2019年12月09日
昭和最大のミステリー・三億円事件の謎
史上空前の現金強奪事件
皆さんはこの写真を見たことがありますか?
そう、これは三億円事件の犯人として公開された日本で最も有名なモンタージュ写真です。
明日12月10日は三億円事件が起きた日です。(昭和四十三年 1968年)
戦後の日本では迷宮入りになった事件は数々ありますが、その中でも特に謎が多く“昭和最大のミステリー”と言われたのがこの事件です。
三億円事件とは、東京芝浦電気(現・東芝)従業員のボーナス約3億円(正確には2億9430万7500円)の積まれた現金輸送車がニセの白バイ隊員に奪われた事件です。
発生当初、世間を仰天させたこの事件に警察はその威信をかけて捜査に乗り出し、動員した警察官は延べ17万人、捜査費用は7年間で9億円以上が投じられる空前の大捜査となり、捜査上容疑者リストに載った人数は実に11万人にものぼったといわれています。
「三億円」と聞いても今一つピンと来ない方もいると思いますが、被害金額の3億円は当時の現金強奪事件としては史上最高額でした。
何しろ51年前の出来事ですから、当時の大卒初任給が約3万600円だったので現在の大卒初任給21万200円(2019年度)との比較でいえば、当時の3億円は現在の約21億円相当の価値があったと考えられるのです。
これだけ世間を騒がせた事件は、なぜ未解決のまま幕を閉じてしまったのでしょうか?
というわけで、今回は三億円事件の謎について語りたいと思います。
事件の経緯
昭和四十三年(1968年)12月10日 午前9時30分頃、日本信託銀行国分寺支店(当時)から東京芝浦電気(現・東芝)府中工場へ従業員のボーナス約3億円の現金が入ったジュラルミンのトランク3個を積んだ現金輸送車(セドリック)が、通称「学園通り」と呼ばれる府中刑務所裏の道路(事件現場)に差し掛かった。
その時、一人の白バイ隊員とおぼしき男がオートバイに被せていたと思われるシートを後方に引っ掛けた状態のまま輸送車を追いかけ、輸送車の前を塞ぐようにして停車した。
輸送車の運転手が窓を開け「どうしたのか?」と聞くと、男は「あなた方の銀行の巣鴨支店長宅が爆破され、この輸送車にもダイナマイトが仕掛けられているという連絡があったので調べさせてくれ」と言った。
4日前に支店長宅を爆破するという脅迫状が実際に送り付けられていたので、驚いた銀行員たちは男に言われるがまま車体回りを調べてもらった。
すると男は、輸送車の車体下に潜り込みダイナマイトを捜すふりをして隠し持っていた発炎筒に点火、たちまち白い煙が舞い上がり「爆発するぞ!早く逃げろ!」と叫んで銀行員たちを車外に避難させた後に男は輸送車に乗り込んで車を発進させ、白バイをその場に残したまま逃走した。
路上に残された銀行員たちは発炎筒が自然鎮火した後、放置された白バイが白のペンキで塗装されたニセ物と気付き、ニセの白バイ隊員にまんまと現金を奪われてしまったことに蒼白となった。
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数々の謎を残したまま迷宮入り
以上がこの事件の経緯ですが、警察は当初、犯人逮捕について“楽観ムード”であったと言われています。
なぜなら、犯人が残した遺留品が現場に放置されたバイクを始め、メガホン、ハンチング帽など実に120点もあったため、これだけの証拠品があれば犯人逮捕は時間の問題と考えていたからです。
ところが、遺留品のほとんどは盗難された物や市販で大量に出回っているものであったため、犯人を特定する証拠とはならず、早い段階で壁に突き当たってしまったのです。
そんな中、捜査線上に一人の容疑者が浮上しました。
地元で“立川グループ”と呼ばれていた、いわゆる不良グループのリーダー格であったS(当時19歳)です。
Sの父は白バイ隊員であったため白バイに関する知識があったと思われること、彼のグループが過去に起こした窃盗事件の手口と類似点があることなど、様々な状況証拠からSは有力な容疑者と目されました。
しかし、事件から5日後の12月15日、Sは青酸カリで自殺してしまったのです。
使用された青酸カリはSの父親が購入していたものらしいのですが、Sの知人たちは
「Sは自殺するような人間ではない」
と口を揃えていることから、この自殺についても様々な憶測を呼びました。
さらに事件から11日後の12月21日、警察はSに酷似したモンタージュ写真(上のもの)を三億円事件の実行犯として公開しました。
この写真、実は通常のモンタージュ写真のように顔のパーツを部分的につなげて作成されたものではないのです。
これは、容疑者として浮上したSを「犯人に似ている」と証言した銀行員4人の話をもとに、Sに酷似した実在の人物の顔写真をそのまま無断で用いたものだったのです。
しかし、警察はSを犯人とする決定的な証拠を掴むことはできず、結局Sはシロと断定されました。
その他、Sの仲間や犯行現場に近い府中市や日野市の人物なども容疑者に上がりましたが、いずれも最終的にはシロと断定されています。
その後の警察の懸命な捜査も実らず、事件から7年後の昭和五十年(1975年)12月10日、時効が成立し迷宮入り事件となってしまいました。
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実は安保取り締まりのカムフラージュとして偽装された事件 !?
このような経緯で迷宮入りとなった三億円事件ですが、それでも納得できない点が多いのです。
まず、上記のように数々の遺留品があったことに加え、かなり大胆な犯行だったことから多数の目撃証言があったにも関わらず、とうとう犯人検挙に至らなかったことです。
当時の警察はそれほど無能だったのでしょうか?
また、盗まれた3億円は保険会社が支払った保険金によって東芝には補填されており、事件の翌日には従業員にボーナスが支給されています。
さらにその保険会社もまた海外の保険会社に再保険をかけていたので、3億円の損失金は補填されました。
つまり、この事件は「直接的な被害のない事件」と言えないこともないのです。
これらの事実から、三億円事件は別の目的のために国家ぐるみで作り上げられた偽装事件だったのではないかという大胆な仮説もあるのです。
それでは、「別の目的」とは一体何か?
1960年代、日本では日米安全保障条約(9月8日付ブログ参照)に反対する過激な学生が警察の機動隊と衝突する、いわゆる安保闘争が盛んに行われていました。
警察は、次に過激化が予想される“70年安保闘争”を未然に防ぐため、学生運動の中心的人物を事前に摘発する必要を感じていたのです。
そこで、警察は「三億円事件の捜査」を名目に中央線沿線に住む学生を中心に調べを進め、実際に調査された人数が上記の11万人と言われています。
つまり、安保闘争に関わる学生を摘発する広域な捜査をしたいが為に偽装されたのが三億円事件なので、犯人は検挙されなかった、という説です。
まとめ
- 三億円事件とは、ニセの白バイ警官が三億円の現金を積んだ輸送車を奪って逃走した事件
- 多くの遺留品や目撃証言があったにも関わらず、事件は迷宮入りとなった
- 本当は安保闘争に関わる学生を捜査する目的で偽装されたのが三億円事件だったので犯人は検挙されなかったという説もある
膨大な容疑者リストの中には、事件現場近くにある府中高校出身というだけの高田純次さんも入っていたらしいです。(笑)
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