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2015年12月18日
世界遺産 日光東照宮「奥宮」疲れますがパワースポットです。
この、「奥宮」まで行くとなると、けっこう大変です。
限られた時間の中で階段が長く、奥宮までは時間はもちろん、体力的にも後を引きます。
でも達成感はあるのじょうか、他のホームページを見てみればパワースポットなんてことも書いてあります。
自分としても、この奥宮まで来たのは、日光東照宮3回目にして初めてのような気がします。
記憶がないのかもしれないですが・・・・・。
世界遺産のこの日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、徳川家康公を祀る神社で、全国にある東照宮の総本宮だそうです。
記憶では、初めて訪れた、この日光東照宮の奥宮。
入口には、あの有名な「眠り猫」が鎮座しています。
その、守り神とやらから、奥宮・宝塔へと続きます。
時間があったら杉木立の中をゆっくり登るのがいいのでしょうが、日頃から何かに追われたように、或いは、何か心配事をかかえ生活しているためか、ついつい先を急いでしまいます。
と、目標の奥宮に到達すれば、他の建物とは異なる、控えめで地味な色、徳川家康公が眠る墓所である宝塔、やっぱりきらびやかに生きた後はおちついて眠りたいのでしょうか。
さて、この日光東照宮、日本屈指のパワースポットでもあるようです。
特に、この宝塔の周囲は特に強く、おちついてゆっくり回って、お願い事をすればいいのかもしれませんね。
日光の全てが徳川家康公を中心とした、江戸時代から現在までテーマパークとして発展してきたんでしょうね。
平和・パワースポット・観光、とっても奥の深いテーマパークです。
この日光の奥宮、参道の階段横は、直径一メートル以上はあろうかという杉の木ですが、社殿のほうへ倒木しないようにワイヤーが張られています。
樹齢も数百年近くでしょうから、維持も大変かなぁと思いますが、大気汚染などで次々に倒れなければいいなぁと思ってしまいます。
開運の神社・パワースポット【関東篇】
↑開運グッズを販売しているようですが、パワースポット検索には良いかもしれません。
日光東照宮のホームページ
日光タグ、関連記事はここからどうぞ。
限られた時間の中で階段が長く、奥宮までは時間はもちろん、体力的にも後を引きます。
でも達成感はあるのじょうか、他のホームページを見てみればパワースポットなんてことも書いてあります。
自分としても、この奥宮まで来たのは、日光東照宮3回目にして初めてのような気がします。
記憶がないのかもしれないですが・・・・・。
世界遺産のこの日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、徳川家康公を祀る神社で、全国にある東照宮の総本宮だそうです。
記憶では、初めて訪れた、この日光東照宮の奥宮。
入口には、あの有名な「眠り猫」が鎮座しています。
その、守り神とやらから、奥宮・宝塔へと続きます。
時間があったら杉木立の中をゆっくり登るのがいいのでしょうが、日頃から何かに追われたように、或いは、何か心配事をかかえ生活しているためか、ついつい先を急いでしまいます。
と、目標の奥宮に到達すれば、他の建物とは異なる、控えめで地味な色、徳川家康公が眠る墓所である宝塔、やっぱりきらびやかに生きた後はおちついて眠りたいのでしょうか。
さて、この日光東照宮、日本屈指のパワースポットでもあるようです。
特に、この宝塔の周囲は特に強く、おちついてゆっくり回って、お願い事をすればいいのかもしれませんね。
日光の全てが徳川家康公を中心とした、江戸時代から現在までテーマパークとして発展してきたんでしょうね。
平和・パワースポット・観光、とっても奥の深いテーマパークです。
この日光の奥宮、参道の階段横は、直径一メートル以上はあろうかという杉の木ですが、社殿のほうへ倒木しないようにワイヤーが張られています。
樹齢も数百年近くでしょうから、維持も大変かなぁと思いますが、大気汚染などで次々に倒れなければいいなぁと思ってしまいます。
開運の神社・パワースポット【関東篇】
↑開運グッズを販売しているようですが、パワースポット検索には良いかもしれません。
日光東照宮のホームページ
日光タグ、関連記事はここからどうぞ。
2015年12月13日
日光東照宮にブラタモリ 合わせて記事UP。
ブラタモリも、とうとう秋の日光をブラブラです。
日光の鳥居から、何故か漆塗りまで、意外な展開です。
ブラタモリでは、東照宮の鳥居の階段について触れていましたが、一応自分も鳥居のショットだけは撮ってありました。
東照宮は何度か行っていますが、一応見に行っただけ。いつも思うことです。
ただ、何度か行っていると、少しづつ知識も増えていきます。
ブラタモリでは、参道の菱形の石畳の方向が誘導サインだとか・・・・。
この石畳と、想像した象、三猿が初めの見所です。
現在、陽明門は修復中で、すっぽり覆われています。
平成の大修理だそうですが、この写真で当分は一目瞭然ですよね。
一応ここが、観光の記念撮影場所になっていますが、よって通常のように記念写真に陽明門は入りません。
修理中の陽明門の通路を通り抜ければ、確か唐門が正面に見えてきます。
また、右手には確か眠り猫です。
日光へは何度か来ていますが、ドライブに来ているだけ、駐車場に入れて、拝観料を払って東照宮に入ったのは、三度目でしょうか。
そんな気がします。
日光東照宮のホームページ
