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2018年07月22日
拓馬篇−9章3 ★
「箱を集めてきましたよ。解答は任せます」
赤毛は両手に持った箱をヤマダ付近の机に置く。あらたに現れた箱は二つだ。
「二個か……さっきあんたが持ってきたのは三個で、一個はとなりの教室にあったから……全部で六個だな」
「あとひとつは持ちはこべない場所にありました。ここにある箱を処理した後、ナゾナゾを解きに行きましょう」
「了解。んじゃ、やってくか」
「よーし、どれから……て、あれ? タッちゃんがもう解いたのもあるの?」
ヤマダは紙が乗る箱に注目した。その紙は拓馬がメモ書きしたものだ。
「ああ、答えらしい答えはわかったんだけど、まだピースをはめてなかったんだ」
解答権がヤマダにのみ与えられている、との事実を伝える間もなく、ヤマダは「ほかのもさきに答えを考えようか」と言う。まずは一通りの答えの候補を挙げる、というやり方で拓馬が取り組んでいると考えたらしい。
二人はどの問題から取りかかるか選定した。そこを赤毛がヤマダに話しかける。
「アナタだけでも問題は解けそうですか?」
「んー、イケると思うよ。文章は初歩的だし、試験より簡単」
「それは結構。しばし一人で解いてもらえますか。坊ちゃんに知らせることがあるので」
ヤマダはすっかり謎解きに集中しており、「いいよー」と生返事をした。
赤毛と拓馬は教室の後方へ移動する。少女はヤマダの隣に座ったまま。赤毛は少女がこちらに関心がないのを確かめ、拓馬の着席を促した。拓馬は素直に椅子に腰を下ろす。だが赤毛の話が始まるまえに「聞きたいことがある」と先手を打つ。
「あんたは言ったよな。犯人は俺らの身近にいるやつだって」
「ええ、そうですよ」
「なんでわかった?」
「まずはひとつ確認しましょう。ここへ入室する前のアナタの言葉から察するに、アナタは精神体の異界の者が見えるようですね?」
「俺は幽霊もごちゃ混ぜに見える。どっちがどの世界のやつだか区別できやしない」
「つまり、アナタが学校にいる間に不審な幽霊がうろついていれば、すぐに発見できますね。頻出するようなら、シズカさんに伝えて対処してもらうのではありませんか? そして、その連絡をアナタはしなかった」
「そうだけど、だからなんだって言うんだ?」
「この学校は異界の者が創出した偽物です。似せるには、隅々までよく知る必要があります。ですからこの昼間の建物内を再現するに至るまで、異界の者が潜入を繰り返したことになります。それにアナタが気付けず、我々は現在まがい物の学舎にいる」
赤毛の主張は、現状におちいった原因が拓馬にあると言いたげだ。その意見は不快だが一理あり、「俺がにぶくてわるかったな」と拓馬は嫌々ながらも認めた。赤毛は「反省しようがないことですよ」となぐさめる。
「アナタが鈍感なのではありません。異界の者がアナタをうまくだましていたのです」
「それが、身近にいた人だっていうのか?」
「教師、職員、学生、なんでもよろしい。それらになりすまして日常的に学舎に入り、この空間を生み出した。そう考えると無理がないでしょう?」
赤毛の推論はもっともらしかった。拓馬は異議をとなえず、赤毛の話を継続して聞く。
「この国は戸籍管理が厳重だそうですね。簡単になりすますにはこの学校に所属する人を殺害し、その人に化けるのがよいでしょう」
「さらっとムゴイことを言ってくれるな」
拓馬が残虐性のある仮説に難色を示した。赤毛はその非難を無視する。
「しかし、中身が別人になっていてはそのうちボロが出ます。最近、性格が変わった知り合いはいますか?」
拓馬は赤毛の軽薄な態度に嫌気がさすが、必要な質疑ゆえに返答をとどこおらせない。
「いないな。けど、三か月前にこの学校にきた人がいる。その中で怪しいのは……」
拓馬は銀髪の少女に目をやる。彼女は銀髪の教師に似た姿に変化した化け物。その姿はヤマダが想像したものだ。ヤマダが少女に、新任の教師に共通する特徴を与えたわけとは──ヤマダが例の教師を、黒い化け物の一味だと疑う思いが具現化したのではないか。
(でも、決定的な証拠はないんだよな)
状況的に不審な点が多いとはいえ、まだシドが黒幕だと決定づける段階ではない。
(あいつは、見つけたんだろうか?)
