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2013年02月27日

枝葉末節2

色街


江戸の昔「遊郭」が公認されて「吉原」が誕生しました。
その公認の色街の他に岡場所と言う所が有りました(黙認されて、非公認の遊女が仰山いる所)。江戸四宿(品川、内藤新宿、板橋、千住)の「飯盛り女」なんて言うのが
良く時代小説や落語などに登場します。文京区の根津(幕末に公許されて遊郭となります)、
白山、音羽(護国寺)辺りにも有りました。音羽は江戸の昔はたいそう賑わった所だそうで、
お父ちゃんは岡場所の遊び帰りに、雑司ヶ谷 鬼子母神の「ススキの木菟」買って帰り、
お母ちゃんに「今〜日はヨ!鬼子母神さんへ、お参りに行ってきたんでぇ〜!」と
言い訳したとか、しないとか。お母ちゃんはすっかりお見通しなんだけど
「そりゃ〜良かったね!」なんて愛想のいい返事をしたとか、しないとか。
それで、根津は明治になり近くに帝国大学があるので風紀上問題があるとか、ないとかで
「洲崎」(今の東陽町あたり)に移転(時代は上りますが、ここを題材にして娯楽派の監督が描く社会派映画の傑作、溝口健二の「赤線地帯」なんて言うのが有ります)。
白山辺りにも裏の通りに近年まで色街の面影を残す建家や石畳の路地がありましたが、
今は残っているのかなぁ〜



maNara




2013年02月26日

反省する亀 その1

真砂坂上から根津神社へのお散歩ブログが終わった。
半年も前からウジウジと進めていたMy HP制作のためのテキストだったので
なんとか形にはなったかな?(なってないか?ネットを見れば見るほど
良く書かれたブログが有るもので到底、亀には敵わないと落ち込んでいる)。
さてさて、次をどうするか?
以前の住みか辺りにするか、子供の頃に住んでいた辺りにするか?
そして、あまりにも特徴が無いブログは読んで貰えないので「はてさて」どうしたら良いものかと
頭を抱える?イヤ、引っ込めて甲羅の中で思案中のハゲの亀です。









