2015年11月23日
「ブラタモリ」で碓氷峠を放送 碓氷峠鉄道文化むら を見た気分に。
ブラタモリで、軽井沢のアプト式の碓氷峠をピックアップしていのを見てなんか、また旅行した気分になってしまいました。
碓氷峠、碓氷第三橋梁 日本で最初のアプト式鉄道の地です。
前の記事で碓氷峠のことも書きましたが、まだUPしていない写真など見返してみました。
ブラタモリで放送されていた、
「碓氷峠鉄道文化むら」
ほんとは、入ってみたかったのですが、強行軍の車中泊ではちょっと時間がとれなかったのです。
ただ、柵の外から写真を撮ってきました。
群馬県側のよこかわ駅、駐車場にはまだ線路が舗装道路から見えていて、ここは以前引き込み線かホームだったんだろうなということがわかります。
碓氷峠で感じることは、時の流れ、時代の流れを感じさせるということでしょうか。
明治から平成まで、時代が碓氷峠に何を求めていたのか、刻々と変わっていく物流、人の流れの変化によってこの碓氷峠の交通手段も刻々と変わってきていることがわかります。
最初は鉄道による物流のようで、時代とともに輸送量を増やして行きます。
その次は車へと変化、モータリゼーションによるスピードUP。
と、最後は長野新幹線開通に伴い当初の役目が終わっていったように見えます。
と、そんなことを、写真を見ながら考えてみると、100年余りの激動の日本がここ、碓氷に凝縮しているようにも思えます。
さらに、この碓氷峠が他の峠と異なることは、時代と共に、そして交通機関などの変化と共に、まったく異なるルートで峠超えをしてきたことです。
ほとんどの峠において、同様な近くを通るのに対して、車で来ても、まったく異なるので混乱してしまいます。
はじめは、中山道の籠の時代、そして、道路と鉄道、道路のバイパスの開通、高速道路、新幹線、と、まったくと言っていいほど異なるルートで繋がれていることです。
ブラタモリでは、よこかわから、軽井沢の高原までの、尾根伝いの江戸時代の峠道も紹介していましたが、比較すれば明治維新からいかに激動してきたかがわかります。
まあ、特に事前に調べて下道の旅に出るわけではないですが、最近ブラタモリの東日本の旅先のほとんどがかぶってきて、改めて旅先の知識を掘り起こして見せてくれます。
碓氷峠鉄道文化むら
碓氷峠 - Wikipedia
碓氷峠、碓氷第三橋梁 日本で最初のアプト式鉄道の地です。
前の記事で碓氷峠のことも書きましたが、まだUPしていない写真など見返してみました。
ブラタモリで放送されていた、
「碓氷峠鉄道文化むら」
ほんとは、入ってみたかったのですが、強行軍の車中泊ではちょっと時間がとれなかったのです。
ただ、柵の外から写真を撮ってきました。
群馬県側のよこかわ駅、駐車場にはまだ線路が舗装道路から見えていて、ここは以前引き込み線かホームだったんだろうなということがわかります。
碓氷峠で感じることは、時の流れ、時代の流れを感じさせるということでしょうか。
明治から平成まで、時代が碓氷峠に何を求めていたのか、刻々と変わっていく物流、人の流れの変化によってこの碓氷峠の交通手段も刻々と変わってきていることがわかります。
最初は鉄道による物流のようで、時代とともに輸送量を増やして行きます。
その次は車へと変化、モータリゼーションによるスピードUP。
と、最後は長野新幹線開通に伴い当初の役目が終わっていったように見えます。
と、そんなことを、写真を見ながら考えてみると、100年余りの激動の日本がここ、碓氷に凝縮しているようにも思えます。
さらに、この碓氷峠が他の峠と異なることは、時代と共に、そして交通機関などの変化と共に、まったく異なるルートで峠超えをしてきたことです。
ほとんどの峠において、同様な近くを通るのに対して、車で来ても、まったく異なるので混乱してしまいます。
はじめは、中山道の籠の時代、そして、道路と鉄道、道路のバイパスの開通、高速道路、新幹線、と、まったくと言っていいほど異なるルートで繋がれていることです。
ブラタモリでは、よこかわから、軽井沢の高原までの、尾根伝いの江戸時代の峠道も紹介していましたが、比較すれば明治維新からいかに激動してきたかがわかります。
まあ、特に事前に調べて下道の旅に出るわけではないですが、最近ブラタモリの東日本の旅先のほとんどがかぶってきて、改めて旅先の知識を掘り起こして見せてくれます。
碓氷峠鉄道文化むら
碓氷峠 - Wikipedia
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