2016年01月15日
アスペを障害という認識を持つか、特性という認識を持つか、心構えは、がんの闘病に似ている。(その2)
⇒アスペを障害という認識を持つか、特性という認識を持つか、心構えは、がんの闘病に似ている。(その1)からの続きです。
私たちが「がん」とひとことでいうと、すべての癌患者をひとくくりに同じ病気として
考えてしまいますが、細かく言えばそれは誤りだと思います。実際はひとりひとり違う
病気という認識をすべきなのです。
がんは、脳なのか、肺なのか、胃なのか、腸なのか、できた場所により、治療方法が
全く異なります。そして同じ場所にできたがんだから、同じ治療をして治るという単純
なものでもありません。がんと糖尿病を患っている人、年配の人、若い人など誰ひとりとして
同じ体の条件ということはあり得ません。
アスペルガー症候群は病気ではありませんが、この障害も世間では大まかなイメージで
最適化された情報が流れています。アスペってこんな奴だよね!という認識になってしまう
ことはある程度仕方がないことですが、発達障害というものも、誰一人として全く同じということ
はありません。
がん闘病に関しても、その人の体に合った治療方法が見つかるかで、亡くなるまでの
生活の質が大きく変化します。アスペルガー症候群などの発達障害に関しても、その人に
あった生活環境が作れるかどうかで、生活の円滑さが大きく左右します。
受け入れられない事実を、告知した病院の先生のせいにして現実逃避をする
という場面にも私は何度も出くわしました。自分の病気を責任転嫁をしても結果的に
自分の体を健康管理してきたのは自分なのだから、最終的な責任は自分にあるはず
なのに、それを受け入れることがなかなかできません。
その結果、精神的に不安定になり、病気で亡くなる前に自ら命を絶ってしまうと言う
ひともいます。辛いこと、苦しいこと、信じられないことは誰にでも起こりうる話です。
そんななかでも、程度は異なるにせよ同じがんでも自分の病気を受け入れて死を覚悟
した人間の目は、非常に澄んだ目をしている印象を受けました。
決して闘病生活は楽ではないでしょう。死への恐怖や肉体の衰え、そして痛みとの闘い。
それでも最終的に人間を支えているのは心なのだと思いました。もう死ぬと分かれば、
何もかもが嫌になってしまう人もいれば、最終的に病気の自分を受け止めて残りの人生を
自分が出来る事をし続けるという信念を持つ人もいます。
アスペルガー症候群は、幸い障害で、末期癌とは異なり死の宣告ではありません。
ただ、受け止め方次第では生き地獄とも言えるような生活になるでしょう。
支える側のパートナーとしては、私の場合は、まだまだ現実を受け入れるという段階と、
相手に責任転嫁をするというところを行ったり来たりしている段階です。
すべてを受け入れるだけの器が現状備わっていないことと、受け止めるのか、受け止めることを
やめるのかもどちらかというと葛藤して毎日の生活を続けているのだと思います。
でも、どちらもきっぱいと選ぶことができない優柔不断な自分に自己嫌悪したり^^
この現状に対して、どう受け止める覚悟があるか?受け止めないなら離れる覚悟があるか?
ということをまず本当の自分の気持ちを認知していかないことには、達観した考えとして
相手や自分を受け止めることはできないのだろうなとも思います。
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