2014年07月05日
連休明けの休日は
住処近くの公園や名所旧跡を飽きる事無く何度も訪れては、
その都度、新しい発見があり、そして出会いがあります。
5月17日は目白台に在る『永青文庫』と『野間記念館』に行ってきました。
この日は『野間記念館』の無料入館券を戴いた事と、
『永青文庫』に新しい展示室がオープンした事を知りノソノソ行ってみました。
『永青文庫』は日本・東洋の古美術を中心とした美術館で、
旧熊本藩主細川家伝来の美術品、歴史資料や、
16代当主細川護立の収集品などを収蔵し、展示、研究を行っている所です(護立氏は日本の
文化財保護行政に多大な貢献をした方で「美術の殿様」と言われ、美術品収集家としても有名です)。
細川家(肥後熊本藩主家)は戦国時代に細川幽斎(藤孝)を初代に始まる武家で、
藤孝は優れた歌人・国文学者です。
二代忠興(三斉)は茶人として名高く、その妻は明智光秀の娘『玉姫』。
ご存知の様に『ガラシャ』の洗礼名を持っています。
因に現在の永青文庫理事長は18代当主の細川護煕。
『永青文庫』は表の通りから少し入った閑静な場所に在り緑に囲まれた小振りな施設です。
小さいながら内容は充実して多くの国宝や重要文化財を展示しています。
建物は旧細川男爵家の家政所(事務所)として昭和の初めに建てられたもので
古い建物フェチの二匹に取っては絶好の『エサ場?』なのです。
永青文庫から野間記念館へ移動する途中で『リクガメ』を散歩させている青年と出会いました。
聞くと自宅の玄関先をノソノソ歩く亀を見つけたそうで、
「リクガメはどのように考えても飼育されていたモノが逃げ出したとか思えないです。
早くもとの飼い主に返したいのですが…」と語っていました。
しかしその亀は、たちまち道行く人たちのアイドルと化し、
青年の思いを知ってか知らずかスタコラサッサと歩いていました。
『野間記念館』は講談社の創業者、野間清治氏が収集した美術品と出版文化資料などを展示して、
『横山大観』を始め近代日本画の名品や近代洋画や、雑誌の表紙絵、口絵、挿絵の原画。宣伝用の
ポスターなど多彩な展示が楽しめます。
また、広い庭に面したテラスに出ると、ここが都会の真ん中である事を忘れさせてくれます。
<上>永青文庫の入り口から施設建物へと続くアプローチ
<下>永青文庫入り口
<上>野間記念館 正面
<下>テラスから庭を見る 鳥達が自由に芝生の上で何かを啄んでいた
その都度、新しい発見があり、そして出会いがあります。
5月17日は目白台に在る『永青文庫』と『野間記念館』に行ってきました。
この日は『野間記念館』の無料入館券を戴いた事と、
『永青文庫』に新しい展示室がオープンした事を知りノソノソ行ってみました。
『永青文庫』は日本・東洋の古美術を中心とした美術館で、
旧熊本藩主細川家伝来の美術品、歴史資料や、
16代当主細川護立の収集品などを収蔵し、展示、研究を行っている所です(護立氏は日本の
文化財保護行政に多大な貢献をした方で「美術の殿様」と言われ、美術品収集家としても有名です)。
細川家(肥後熊本藩主家)は戦国時代に細川幽斎(藤孝)を初代に始まる武家で、
藤孝は優れた歌人・国文学者です。
二代忠興(三斉)は茶人として名高く、その妻は明智光秀の娘『玉姫』。
ご存知の様に『ガラシャ』の洗礼名を持っています。
因に現在の永青文庫理事長は18代当主の細川護煕。
『永青文庫』は表の通りから少し入った閑静な場所に在り緑に囲まれた小振りな施設です。
小さいながら内容は充実して多くの国宝や重要文化財を展示しています。
建物は旧細川男爵家の家政所(事務所)として昭和の初めに建てられたもので
古い建物フェチの二匹に取っては絶好の『エサ場?』なのです。
永青文庫から野間記念館へ移動する途中で『リクガメ』を散歩させている青年と出会いました。
聞くと自宅の玄関先をノソノソ歩く亀を見つけたそうで、
「リクガメはどのように考えても飼育されていたモノが逃げ出したとか思えないです。
早くもとの飼い主に返したいのですが…」と語っていました。
しかしその亀は、たちまち道行く人たちのアイドルと化し、
青年の思いを知ってか知らずかスタコラサッサと歩いていました。
『野間記念館』は講談社の創業者、野間清治氏が収集した美術品と出版文化資料などを展示して、
『横山大観』を始め近代日本画の名品や近代洋画や、雑誌の表紙絵、口絵、挿絵の原画。宣伝用の
ポスターなど多彩な展示が楽しめます。
また、広い庭に面したテラスに出ると、ここが都会の真ん中である事を忘れさせてくれます。
<上>永青文庫の入り口から施設建物へと続くアプローチ
<下>永青文庫入り口
<上>野間記念館 正面
<下>テラスから庭を見る 鳥達が自由に芝生の上で何かを啄んでいた