拓馬が見逃した証拠を、ヤマダは発見しているかもしれない。それを問いただしてよいものかどうか、迷いが生じる。話の途中で沈思黙考した拓馬に対し、赤毛は不敵に笑う。
「怪しいのはだれです? 嬢ちゃんには言いませんから、安心して言ってください」
拓馬が黙した理由はヤマダにあると赤毛は思ったらしい。当たらずとも遠からずだ。拓馬は不確実な推論で返答する。
「……今月で退職する英語の先生だ」
「エイゴ、というと箱に書かれた言語は?」
「英語だよ。扉の問題文も、綴りは英語」
「では犯人はその教師で決まりですね。退職するのは、あとで逃走するためでしょう。あの娘を捕えるためにずいぶん回りくどいことをしたものです。潜伏の期限がせまってきたので事を起こしたのでしょうが、多大な労を割いてこの場に囲った目的とは……」
赤毛が言葉に詰まったかと思いきや、「ああ、そうです」となにかを思い出す。
「アナタは箱の引き出しのことを気にしていましたっけね。どうして嬢ちゃんには開けられるのか、知りたいですか?」
「ああ、まあ……」
赤毛はにんまり笑い、「考えられる理由は三つ」と語りはじめた。
赤毛は両手に持った箱をヤマダ付近の机に置く。あらたに現れた箱は二つだ。
「二個か……さっきあんたが持ってきたのは三個で、一個はとなりの教室にあったから……全部で六個だな」
「あとひとつは持ちはこべない場所にありました。ここにある箱を処理した後、ナゾナゾを解きに行きましょう」
「了解。んじゃ、やってくか」
「よーし、どれから……て、あれ? タッちゃんがもう解いたのもあるの?」
ヤマダは紙が乗る箱に注目した。その紙は拓馬がメモ書きしたものだ。
「ああ、答えらしい答えはわかったんだけど、まだピースをはめてなかったんだ」
解答権がヤマダにのみ与えられている、との事実を伝える間もなく、ヤマダは「ほかのもさきに答えを考えようか」と言う。まずは一通りの答えの候補を挙げる、というやり方で拓馬が取り組んでいると考えたらしい。
二人はどの問題から取りかかるか選定した。そこを赤毛がヤマダに話しかける。
「アナタだけでも問題は解けそうですか?」
「んー、イケると思うよ。文章は初歩的だし、試験より簡単」
「それは結構。しばし一人で解いてもらえますか。坊ちゃんに知らせることがあるので」
ヤマダはすっかり謎解きに集中しており、「いいよー」と生返事をした。
赤毛と拓馬は教室の後方へ移動する。少女はヤマダの隣に座ったまま。赤毛は少女がこちらに関心がないのを確かめ、拓馬の着席を促した。拓馬は素直に椅子に腰を下ろす。だが赤毛の話が始まるまえに「聞きたいことがある」と先手を打つ。
「あんたは言ったよな。犯人は俺らの身近にいるやつだって」
「ええ、そうですよ」
「なんでわかった?」
「まずはひとつ確認しましょう。ここへ入室する前のアナタの言葉から察するに、アナタは精神体の異界の者が見えるようですね?」
「俺は幽霊もごちゃ混ぜに見える。どっちがどの世界のやつだか区別できやしない」
「つまり、アナタが学校にいる間に不審な幽霊がうろついていれば、すぐに発見できますね。頻出するようなら、シズカさんに伝えて対処してもらうのではありませんか? そして、その連絡をアナタはしなかった」
「そうだけど、だからなんだって言うんだ?」
「この学校は異界の者が創出した偽物です。似せるには、隅々までよく知る必要があります。ですからこの昼間の建物内を再現するに至るまで、異界の者が潜入を繰り返したことになります。それにアナタが気付けず、我々は現在まがい物の学舎にいる」
赤毛の主張は、現状におちいった原因が拓馬にあると言いたげだ。その意見は不快だが一理あり、「俺がにぶくてわるかったな」と拓馬は嫌々ながらも認めた。赤毛は「反省しようがないことですよ」となぐさめる。
「アナタが鈍感なのではありません。異界の者がアナタをうまくだましていたのです」
「それが、身近にいた人だっていうのか?」
「教師、職員、学生、なんでもよろしい。それらになりすまして日常的に学舎に入り、この空間を生み出した。そう考えると無理がないでしょう?」
赤毛の推論はもっともらしかった。拓馬は異議をとなえず、赤毛の話を継続して聞く。
「この国は戸籍管理が厳重だそうですね。簡単になりすますにはこの学校に所属する人を殺害し、その人に化けるのがよいでしょう」
「さらっとムゴイことを言ってくれるな」
