2019年08月07日
太田道灌の伝説
山吹の伝説
扇谷上杉家の家宰として活躍した道灌ですが、彼は武芸だけでなく文化人としても有名で、特に和歌の腕前は一流でした。
道灌が一流の歌人になるきっかけとなったエピソードがあります。
道灌がまだ若い頃、鷹狩りに出掛けた途中でにわか雨にあってしまい、近くの農家を訪ね「蓑を貸して欲しい」と頼んだところ、その家の娘は無言で山吹の花を差し出しました。
意味がわからなかった道灌は、城に帰ってから家臣に農家の娘の無礼な対応を話すと、家臣に後拾遺和歌集の中にある「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき」という歌に掛けたものではないですか、と教えられ、これは(貧しい家なので蓑もなく、お貸しすることができません)という娘からのメッセージであったことに気付きました。
道灌は和歌に疎かった自分を恥じ、以後和歌の勉強に励み、一流の歌人になったと言われます。
なお、このエピソードがあった場所は「山吹の里」といわれますが、この場所は東京都豊島区の面影橋付近、または埼玉県入間郡越生町の二つの説があり、どちらにも道灌にちなんだ石碑があります。
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夢を見た場所が地名に!?
神奈川県川崎市幸区に夢見ヶ崎という場所がありますが、この地名は道灌の見た夢に由来すると言われています。
道灌は江戸城、河越城をはじめ数々の城を築いた築城の名手でした。
次に城を築く場所を探していた道灌は、多摩川と鶴見川に挟まれた小高い丘で、近くに鎌倉街道も通っているこの地を絶好の築城場所と考え、その晩はここで野営(野宿)しました。
夜になって寝静まると、(一羽の鷺(さぎ)が兜を掴んで南西の方角へ飛び去っていく)夢を見て、不吉なものを感じた道灌はこの地での築城を断念しました。
現在この地には、夢見ヶ崎動物公園があります。
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道灌と猿?
道灌が切れ者だったことを物語る、面白いエピソードを一つ紹介します。
ある時、道灌は主家の使者として上洛(京都に行くこと)し、室町幕府八代将軍・足利義政に謁見することになりました。
義政は寵愛する猿を飼っており、この猿は義政に会いに来た客人に飛び掛かって引っ掻くという悪い癖があり、それを見た義政の側近たちは失笑する、というのが恒例でした。
この話を事前に聞いた道灌は、この猿の飼育係にワイロを渡して将軍の猿を預かり、猿が自分に飛び掛かってくると鞭で打つという行為を繰り返しました。
そうした後、道灌が義政に謁見すると、例の猿は道灌の姿を見ると怯えて物陰に隠れてしまいました。
道灌が事前に猿にした行為など知らない側近たちは、猿の意外な行動を目の当たりにして驚き、(あの乱暴な猿さえも道灌の威厳の前に恐れるのか)と、道灌がただ者でないことを感じたといいます。
道灌と猿の関係にはもう一つエピソードがあります。
道灌がある土地を訪ねた時、川底から熱いお湯が湧き出ている場所で猿が傷を癒している姿を見たことから、この地に温泉が出ることを発見しました。
これが東伊豆の名湯・熱川温泉です。
太田道灌まとめ その二
- 山吹の歌を知り、和歌に通じるようになった
- 川崎市にある夢見ヶ崎は道灌が夢を見た場所
- 将軍の猿を利用して自らの威厳を示した
- 伊豆の熱川温泉は道灌が発見した
夏休みにこれら道灌にまつわる遺蹟を訪ねてみるのもいいですね。
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