう? でも百パーセントゆずらなかったらケンカが起きちゃう。反対にゆずってばかりいたら、不幸な一生になってしまいそう」
「だから、話し合えと?」
「そう。みんながそこそこに満足できるところを探すの。それは家族にかぎったことじゃないけどね」
「血縁の無い他人もか?」
「そうよ。たとえ顔も見たことのない、ちがう土地や国の人だって幸せになれたほうがいいでしょ?」
そうは思わない人間もいると実澄はわかっていながら、この青年なら同意すると期待した。青年は答えない。実澄はあてが外れたかと不安になる。
「銀くんは、わたしの考えがおかしいと思った?」
「変だとは言わない。だが同じ気持ちにはなれない」
「そう、なの? 意外ね……」
「私は、貴女が思うような良い人間じゃない」
静かだが気迫のこもった声だった。実澄はその言葉をかるがるしく否定してはいけないのだと察する。たった半日、共にいただけの他人になにがわかるというのか。そんな言葉が裏にひそんでいるかのようだ。
実澄はどうとも言えなかった。同じ会話を継続させるのも、テーマを変えるのも気が引けた。気まずい空気ができる。しかし目的の駅が目につくと会話のネタをつかむ。
「あ、あそこよ。銀くんはどっち方面に行くの?」
家路の方角を聞いたが返事はない。実澄は青年の姿を捜す。街灯や家屋から漏れる電灯が照らす町中には巨大な図体がどこにもない。
「あれ? どこに──」
来た道をさかのぼり、周囲を見渡す。やはり特徴的な高身長の人物はいない。だがべつの人影が目に留まった。わが子によく似た背格好の者が走ってくる。既製品の緑色のニット帽子を被った少女だ。夫の目鼻立ちをよく受け継いでいる。
「お母さん? どこに行くの」
娘が息を切らしながらきた。実澄は青年が吐いた冷たい言葉を思考の外に追いやる。
「よそから来た人に道案内をしてたの。でもいなくなっちゃって……」
「その人、『案内して』って言った?」
「いいえ、わたしがおせっかいしたの。本人は『必要ない』と断ってたけれど」
「じゃあもう帰ったんじゃない? お母さん、しつこいとこあるから逃げたのかな」
普段の実澄なら「ずいぶん言ってくれるじゃない」と娘の予想に言い返すのだが、どうもその指摘がハズレでない気がする。
「そうかもね……」
後味の悪い別れだ。礼も挨拶も物足りない。こんな中途半端なやり取りを最後に、あの青年と永遠に別離してしまう。そう思うと今日一番のしくじりだったと反省した。
娘は買い物袋を掲げて「洗剤買ったよ」と報告する。朝方、広告で知った特売品の衣類洗剤だろう。それが彼女が外出していた理由だ。
「わたしはもう帰るつもりだけど、お母さんは?」
「そうね、帰ってご飯の支度をしなきゃ」
「ついでに案内してた人の話を聞かせてくれる? 悪い人じゃなかったんでしょ」
実澄は青年の行方を不明のままにし、娘とともに帰路をたどることにした。
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