2015年08月10日
「美人は3日で飽きる」「ブスは3日で慣れる」と言う言葉はアスペ嫁に通用しない件。
誰が言ったか知らないが、
「美人は3日で飽きる」
「ブスは3日で慣れる」
と言う言葉があります。
もの凄く男尊女卑的な文言ですが、
男性バージョンで言えば、
「イケメンは3日で飽きる」
「ブ男は3日で慣れる」
とでもなるのでしょうか。
表面的にはこの意味が最近まで良く理解できませんでした。
文字通りにしか受け止めていなかったからです。
私が小さい頃から、私の母親は、人の外見について
なにかしらケチをつける人でした。テレビや雑誌や近所の人など
直接本人にはもちろん言いませんが、家に帰って子供の前で
「あの人の顔のぶつぶつが凄く気になったね」とか、
「若いのに禿げちゃってププププ」とか、
「あの人日焼けしすぎで黒人みたかったね」とか、
聞いている方がなんと答えて良いか分からないことを
たまに言うのです。
母は、けなしているのか差別しているのか、ケチをつけているのか分かりませんが、
人の顔や体型、容姿的なものをけなしているときはなぜか
凄く嬉しそうな顔をしていました。恐らく、言葉に出すことで、
自分の不満な現実逃避をして何か優越感に浸っていられたのかもしれません。
しかしながら、私はその姿は好きではありませんでした。
母親常日頃、「人間は心が大切だ!」とか語ってました。
でも、子供ながらに矛盾を感じていたんでしょうね。
人の容姿や顔を不細工だとか、スタイルが悪いとか批評する人が
心を大切にしなさいって全く説得力ありません。
そんな母親が嫌だなぁと思いながらも、その環境でひたひたに浸かっていると、
少なからず伝線するというか、洗脳されるというか、私が母親に合わせなくちゃ
と思うからかわかりませんが、中学生になってからは、かなり人を外見で判断
するような感覚になっていました。
ただ、表向き的には心が大切だとも教え込まれているので、
非常に頭が混乱しながら生活していたのだろうとも思います。
母親の笑顔が見たかった自分は、人を嘲笑するような顔でも
安心感が得られたのかもしれません。
この傾向は数年前まで続いたような気がします。
初めて会う人は、顔を見て自分の価値観の標準以下だと
軽視してしまう癖がとれませんでした。
結婚も結果的に考察すると、好みの顔という比重は高かった
気がします。今思えば、短期間でも同棲生活をしておけば、
こんな人だったのかってわかったはずでしょうからね。
私が人間の奥底まで見る癖が付いていない未熟者であったことは確かです。
ただ、自分がACであることや、色んな事に対して過剰な劣等感を持っていること
がわかってからは、あまり人の外見の善し悪しが気にならなくなりました。
結局は、母も自分も自分自身の容姿に自信がなかったのです。
自身以上にものすごく劣等感を感じる部分がありました。
自信がないものですから、人を自分の自信がないラインよりも
蹴落として、自分がその人よりも高い位置に居るという優越感で
自信のなさを隠そうとしていた行為なのだろうと。
冒頭の言葉は、人によって受け止め方は異なると思いますが、
美人は3日で飽きるから止めておけ、ブスは3日で慣れるから妥協しろ。
ぐらいの短絡的な意味にしか捉えていなかった自分が恥ずかしくなります。
最近では、この言葉自体は美人だとか、ブスだとか、イケメンだとか、ブ男
であるとかはあまり意味がなく、本質的には外見で選んで一喜一憂するのではなく、
人間の心をよく洞察してパートナーを選びなさいと言う意味なのだろうと
勝手に思うようになりました。
「そんなことない美人やイケメンは3日で飽きない」と
言う人もいると思いますが、この3日というのは本当に
3日という意味ではなく、四六時中一緒にいるようになるとか、
一緒に生活を共にするようになると、と言う意味だと考えてます。
結婚生活の経験の有無で、意味のとらえ方は大幅に変わると思いますけどね。
そんなことを一人で思慮深く考えにふけっていたところ、
アスペ嫁に「美人は3日で飽きる」って言葉があるけど知ってる?