2013年02月22日

真砂坂上あたりから根津神社











その一の3

暗闇坂から根津神社

弥生門の前には弥生美術館、竹久夢二美術館があります(亀は入館していません)。池之端方向に歩みを進めます。この通り、交通量は少ないのですが思いのほかスピードを出して車が行き交いますので注意が必要です。
真直ぐ行けば不忍池<しのばずのいけ>ですが、ここは台東区。公衆トイレを左に折れて北に進みますが住所は池之端2丁目。弥生坂に出るまでは台東区内を歩きます。ここら辺りにもいわれのある神社やお寺が有ります。東淵寺、正慶寺、妙賢寺とお寺が続き暫く歩みを進めると七倉稲荷神社です。七倉稲荷神社は江戸幕府の米蔵があった浅草蔵前に鎮座して七つの倉の守護神として崇められ、庶民の厚い信仰の対象となっていたようです。明治の時代に現在地に遷座して社殿は平成の造営で新しいモノです。その先には忠網寺があります。渡辺綱と関わりがある解説文が門のそばにありました(子供の頃、おばあちゃんから渡辺綱の勇ましい物語を聞いた事を思い出しました。あの鬼の物語です。他にも大黒様と白ウサギの物語。日本の国造りの神話などなど。懐かしい思い出です)。このお寺の付近に白と黒の斑の野良猫が日だまりで伸びています。人なっこいメスの猫でピンクの可愛い舌でペロペロと人の手を舐めたり、足の上に乗り甘えたりで大変です。お寺の前には有名寿司店の工場と販売所があります。
刷毛屋さんや飲食店などがポツポツと軒を並べます(気になるラーメン屋さんが路地を入った所にあり散歩の途中、何度か足を運んだのですが、お店は支度中。ぅん〜!?)通りは大きく不忍通りへ向かい右へ曲がりますが、細い道を直進すれば言問い通り、弥生坂へとぶつかります。
根津一丁目の交差点を更に北に進めば根津神社です(東へ坂を進めば谷中の寺町です)。表の通りは賑やかな商店街です(「文豪の街」のプレートが街路灯に)。神社側の一本裏の通りを歩きます。つい最近までは木造の家屋が並んでいたのですが今はマンションだらけ。それでも昭和を感じさせる木造家まだ数残っています(亀が以前住んでいた家も木造の一軒家。築100年が経とうかと言う古家でした。果樹や花を突ける庭木が多く有って、今の時期(早春)は沈丁花の香りが漂っていました)。
根津神社の近くに「日本キリスト教団 根津教会」があります。木造の可愛い教会です(関東大震災、東京大空襲をくぐり抜けた建物だそうで、1910年代の木造で洋館が完全な形で残り、文化財に登録されています(中を拝見する機会があれば是非にでも観たい思っています)。その先にも木造?の旅館(上海楼)が在ったのですが今はマンション?になっています(ピンク色の外壁に不思議な店名の旅館なので良く覚えていました。2007年に取り壊されたようです)。真直ぐに行くと東大の野球グラウンドが崖の上に見えます。そばには「お化け階段」があるはず?昇りと下りとで階段の段数が違う(忘れてしまったけど、どちらかが40段で逆方向は一段少なかったか多かったか?)。細く曲がりくねった所で宅地の造成、整備で今はどうなってるのかな?改めて行ってみようと思っています(東大のグラウンドに向かって歩くと左手に坂が現れます。細い通りです)。その手前を右に曲がれば目的地の神社です。昔の風囲気が残る貴重な境内だと思います。
よく時代劇のロケや近くはNHKの連ドラでも使われています。詳細は多くのブログやHPがあるので、そちらを観て頂いた方が良いかと思いますが、権現様では「月次花御札<つきなみはなみふだ>と言う厄よけのお札を毎月始めに頂く事にしました。部屋に飾ると邪気を祓い清浄を保って頂けます。また境内には「駒込稲荷神社」「乙女稲荷神社」が有り、亀は霊気を感じて足が竦みます(悪さばかりしているので、神聖な場所は苦手?!)。神社の裏手(権現裏門坂)には日本医科大学が有ります。ここら辺りは小説などに良く登場します。森鴎外、夏目漱石、高村光太郎、与謝野鉄幹などなど、いづれの文化人はこの近くに居住していました。また、美味しいと評判のお店が数多くありますが、亀は数店のおそば屋さんにしか入った事が有りません(最近、金欠で外食を極力控えています。このブログに出てくるお店は以前入店して美味しく感じた所。店名を出すべきか否か思案中です)。

