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2015年11月27日
妙義温泉「もみじの湯」小奇麗なほっとする温泉です。
過去にUPしたネタなのかどうか分からなくなってきました。
検索しても出てこないので、重複ネタではないとは思いますが・・・悪しからず。
旅先で疲れを癒すのはやっぱりお風呂です。
下道の旅ですからねたとえ、ホテルに泊まっても、なかなか大浴場ってなわけにもいきませんので、道すがらこおいったお風呂や、温泉にはいれば疲れも多少回復。
ご紹介の妙義温泉「もみじの湯」、スマホはまだもってませんので、雑誌か何かで見つけたんだと思います。
場所は道の駅「みょうぎ」近くの高台、あるふれあいプラザです。
富岡市の運営で、「ふれあいプラザは介護保険制度の導入をふまえ、介護状態になることを予防する施設として整備されました。」と書いてあります。
2014年末、改装したらしく、施設はとっても綺麗です。
これで、3時間、510円で入浴できます。温泉は単純泉だったと思いますが、富岡市を望む露天風呂も男女共にあります。
ふれあいプラザなので、ロビーの休憩スペースも自由に使用でき、安楽椅子もあるのでとってもいいですね。
また、ここの温泉のタオルは、ブルーでとっても鮮やかです。お土産にもなります。
普通、白地に温泉名と電話番号程度ですが、妙義山と文字が白抜きで描かれ、他の温泉に行った時に使ってもなんとなく見栄えがいいです。
温泉のタオルって、薄くて安っぽいですが、お風呂で使うにはとっても使いやすいと常々思っています。
無計画な旅にしては、良い温泉にたどりつきました。
妙義山、妙義神社の近く、オススメです。
★近隣スポット記事
サニーVZ-R 妙義山へ遠征「頭文字D」のタイヤ痕。
妙義ふれあいプラザ、妙義温泉「もみじの湯」 (富岡市のHP)
検索しても出てこないので、重複ネタではないとは思いますが・・・悪しからず。
旅先で疲れを癒すのはやっぱりお風呂です。
下道の旅ですからねたとえ、ホテルに泊まっても、なかなか大浴場ってなわけにもいきませんので、道すがらこおいったお風呂や、温泉にはいれば疲れも多少回復。
ご紹介の妙義温泉「もみじの湯」、スマホはまだもってませんので、雑誌か何かで見つけたんだと思います。
場所は道の駅「みょうぎ」近くの高台、あるふれあいプラザです。
富岡市の運営で、「ふれあいプラザは介護保険制度の導入をふまえ、介護状態になることを予防する施設として整備されました。」と書いてあります。
2014年末、改装したらしく、施設はとっても綺麗です。
これで、3時間、510円で入浴できます。温泉は単純泉だったと思いますが、富岡市を望む露天風呂も男女共にあります。
ふれあいプラザなので、ロビーの休憩スペースも自由に使用でき、安楽椅子もあるのでとってもいいですね。
また、ここの温泉のタオルは、ブルーでとっても鮮やかです。お土産にもなります。
普通、白地に温泉名と電話番号程度ですが、妙義山と文字が白抜きで描かれ、他の温泉に行った時に使ってもなんとなく見栄えがいいです。
温泉のタオルって、薄くて安っぽいですが、お風呂で使うにはとっても使いやすいと常々思っています。
無計画な旅にしては、良い温泉にたどりつきました。
妙義山、妙義神社の近く、オススメです。
★近隣スポット記事
サニーVZ-R 妙義山へ遠征「頭文字D」のタイヤ痕。
妙義ふれあいプラザ、妙義温泉「もみじの湯」 (富岡市のHP)
2015年11月25日
北海道大学植物園 人口200万都市札幌のど真ん中(空道V2)
せっかく、仕事で渡った北海道、時間があったらちょっと足を伸ばしたかった。
でも時間がなかったので、道すがらのカメラ爺です。
嵐コンサートのため、二日目の夜は出張3人バラバラのホテルです。
自分は、ホテルさっぽろ弥生、JR札幌駅から、徒歩20分くらいでしようか。
帰る日の朝、早めにホテルをチェックアウト、札幌駅へ徒歩で向かうことにしました。
ホテルから出ると、分離帯の中央が歩ける広い道路をはじらく歩けば、森につきあたりました。
夜タクシーで向かう時にも何だろうとは思っていました。
と、都会の真ん中に大きな植物園です。樹木が鬱蒼と茂っています。
札幌はすでに晩秋、もうすく散りそうな葉っぱが、かろうじてついています。
まだ紅葉も残っていますが、どんよりとした空と相まって寂しい感じです。
森と歩道はフェンスで区切られ、枯葉の落ちる歩道を駅にかって歩いていると、「植物園」というプレートがありました。
この森は「植物園」です。
ふと、大木の根元の枯葉の上で動くもの見えたので、目を凝らしてみると、リスです。
たぶん、えぞリスでしょうか、落ち着きの無い俊敏な動きです。
何枚か手持ちのコンデジでズームUP、なんとか抑えました。
ちなみにこの広さってどれくらいなんだう?!
