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2015年11月25日
北海道大学植物園 人口200万都市札幌のど真ん中(空道V2)
せっかく、仕事で渡った北海道、時間があったらちょっと足を伸ばしたかった。
でも時間がなかったので、道すがらのカメラ爺です。
嵐コンサートのため、二日目の夜は出張3人バラバラのホテルです。
自分は、ホテルさっぽろ弥生、JR札幌駅から、徒歩20分くらいでしようか。
帰る日の朝、早めにホテルをチェックアウト、札幌駅へ徒歩で向かうことにしました。
ホテルから出ると、分離帯の中央が歩ける広い道路をはじらく歩けば、森につきあたりました。
夜タクシーで向かう時にも何だろうとは思っていました。
と、都会の真ん中に大きな植物園です。樹木が鬱蒼と茂っています。
札幌はすでに晩秋、もうすく散りそうな葉っぱが、かろうじてついています。
まだ紅葉も残っていますが、どんよりとした空と相まって寂しい感じです。
森と歩道はフェンスで区切られ、枯葉の落ちる歩道を駅にかって歩いていると、「植物園」というプレートがありました。
この森は「植物園」です。
ふと、大木の根元の枯葉の上で動くもの見えたので、目を凝らしてみると、リスです。
たぶん、えぞリスでしょうか、落ち着きの無い俊敏な動きです。
何枚か手持ちのコンデジでズームUP、なんとか抑えました。
ちなみにこの広さってどれくらいなんだう?!
大介です。
この植物園、たぶん札幌に観光に来ても入ることはないんだろうなぁなんて思います。
ただ、都会の中にこおいう森林があることはとってもいいですよね。
北海道大学植物園
正式名称 北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園
所在地 北海道札幌市中央区北三条西8丁目
開園年 1886
面積 13.3ヘクタール
北大植物園について
「北海道大学植物園HPより引用」
北大植物園は、1886(明治19)年に設置されて以来、札幌農学校、北海道大学の教育・研究の場として活動を続けるとともに、札幌市民の憩いの場、社会教育の場としての役割を果たしてきました。
園内には研究用に収集された約4,000種類の植物が教育効果をもたらすような形で栽植されていて、花を愛でるだけではなく植物そのものについて学ぶことができるような環境が整備されています。
また、園内の博物館では北海道の自然・文化・歴史を学ぶことができます。
同時に、札幌の原地形を残す環境で小鳥のさえずりを聞きながらゆっくりとくつろぐこともできます。
園内では、授業や研究活動が頻繁に行われています。
研究者や大学生の調査活動の様子を身近に感じていただき、北海道大学の活動に関心を持っていただければ幸いです。
でも時間がなかったので、道すがらのカメラ爺です。
嵐コンサートのため、二日目の夜は出張3人バラバラのホテルです。
自分は、ホテルさっぽろ弥生、JR札幌駅から、徒歩20分くらいでしようか。
帰る日の朝、早めにホテルをチェックアウト、札幌駅へ徒歩で向かうことにしました。
ホテルから出ると、分離帯の中央が歩ける広い道路をはじらく歩けば、森につきあたりました。
夜タクシーで向かう時にも何だろうとは思っていました。
と、都会の真ん中に大きな植物園です。樹木が鬱蒼と茂っています。
札幌はすでに晩秋、もうすく散りそうな葉っぱが、かろうじてついています。
まだ紅葉も残っていますが、どんよりとした空と相まって寂しい感じです。
森と歩道はフェンスで区切られ、枯葉の落ちる歩道を駅にかって歩いていると、「植物園」というプレートがありました。
この森は「植物園」です。
ふと、大木の根元の枯葉の上で動くもの見えたので、目を凝らしてみると、リスです。
たぶん、えぞリスでしょうか、落ち着きの無い俊敏な動きです。
何枚か手持ちのコンデジでズームUP、なんとか抑えました。
ちなみにこの広さってどれくらいなんだう?!
