2021年02月20日
失敗したら 失言したら・・・。
来月の3月11日で、東北大震災が10年の歳月が経つ。
崩壊した建物や防波堤などは、復旧したが、
原発や地域経済や居住などの問題はまだまだ未解決である。
特に、原発は10年たっても廃炉は未だに進まずである。
そもそも、廃炉にしても、日本には廃炉をして処分するところがないのである。
部屋にゴミ箱がないもと同じである。
候補地がようやく、北海道が3箇所現れたが、早速反対の議会や市民団体が動いている。
それは、至極自然のことと思うことである。
だが、避けては通れないことであり、福島第一原発の廃炉や現存している原発の廃炉を次々出てくる。
それには、莫大な予算がまた必要になる。

私は、原発は反対であるが、次なるコストが安くなり、次世代の発電システムがでるまで、新たな安全策を講じ、リスク対応ができた原発は、稼働させるべきと考える次第であります。
発電コストは、もうある既存のものであるから火力よりも、はたまた風力や太陽光発電も高コストである。
原発の低コストで、廃炉処理するコストを捻出するのである。
後10年ぐらいで、日本の原子炉のほとんど設計寿命になるのである。
時間はないのである。
それまでに、廃炉とそのコストを捻出して、次なる未来の発電システムを発展することである。
今、日本の電力は、世界一高い、我々国民の電気代コスト安くしたいし、日本の製造業にしても、電力コストがネックで海外に製造拠点を持っていかざるを得ないのである。
特に東北大震災以降は、企業の海外への投資と製造拠点の移転が著しい。
製造拠点コストは、生産設備・人件費・エネルギーコストの3つと言われる。
日本は製造機械では、世界でもまだ、先端を走っているが完成品製造工場は少ない。
それは、電力コストが問題である。
原発稼働には、様々な問題と東北大震災の教訓である
しかし、福島第一原発で事故を起こしたのは原子炉6つの内、4つが事故を起こしたが2つは大丈夫だった。
震災にも耐え、津波にも耐えた2つある。また、北海道から東日本沿岸には、様々な原発があり、問題がなかったのである。
それこそ、安全を証明したものであり、その後のストレスチェック・津波対策・テロ対策と様々な対応がなされれている。後は、その県の知事の認可である。
2011年以降 日本人が悪くなったことは
一度の失敗・一度の過ち・一度の失言で
糾弾され、メディアリンチにされ、法で裁かれるのではなく世間の批判で裁かれるようになった。
特に芸能人や政治家はそのために引退や二度と世間から出てこれなくなるようなことが多くなったような気がする。
許すことや寛容さがどんどん忘れられているような気がする。
ここで、西郷隆盛の南洲翁遺訓 第27訓の引用をします。
過ちを改めるに、自ら過ったとさへ思ひ付かば、夫れにて善し、其事をば棄てて顧みず、直に一歩踏出す可し。過を悔しく思い、取繕はんと心配するは、譬へば茶碗を割り、其欠けらを集め、合せ見るも同じにて、詮もなきこと也。
現代訳
過ちを犯したり、失敗したりしたとき、それを認め、改めるにはどうすればよいか。
大切なことは、自分自身が「間違った」と気づけば、それでよい。
決して失敗にこだわり続けるのではなく、気持ちを切り替えて、すぐに新しい一歩を踏み出し、前へと進んでいくべきである。
いつまでも犯した過ちを悔やんで、くよくよ思い返してみても、何も良くならない。そればかりか、あれこれ取り繕おうという気持ちがもたげてくる。
それは、たとえば茶碗を割り、そのかけらを集めてつなぎあわせ、なかったことにしようとするのと同じこと。何の役にも立ちはしないのである。
東北大震災以降 インフラは復興したけど
人の考えは、茶碗のかけらを集めて何の役にもたたないことを10年間やっていたように感じる次第であります。
これからは、南洲翁が言うように「直に一歩踏出す可し」と信じる次第であります。

最後まで読んで頂いて有難うございます。
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稲盛和夫が書いた日本の行末や経営の学びになる南洲翁遺訓の本です。


