2015年08月09日
アスペ嫁の「普通」や「常識」とは一体なんだろう。
アスペ嫁と結婚して、心苦しい生活を強いられなかったら、
こんなことを考えることもなかっただろうと思います。
私たちの言う、「普通」や「常識」って一体何なのでしょう。
アスペ嫁の破天荒さというか、常識破りの発言や行動を共にしていると、
自分の中の「普通」や「常識」が全く歯が立たないことが間々あります。
日本人というのは昔から特に、礼儀や作法などを重視する民族で、
恩を頂いたら、恩を持って返すという精神も定着しています。
AC夫は、小さい頃から母親に
「人様には迷惑をかけるな!」
「あんた何も知らないのね?」
「普通、そうじゃないでしょ?」
「そうやるのが常識だよ」
などなど、普段の生活の中で普通や常識を嫌でも
意識させられながら生活していたのだろうと思います。
アスペ嫁と生活していてよく分かるようになりましたが、
「普通」とか「常識」って人間ごとに異なるのだと。
母親の影響もあって、私も良く使っていたワードでもあります。
「普通に考えれば分かるでしょ!」
「こんなのもわからないの?常識だよ?」
アスペ嫁にはもちろん使っていましたが、家族、友人、同僚、部下、
恋人、子供などなど自分のラインと外れた話の時には使っていた気がします。
なんかこの言葉って、凄く上から目線ですよね。
言っている方は優越感や軽蔑気味に話しているのでしょうが、
言われている方は堪った物ではないと思います。
私はこの言葉を言うのは常でしたが、言われることは許せない言葉でした。
自分は、常に「普通以上」、「常識をわきまえている」と思っているから。
「普通」と「常識」というのは、もっと平たく言えば多数派のことを言います。
ですから、世の中的には多い感覚のことを言うわけですよね。
割合が多いわけですから、共感できる人も多いと言うことです。
多数派だから正しい、少数派だから間違っている。
こういう感覚が根底に植え付けられているがゆえに、
この台詞を言ってしまうのでしょうね。
毎日、世間からすると少数派の感覚であるアスペ嫁や、アスペ息子と
生活をしていると、どうしても自分の「普通」や「常識」を押しつけたくなります。
それが私からすると正しいと思っているわけですから。。。
ただ、アスペ嫁の「普通」や「常識」は私とは全く異なりますし、
それを矯正する何てことはまず出来ません。
もっと言えば、人間単位で、「普通」や「常識」って違うんです。
だから一人一人考えていることが違うことも当然です。
全く同じ人はいない。
AC夫が追い求めていた自分のことを100%理解してくれる人なんていないのです。
AC夫は、まずこれを理解して受け止めるべきだったのでしょうね。
それは、「自分のことを分かってくれる人なんかいないんだ」と
悲しむことではなく、自分自身も相手のことなんて誰であっても
100%理解するなんてことは無理なのです。
でも、それを心の奥底で追い求め続けてしまうから辛いのでしょう。
国が違えば、日本では良いことも悪い意味になったりなんてこともあるわけですし、
(海外に行ったら家に帰ってきて靴を脱がないのが常識だったりします。)
あまりにも、常識や普通という狭い視点に目が行ってしまい、心の狭い
人間になっているなぁと自分で思うことが何度もありました。
所詮、常識なんてものはその人が積み重ねてきた偏見とも言えるのです。
「普通」と「常識」は固定化されているわけではありません。
どちらかというと流動的なものです。
時代時代で、多数派の意見というものは入れ替わってきますので、
今の常識が、未来の非常識、過去の非常識なんてことはざらです。
ACの白黒思考で言えば、常識が正義で、非常識は社会の悪という考え方
が自動思考で出てしまいますので、必ずしもそうではないのが世の中である、
ということをゆっくり手放して行くことが生活しやすくなることなのでしょう。
もし、私が国際結婚をして海外の人と結婚をしたら、もうすこし柔軟に
相手の文化や習慣を理解しようと努力をするでしょう。
アスペという人間と結婚してしまったので、発達障害やアスペルガー症候群、
自閉症スペクトラムまで理解しようと努力は欠かさずしています。。。
ですが、いつまで経っても、普通の常識ある日本人の女性と結婚したという
ことがどこかで払拭できないために、配偶者に固執するのかとも考えます。
この意味が分からない人たちと生活を続けるためには、いかにこの感覚を
薄めて緩めて手放していけるかが鍵です。
国際結婚もしくは、宇宙結婚したぐらいの受け止め方が出来るようになったとき、
自分自身の常識の器も広がっていくのだろうと思います。
キッズ時計、今すぐ無料応募!
