2019年08月20日
” Kwaidan ”はお好き?
夏の思い出
僕が子供の頃、学校では夏になると怪談話が流行っていて、林間学校へ行った時などは話の得意な子が夜ごとクラスの皆を集めて怖い話を披露したものでした。
当時の僕は怖い話が好きなくせに怖がりだったので、話の途中にトイレへ行くフリをして逃げ出したりしていました。(笑)
それと、当時この時期になると、日本テレビのお昼の時間帯に『あなたの知らない世界』という視聴者投稿の怖い話を再現VTRと共に紹介する番組があって、毎年これを見るのを楽しみにしてましたね。
子供心に出演者の新倉イワオさん(放送作家)の顔までコワく感じたのを覚えています。(笑)
時代が変わっても、やはり子供たちは怖い話に興味があると思いますが、情報化・デジタル化が進む昨今、ドライな現代っ子は怖い話に対する”熱量”があるのかどうか・・・。
そんなわけで今回は日本の怪談にまつわる人物について語りたいと思います。
小泉八雲とは?
小泉八雲(旧名:ラフカディオ・ハーン)
![小泉八雲.jpg](/kanaken0525/file/E5B08FE6B389E585ABE99BB2-thumbnail2.jpg)
アイルランド出身の文学者で、アメリカに渡りヨーロッパ文学を紹介、やがて東洋の文化に興味を持ち明治二十三年(1890年)に来日し、島根県の松江で中学校の英語教師となります。
同年、日本人の小泉セツ(節子)と結婚、明治二十九年(1896年)に帰化し日本国籍を取得、小泉八雲と名乗ります。
八雲の名は、彼が日本で最初に住んだ島根県の旧国名・出雲国の神話で、スサノオノミコトが詠んだ和歌の枕詞「八雲立つ」から拝借したといわれています。
その後、高等学校や大学の講師を務めるかたわら日本の文化を研究し、『知られざる日本の面影』、『心』、『怪談』などを執筆し、海外に紹介しました。
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八雲の名を知らしめた ” Kwaidan ”
数々の執筆を世に送り出した八雲ですが、日本において彼の名を一躍有名にした作品が『怪談』(Kwaidan)です。
これは、妻のセツから聞いた日本各地に伝わる伝承や民話に、八雲が独自の解釈を加えて物語にしたものです。
この中の代表的な物語を紹介します。
『耳なし芳一』
盲目の琵琶法師・芳一は平家の亡霊に取り憑かれ、夜ごと平家の人間が眠る墓地に行き、『平家物語』を琵琶の音色に合わせて弾き語っていた。
これを知った和尚は、このままでは芳一が平家の亡霊にとり殺されてしまうと危惧した。
和尚は芳一の全身にお経を書き、「誰が来ても決して声を上げず、ついて行ってはならぬ」と固く命じた。
その夜、落ち武者の亡霊が芳一を連れ出しに来たが、亡霊が呼んでも答えず姿も見えない。
しかし、亡霊には芳一の耳だけが見えたので、呼びに来た証拠として芳一の耳を引きちぎって持ち去ってしまった。
和尚が耳にだけお経を書き忘れてしまったのだ。
以来、彼は”耳なし芳一”と呼ばれるようになった。
![耳なし芳一.png](/kanaken0525/file/E880B3E381AAE38197E88AB3E4B880-thumbnail2.png)
『雪女』
雪深い山里に住む父子がある日猟に出たが、吹雪に遭ってしまい山小屋で一夜を過ごすことになった。
その晩、息子がふと目を覚ますと白い着物を着た女が小屋に入って来て、父親の顔に白い息を吹きかけるとあっという間に父親は凍死してしまった。
息子はあまりの恐ろしさに身動きができずにいると、女は息子の目の前に顔を近づけた。
しかし、女は「お前はまだ若く美しいので今回だけは助けてやる。だが、今夜あったことをもし人に話したら、お前の命はない」と言い残し消えた。
数年後、大人になった息子の家にある夜、一人の美しい娘が訪ねてきた。
娘は「今夜一晩泊めて欲しい」と懇願したので息子は泊めてやることにした。
翌日から二人は一緒に暮らすことになり、やがてたくさんの子宝にも恵まれた。
そうして幸せな日々を過ごしたある冬の晩、外は吹雪になった。
息子はあの夜のことを思い出し、妻にあの夜に起こった出来事をつい話してしまった。
すると、妻の表情が見る見る変わり、あの夜の恐ろしい女になった。
女は「あれほどあの夜のことを人に話してはいけないと言ったのに、とうとう話してしまいましたね。約束通りあなたの命をもらう・・・」
息子は覚悟したが、女は「でも、かわいい子供たちのことを思うと私はあなたを殺せない、もしあなたがこの子たちを不幸にすることがあったら、その時こそあなたの命をもらう」と言って、女は吹雪の中へ消えていった。
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物語は八雲の生い立ちに深く関わっていた
『耳なし芳一』や『雪女』の話は多くの人が知る名作ですが、数ある日本の伝承・民話の中から八雲がこれらを物語にしたのは、彼の生い立ちに関わりがあると思われます。
現在残されている八雲の写真は、上の写真のように左を向いている顔写真が多いのですが、これは八雲が16歳の時、事故で左目を失明してしまったのでそれを隠すため、と言われています。
左目を失った代わりに八雲は聴覚が鋭くなり、「音の世界」に興味を持つようになったので、盲目の法師が琵琶を弾き語る様子を想像し、自分に重ね合わせたのでしょう。
また、八雲の父はイギリス人、母はギリシャ人で、両親は結婚して父の母国であるアイルランドに住んでいたのですが、八雲が4歳の時、父の裏切りにより母は一人ギリシャに帰ってしまいます。
この父の裏切りによって子供たちと別れざるを得なくなった母の心境を、八雲は雪女の物語に託したのではないかと想像できます。
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まとめ
- 日本の文化に興味を抱いたラフカディオ・ハーンは明治時代に来日し小泉セツと結婚後に帰化して小泉八雲と名乗った
- 八雲を日本で一躍有名にした作品は『怪談』(Kwaidan)
- 八雲の描いた物語は彼の生い立ちに深く関わっていた
古くから伝わる怪談話には作者の思いが込められているのですね。
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