大介です。
この植物園、たぶん札幌に観光に来ても入ることはないんだろうなぁなんて思います。
ただ、都会の中にこおいう森林があることはとってもいいですよね。
北海道大学植物園
正式名称 北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園
所在地 北海道札幌市中央区北三条西8丁目
開園年 1886
面積 13.3ヘクタール
北大植物園について
「北海道大学植物園HPより引用」
北大植物園は、1886(明治19)年に設置されて以来、札幌農学校、北海道大学の教育・研究の場として活動を続けるとともに、札幌市民の憩いの場、社会教育の場としての役割を果たしてきました。
園内には研究用に収集された約4,000種類の植物が教育効果をもたらすような形で栽植されていて、花を愛でるだけではなく植物そのものについて学ぶことができるような環境が整備されています。
また、園内の博物館では北海道の自然・文化・歴史を学ぶことができます。
同時に、札幌の原地形を残す環境で小鳥のさえずりを聞きながらゆっくりとくつろぐこともできます。
園内では、授業や研究活動が頻繁に行われています。
研究者や大学生の調査活動の様子を身近に感じていただき、北海道大学の活動に関心を持っていただければ幸いです。
2015年11月23日
「ブラタモリ」で碓氷峠を放送 碓氷峠鉄道文化むら を見た気分に。
ブラタモリで、軽井沢のアプト式の碓氷峠をピックアップしていのを見てなんか、また旅行した気分になってしまいました。
碓氷峠、碓氷第三橋梁 日本で最初のアプト式鉄道の地です。
前の記事で碓氷峠のことも書きましたが、まだUPしていない写真など見返してみました。
ブラタモリで放送されていた、
「碓氷峠鉄道文化むら」
ほんとは、入ってみたかったのですが、強行軍の車中泊ではちょっと時間がとれなかったのです。
ただ、柵の外から写真を撮ってきました。
群馬県側のよこかわ駅、駐車場にはまだ線路が舗装道路から見えていて、ここは以前引き込み線かホームだったんだろうなということがわかります。
碓氷峠で感じることは、時の流れ、時代の流れを感じさせるということでしょうか。
明治から平成まで、時代が碓氷峠に何を求めていたのか、刻々と変わっていく物流、人の流れの変化によってこの碓氷峠の交通手段も刻々と変わってきていることがわかります。
最初は鉄道による物流のようで、時代とともに輸送量を増やして行きます。
その次は車へと変化、モータリゼーションによるスピードUP。
と、最後は長野新幹線開通に伴い当初の役目が終わっていったように見えます。
と、そんなことを、写真を見ながら考えてみると、100年余りの激動の日本がここ、碓氷に凝縮しているようにも思えます。
さらに、この碓氷峠が他の峠と異なることは、時代と共に、そして交通機関などの変化と共に、まったく異なるルートで峠超えをしてきたことです。
ほとんどの峠において、同様な近くを通るのに対して、車で来ても、まったく異なるので混乱してしまいます。
はじめは、中山道の籠の時代、そして、道路と鉄道、道路のバイパスの開通、高速道路、新幹線、と、まったくと言っていいほど異なるルートで繋がれていることです。
ブラタモリでは、よこかわから、軽井沢の高原までの、尾根伝いの江戸時代の峠道も紹介していましたが、比較すれば明治維新からいかに激動してきたかがわかります。
まあ、特に事前に調べて下道の旅に出るわけではないですが、最近ブラタモリの東日本の旅先のほとんどがかぶってきて、改めて旅先の知識を掘り起こして見せてくれます。
碓氷峠鉄道文化むら
碓氷峠 - Wikipedia
碓氷峠、碓氷第三橋梁 日本で最初のアプト式鉄道の地です。
前の記事で碓氷峠のことも書きましたが、まだUPしていない写真など見返してみました。
ブラタモリで放送されていた、
「碓氷峠鉄道文化むら」
ほんとは、入ってみたかったのですが、強行軍の車中泊ではちょっと時間がとれなかったのです。
ただ、柵の外から写真を撮ってきました。
群馬県側のよこかわ駅、駐車場にはまだ線路が舗装道路から見えていて、ここは以前引き込み線かホームだったんだろうなということがわかります。
碓氷峠で感じることは、時の流れ、時代の流れを感じさせるということでしょうか。
明治から平成まで、時代が碓氷峠に何を求めていたのか、刻々と変わっていく物流、人の流れの変化によってこの碓氷峠の交通手段も刻々と変わってきていることがわかります。