こんなことを考えることもなかっただろうと思います。
私たちの言う、「普通」や「常識」って一体何なのでしょう。
アスペ嫁の破天荒さというか、常識破りの発言や行動を共にしていると、
自分の中の「普通」や「常識」が全く歯が立たないことが間々あります。
日本人というのは昔から特に、礼儀や作法などを重視する民族で、
恩を頂いたら、恩を持って返すという精神も定着しています。
AC夫は、小さい頃から母親に
「人様には迷惑をかけるな!」
「あんた何も知らないのね?」
「普通、そうじゃないでしょ?」
「そうやるのが常識だよ」
などなど、普段の生活の中で普通や常識を嫌でも
意識させられながら生活していたのだろうと思います。
アスペ嫁と生活していてよく分かるようになりましたが、
「普通」とか「常識」って人間ごとに異なるのだと。
母親の影響もあって、私も良く使っていたワードでもあります。
「普通に考えれば分かるでしょ!」
「こんなのもわからないの?常識だよ?」
アスペ嫁にはもちろん使っていましたが、家族、友人、同僚、部下、
恋人、子供などなど自分のラインと外れた話の時には使っていた気がします。
なんかこの言葉って、凄く上から目線ですよね。
言っている方は優越感や軽蔑気味に話しているのでしょうが、
言われている方は堪った物ではないと思います。
私はこの言葉を言うのは常でしたが、言われることは許せない言葉でした。
自分は、常に「普通以上」、「常識をわきまえている」と思っているから。
「普通」と「常識」というのは、もっと平たく言えば多数派のことを言います。
ですから、世の中的には多い感覚のことを言うわけですよね。
割合が多いわけですから、共感できる人も多いと言うことです。
多数派だから正しい、少数派だから間違っている。
こういう感覚が根底に植え付けられているがゆえに、
この台詞を言ってしまうのでしょうね。
毎日、世間からすると少数派の感覚であるアスペ嫁や、アスペ息子と
生活をしていると、どうしても自分の「普通」や「常識」を押しつけたくなります。
それが私からすると正しいと思っているわけですから。。。
ただ、アスペ嫁の「普通」や「常識」は私とは全く異なりますし、
それを矯正する何てことはまず出来ません。
もっと言えば、人間単位で、「普通」や「常識」って違うんです。
だから一人一人考えていることが違うことも当然です。
全く同じ人はいない。
AC夫が追い求めていた自分のことを100%理解してくれる人なんていないのです。
AC夫は、まずこれを理解して受け止めるべきだったのでしょうね。
それは、「自分のことを分かってくれる人なんかいないんだ」と
悲しむことではなく、自分自身も相手のことなんて誰であっても
100%理解するなんてことは無理なのです。
でも、それを心の奥底で追い求め続けてしまうから辛いのでしょう。
国が違えば、日本では良いことも悪い意味になったりなんてこともあるわけですし、
(海外に行ったら家に帰ってきて靴を脱がないのが常識だったりします。)
あまりにも、常識や普通という狭い視点に目が行ってしまい、心の狭い
人間になっているなぁと自分で思うことが何度もありました。
所詮、常識なんてものはその人が積み重ねてきた偏見とも言えるのです。
「普通」と「常識」は固定化されているわけではありません。
どちらかというと流動的なものです。
時代時代で、多数派の意見というものは入れ替わってきますので、
今の常識が、未来の非常識、過去の非常識なんてことはざらです。
ACの白黒思考で言えば、常識が正義で、非常識は社会の悪という考え方
が自動思考で出てしまいますので、必ずしもそうではないのが世の中である、
ということをゆっくり手放して行くことが生活しやすくなることなのでしょう。
もし、私が国際結婚をして海外の人と結婚をしたら、もうすこし柔軟に
相手の文化や習慣を理解しようと努力をするでしょう。
アスペという人間と結婚してしまったので、発達障害やアスペルガー症候群、
自閉症スペクトラムまで理解しようと努力は欠かさずしています。。。
ですが、いつまで経っても、普通の常識ある日本人の女性と結婚したという
ことがどこかで払拭できないために、配偶者に固執するのかとも考えます。
この意味が分からない人たちと生活を続けるためには、いかにこの感覚を
薄めて緩めて手放していけるかが鍵です。
国際結婚もしくは、宇宙結婚したぐらいの受け止め方が出来るようになったとき、
自分自身の常識の器も広がっていくのだろうと思います。
キッズ時計、今すぐ無料応募!
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/4037938
この記事へのトラックバック