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2019年12月21日

大学で教えて実感した「ニュースを読む学生と読ま無い学生」の知的格差




 




 大学で教えて実感した 「ニュースを読む学生と読ま無い学生」の知的格差


            〜GLOBE+ 白戸圭一 12/21(土) 11:34配信〜

 「近年、学生の学力の低下が著しいです。ご自身が学生だった当時の感覚で講義を実施すると、講義を全く理解出来無い学生が多数居る事に注意された方が好いと思います・・・」


           12-21-18.jpg

           立命館大学国際関係学部教授 白戸圭一氏

 2018年4月、母校である立命館大学国際関係学部の教授に就任する際、或るベテラン教授からそんな助言を頂いた。本当にそうなのだろうか?そんな疑問を胸に教壇に立つ様に為って1年8カ月。見えて来た事がある。

 「安倍首相は再登板」知ら無い学生

 私は30年以上前の1989年4月に入学し、1993年3月に卒業した。昔の事なのでハッキリ覚えては居ないのだが、当時の立命館大学国際関係学部の偏差値は、確か60台の後半から70位だった様に思う。この30年間で、母校の偏差値はどう為ったのか?
 そこで、2019年版の教育産業各社の偏差値ランキングを眺めて見た。すると、模擬試験を実施して居る会社によって偏差値は微妙に異なるが、30年前と比べて大きく下落した様には見え無い。少なくとも、大学受験と云う意味においては、入学して来る若者の偏差値レベルが大きく低下したと云う事では無さそうである。

 だが、教壇に立つ中で、思わず「エ?」と声を上げてしまった事はある。或る講義で、安倍政権が時々スキャンダルに見舞われ乍らも一定の支持率を維持し続けて居る理由に付いて考察した時の事。私は「安倍晋三首相が1度目の政権での失敗を教訓にし乍ら政権運営して居る事も、支持率維持の理由の一つではないか」と云う趣旨の話をした。
 その時、私は何人かの学生の顔が「教授が何を言って居るのか分から無い」と訴え掛けて居るのを察知し、念の為に「安倍首相は2006年〜2007年に1度首相を務めて居ます。現政権は2回目の登板である事を知って居ますか?」と学生達に尋ねてみた。

 私の勘は的中した。何人かの学生は、安倍首相が再登板である事実を知ら無かったのである。それを知ら無ければ、現政権が支持率を維持し続けて居る理由に付いて考察する講義そのものが成立し無い。
 又或る時、私は外交政策と世論の関係に付いての講義を試みた。問題を考察する為の事例として取り上げたのは、小泉純一郎首相の北朝鮮訪問によって拉致被害者が帰国した際の日本国内の世論であった。だが、この時も、想定外の事態が起きた。小泉純一郎と云う首相が存在した事実そのものを知ら無い学生が居たのである。もし、このレベルの学生に講義を理解して貰うの為らば、小泉氏と云う人物の存在を説き、同氏が北朝鮮を訪問した最初にして唯一の日本の首相である事実を説き、拉致被害者の存在を説明し・・・と話を続けざるを得ない。







 時事ニュースに触れる人と触れ無い人 広がる格差

 こう為ると、最早「外交政策と世論の関係の考察」処では無い。当初此方が計画した水準の講義に到達する迄に、何時間必要なのか見当も付かない。この時は流石に、冒頭のベテラン教授の言葉を思い出し、確かに30年前、自分がこの学部の学生だった時には有り得無かったことが起きて居ると思わざるを得なかった。
 この様なエピソードを並べて行くと「小泉政権や最初の安倍政権が存在した当時、今の大学生は未だ小学生だったから、知ら無くても仕方無いではないか」と云う擁護の声が出て来るかも知れない。