最初は鉄道による物流のようで、時代とともに輸送量を増やして行きます。
その次は車へと変化、モータリゼーションによるスピードUP。
と、最後は長野新幹線開通に伴い当初の役目が終わっていったように見えます。
と、そんなことを、写真を見ながら考えてみると、100年余りの激動の日本がここ、碓氷に凝縮しているようにも思えます。
さらに、この碓氷峠が他の峠と異なることは、時代と共に、そして交通機関などの変化と共に、まったく異なるルートで峠超えをしてきたことです。
ほとんどの峠において、同様な近くを通るのに対して、車で来ても、まったく異なるので混乱してしまいます。
はじめは、中山道の籠の時代、そして、道路と鉄道、道路のバイパスの開通、高速道路、新幹線、と、まったくと言っていいほど異なるルートで繋がれていることです。
ブラタモリでは、よこかわから、軽井沢の高原までの、尾根伝いの江戸時代の峠道も紹介していましたが、比較すれば明治維新からいかに激動してきたかがわかります。
まあ、特に事前に調べて下道の旅に出るわけではないですが、最近ブラタモリの東日本の旅先のほとんどがかぶってきて、改めて旅先の知識を掘り起こして見せてくれます。
碓氷峠鉄道文化むら
碓氷峠 - Wikipedia
2015年11月18日
富士山を間近で見る。目的達成!(富士山一周その5)
今回の旅の目的だった富士山です。
富士スバルライン5合目駐車場到着は早朝9時、次々とバスや車が駐車場にはいってきます。
そして肝心の富士山には、雲一つなく秋の空をバックに聳えています。
逆光のため立体感もあまり感じられず、綺麗な稜線が広がっています。
森林限界のここ5合目には、針葉樹らしき樹木の葉が枯れ落ち、富士山、山頂の雪とともに冬が近いことを感じさせます。
さて、景色を眺めお土産屋さんをうろうろしていると、次から次と大陸からの爆買い観光客がきます。
もはや、どこの観光地に行っても7割方は大陸からの・・・・・、のような気がします。
どこでもここでも、たいして綺麗でもないのにポーズをとって写真撮影しています。
どう見ても・・・・・。
自分たちの写真は、通行人などの場所も構わず撮りますが、場所など気をつかって撮っている日本人が写真を撮っていても前を無造作に横切っていきます。
おっと、せっかくの富士山が別な話題になってしまいます。
土産物屋さんの間から、「冨士山大社小御嶽神社」、ほかに馬乗り場などがあり、その前を通り雑踏から遠ざかると、山腹を水平に進む道があり進んでみました。
人もあまりいませんが、返ってくる人もいるので進んでみました。
富士山の山肌に作られた道は、車も通れます。
下も上も富士山の噴石で凸凹はないまでも「高いんだなぁ・・・・。」ということを実感します。
と、行き着いた先は、吉田口の5合目入口でした。これ以降は冬のため既に閉山、立ち入り禁止です。
来た道を戻って、富士山のお土産を・・・・・、今度いつ来るのか定かではありませんので、一通り眺めます。
何を買ったかって、飴を買って帰りました。特に誰にお土産といことでもないので、飴を買ってきました。
切り口が富士山の金太郎飴です。
そうこうしているうちに、ますます人が増え、時間もお昼近く。
富士山五合目の駐車場を後にしました。
ちなみに、富士山は3,776メートル、稜線の斜度が30度強程度だとし、五合目2,300メートルから山頂までは、標高差1,400メートル。
山頂まで、直線距離で約2.5キロメートル程度でしょうか。
富士スバルライン途中の展望台で、間近の富士山は見納めです。
大介です。
さて、富士山五合目って何メートルでしょうか。・・・・・・約2,300メートルです。 人生の最高標高です。
それまでは、蔵王連峰の熊野岳1,841メートルです。
富士山山腹の稜線だいたい、30度くらいの傾斜でしょうか。
仕事の関係で一人で、斜度25度程度のほぼまっすぐ、けっこう長い砂利道を登ったことがありますが、お空に向かって登っているような感覚です。もちろん四駆の車です。
ストップしたら進めない、後ろにバックしそうで怖かった記憶があります。
チョットまった! そういえば、黒部の室堂がありました。調べてみたら、2,450メートルのようです。
車の最高標高が今回の、2,300メートル。
多少登山の最高峰が、1,841メートル。
他力の最高標高が、2,450メートル。
と言うことでまとめ。シャンシャン!
