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2019年10月01日

“賊軍の将” 石田三成のプライド

「軽減税率」の導入、ホントに大丈夫?

本日から消費税10%がスタートしました。

消費税の増税は5年半ぶり(前回は5%→8%)ですが、今回は今までの消費税アップとは少し内容が異なります。

それは、「軽減税率」を導入したことですね。

皆さんもご存知だと思いますが、軽減税率とは酒類や外食を除く飲食料品に限り消費税率は8%に据え置かれるということです。

しかし、これはあくまで基本概念であって、現実的にはそれほど単純ではないようです。

例えば、コンビニやスーパーで食料品を買ってそれを家で食べる分には8%ですが、最近よくある店内のイートインスペースで食べるなら外食扱いとなり、その分は10%になります。

こういう場合、お客さんの方からレジで申告するのでしょうか?

それとも、店員さんが一人一人のお客さんに確認しなければならないのでしょうか?

どちらも気を使うし面倒ですよね。(汗)

外食にしても、店内で食べれば当然10%ですが、出前や宅配(蕎麦やピザなど)の場合は外食扱いとはならず8%のままです。

外食と同じように、新聞も駅やコンビニ販売、電子版については10%ですが、宅配の定期購読は8%のままです。

細かいところでは、お菓子類も玩具付きの菓子に限り10%になるそうです。

これを買う対象であろう小さな子供たちにどう説明したらよいのでしょうか・・・。

少子高齢化が進んでいる現在、増税もやむを得ない部分はありますが、国民に経済的負担を強いるのであれば、その分国民生活が少しでも豊かになることを実感できる政策に税金を使って欲しいものです。


さて、今日10月1日は関ヶ原の戦いで敗れた石田三成が亡くなった日です。(慶長五年 1600年)

三成が関ヶ原で家康に挑んだ理由9月15日17日付ブログ参照)については以前に語りましたので、今回は三成の人物像について語りたいと思います。

時代の覇者に楯突いた者=ダークヒーロー

石田三成 永禄三年(1560年)〜 慶長五年(1600年)
石田三成.jpg

「勝てば官軍、負ければ賊軍」という諺があります。

これは、(道理はどうあれ、勝った方が正義となる)という意味ですが、この諺はまさしく関ヶ原の勝者と敗者、家康と三成に当てはまるといえるでしょう。

一般的に三成はあまり人気がなく、悪い評判ばかりが目立つ人物です。

しかし、三成の悪い人物像のほとんどは江戸時代に定着したものであり、江戸時代=徳川幕府の時代には徳川中心史観(徳川家の正義と正当性を強調する考え方)というものがあって、幕府を築いた家康はまるで神のように崇められていたのです。

その神の正義を強調するために、神に刃向った男・三成をことさら悪者に仕立てる必要があったと考えられます。

つまり、徳川幕府におべっかを使う徳川中心史観の歴史家たちが三成の人物像を勝手に歪めていたのであって、本当の三成を語っていたのではないと思われるのです。

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秀吉に愛された智略と清廉潔白な人柄

三成が主君である豊臣秀吉に見いだされるきっかけとなった「三杯のお茶」というエピソードがあります。

近江(滋賀県)長浜城主であった秀吉が鷹狩りの途中に立ち寄った寺でお茶を所望した時のことです。

その寺の小僧は、少し薄めのぬるいお茶を茶碗に八分目ほど注いで持ってきました。

秀吉がもう一杯頼むと、次は少し濃くやや熱めのお茶を茶碗に半分ほど注いで持ってきました。

面白いと思った秀吉がもう一杯頼むと、今度は濃く熱いお茶を茶碗に少しだけ注いで持ってきたのです。

この気遣いと才覚に感心した秀吉は小僧を自分の家臣に取り立てるのですが、この小僧こそが少年時代の三成です。


また、三成は自らの所領の半分をはたいて島左近を雇い入れたことで主君の秀吉を驚かせていますが、これほどの待遇で迎え入れられた左近は感動し、三成の期待以上の活躍をします。

このことから、「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近に佐和山の城」という名言が生まれました。

三成は常日頃から「奉公人は主人から頂いたものをすべて使い切って仕えるべきである。使い残すのは泥棒と同じだが、使い過ぎて借金するのは愚か者のすることだ」というポリシーを持っていました。

なので、秀吉から頂いた所領を有効活用するため、有能な部下を雇うのに金に糸目はつけなかったのでしょう。

三成はこのポリシーを普段から実践していたので、大名としての贅沢な生活などとは程遠く、驚くほど質素な暮らしぶりだったといわれています。

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死の間際まで自分の信念を曲げなかった男

武運拙く関ヶ原で敗れた三成は伊吹山中に逃れますが、やがて捕まり家康の元に送られます。

そこで、家康の家臣・本多正純に「西軍敗北の責任者であるにも拘らず、おめおめと逃げ延びて捕まった末に自害もしないとは、武士として恥ずかしくはないのか?」と問われた三成は「捕えられて自害するのは端武者(小者の武士)のすることだ。だが、大将たる者の志を述べても、所詮お主には理解できぬであろう」と言い放ったといいます。


処刑の決まった三成は京や大坂の市中を引き回された後、処刑場である京の六条河原に連行されます。

その途中で喉の渇きを覚えた三成は警固の侍に湯を求めましたが、あいにく飲み物はなかったので代わりに干し柿を差し出すと、三成は「干し柿は痰の毒だ」と言って断りました。

侍が「死ぬ間際に体の心配か?」と言ってあざ笑うと、三成は

「大義を志す者は死ぬ間際まで命を惜しみ、本意を遂げることを考えるものだ」

と答えました。

つまり、三成は最期の瞬間まで家康を討つことを諦めずに死んでいくことが亡き秀吉への奉公だと考えていたのではないでしょうか。



まとめ

  • 三成を悪人に仕立てたのは江戸時代の徳川中心史観の歴史家たち

  • 三成は奉公人として秀吉に尽くすことだけを考え、私利私欲には走らなかった

  • 三成は死の間際まで家康を討つことを諦めず、強い意志を貫き通した


もし、今の時代に「三杯のお茶」を試す機会があったら、何人のお偉いさんが気付いてくれますかね?(笑)
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元高校教師。 以前に「日本史講座」のタイトルでツイッターをやってました。 ここでは(現代にも繫がる日本史)をテーマにエピソードを多数紹介し、肩肘張らず(ほー、なるほど)と思える話を語っていきたいと思います。
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