拓馬が残虐性のある仮説に難色を示した。赤毛はその非難を無視する。
「しかし、中身が別人になっていてはそのうちボロが出ます。最近、性格が変わった知り合いはいますか?」
拓馬は赤毛の軽薄な態度に嫌気がさすが、必要な質疑ゆえに返答をとどこおらせない。
「いないな。けど、三か月前にこの学校にきた人がいる。その中で怪しいのは……」
拓馬は銀髪の少女に目をやる。彼女は銀髪の教師に似た姿に変化した化け物。その姿はヤマダが想像したものだ。ヤマダが少女に、新任の教師に共通する特徴を与えたわけとは──ヤマダが例の教師を、黒い化け物の一味だと疑う思いが具現化したのではないか。
(でも、決定的な証拠はないんだよな)
状況的に不審な点が多いとはいえ、まだシドが黒幕だと決定づける段階ではない。
(あいつは、見つけたんだろうか?)
拓馬が見逃した証拠を、ヤマダは発見しているかもしれない。それを問いただしてよいものかどうか、迷いが生じる。話の途中で沈思黙考した拓馬に対し、赤毛は不敵に笑う。
「怪しいのはだれです? 嬢ちゃんには言いませんから、安心して言ってください」
拓馬が黙した理由はヤマダにあると赤毛は思ったらしい。当たらずとも遠からずだ。拓馬は不確実な推論で返答する。
「……今月で退職する英語の先生だ」
「エイゴ、というと箱に書かれた言語は?」
「英語だよ。扉の問題文も、綴りは英語」
「では犯人はその教師で決まりですね。退職するのは、あとで逃走するためでしょう。あの娘を捕えるためにずいぶん回りくどいことをしたものです。潜伏の期限がせまってきたので事を起こしたのでしょうが、多大な労を割いてこの場に囲った目的とは……」
赤毛が言葉に詰まったかと思いきや、「ああ、そうです」となにかを思い出す。
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2018年07月21日
拓馬篇−9章2 ★
「なあ、俺たちっていつになったらここを出させてもらえるんだ?」
拓馬は自分たちを監禁した者の縁者に問う。銀髪の少女はヤマダに寄り添ったままだ。
「わかんない」
「あの大男はお前にも教えてないのか?」
「うん……」
少女がうなずいた。知らないのなら仕方ない、と拓馬は別の質問に切り替える。
「あいつはどこにいるんだ?」
「いちばん広いへや」
拓馬は学校でもっとも広い一室がどこかを考えた。図書室、職員室、食堂、校長室、道場など、一通り思い浮かべてみたがどれもピンとこなかった。一番面積の広い場所はグラウンドだが部屋ではない。その次に広い場所は体育館。現在は扉が開かない箇所だ。
「体育館を部屋って言うか……? まあいいや、その男はそこでなにをしてる?」
「まってる」
「なにを待ってるんだ? 俺たちか?」
「もうひとりまってる」
「それはシズカさんか?」
「その人のつかいがくるんだって」
「『つかい』?」
「きたよ」
教室の戸からコツコツと固い物が当たる音がした。拓馬が音の出所へ注目すると白い烏がアクリル窓をつついていた。その烏はシズカの仲間だ。拓馬は助けがきたのだと心の中で歓喜する。即座に席を立ち、烏を教室へ入れた。烏はヤマダの近くにある机に着地する。その足には細長く折りたたんだ紙が結んである。拓馬がその紙を広げる。差出人不明だが、拓馬宛ての手紙だった。
≪タクマくんへ。ヤマダさんを守らせていた子と連絡ができなくなった。その子は毛が白くて首に鈴を付けた狐だ。ヤマダさんの近くにいるだろうか? 返信求む。≫
「……キツネって……」
拓馬はヤマダを見た。彼女を護衛する狐はいない。そもそも今朝から狐は見ていなかった。試験中にヤマダが襲われたことはシズカに伝えてあり、現在は日中もヤマダを守る手はずになっている。姿を見せなくとも付近にいるもの、と拓馬は楽観視していた。だが狐がシズカと連絡を取れないのなら、狐は正常な状態ではないことになる。
拓馬はこのことも少女にたずねる。
「……お前は白いキツネを見たか?」
「うん」
「いまはどこにいる?」
少女は「あのへん」と中庭を挟んだ校舎の上部を示した。反対側の校舎の二階だろうか。
「キツネがどうなってるか、わかるか?」
「生きてないし死んでもない」
「どういう意味だ?」
「ヤマダかシズカ、もとにもどせる」
「なんでその二人なんだ」
「そういう力、もってるから」
少女は正直に話しているのだろうが、拓馬の要領を得ない。
(引き出しの開け閉めができるのと、関係あるのか?)