大介です。
この植物園、たぶん札幌に観光に来ても入ることはないんだろうなぁなんて思います。
ただ、都会の中にこおいう森林があることはとってもいいですよね。
北海道大学植物園
正式名称 北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園
所在地 北海道札幌市中央区北三条西8丁目
開園年 1886
面積 13.3ヘクタール
北大植物園について
「北海道大学植物園HPより引用」
北大植物園は、1886(明治19)年に設置されて以来、札幌農学校、北海道大学の教育・研究の場として活動を続けるとともに、札幌市民の憩いの場、社会教育の場としての役割を果たしてきました。
園内には研究用に収集された約4,000種類の植物が教育効果をもたらすような形で栽植されていて、花を愛でるだけではなく植物そのものについて学ぶことができるような環境が整備されています。
また、園内の博物館では北海道の自然・文化・歴史を学ぶことができます。
同時に、札幌の原地形を残す環境で小鳥のさえずりを聞きながらゆっくりとくつろぐこともできます。
園内では、授業や研究活動が頻繁に行われています。
研究者や大学生の調査活動の様子を身近に感じていただき、北海道大学の活動に関心を持っていただければ幸いです。
でも時間がなかったので、道すがらのカメラ爺です。
嵐コンサートのため、二日目の夜は出張3人バラバラのホテルです。
自分は、ホテルさっぽろ弥生、JR札幌駅から、徒歩20分くらいでしようか。
帰る日の朝、早めにホテルをチェックアウト、札幌駅へ徒歩で向かうことにしました。
ホテルから出ると、分離帯の中央が歩ける広い道路をはじらく歩けば、森につきあたりました。
夜タクシーで向かう時にも何だろうとは思っていました。
と、都会の真ん中に大きな植物園です。樹木が鬱蒼と茂っています。
札幌はすでに晩秋、もうすく散りそうな葉っぱが、かろうじてついています。
まだ紅葉も残っていますが、どんよりとした空と相まって寂しい感じです。
森と歩道はフェンスで区切られ、枯葉の落ちる歩道を駅にかって歩いていると、「植物園」というプレートがありました。
この森は「植物園」です。
ふと、大木の根元の枯葉の上で動くもの見えたので、目を凝らしてみると、リスです。
たぶん、えぞリスでしょうか、落ち着きの無い俊敏な動きです。
何枚か手持ちのコンデジでズームUP、なんとか抑えました。
ちなみにこの広さってどれくらいなんだう?!
大介です。
この植物園、たぶん札幌に観光に来ても入ることはないんだろうなぁなんて思います。
ただ、都会の中にこおいう森林があることはとってもいいですよね。
北海道大学植物園
正式名称 北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園
所在地 北海道札幌市中央区北三条西8丁目
開園年 1886
面積 13.3ヘクタール
北大植物園について
「北海道大学植物園HPより引用」
北大植物園は、1886(明治19)年に設置されて以来、札幌農学校、北海道大学の教育・研究の場として活動を続けるとともに、札幌市民の憩いの場、社会教育の場としての役割を果たしてきました。
園内には研究用に収集された約4,000種類の植物が教育効果をもたらすような形で栽植されていて、花を愛でるだけではなく植物そのものについて学ぶことができるような環境が整備されています。
また、園内の博物館では北海道の自然・文化・歴史を学ぶことができます。
同時に、札幌の原地形を残す環境で小鳥のさえずりを聞きながらゆっくりとくつろぐこともできます。
園内では、授業や研究活動が頻繁に行われています。
研究者や大学生の調査活動の様子を身近に感じていただき、北海道大学の活動に関心を持っていただければ幸いです。
2015年11月23日
「ブラタモリ」で碓氷峠を放送 碓氷峠鉄道文化むら を見た気分に。
ブラタモリで、軽井沢のアプト式の碓氷峠をピックアップしていのを見てなんか、また旅行した気分になってしまいました。
碓氷峠、碓氷第三橋梁 日本で最初のアプト式鉄道の地です。
