世界が理解できるということである。
今回はアインシュタインの言葉からの引用になりますが
この言葉を取ってみると、ソクラテスの無知の知に通じる
ニュアンスを感じられるものがあります。
理解できたと思っていたことが
別の分野の視点を取り入れて解釈を持つことで
これまでとは違った認識が得られることもある。
何かの主張に対しても
社会的な立場が違うことや部署が違うことによって
その意味が変わってくることもあるかもしれません。
思考の前提が変わることによって
知識や情報という概念自体が、価値を変えることもありますよね。
分かった、と思えるようなことでも
その一面だけを見ることで、分かったと思っていることもあるかもしれない。
物事には絶対的なものの見方があるわけではない、ということを
伝えているものも少なくありません。
理解のステップにもどれだけ1つのテーマを取ってみても
深度を持たせていくことが出来るのか、という点に
知的好奇心を養っていくポイントがあると思っています。
そうした意味でも
今の自分とは違った立場にある人なら
この言葉や概念をどのように見ているのだろうか、と
視点のスポットライトを変えてみようとする思考が
複眼にもなり、思考の幅を広げさせてくれるものがあると感じさせます!
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