拓馬や赤毛にはできないが、ヤマダにできること──いまのところ、特定の机と箱の引き出しの開閉はヤマダの特権となっている。それ関連の能力かと拓馬は心に留めた。
突然、烏が拓馬の手をつついた。返信を書け、と催促しているらしい。
「あ、わるいな。いま返事を書くよ」
拓馬はヤマダの文具を用い、メモ用紙に現状報告を書く。狐は姿を消したこと、自分たちが妙な学校に閉じこめられたこと、狐はこの閉じた空間の中にいるらしいことを記した。紙を折りたたみ、烏の足に結ぶ。役目を達成した使いは羽ばたき、飛び去った。
(無事にとどけてくれよ)
拓馬はそう念じた。あの烏が拓馬たちの生命線であると信じて。
烏が通ったあとの戸は開けっ放しである。拓馬は廊下の様子を確認したのち、引き戸を閉める。シズカと連絡がとれた歓喜のせいか、戸を強くうごかしてしまった。ドンという音とともに戸が反動する。拓馬は力加減をまちがえたことを反省し、そっと戸を閉めた。
拓馬が出した物音のせいだろうか。ずっとうつむいていたヤマダの頭がうごいた。拓馬は彼女の私物を使ったことを伝える。
「お前がねてるあいだ、紙とペンを使わせてもらったぞ」
「……んー? あれ、居眠りしてた?」
寝起きの生徒が頭を上げた。ヤマダがはじめて少女姿の化け物と対面する。ヤマダはわずかに身を引き、驚愕した。少女と手をつないでいることに気付くと、もとの姿勢にもどる。だが見開いた目は変わらない。
「あー……そうだ、大変なことになってるんだったね」
「ああ。でもシズカさんの使いがきたんだ。ちょっとは状況がよくなるぞ」
「それは心強いね。……あれ?」
ヤマダは席にもどってきた拓馬の顔を見る。
「そういえばわたしのそばに白いキツネがいるんだっけ。その子はどうしてるの?」
「今朝から見てないんだ。シズカさんも、連絡が取れないと手紙に書いてた。んで、そいつが言うには、向かいの校舎の二階あたりで捕まってるらしい」
拓馬が「そいつ」と称した銀髪の少女を指し示す。ヤマダは少女の顔をまじまじと見た。元黒い化け物だった者へ向けた視線は、しばらく経つと拓馬へ移される。
「この子が、さっきの黒い子?」
「そうだよ、お前がこの姿を想像したからこうなったんだとさ」
「たしかに、声が女の子かなーと思ったのと、シド先生を思い出しちゃって……」
「なんで先生のことを思い出してたんだ?」
ヤマダは口ごもった。「なんでって……」と少女と見つめ合う。
「ほんとは試験の時間なのに、こんなことになっちゃって……先生、心配してるかなーと思ったんだよ。そんな想像で、この子が人間に変身できるんだね」
やや早口でヤマダが答えた。本心とズレた理由を言っている、と拓馬は直感する。
(ほんとうは先生が化け物の仲間だって、思ってんじゃないか?)
