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ギタリストでたどるデュークのブランド

 今回は、Bobby Blue Blandのデューク時代、それもまだシングルが中心だった時代を、ギタリストの変遷でたどってみたいと思います。


Roy Gaines
 It's My Life Baby /Houston 55年
 Honey Bee /Houston 55年
 
 
 デュークの2枚看板、ボビー・ブランドとジュニア・パーカーですが、先に成功したのはパーカーでした。
 ブランドは、当初パーカーの運転手をしていたという話もあります。

 そんなブランドが、一皮むけて成功へのヒントをつかんだのが、It's My Life Babyという曲だと思います。
 この時のギターが、ロイ・ゲインズでした。

Cralense Holliman
 I Don't Beliave /Houston 56年
 Don't Want No Woman /Houston 57年
 I Small Trouble /Houston 57年


 そして、クラレンス・ハラマンの登場です。
 この時期、先輩格のパーカーは、パット・ヘアを多用して、Next Time You See MeMother-In-Law Bluesのような傑作を吹き込んでいます。

 しかし、ブランドもエースを見つけました。
 I Small Troubleや、Don't Want No Womanなど、後々まで多くの人の記憶に残る代表曲を録音したのでした。

Pat Hare  
 Farther Up The Road /Houston 57年
 

 そんなブランドも、パット・ヘアと組んでいます。
 そうして生まれたのが、みんな大好きな名曲、Farther Up The Roadでした。

 この曲によって、ブランドは始めてチャート上で成功を収め、以後、大きな注目を受けるようになります。
 この曲は、多くのアーティストがカバーしていて、Farther On Up The Roadとか、Farther On Down The Roadとかいった別表記があります。
 歌詞を虚心に聴くと、Farther On Up と聞こえます。

 原曲の正式な表記は、Farther Up The Roadだけれど、実際にはFarther On Up The Roadと歌っているというのが正解ではないでしょうか?
 ただ、Farther On Down THe Roadと歌っている人も複数いて、なぜそのようになったのか、私は以前から知りたく思っています。 

 最も有名なクラプトンのバージョンは、彼らしい癖のない、あっさりしたテイストですね。
 私には、少し物足りなかったりします。

 私は、やはりダグ・サーム盤が好きです。
 オーギー・マイヤースとの共同名義で出された83年のアルバム、West Side Sound Rolls Againに収録されていて、間奏でのメンバーのソロ回しが最高にわくわくさせてくれる、7分を超える大作に仕上がっています。

Cralense Holliman
 I'm Not Ashamed /Houston 58年
 (Little Boy Blue /Houston 58年)


 この2曲も素晴らしいく良いです。
 いよいよ、ブランドの個性が独自性を発揮し始めていると感じます。

 Little Boy Blueは、93年発売の米MCA盤、Duke-Peacock Recordings Vol.Oneのライナーでは、ウェイン・ベネットがギターを弾いたと記述されていますが、01年発売の米MCA盤、The Anthologyでは、クラレンス・ハラマンと記載されています。


 また、ハラマンの表記は、93年盤ではHollomanですが、01年盤ではHollimanとなっています。

Wayne Bennett
 (Little Boy Blue /Houston 58年)
 I'll Take Care Of You /Houston 59年
 Cry Cry Cry /Chicago 60年
 I Pity The Fool /Chicago 60年
 Two Step From The Blues /Chicago 60年
 Don't Cry No More /Chicago 60年
 Ain't That Lovin' You /Chicago 61年
 Who Will The Next Fool Be /Chicago 61年
 Stormy Monday Blues /Nashville 61年
 Turn On Your Love Light /Nashville 61年
 Yield Not To Temptation /Los Angeles 62年
 33-22-36 /Chicago 62年


 そして、黄金時代が到来します。
 60年代になると、ヒューストンを離れ、シカゴやロス、ナッシュビルなどでも録音するようになりますが、完全にウェイン・ベネットがエースとなって、ブランドを支えるようになります。

 I'll Take Care Of Youのようなバラードも、I Pity The Foolのような、後にゴスペル・ブルースと呼ばれるようになるスタイルも、この時期に完成されたのでした。

 もう綺羅星のような名曲、名演ぞろいで、ボビー・ブランドのスタイルが、ブルース、リズム・アンド・ブルース界に大きな影響を与えたのも、容易にうなづける、ため息が出そうな名作群です。

 急にクラレンス・ハラマンが起用されなくなったのが解せませんが、あるいはテキサスを動かず、地元のアーティストをサボートし続けたのかも知れません。

 キャロル・フランとの邂逅まで、クラレンス・ハラマンのその後の足跡を知りたいと思いだした私なのでした。





 こちらは、Farther On Down The Roadと歌っています
 ロイ・ブキャナンとアルバート・コリンズを従えてボーカルをとっているのは、 ロニー・マックです。
 コリンズのカポタストの位置が極端で、すごく気になります




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