日光タグ、関連記事はここからどうぞ。
大介です。
さて、ブラタモリの後半、漆塗り体験で出てきた鳥居の額、書いてある神社名は、「冠稲荷神社」のようです。
栃木県のお隣、群馬県太田市にある神社のようです。
冠稲荷神社 のホームページ
つづく
日光の鳥居から、何故か漆塗りまで、意外な展開です。
ブラタモリでは、東照宮の鳥居の階段について触れていましたが、一応自分も鳥居のショットだけは撮ってありました。
東照宮は何度か行っていますが、一応見に行っただけ。いつも思うことです。
ただ、何度か行っていると、少しづつ知識も増えていきます。
ブラタモリでは、参道の菱形の石畳の方向が誘導サインだとか・・・・。
この石畳と、想像した象、三猿が初めの見所です。
現在、陽明門は修復中で、すっぽり覆われています。
平成の大修理だそうですが、この写真で当分は一目瞭然ですよね。
一応ここが、観光の記念撮影場所になっていますが、よって通常のように記念写真に陽明門は入りません。
修理中の陽明門の通路を通り抜ければ、確か唐門が正面に見えてきます。
また、右手には確か眠り猫です。
日光へは何度か来ていますが、ドライブに来ているだけ、駐車場に入れて、拝観料を払って東照宮に入ったのは、三度目でしょうか。
そんな気がします。
日光東照宮のホームページ
日光タグ、関連記事はここからどうぞ。
大介です。
さて、ブラタモリの後半、漆塗り体験で出てきた鳥居の額、書いてある神社名は、「冠稲荷神社」のようです。
栃木県のお隣、群馬県太田市にある神社のようです。
冠稲荷神社 のホームページ
つづく
2015年12月06日
「ボーイズビーアンビシャス」クラーク博士と札幌時計台(空道V5)
札幌時計台、北海道土産といえば、時計台のシルエットが載っています。
やっぱり、札幌市内ですから見ないわけはありません。
金曜の夜、嵐コンサートの真っ只中、入れる居酒屋を探すのも一苦労です。
渡航3名、二日目の夜の宿はバラバラです。タクシーでも一時間近くかかってしまいました。
よって、3名で飲み始めた時間は既に9時近くだったように思います。
座ってじっくり食べるというより、二日目はもつ鍋で、腹ごしらえです。
これもまた具材が新鮮で美味しかったです。
さて、本題の札幌時計台は、ホテルへの徒歩での帰途途中だったため札幌駅へ向かって歩き始めました。
大通り公園の電波塔を横目に進めば、時計台です。
見たからどうだってことは特にありません。一応観光地です。
これではネタにならないので、調べてみました。
大介です。
ネットで調べてみると、この札幌時計台は、旧札幌農学校演武場だったようです。時計は後からついたようです。
明治35年ころまでは「農学校の大時計」といわれていました。
何時のころから時計台とよばれるようになったかはっきりしません。
初めは「農学校の大時計」と呼ばれていました。
有島武郎の星座(大正10年)では「演武場の片隅にある時計台」とあり、大正11年に高階哲夫は「時計台の鐘」を作詞作曲しています。
これらから明治時代は農学校の大時計、又は演武場の時計台といわれていたものが、大正時代に「時計台」と呼ぶのが一般化したようです。 札幌時計台HPより引用
また、「ボーイズビーアンビシャス」クラーク博士の言葉は、日本を立つときの言葉。クラーク博士は明治9年に農学校の初代教頭になった人物で教育方針を決めた人だったようです。
と、クラーク博士は、有名な割に、在任期間8ヶ月と短かったんですね。
このくらい、覚えておげば、時計台を見たかいがあった。このブログを読んでくれたかいがあっんじゃないかと自己満足です。
札幌市の公式観光サイト
札幌時計台HP
さっぽろテレビ棟のHP
やっぱり、札幌市内ですから見ないわけはありません。
金曜の夜、嵐コンサートの真っ只中、入れる居酒屋を探すのも一苦労です。
渡航3名、二日目の夜の宿はバラバラです。タクシーでも一時間近くかかってしまいました。
よって、3名で飲み始めた時間は既に9時近くだったように思います。
座ってじっくり食べるというより、二日目はもつ鍋で、腹ごしらえです。
これもまた具材が新鮮で美味しかったです。
さて、本題の札幌時計台は、ホテルへの徒歩での帰途途中だったため札幌駅へ向かって歩き始めました。
大通り公園の電波塔を横目に進めば、時計台です。
見たからどうだってことは特にありません。一応観光地です。
これではネタにならないので、調べてみました。
大介です。
ネットで調べてみると、この札幌時計台は、旧札幌農学校演武場だったようです。時計は後からついたようです。
明治35年ころまでは「農学校の大時計」といわれていました。
何時のころから時計台とよばれるようになったかはっきりしません。
初めは「農学校の大時計」と呼ばれていました。
有島武郎の星座(大正10年)では「演武場の片隅にある時計台」とあり、大正11年に高階哲夫は「時計台の鐘」を作詞作曲しています。
これらから明治時代は農学校の大時計、又は演武場の時計台といわれていたものが、大正時代に「時計台」と呼ぶのが一般化したようです。 札幌時計台HPより引用
また、「ボーイズビーアンビシャス」クラーク博士の言葉は、日本を立つときの言葉。クラーク博士は明治9年に農学校の初代教頭になった人物で教育方針を決めた人だったようです。
と、クラーク博士は、有名な割に、在任期間8ヶ月と短かったんですね。
このくらい、覚えておげば、時計台を見たかいがあった。このブログを読んでくれたかいがあっんじゃないかと自己満足です。
札幌市の公式観光サイト
札幌時計台HP
さっぽろテレビ棟のHP