2013年02月20日

真砂坂上あたりから根津神社

その一の2

本郷三丁目交差点から東大

本郷三丁目交差点を左に少し行くと「桜木神社」が有ります。通称「桜木天神」。ここも小さなお社ですが、太田道灌が江戸城築城の際、菅原道真公の神霊を京都北野の祠から城内に勧請し、後に遷座したものです。最近二羽の烏骨鶏<うこっけい>がやって来て参道の脇で時の声を上げています。近くにお寿司屋さん、昭和の匂いがする小料理店、ベトナム料理のお店が有り夫々に癒しの一時が過ごせます。
交差点を駒込方面に渡ると本郷薬師の額を掲げた門?があります。が、お寺が有る訳でなく通りの奥まった所にお堂がポツリと有ります。お堂のそばには「機山館」と言うホテルが有ります。旅館だった様に(場所も違っていた?)記憶していたのですが立派なビルになっています。この近くにシングルモルトの美味しいお酒を提供してくれるバーが有ります。暫くご無沙汰していて敷居が高いのですが、以前レクチャー好きのマスターから蘊蓄を聴いて少しは物知りになりました(本とうかな?)。
「本郷薬師」を調べると、以前、ここに真光寺というお寺が有りその境内に建立されたお堂がそれで、江戸の昔、猖獗<しょうけつ>(悪い物事がはびこり、猛威を振るう事。だそうですが、いったい何のこっちゃ!?。ご存知の方、ご教授戴けると嬉しいです)が起こり病の床に伏せる人々が多く出たそうで、この時お薬師様に祈願したところ病気が治まったといわれ以来、多くの人々に信仰されたそうで神楽坂の毘沙門様の夜店と並んで縁日には多くの人々で混雑したそうです。今は面影も有りませが…。
本郷通りを北に向かい歩いて行けば右に老舗の洋菓子店、そうだ!美味しいカレー屋さんも有った(残念ながら無くなってしまいました)。東大の赤門前や正門前辺りのも老舗の和菓子屋さんや昔、良く耳にしたCMで有名なお菓子屋さんも軒を連ねます。落第横丁や合格横丁、大正時代創業のフルーツパラーも(カレーがおいしく、大きな木製のレジスターが現役で動いています)東大の向かい側にあります。古書店も多かったのですが貸店舗のプレートをつけた建物が並ぶ様になってしまいました。そうだ!画家の名前を付けた喫茶店も有ったっけ。カレーがおいしかった。ここまで読んで頂ければお分かりかと思いますが、食べる事、飲む事が大好きなハゲの亀は彼方で「パクパク」こっちで「ムシャムシャ」体重は60歳を目の前に30キロも太って90キロ目前になってしまったのです(まずいぜ!)。
東大の広大な敷地はお散歩にもってこいです。子供の頃は父に連れられよく来ました。カメラ小僧を遣っていたときも首から愛機(アサヒペンタックスK)をぶら下げ来ました。今は、建物の立て替えや構内の整備で子供のときと様子は違いますが、四季を通じて散策するには良い所です。久しぶりに「三四郎池」へ降りて行ったのですが、急な勾配に股関節が痛くなりました。都会の真ん中ですが、高い建物も視界に入らず静かで水面には鴨がのんびりと浮かんでいます。赤門(旧加賀藩、前田家上屋敷の御守殿門。重要文化財)から入ると正面に医学部2号館、右に経済学部、左に教育学部、総合図書館の建物。其の裏手に育徳堂、三四郎池があります。門を左に進めば法学部の建物に。左手には正門。右には安田講堂。ここの銀杏並木は周りの建物と相まって新緑の季節や金色に染まる頃は見応えが有ります。構内は有形文化財に登録された建造物が多く、個性的な意匠で目を楽しませてくれます。銀杏並木から安田講堂そして弥生門へと進みここから外
へ。言問通りから池之端へ抜ける通りに出ます。暗闇坂です。だらだらと長く勾配はさほど感じさせません。調べると都内には12カ所も同じ名前の坂が有るそうです。「暗闇」って言うからには昔、昼間でも暗かったのでしょう。坂の案内板には其の名の由来が書いてあります。




2013年02月19日

枝葉末節<しようまっせつ>

亀が子供の頃には「都電」(通称「チンチン電車」。今風に言うのなら「トラム」)なるものが縦横無尽に都内を走っていました。亀が良く乗ったのは「20番」(調べるとこの番号は臨時だったようです)「19番」「18番」「17番」「16番」。今は早稲田と三ノ輪を結ぶ一つだけになっていますが何処へ行くのにも「都電」が便利な足として使われていました。小学校のイベントでも都電に乗った記憶があります。またトロリーバスというのも有って、亀の場合、上野や池袋に出たときになど目にしました。乗ってみたくて仕方が無かった記憶が有ります。