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森信三が書いた修身や道徳を織り込んだ内容の南洲翁遺訓の本です。


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西郷隆盛の歴史的背景もわかる南洲翁遺訓の本です。


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原発や地域経済や居住などの問題はまだまだ未解決である。
特に、原発は10年たっても廃炉は未だに進まずである。
そもそも、廃炉にしても、日本には廃炉をして処分するところがないのである。
部屋にゴミ箱がないもと同じである。
候補地がようやく、北海道が3箇所現れたが、早速反対の議会や市民団体が動いている。
それは、至極自然のことと思うことである。
だが、避けては通れないことであり、福島第一原発の廃炉や現存している原発の廃炉を次々出てくる。
それには、莫大な予算がまた必要になる。
私は、原発は反対であるが、次なるコストが安くなり、次世代の発電システムがでるまで、新たな安全策を講じ、リスク対応ができた原発は、稼働させるべきと考える次第であります。
発電コストは、もうある既存のものであるから火力よりも、はたまた風力や太陽光発電も高コストである。
原発の低コストで、廃炉処理するコストを捻出するのである。
後10年ぐらいで、日本の原子炉のほとんど設計寿命になるのである。
時間はないのである。
それまでに、廃炉とそのコストを捻出して、次なる未来の発電システムを発展することである。
今、日本の電力は、世界一高い、我々国民の電気代コスト安くしたいし、日本の製造業にしても、電力コストがネックで海外に製造拠点を持っていかざるを得ないのである。
特に東北大震災以降は、企業の海外への投資と製造拠点の移転が著しい。
製造拠点コストは、生産設備・人件費・エネルギーコストの3つと言われる。
日本は製造機械では、世界でもまだ、先端を走っているが完成品製造工場は少ない。
それは、電力コストが問題である。
原発稼働には、様々な問題と東北大震災の教訓である
しかし、福島第一原発で事故を起こしたのは原子炉6つの内、4つが事故を起こしたが2つは大丈夫だった。
震災にも耐え、津波にも耐えた2つある。また、北海道から東日本沿岸には、様々な原発があり、問題がなかったのである。
それこそ、安全を証明したものであり、その後のストレスチェック・津波対策・テロ対策と様々な対応がなされれている。後は、その県の知事の認可である。
2011年以降 日本人が悪くなったことは
一度の失敗・一度の過ち・一度の失言で
糾弾され、メディアリンチにされ、法で裁かれるのではなく世間の批判で裁かれるようになった。
特に芸能人や政治家はそのために引退や二度と世間から出てこれなくなるようなことが多くなったような気がする。
許すことや寛容さがどんどん忘れられているような気がする。
ここで、西郷隆盛の南洲翁遺訓 第27訓の引用をします。
過ちを改めるに、自ら過ったとさへ思ひ付かば、夫れにて善し、其事をば棄てて顧みず、直に一歩踏出す可し。過を悔しく思い、取繕はんと心配するは、譬へば茶碗を割り、其欠けらを集め、合せ見るも同じにて、詮もなきこと也。
現代訳
過ちを犯したり、失敗したりしたとき、それを認め、改めるにはどうすればよいか。
大切なことは、自分自身が「間違った」と気づけば、それでよい。
決して失敗にこだわり続けるのではなく、気持ちを切り替えて、すぐに新しい一歩を踏み出し、前へと進んでいくべきである。
いつまでも犯した過ちを悔やんで、くよくよ思い返してみても、何も良くならない。そればかりか、あれこれ取り繕おうという気持ちがもたげてくる。
それは、たとえば茶碗を割り、そのかけらを集めてつなぎあわせ、なかったことにしようとするのと同じこと。何の役にも立ちはしないのである。
東北大震災以降 インフラは復興したけど
人の考えは、茶碗のかけらを集めて何の役にもたたないことを10年間やっていたように感じる次第であります。
これからは、南洲翁が言うように「直に一歩踏出す可し」と信じる次第であります。
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