 しかし、安倍首相が再登板である事実や、小泉進次郎環境相の父親が純一郎氏である事実等、彼等が高校生・大学生に為って以降発行された新聞や雑誌に幾らでも書かれ、テレビでも散々報道されて居る。日本政治に付いて小学生時代には知ら無かった彼等も、大学生に為った今は幾らでも情報を集める事が可能である。
 その証拠に、安倍首相の再登板や小泉氏の北朝鮮訪問に付いて、正確に認識して居る学生も多数存在している。本稿の冒頭で「学生の学力の低下が著しい」と云うベテラン教授の言葉を紹介したが、正確には「同じ大学の同じ学部の学生の間で、知識・情報格差が昔とは比べ物に為ら無い程拡大して居る」と云うのが実情だろう。

 無知な学生の中には、シバシバ「私は受験で世界史を選択したので、日本の事は知ら無い」等と受験分野を持ち出して「無知の理由」を説明する人が居る。
 だが、これは学校教育に起因する問題なのだろうか。無知な学生の出現は、偏差値重視の「詰め込み教育」が悪いとか、その反対の「ゆとり教育」の弊害だとか、或いは親が子供に物事をキチンと教えて居ないとか、そう云う問題では無いのでは無いか。

 私が「これは学校教育の問題では無い」と考える様に為ったのは、学生達の日常生活におけるニュースの情報源と知識・情報格差の関係を実感する様に為ってからである。
 大学で学生達に「日常生活で時事ニュースを見る媒体は何か」と尋ねると、90%以上の学生がスマートフォンと答える。今の大学生・大学院生は、誰も紙の新聞を読んで居ないと言っても過言では無い。
 「実家から通学して居るので、両親が購読して居る紙の新聞を時々、開いて見る事がある」と云う学生が居る程度である。又、一人暮らしの学生の中には、自室にテレビを置いて居ない人も居るし、テレビがあっても「殆ど見無い」と云う学生も居る。

 そこで次に、スマホで時事ニュースをチェックする際、どの様なサイトを見る事が多いかを尋ねてみる。此処で学生は幾つかのタイプに分かれる。

 第1は、新聞社やNHKのウェブサイトを見る事が最も多いと答える学生達。この学生達は紙の新聞を開いた事は無くても、新聞社等マスメディアが配信したニュースに日常的に触れて居る。
 第2は、フェイスブックやツイッター等SNS経由でニュースを得て居ると答える学生達。このタイプの中には、SNS経由でマスメディア発の時事ニュースに日常的に接して居る学生と、時事ニュースには殆ど関心を示さ無い学生が居る。
 第3は、ヤフー、スマートニュース、NAVER等のサイト経由でニュースを見て居る学生達。このタイプの学生の中にも、新聞やテレビから転送されて来たニュースを好く読んで居る学生と、エンターテインメント等自分の関心がある事以外は殆ど見無い学生が居る。
 そして最後に、朝から晩迄スマホを見てハイるけれど、ソモソモ時事ニュースを殆ど見る習慣の無い学生達が存在する。

 この様に学生を大マカにグループ化してみると、1〜3の何れのタイプの学生であっても、マスメディアを発信源とする時事ニュースを見る習慣のある学生の知識水準が高いのは当然であり、その反対にマスメディア発の時事ニュースを見無い学生の知識水準が低い事は疑い様が無い。








 「知のセーフティーネットが崩壊する」危機感

 私が学生だった30年前は勿論のこと、少し前迄の時事ニュースの情報源は、極論すれば新聞とテレビのみであり、日本の国民は朝日新聞から産経新聞までの何れかの全国紙の社説の中に、自分の意見に近い主張を何とか見付け出す事が出来た。更に、テレビは新聞にも増して政治色の違いが目立た無いので「どのテレビも一緒」と揶揄される程、各局が同じ内容のニュースを放送して居た。