いまにして思うと、追試のはじまるタイミングで異変が起きたこと、謎解きの数々が英語を使用する二点は怪しい。これらは新任の英語教師を騒動の原因だと疑える事実だ。
(わかってても、認めたくないのか……?)
その気持ちがわからなくはなかった。あれほど友好な関係をきずいてきた相手が、自分たちをあざむいていたとは信じられないのだ。
拓馬は彼女を傷つけぬよう、あえてヤマダのごまかしの言葉にのっかる。
「シズカさんの猫はいろんな人間に化けられるっていうからな。異界の連中はわりとカンタンに人に化けるもんなんじゃないか?」
「化け猫と一緒かあ……ところで、この子の名前は聞いた?」
「ないらしい」
「んー、ないのは不便だね。パッと思いついたところで……」
ヤマダは首をひねった。十数秒が経過したのちに少女を正視する。
「黒人女性歌手に、本名がエリノーラという人がいたの。ほかに偉い女性のなかでエレノア・ルーズベルトという人もいてね。そこからとって、エリー。仮にそう呼んでいい?」
少女は「うん」と二の句を告げずに快諾する。あっさりしたやり取りだ。
(こいつ、けっこう素直だな……)
少女の従順さをを逆手にとって、大男の計画を根掘り葉掘り聞き出すことはできる。だが赤毛が教室の戸をがらがらと開けて入室したため、その聴取は中断さぜるをえなかった。
拓馬は自分たちを監禁した者の縁者に問う。銀髪の少女はヤマダに寄り添ったままだ。
「わかんない」
「あの大男はお前にも教えてないのか?」
「うん……」
少女がうなずいた。知らないのなら仕方ない、と拓馬は別の質問に切り替える。
「あいつはどこにいるんだ?」
「いちばん広いへや」
拓馬は学校でもっとも広い一室がどこかを考えた。図書室、職員室、食堂、校長室、道場など、一通り思い浮かべてみたがどれもピンとこなかった。一番面積の広い場所はグラウンドだが部屋ではない。その次に広い場所は体育館。現在は扉が開かない箇所だ。
「体育館を部屋って言うか……? まあいいや、その男はそこでなにをしてる?」
「まってる」
「なにを待ってるんだ? 俺たちか?」
「もうひとりまってる」
「それはシズカさんか?」
「その人のつかいがくるんだって」
「『つかい』?」
「きたよ」
教室の戸からコツコツと固い物が当たる音がした。拓馬が音の出所へ注目すると白い烏がアクリル窓をつついていた。その烏はシズカの仲間だ。拓馬は助けがきたのだと心の中で歓喜する。即座に席を立ち、烏を教室へ入れた。烏はヤマダの近くにある机に着地する。その足には細長く折りたたんだ紙が結んである。拓馬がその紙を広げる。差出人不明だが、拓馬宛ての手紙だった。
≪タクマくんへ。ヤマダさんを守らせていた子と連絡ができなくなった。その子は毛が白くて首に鈴を付けた狐だ。ヤマダさんの近くにいるだろうか? 返信求む。≫
「……キツネって……」
拓馬はヤマダを見た。彼女を護衛する狐はいない。そもそも今朝から狐は見ていなかった。試験中にヤマダが襲われたことはシズカに伝えてあり、現在は日中もヤマダを守る手はずになっている。姿を見せなくとも付近にいるもの、と拓馬は楽観視していた。だが狐がシズカと連絡を取れないのなら、狐は正常な状態ではないことになる。
拓馬はこのことも少女にたずねる。
「……お前は白いキツネを見たか?」
「うん」
「いまはどこにいる?」
少女は「あのへん」と中庭を挟んだ校舎の上部を示した。反対側の校舎の二階だろうか。
「キツネがどうなってるか、わかるか?」
「生きてないし死んでもない」
「どういう意味だ?」
「ヤマダかシズカ、もとにもどせる」
「なんでその二人なんだ」
「そういう力、もってるから」
少女は正直に話しているのだろうが、拓馬の要領を得ない。
(引き出しの開け閉めができるのと、関係あるのか?)