前の記事で碓氷峠のことも書きましたが、まだUPしていない写真など見返してみました。
ブラタモリで放送されていた、
「碓氷峠鉄道文化むら」
ほんとは、入ってみたかったのですが、強行軍の車中泊ではちょっと時間がとれなかったのです。
ただ、柵の外から写真を撮ってきました。
群馬県側のよこかわ駅、駐車場にはまだ線路が舗装道路から見えていて、ここは以前引き込み線かホームだったんだろうなということがわかります。
碓氷峠で感じることは、時の流れ、時代の流れを感じさせるということでしょうか。
明治から平成まで、時代が碓氷峠に何を求めていたのか、刻々と変わっていく物流、人の流れの変化によってこの碓氷峠の交通手段も刻々と変わってきていることがわかります。
最初は鉄道による物流のようで、時代とともに輸送量を増やして行きます。
その次は車へと変化、モータリゼーションによるスピードUP。
と、最後は長野新幹線開通に伴い当初の役目が終わっていったように見えます。
と、そんなことを、写真を見ながら考えてみると、100年余りの激動の日本がここ、碓氷に凝縮しているようにも思えます。
さらに、この碓氷峠が他の峠と異なることは、時代と共に、そして交通機関などの変化と共に、まったく異なるルートで峠超えをしてきたことです。
ほとんどの峠において、同様な近くを通るのに対して、車で来ても、まったく異なるので混乱してしまいます。
はじめは、中山道の籠の時代、そして、道路と鉄道、道路のバイパスの開通、高速道路、新幹線、と、まったくと言っていいほど異なるルートで繋がれていることです。
ブラタモリでは、よこかわから、軽井沢の高原までの、尾根伝いの江戸時代の峠道も紹介していましたが、比較すれば明治維新からいかに激動してきたかがわかります。
まあ、特に事前に調べて下道の旅に出るわけではないですが、最近ブラタモリの東日本の旅先のほとんどがかぶってきて、改めて旅先の知識を掘り起こして見せてくれます。
碓氷峠鉄道文化むら
碓氷峠 - Wikipedia
碓氷峠、碓氷第三橋梁 日本で最初のアプト式鉄道の地です。
前の記事で碓氷峠のことも書きましたが、まだUPしていない写真など見返してみました。
ブラタモリで放送されていた、
「碓氷峠鉄道文化むら」
ほんとは、入ってみたかったのですが、強行軍の車中泊ではちょっと時間がとれなかったのです。
ただ、柵の外から写真を撮ってきました。
群馬県側のよこかわ駅、駐車場にはまだ線路が舗装道路から見えていて、ここは以前引き込み線かホームだったんだろうなということがわかります。
碓氷峠で感じることは、時の流れ、時代の流れを感じさせるということでしょうか。
明治から平成まで、時代が碓氷峠に何を求めていたのか、刻々と変わっていく物流、人の流れの変化によってこの碓氷峠の交通手段も刻々と変わってきていることがわかります。
最初は鉄道による物流のようで、時代とともに輸送量を増やして行きます。
その次は車へと変化、モータリゼーションによるスピードUP。
と、最後は長野新幹線開通に伴い当初の役目が終わっていったように見えます。
と、そんなことを、写真を見ながら考えてみると、100年余りの激動の日本がここ、碓氷に凝縮しているようにも思えます。
さらに、この碓氷峠が他の峠と異なることは、時代と共に、そして交通機関などの変化と共に、まったく異なるルートで峠超えをしてきたことです。
ほとんどの峠において、同様な近くを通るのに対して、車で来ても、まったく異なるので混乱してしまいます。
はじめは、中山道の籠の時代、そして、道路と鉄道、道路のバイパスの開通、高速道路、新幹線、と、まったくと言っていいほど異なるルートで繋がれていることです。
ブラタモリでは、よこかわから、軽井沢の高原までの、尾根伝いの江戸時代の峠道も紹介していましたが、比較すれば明治維新からいかに激動してきたかがわかります。
まあ、特に事前に調べて下道の旅に出るわけではないですが、最近ブラタモリの東日本の旅先のほとんどがかぶってきて、改めて旅先の知識を掘り起こして見せてくれます。
碓氷峠鉄道文化むら
碓氷峠 - Wikipedia