 こうした日本のマスメディアは「横並び」「没個性」等と散々批判され、現に多くの問題を抱えて居た。皆が同じ事件に関心を抱き、皆が似た様な意見を言い、皆が一つの流行に飛び付く同質性は紛れも無く日本社会の欠点であり、日本のマスメディアは同質社会日本の象徴であったと言えるだろう。
 しかし、横並びのマスメディアが幅を利かせて居た当時の日本は、今から思えば、情報資源が全ての国民に均質的に分配される「知識・情報平等社会」でもあったとも言える。朝日新聞と産経新聞の社説の論調は昔から大きく異なって居たが、時事ニュースを淡々と伝えると云う点はどの新聞社も同じであり、朝日の読者が田中角栄の存在を知って居るが、産経の読者が田中角栄を知ら無い等と云う事態が起こる筈は無かった。

 国民はメディアに付いての選択肢を持た無かった代わりに、子供は親が購読して居る紙の新聞を子供の頃から拾い読みし、親が見て居るテレビニュースが半ば自動的に視界に入る事で、自らの幼少期や誕生以前の出来事に付いても知識・情報を獲得して居た。
 インターネットの発達以前のマスメディアは、例えて言えば、これサエ食べて居れば栄養バランスだけは保証出来る定食の様なものだったと言えるかも知れない。それは、多くの国民が知的な面で脱落して行くことを防ぐ「知のセーフティーネット」「情報のプラットフォーム」だったと言えるだろう。

 インターネット技術の発達によって誰もが自由に情報発信し、誰もが自由に情報を取捨選択出来るこの時代に「マスメディアの効用」を説く等時代に逆行した言説に思われるかも知れない。
 しかし、ネットの発達によって、極論すれば「個人の自由に基づき、見たい情報だけ見れば済む情報環境」が誕生した結果、同じ大学の同じ学部の中でスラ、良質の情報を自発的に獲得し乍ら能力を伸ばし続ける若者と、抽象的思考を発達させる為に最低限必要な知識を持たず、何をどうして好いか分から無い若者との格差が加速度的に拡大して居る。

 その光景を見て居ると「知のセーフティーネット」「情報のプラットフォーム」の崩壊を痛感せざるを得無い。「知識・情報平等社会」から「知識・情報格差社会」へと変容して行く事のリスクに目を向けるべきだと思う。


                  朝日新聞社  以上









 【関連報道】暖房もPCも無い僻地校から9割が大学進学 その大半は女子生徒

       〜World Now  ニューヨークタイムズ  世界の話題  2019.08.23〜


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アフガニスタン・バーミヤン州のヤカウラン郡にあるルスタム校から2019年5月19日 帰宅する女子生徒達

 少女達は、朝7時頃から姿を見せ始めた。その数は増え、遠くから見ると荒れた褐色の山腹を細く青い線が曲がりクネッテ動いて居る様だった。皆埃っぽい道を歩いて、谷底の小さな学校を目指して居た。淡い青の制服に、白いヘッドスカーフ。
 7歳から18歳迄の少女の多くは、登校するのに1時間以上も歩いて来た。別グループで着いた少年達は、人数がもっと少なく、制服姿は殆ど無かった。7時45分に、朝礼が始まった。

 アフガニスタンの中央高地、バーミヤン州ヤカウラン郡の僻地にあるルスタム校。1年生から12年生迄の一貫校に、女子330人と男子146人が在籍して居る。全国平均の女子の就学率が3分の1である事を考えると驚くべき数字だ。
 朝礼で、校長のモハマド・サディク・ナシリ(49)は、何時もの様に生徒を督励した。「今年は例年以上に大学進学が難しく為りそうだ。だから、これ迄以上に頑張る様に」処が、学校は、およそ大学への夢を育む環境に或るとは言い難い。


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 1年生の屋外授業を見守るルスタム校の校長モハマド・サディク・ナシリ(49歳右端)2019年5月19日

 石造りの教室が七つ。足ら無いので、大きなテントが六つ張ってある。それでも、生徒を一度に収容する事は出来ず、午前と午後の4時間ズツの2部制に為って居る。電気も暖房も無い。使う事が出来るパソコンもコピー機も無い。
 一時は在った外国からの援助も届か無く為り、教材の多くは先生が手書きで作って居る。自分が持って居る本は、生徒より少ないと云う先生も居た。

