2016年11月04日
子どもへの返答の第一声が大切!発達障害でなくても親の受け答えで子どもは変わる。(その1)
■つい否定や注意をしがちな親の心理
子どもを育てていくことは、簡単なようですが思ったようにいかないことの方が多いです。
コミュニケーションがうまくいっている内は、可愛いと感じ愛情を注げていると実感できる
ことも多いでしょう。
しかし、子どもは未成熟な脳を持つ人間です。なかなか大人の思惑とは
考えられない行動や発言が目につき、注意が多くなってしまうのも事実。
・ほら危ないっていったじゃない!
・だから止めなっていったでしょ?
・いい加減にしなさい!
・なんかいいったらわかるの?
などなど気持ちがイライラしながら注意してしまいます。
もちろん全ての注意が無駄になると言うことではありませんが、
子どもは基本的に聞いているようで親のいう言葉など右から左です。
怒っていると言うことはわかるけど、
「ママが怒っているから次はこうしないようにしよう!」
なんて思う子どもの方が少ないのです。
逆にコレばかり思う子どもは既に小さい年齢で親の顔色を覚えるようになった
ある意味危険な子どもです。
否定や注意はほどほどにしないと余計に言うことを聞かないループにはまります。
■結果的に子どものためにはなっていない
私自身も、子どものころは親の小言や注意がうっとうしくて仕方がありませんでした。
私はどちらかというと、親の顔色を見て怒られないような行動をするように努める子どもでしたから、
叱られたり、注意されたりする回数は少なかったです。
結局親は何のために注意を促しているのでしょうか?
・マナーを学んでもらいたい。
・人が嫌がることはしないようにしてもらいたい。
・行儀良くしてもらいたい。
・大人になったときしっかりできるようにしてもらいたい。
すべては未来のためにいまからしつけをしているという感覚です。
これは悪いことではありませんが、しつけと思っていることが実はしつけではなかったり、
場合によっては虐待になったりということが親の頭の中で区別できていないのです。
あぶないからコレをするな!アレをするな!あなたにはまだ早いから…
などとやたらと無条件で手をさしのべてしまう親が多いそうです。過干渉というやつですね。
これは一見子どもを助けているつもりですが、結果的に子どもは自分で面倒なことを体験しないで
すむので、なにも身につきません。分かるのは面倒なことは母親にやってもらえばいいや!という
気持ちが植え込まれると言うだけ。何のためにもなりません。
親の心子知らずというように、どんなに親が危険予測をしてもすべては子どもには伝わりません。
仮にやっていることが正論でも、子どももひとりの人間です。
自分自身で体験させて考えてもらわないと自分の中で糧とはなりにくいです。
注意をするより、一緒に問題について向き合ったり、見守る姿勢が親には必要です。
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
子どもを育てていくことは、簡単なようですが思ったようにいかないことの方が多いです。
コミュニケーションがうまくいっている内は、可愛いと感じ愛情を注げていると実感できる
ことも多いでしょう。
しかし、子どもは未成熟な脳を持つ人間です。なかなか大人の思惑とは
考えられない行動や発言が目につき、注意が多くなってしまうのも事実。
・ほら危ないっていったじゃない!
・だから止めなっていったでしょ?
・いい加減にしなさい!
・なんかいいったらわかるの?
などなど気持ちがイライラしながら注意してしまいます。
もちろん全ての注意が無駄になると言うことではありませんが、
子どもは基本的に聞いているようで親のいう言葉など右から左です。
怒っていると言うことはわかるけど、
「ママが怒っているから次はこうしないようにしよう!」
なんて思う子どもの方が少ないのです。
逆にコレばかり思う子どもは既に小さい年齢で親の顔色を覚えるようになった
ある意味危険な子どもです。
否定や注意はほどほどにしないと余計に言うことを聞かないループにはまります。
■結果的に子どものためにはなっていない
私自身も、子どものころは親の小言や注意がうっとうしくて仕方がありませんでした。
私はどちらかというと、親の顔色を見て怒られないような行動をするように努める子どもでしたから、
叱られたり、注意されたりする回数は少なかったです。
結局親は何のために注意を促しているのでしょうか?
・マナーを学んでもらいたい。
・人が嫌がることはしないようにしてもらいたい。
・行儀良くしてもらいたい。
・大人になったときしっかりできるようにしてもらいたい。
すべては未来のためにいまからしつけをしているという感覚です。
これは悪いことではありませんが、しつけと思っていることが実はしつけではなかったり、
場合によっては虐待になったりということが親の頭の中で区別できていないのです。
あぶないからコレをするな!アレをするな!あなたにはまだ早いから…
などとやたらと無条件で手をさしのべてしまう親が多いそうです。過干渉というやつですね。
これは一見子どもを助けているつもりですが、結果的に子どもは自分で面倒なことを体験しないで
すむので、なにも身につきません。分かるのは面倒なことは母親にやってもらえばいいや!という
気持ちが植え込まれると言うだけ。何のためにもなりません。
親の心子知らずというように、どんなに親が危険予測をしてもすべては子どもには伝わりません。
仮にやっていることが正論でも、子どももひとりの人間です。
自分自身で体験させて考えてもらわないと自分の中で糧とはなりにくいです。
注意をするより、一緒に問題について向き合ったり、見守る姿勢が親には必要です。
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
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コメントありがとうございます。
非常にショッキングな両親の言葉ですね。今であれば間違いなく虐待!
といわれてしまう内容ですね。
正直この言葉と関係なく自尊心がないとは思えません。
もし幼いころ本心からそうだと納得できても両親からうけた否定的な言葉は
思った以上に潜在的に焼き付いていることが多いからです。
保育園に関しては、いわゆる大人の事情ということですね。
一般的にいえば、「にぼし様は心が強い方なんですね!」と受け止める人がおおいかもしれません^^
私なんかは文字を読んでいるだけで感情移入してしまいそうです。
保育園の話ですが、単純に保育園が悪いという話では無いので補足します。
入園を断った保育園ですが、私の家から一番近い所にあり、なおかつ親戚が運営している保育園です。保育園側から話が聞けたのは私の親戚だからです。
保育園側から話を聞く前に「かなり辛いから覚悟して」と一呼吸置いて私が落ち着いてから話してくれました。
(私と保育園側は仲悪くないですが、両親は親戚トラブルが原因で保育園側とは今でも不仲です)
推測ですが、もしも入園していたら、親戚だから優先して入園させたと噂されるのを嫌ったかも知れません。
もっとも当時の保育園側の人はもう亡くなってるのでこれ以上詳しく聞く事は出来ませんが、邪推しそうなので、これで話を終わります。
長文失礼しました。
私は両親に「障害者は生まれたこと自体が間違ってる」と言われて育ってきました。誉められた事も無いですが、それとは関係無く私には自尊心なんかありません。私自身、正論だと思ってるので反論もしないです。
正論だと裏付ける体験談の一部ですが、 子供の頃、障害者申請しなかったので、保育園に入園する際「障害児なのに申請しないから補助金が出ない、だから入園させたくない」と言われた時、悲しくなりました。当時は障害児二人預かると、保育士一人分の賃金の補助金が出たらしいです。障害児一人だけだと補助金は出ないので、障害有る無い関係無く、どのみち預かる気は無かったと言ってました。この話、私が大人になってから保育園側から聞きました。
ちなみに当時は自閉症の診断を受ける事は稀で、(アスペルガーなんて言葉、当時は無かったです)殆ど知られてない障害を持つ私を保育園側が預かりたくないのは仕方無い事だと思います。
結局は祖母が別の保育園を探してくれたので入園できました。