拓馬や赤毛にはできないが、ヤマダにできること──いまのところ、特定の机と箱の引き出しの開閉はヤマダの特権となっている。それ関連の能力かと拓馬は心に留めた。
突然、烏が拓馬の手をつついた。返信を書け、と催促しているらしい。
「あ、わるいな。いま返事を書くよ」
拓馬はヤマダの文具を用い、メモ用紙に現状報告を書く。狐は姿を消したこと、自分たちが妙な学校に閉じこめられたこと、狐はこの閉じた空間の中にいるらしいことを記した。紙を折りたたみ、烏の足に結ぶ。役目を達成した使いは羽ばたき、飛び去った。
(無事にとどけてくれよ)
拓馬はそう念じた。あの烏が拓馬たちの生命線であると信じて。
烏が通ったあとの戸は開けっ放しである。拓馬は廊下の様子を確認したのち、引き戸を閉める。シズカと連絡がとれた歓喜のせいか、戸を強くうごかしてしまった。ドンという音とともに戸が反動する。拓馬は力加減をまちがえたことを反省し、そっと戸を閉めた。
拓馬が出した物音のせいだろうか。ずっとうつむいていたヤマダの頭がうごいた。拓馬は彼女の私物を使ったことを伝える。
「お前がねてるあいだ、紙とペンを使わせてもらったぞ」
「……んー? あれ、居眠りしてた?」
寝起きの生徒が頭を上げた。ヤマダがはじめて少女姿の化け物と対面する。ヤマダはわずかに身を引き、驚愕した。少女と手をつないでいることに気付くと、もとの姿勢にもどる。だが見開いた目は変わらない。
「あー……そうだ、大変なことになってるんだったね」
「ああ。でもシズカさんの使いがきたんだ。ちょっとは状況がよくなるぞ」
「それは心強いね。……あれ?」
ヤマダは席にもどってきた拓馬の顔を見る。
「そういえばわたしのそばに白いキツネがいるんだっけ。その子はどうしてるの?」
「今朝から見てないんだ。シズカさんも、連絡が取れないと手紙に書いてた。んで、そいつが言うには、向かいの校舎の二階あたりで捕まってるらしい」
拓馬が「そいつ」と称した銀髪の少女を指し示す。ヤマダは少女の顔をまじまじと見た。元黒い化け物だった者へ向けた視線は、しばらく経つと拓馬へ移される。
「この子が、さっきの黒い子?」
「そうだよ、お前がこの姿を想像したからこうなったんだとさ」
「たしかに、声が女の子かなーと思ったのと、シド先生を思い出しちゃって……」
「なんで先生のことを思い出してたんだ?」
ヤマダは口ごもった。「なんでって……」と少女と見つめ合う。
「ほんとは試験の時間なのに、こんなことになっちゃって……先生、心配してるかなーと思ったんだよ。そんな想像で、この子が人間に変身できるんだね」
やや早口でヤマダが答えた。本心とズレた理由を言っている、と拓馬は直感する。
(ほんとうは先生が化け物の仲間だって、思ってんじゃないか?)
いまにして思うと、追試のはじまるタイミングで異変が起きたこと、謎解きの数々が英語を使用する二点は怪しい。これらは新任の英語教師を騒動の原因だと疑える事実だ。
(わかってても、認めたくないのか……?)
その気持ちがわからなくはなかった。あれほど友好な関係をきずいてきた相手が、自分たちをあざむいていたとは信じられないのだ。
拓馬は彼女を傷つけぬよう、あえてヤマダのごまかしの言葉にのっかる。
「シズカさんの猫はいろんな人間に化けられるっていうからな。異界の連中はわりとカンタンに人に化けるもんなんじゃないか?」
「化け猫と一緒かあ……ところで、この子の名前は聞いた?」
「ないらしい」
「んー、ないのは不便だね。パッと思いついたところで……」
ヤマダは首をひねった。十数秒が経過したのちに少女を正視する。
「黒人女性歌手に、本名がエリノーラという人がいたの。ほかに偉い女性のなかでエレノア・ルーズベルトという人もいてね。そこからとって、エリー。仮にそう呼んでいい?」
少女は「うん」と二の句を告げずに快諾する。あっさりしたやり取りだ。
(こいつ、けっこう素直だな……)
少女の従順さをを逆手にとって、大男の計画を根掘り葉掘り聞き出すことはできる。だが赤毛が教室の戸をがらがらと開けて入室したため、その聴取は中断さぜるをえなかった。