2016年09月24日
自己肯定感をたっぷり育てよう!「できた」でおわる1日(その2)
⇒自己肯定感をたっぷり育てよう!「できた」でおわる1日(その1)
■自分が親になって気がつけばまだ儲けもの!
優しい虐待やきれいな虐待は、端から見ると非常に仲むつまじい
親子に見えますので、とても虐待に縁があるようには誰も思いません。
このことが、余計に常態化させる原因にもなります。
殴ったり、蹴ったり、毎日罵声を浴びせたりなんてことなら、
周りから見ても誰もが虐待のシグナルをキャッチできるのですが、
優しい虐待ときれいな虐待は、教育熱心な親で社会的な知識や
常識もある人間と思われていることも多いためスルーされやすいのです。
結果的に私の場合は、自分が結婚して親になってから気がつくことになります。
親がやっていたこととおなじような教育方法を子どもにしてしまうのです。
しかし、私の場合は、自己肯定感を低下させるような思考や思想が沈着する
ような教育しか受けていませんから、この方法が無意識に良いはずだ!として
我が子にも同じようにやってしまうことになります。
昔から良くいわれる因果応報というのはこういうことなのかもしれませんね。
でも何歳になろうがこれに気づいたときは遅いなんてことはありません。
まず気がついて自覚しないと次のステップには進めないからです。
私の場合はある意味子どもが成長しきる前でしたので儲けものかもしれません。
しかし私の自分勝手な思い込みの教育方針によって
被害を少なからず与えてしまったことは子どもに申し訳ない気持ちで一杯です。
反省してもなにも生まれませんから、今できることをやっていくしかありません。
■「安心感」と「関心」があれば子どもの心は育つ
私自身、親になったら自分が知っている知識をすべて教え込まなくては!
みたいな変な気概がありました。
しかし、子どもって親が偉い肩書きがあるとか、金を持っているとか、
凄い秀才であるとか、そんなものは本質的には求めていないんです。
では、なにを求めている買って話ですが、
いわゆる「自分への関心」と「安心感」であると思っています。
大人が思っている以上に知識なんて自分で身につけていくんですね子どもって。
もっと大切な物は、親が親自身のエゴとか見栄ということではなく、自分自身に
関心を持ってくれているかということを本能的に気にしています。
別な言葉でいえば「無償の愛情」とでもいいましょうか。いけないことをしたときに
叱るときはあるにせよ、子どもをひとりの人間として尊重して馬鹿にせず、関心を
もってあげることが大切なのです。
これをはき違えてしまったのが「優しい虐待」です。関心を持つというのは
なんでも親がやってあげることではありません。むしろ「見守る」ということです。
良いも悪いも包み込んでその子どものありのままの姿を受け止めることなのです。
子どもは、家庭内に「安心感」をもとめています。
しかし私たちはなんだかんだと条件を付けて子ども達を縛るのです。
「片付けなかったらご飯は抜きだよ!」
「忘れ物したらもうしらないから」
「ケンカしたらそとにでてなさい!」
いくらでも叱ろうとすればネタは出てきます。
しかし、いけないことだからといって感情的にぶつけられた子どもは
家庭内に安心感は求められなくなってくるでしょう。
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■自分が親になって気がつけばまだ儲けもの!
優しい虐待やきれいな虐待は、端から見ると非常に仲むつまじい
親子に見えますので、とても虐待に縁があるようには誰も思いません。
このことが、余計に常態化させる原因にもなります。
殴ったり、蹴ったり、毎日罵声を浴びせたりなんてことなら、
周りから見ても誰もが虐待のシグナルをキャッチできるのですが、
優しい虐待ときれいな虐待は、教育熱心な親で社会的な知識や
常識もある人間と思われていることも多いためスルーされやすいのです。
結果的に私の場合は、自分が結婚して親になってから気がつくことになります。
親がやっていたこととおなじような教育方法を子どもにしてしまうのです。
しかし、私の場合は、自己肯定感を低下させるような思考や思想が沈着する
ような教育しか受けていませんから、この方法が無意識に良いはずだ!として
我が子にも同じようにやってしまうことになります。
昔から良くいわれる因果応報というのはこういうことなのかもしれませんね。
でも何歳になろうがこれに気づいたときは遅いなんてことはありません。
まず気がついて自覚しないと次のステップには進めないからです。
私の場合はある意味子どもが成長しきる前でしたので儲けものかもしれません。
しかし私の自分勝手な思い込みの教育方針によって
被害を少なからず与えてしまったことは子どもに申し訳ない気持ちで一杯です。
反省してもなにも生まれませんから、今できることをやっていくしかありません。
■「安心感」と「関心」があれば子どもの心は育つ
私自身、親になったら自分が知っている知識をすべて教え込まなくては!
みたいな変な気概がありました。
しかし、子どもって親が偉い肩書きがあるとか、金を持っているとか、
凄い秀才であるとか、そんなものは本質的には求めていないんです。
では、なにを求めている買って話ですが、
いわゆる「自分への関心」と「安心感」であると思っています。
大人が思っている以上に知識なんて自分で身につけていくんですね子どもって。
もっと大切な物は、親が親自身のエゴとか見栄ということではなく、自分自身に
関心を持ってくれているかということを本能的に気にしています。
別な言葉でいえば「無償の愛情」とでもいいましょうか。いけないことをしたときに
叱るときはあるにせよ、子どもをひとりの人間として尊重して馬鹿にせず、関心を
もってあげることが大切なのです。
これをはき違えてしまったのが「優しい虐待」です。関心を持つというのは
なんでも親がやってあげることではありません。むしろ「見守る」ということです。
良いも悪いも包み込んでその子どものありのままの姿を受け止めることなのです。
子どもは、家庭内に「安心感」をもとめています。
しかし私たちはなんだかんだと条件を付けて子ども達を縛るのです。
「片付けなかったらご飯は抜きだよ!」
「忘れ物したらもうしらないから」
「ケンカしたらそとにでてなさい!」
いくらでも叱ろうとすればネタは出てきます。
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