2013年02月15日

真砂坂上あたりから根津神社

その一の1

足下からのスタート

足の向くまま気の向くままとは言え、大上段に振りかぶって返り討ちじゃ仕方ないので、極ごく身直な所から始める事にします。
亀の住みかのすぐ近くには「本郷弓町教会」があります。とても風情のある建物で一度お邪魔した事が有ります。入り口正面の階段や手すり、扉、窓枠、照明にステンドグラス、パイプオルガン、講壇などそれは歴史を語るにふさわしく重厚、そして神聖で厳かな雰囲気に心が癒されます。厚かましく入って行ったのですが、ご年配のご婦人達から歓迎され(入信者に思われたのかな)質問攻めに有った事を思い出します。
毎週火曜日にはパイプオルガンの演奏会があり、どなたでも聴く事が出来ます。
春日通り、上野方面に向かい真砂坂上交差点を右に入り弓町教会を経てお茶の水方面に歩みを進めると、すぐに大きな「楠」があります。文京区で幹周りが一番太い木です。樹齢600年。夏の黄昏時に風にそよぐ枝葉の声を聞いていると、
とても心が和みます。近年まで立派な洋館があり「レストラン楠亭」として営業
していた様ですが、今は改築されマンションとなっています。この木はそこのシンボルだったようですが、残されて尚ここら辺りの象徴として凛として聳えています。
この木の反対側には旧瀬川邸がビルの奥に保存されています(未公開)。登録有形文化財で庭(と言っても建物の正面と一部しか見えませんが)が美しく建物も素敵な所です。東大理工学部の初代学部長の自宅だったとか。ここら辺りは江戸の昔からお屋敷町で立派な建物が多く在ったようです(ちなみにここら辺りには大きなマンションが多いのですが、概ね一つのマンションの敷地に個人のお屋敷が建っていたと思って良い位だそうです。確認を取る必要がありますが…。それでも、すごいな)。
更に歩いて行くと大横丁という通りに出ます。右手には東洋学園大学の建物。と、その通りに出る前右手には「朝陽館」と言う旅籠<はたご>、ぅん違う!旅館があります。本郷には旅館も多かったのです。修学旅行の宿泊先などとして賑わったと聞きます。他に「鳳明館」「太栄館」「更新館」などと言った旅館が営業しています。
大横丁に話を戻しましょう。商店街です。最近、老舗の酒屋さんが閉店しました。少し離れた所にも良い酒屋さん(「本郷」と言うお酒を蔵元とコラボ。扱っていました)を見つけたのですが、そこも店を閉じました。ここの商店街では有りませんが有名な鮮魚店も。話によれば、大量に商品を買ってくれる飲食店さんなどが閉店。またディスカウント店や量販店の進出などで廃業に追い込まれたとか(このままではコンビニとスーパーだけになってしまいそう)。
最近まで商店街には古い建物が有ったのですが最近無くなってしまいました。一部デザインを取り入れた住宅になっていますが以前の建物には遠く及びません。薬屋さんでした(何と!携帯電話のカメラで撮影していました。忘れていました。どうもこの頃は物忘れがひどい)。
商店街と言っても多くの物販店が有る訳では有りません。コンビニ、花屋さん、懐かしい匂いのする本屋さん、文房具屋さん、雑貨店。他は飲食店が多いようです。横丁の小料理屋さんのママと親しくなりました。ママさんはとっても料理上手。美味しいのです。はす向かいのスペイン料理のお店もなかなか美味しく、シェリー(ワイン?の仲間で良いのかな)の品揃えも良く、なんと無休で営業です。他には足を運んではいませんがお寿司屋さん、おでん屋さんなどなど此れから制覇してみたいお店が並んでいます。
イタリアンではここから少し離れた新壱岐坂の中程に手軽で美味しい店が有ります。気取らずお子様づれでも楽しめる所です。店長も気さくで良い人柄です。亀が行くと大抵お客さんが疎らなのですが店長曰く、私が入店した日は売り上げがとても良くなるそうで、私を見つけるとニコニコと話しかけてきて来ます(儂は人寄せパンダか!?)。
横丁の中程、銀行のATMの所を入ると「三河稲荷神社」があります。小さなお社ですが由緒良く、徳川家康が江戸に入った際、三河から持って来た(奉遷)ものだそうです。元からここに鎮座しているのではなく家康が江戸入国に際しては吹上に、その後、幾度か遷座して現在の地に来たようです。銀行のATM付近で耳を澄ますと時折、太棹の音と義太夫を耳にする事があります。何処からでしょうか。魅力的な響きです。
大横丁を東側に行くと本郷通りにでます。ここは左に歩みを進め本郷三丁目交差点方向に。ここら辺りにも美味しそうなお店が軒を連ねます(ここら辺りでのおすすめと言うと、おそば屋さんに焼き鳥屋さん(交差点からは少し離れています)。入った事はないのですが、もつ焼き屋さんにうどん屋さんが評判のようです)と、歩みを進め「本郷三丁目駅」「かねやす」。そして春日通りと本郷通りが交わる交差点へと出てきます。左へ行けば真砂坂上から春日、伝通院。右は湯島から御徒町<おかちまち>。後方へ戻ればお茶の水。進めば東大前から駒込へと続きます。