★富士山一周の連載記事です。
PA・SA、鬼平江戸処(富士山一周その1)
海老名SA(下)「富士山一周その2」
ふじおやまで初参拝(富士山一周その3)
富士山北側、富士スバルサラン(富士山一周その4)
富士山を間近で見る。目的達成!(富士山一周その5)
富士山を下り、左回りで浅間大社へ向かう。(富士山その6)
B級グルメ「富士宮焼きそば」浅間大社前でeat(その7)
山口百恵か石川さゆりか、天城越え。(富士山・・・その8)
伊豆半島414号「河津七滝ループ橋」昼なら壮観。(その9)
富士山一回り、最終章。人造富士山で締めくくりです。
富士スバルライン5合目駐車場到着は早朝9時、次々とバスや車が駐車場にはいってきます。
そして肝心の富士山には、雲一つなく秋の空をバックに聳えています。
逆光のため立体感もあまり感じられず、綺麗な稜線が広がっています。
森林限界のここ5合目には、針葉樹らしき樹木の葉が枯れ落ち、富士山、山頂の雪とともに冬が近いことを感じさせます。
さて、景色を眺めお土産屋さんをうろうろしていると、次から次と大陸からの爆買い観光客がきます。
もはや、どこの観光地に行っても7割方は大陸からの・・・・・、のような気がします。
どこでもここでも、たいして綺麗でもないのにポーズをとって写真撮影しています。
どう見ても・・・・・。
自分たちの写真は、通行人などの場所も構わず撮りますが、場所など気をつかって撮っている日本人が写真を撮っていても前を無造作に横切っていきます。
おっと、せっかくの富士山が別な話題になってしまいます。
土産物屋さんの間から、「冨士山大社小御嶽神社」、ほかに馬乗り場などがあり、その前を通り雑踏から遠ざかると、山腹を水平に進む道があり進んでみました。
人もあまりいませんが、返ってくる人もいるので進んでみました。
富士山の山肌に作られた道は、車も通れます。
下も上も富士山の噴石で凸凹はないまでも「高いんだなぁ・・・・。」ということを実感します。
と、行き着いた先は、吉田口の5合目入口でした。これ以降は冬のため既に閉山、立ち入り禁止です。
来た道を戻って、富士山のお土産を・・・・・、今度いつ来るのか定かではありませんので、一通り眺めます。
何を買ったかって、飴を買って帰りました。特に誰にお土産といことでもないので、飴を買ってきました。
切り口が富士山の金太郎飴です。
そうこうしているうちに、ますます人が増え、時間もお昼近く。
富士山五合目の駐車場を後にしました。
ちなみに、富士山は3,776メートル、稜線の斜度が30度強程度だとし、五合目2,300メートルから山頂までは、標高差1,400メートル。
山頂まで、直線距離で約2.5キロメートル程度でしょうか。
富士スバルライン途中の展望台で、間近の富士山は見納めです。
大介です。
さて、富士山五合目って何メートルでしょうか。・・・・・・約2,300メートルです。 人生の最高標高です。
それまでは、蔵王連峰の熊野岳1,841メートルです。
富士山山腹の稜線だいたい、30度くらいの傾斜でしょうか。
仕事の関係で一人で、斜度25度程度のほぼまっすぐ、けっこう長い砂利道を登ったことがありますが、お空に向かって登っているような感覚です。もちろん四駆の車です。
ストップしたら進めない、後ろにバックしそうで怖かった記憶があります。
チョットまった! そういえば、黒部の室堂がありました。調べてみたら、2,450メートルのようです。
車の最高標高が今回の、2,300メートル。
多少登山の最高峰が、1,841メートル。
他力の最高標高が、2,450メートル。
と言うことでまとめ。シャンシャン!
★富士山一周の連載記事です。
PA・SA、鬼平江戸処(富士山一周その1)
海老名SA(下)「富士山一周その2」
ふじおやまで初参拝(富士山一周その3)
富士山北側、富士スバルサラン(富士山一周その4)
富士山を間近で見る。目的達成!(富士山一周その5)
富士山を下り、左回りで浅間大社へ向かう。(富士山その6)
B級グルメ「富士宮焼きそば」浅間大社前でeat(その7)
山口百恵か石川さゆりか、天城越え。(富士山・・・その8)
伊豆半島414号「河津七滝ループ橋」昼なら壮観。(その9)
富士山一回り、最終章。人造富士山で締めくくりです。