と問いかけしてみました、なんだかにやにやして、
「私のこと美人だと思ってるんだ〜」とか言い返してきました・・・。
言葉を単語ベースでしか受け取らない強者。。。
成長なんてクソ食らえと言わんばかりに、
上には上が世の中にはいるものだと実感しました。。。
腹式呼吸トレーニング用マウスピース
「美人は3日で飽きる」
「ブスは3日で慣れる」
と言う言葉があります。
もの凄く男尊女卑的な文言ですが、
男性バージョンで言えば、
「イケメンは3日で飽きる」
「ブ男は3日で慣れる」
とでもなるのでしょうか。
表面的にはこの意味が最近まで良く理解できませんでした。
文字通りにしか受け止めていなかったからです。
私が小さい頃から、私の母親は、人の外見について
なにかしらケチをつける人でした。テレビや雑誌や近所の人など
直接本人にはもちろん言いませんが、家に帰って子供の前で
「あの人の顔のぶつぶつが凄く気になったね」とか、
「若いのに禿げちゃってププププ」とか、
「あの人日焼けしすぎで黒人みたかったね」とか、
聞いている方がなんと答えて良いか分からないことを
たまに言うのです。
母は、けなしているのか差別しているのか、ケチをつけているのか分かりませんが、
人の顔や体型、容姿的なものをけなしているときはなぜか
凄く嬉しそうな顔をしていました。恐らく、言葉に出すことで、
自分の不満な現実逃避をして何か優越感に浸っていられたのかもしれません。
しかしながら、私はその姿は好きではありませんでした。
母親常日頃、「人間は心が大切だ!」とか語ってました。
でも、子供ながらに矛盾を感じていたんでしょうね。
人の容姿や顔を不細工だとか、スタイルが悪いとか批評する人が
心を大切にしなさいって全く説得力ありません。
そんな母親が嫌だなぁと思いながらも、その環境でひたひたに浸かっていると、
少なからず伝線するというか、洗脳されるというか、私が母親に合わせなくちゃ
と思うからかわかりませんが、中学生になってからは、かなり人を外見で判断
するような感覚になっていました。
ただ、表向き的には心が大切だとも教え込まれているので、
非常に頭が混乱しながら生活していたのだろうとも思います。
母親の笑顔が見たかった自分は、人を嘲笑するような顔でも
安心感が得られたのかもしれません。
この傾向は数年前まで続いたような気がします。
初めて会う人は、顔を見て自分の価値観の標準以下だと
軽視してしまう癖がとれませんでした。
結婚も結果的に考察すると、好みの顔という比重は高かった
気がします。今思えば、短期間でも同棲生活をしておけば、
こんな人だったのかってわかったはずでしょうからね。
私が人間の奥底まで見る癖が付いていない未熟者であったことは確かです。
ただ、自分がACであることや、色んな事に対して過剰な劣等感を持っていること
がわかってからは、あまり人の外見の善し悪しが気にならなくなりました。
結局は、母も自分も自分自身の容姿に自信がなかったのです。
自身以上にものすごく劣等感を感じる部分がありました。
自信がないものですから、人を自分の自信がないラインよりも
蹴落として、自分がその人よりも高い位置に居るという優越感で
自信のなさを隠そうとしていた行為なのだろうと。
冒頭の言葉は、人によって受け止め方は異なると思いますが、
美人は3日で飽きるから止めておけ、ブスは3日で慣れるから妥協しろ。
ぐらいの短絡的な意味にしか捉えていなかった自分が恥ずかしくなります。
最近では、この言葉自体は美人だとか、ブスだとか、イケメンだとか、ブ男
であるとかはあまり意味がなく、本質的には外見で選んで一喜一憂するのではなく、
人間の心をよく洞察してパートナーを選びなさいと言う意味なのだろうと
勝手に思うようになりました。
「そんなことない美人やイケメンは3日で飽きない」と
言う人もいると思いますが、この3日というのは本当に
3日という意味ではなく、四六時中一緒にいるようになるとか、
一緒に生活を共にするようになると、と言う意味だと考えてます。
結婚生活の経験の有無で、意味のとらえ方は大幅に変わると思いますけどね。
そんなことを一人で思慮深く考えにふけっていたところ、
アスペ嫁に「美人は3日で飽きる」って言葉があるけど知ってる?
と問いかけしてみました、なんだかにやにやして、
「私のこと美人だと思ってるんだ〜」とか言い返してきました・・・。
言葉を単語ベースでしか受け取らない強者。。。
成長なんてクソ食らえと言わんばかりに、
上には上が世の中にはいるものだと実感しました。。。
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