2013年02月14日

前振り

さてさて、文京区は何処に有るのか。
東京は23特別区のほぼ中央(チョット北よりだけど)に位置して面積は小ちゃい。
調べると23区の小さい方から4番目。それで坂の多い所(確か多い方から2番目だったかな)。
そしてJRの駅が無い。JR山手線の内側にすっぽり入って大きな盛り場が無い(♪大きい事はいい事だ!なぁ〜んて。大きな盛り場は在りませんが、其処ら彼処に味のあるお店が沢山在ります)。
地形的には神田川や千川(流れは無い)などの低地部と五つの台地から成り立っていて結構アップダウンがある。って言うか都心部は坂が多い所なのだ(23区には700以上の名前のついた坂が有るとか)。坂の町は絵になるけど歩くとなると『しんどい』(歳のせいな?)。
文京の地に絡んで有名なのは「弥生式土器」。時代を象徴する名にもなった大発見が旧弥生町(言問い通り沿いに「弥生式土器発掘ゆかりの地碑」が建っている)から出土した(と、調べるうちに出土した所の説は幾つかあるようで、東大構内にも発掘跡(史跡指定)があるそうですが亀は見ていません)。
文京区には東京大学。お茶の水女子大。東京医科歯科大学。東洋大学。日本女子大学などの大学を始めとして多くの学校が建ち、古くは昌平坂学問所(湯島聖堂)なんて言う所も在って文教地区として有名。
また、水戸徳川家の屋敷跡の「後楽園」(遊園地に東京ドームは有名だけど、そのドームの脇に庭園があります。開放的な六義園とは趣を異にしています。調べると「特別史跡」と「特別名勝」の二重指定を受けていました。二重指定の物件は全国でも数えるほどしか無いそうです)。
そして大老柳沢吉保の屋敷跡で「六義園」(豪壮な回遊式築山泉水庭園。特別名勝指定。枝垂れ桜にツツジ。紅葉の時期が美しい。庭園をライトアップするイベントには多くの人出で込み合います)。時代劇なんかで出てくる小石川養生所が在った小石川御薬園をその始まりとする「東大理学部付属小石川植物園」などの庭園や徳川綱吉の生母 桂昌院が創建した「護国寺」(真言宗豊山派の大本山)。家康公の生母 於大の方の菩提寺「伝通院」など寺社仏閣が多いのも特色(伝通院の塔頭<たっちゅう>に鐸蔵司稲荷<たくぞうすいなり>があります。なかなかのパワースポットと亀は思います)。
文学者先生や政治家などとも縁があります。森鴎外。夏目漱石。樋口一葉。宮沢賢治。石川啄木などなど(文京区ゆかりの文化人を調べると、わんさか出てきます)。政治家では田中角栄、鳩山一族かな。それで、大きな病院が多く有る為か医療関係の会社が多いのと印刷会社(斜陽産業か?)とか出版会社なんかが多い(文化都市だね)。
「本郷もかねやすまでは江戸のうち」(「かねやす」は江戸時代の歯磨き粉「乳香散」を商っていたお店)なんて言う川柳があって、今の本郷三丁目角の辺りまでは江戸市中と考えらていた。ってことは、そこから先は江戸じゃない。岡っ引きは十手も振り回せない?。
その「かねやす」近くに転居して早1年。いろいろとアクシデントに見舞われた日々を顧みず日々ノホホンと過ごすエピキュリアンなハゲの亀のお散歩日記の♪チョ〜ン!始まり〜!始まり!(大丈夫かな?長続きするのかな?不安な亀です)。




2013年02月12日

口上

東京は文京区育ちのハゲの亀。川崎市、埼玉は南の東京に一番近い市に一時期居住するも、
文京の地に舞い戻り、定年近い歳になり初めて挑戦するマイ ホーム・ページ作成。
作成と同時に「エイ!とばかりにアップロード」とするつもりも手も足も出ないで、あえなく頓挫。以前から気になっていたブログサイトを利用した方法に換えてみるもわからん事だらけ。それでも足の向くまま気の向くまま、出たとこ勝負で展開して行く向こう見ずなハゲの亀。「額の傷をなんと見る!天下御免のハゲの亀」今日もノロノロ、明日もノロノロ。エロエロ大好き、酒も好き。ギャンブルなんかもしてしまう。三拍子揃った与太なハゲの亀が行く!
♪チョ〜ン!
(※無知な還暦前の亀で御座います。無茶苦茶な表現や事実関係に誤りなどありましたらご教授願えれば嬉しく思います。尚、その節には文献などの出典元など併せてお知らせ下さい。また日記と称しておりますが、毎日の更新は不可能でございます。よってノロノロと出来たら順次更新の出たとこ勝負にさせて頂きます)。



maNara











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プロフィール
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ハゲの亀
無知蒙昧な亀がノロノロ、ウロウロと徘徊。 知ったか亀の譫言にお付き合い下さい。そして間違え等有りましたら教えて下さいね。よろしく。
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