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 コンピューターに付いて教科書で学ぶ生徒 2019年5月19日 学校には、コンピューターが1台も無い

 校長によると、両親共に読み書きが出来るのは、生徒の5%に過ぎ無い。殆どの家庭は零細農家だ。それでも、2017年卒業の生徒65人の内60人(92%)が、国内の公立大学に進んだ。その3分の2が女子だった。数年前には、大学進学率が97%だった事もある。
 他の国内の学校と違って、此処では共学制を執って居る。「男女の頭に違いは無いから」と校長は話す。「男の子にも女の子にも、『男女で区別はし無い。大学は共学なので、今から互いに相手を尊重する事を学ぶ様に』と言って居る」

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 春の学期も終わりに近付いた或る日。バダン・ジョア(28)は、テントから溢れる程の4年生を相手に算数を教えて居た。12人の先生の内、5人居る女性の一人だ。大きなボール紙を黒く塗り、黒板代わりにして居た。簡単な数式が書いてある。生徒の殆どは女子で「好きな学科は」と尋ねると「算数」と云う大合唱が返って来た。
 これは、驚く様な事でも何でも無い。大学入試の設問の4割は数学で、どの教科よりも比率が高い。当然、重点科目に為り、ルスタム校では女子の成績が秀でて居る。

 11年生の数学で成績が最も好いのは、シャールバノ・ハキミ(17)コンピューターの学習クラスでも成績は一番で、この日はウィンドウズに付いて教科書で学んで居た。生徒60人の内、自宅にパソコンがあるのは1人だけ。「世界で最も欲しいものはノートパソコン」とハキミは云う。

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 自宅で両親と幼い弟・姪とくつろぐシャールバノ・ハキミ(17)左端 2019年5月19日 数学とコンピューターの各教科で、11年生では一番の成績を修めて居る。医者に為るのが夢だ

 今は反政府勢力であるイスラム主義組織のタリバーンがこの国を支配して居た時は、女子の教育は禁じられて居た。女性は家庭に閉じ込められ、当地の様なバーミヤン州の片田舎ではそれが顕著だった。その反動として今の教育熱がある。
 特に、女子がそれを象徴して居ると先生達は語る。先の算数の先生ジョアは、11歳に為って初めて学校に行った。タリバーン政権が倒れて可能に為った。それ迄は、学校と言えば、縫いもの教室の事だった。読み書きも出来ず「ゼロからの出発だった」とジョアは振り返る。
 「だから、タリバーンが何をしたかを説明し、今の貴方達にはチャンスが有るのだから、それを掴んで欲しいと訴えて居る。私の話だけでは無い。皆、家でも母親や叔母からそう聞かされて居る」








 ルスタム校の周辺にタリバーンはもう居ない。治安の乱れも左程無い。他の地域では、女の子を通学させる事に家族は未だ躊躇(ためら)い勝ちだ。人里離れた所を長時間掛けての通学と為ると、猶更(なおさら)消極的に為る。
 処が、この学校では女子の意欲が極めて高い。「正直言って、女の子の方が男の子より優秀で真剣だ」と校長も認めざるを得ない。「教育の有る人間を、奴隷の様にしてしまう事は出来ないと皆分かって居る様だ」 

 イスラム学を除いて、どの教科も成績が一番なのは女子だ。もう直ぐ18歳のアミーナは、全校一の成績を挙げて居る。母親は読み書きが出来ないものの、父親は知識人と云う点で恵まれて居る。8人兄弟の中で、学校を卒業するのは初めてに為る。
 大学受験に備える為、首都カブールのマウードアカデミーに進む事を希望して居る。ここで最近、自爆テロがあり、学生40人が犠牲に為ったのを承知しての事だ。好きな教科は数学で、将来は医者に為りたいと云う。
先のハキミの夢も医者になる事だ。母親が視覚障害に苦しみ、65歳の父親の耳が殆ど聞こえ無く為って居ることも大きい。両親共読み書きは出来ない。

 土壁の家の近くには、灌漑用の水路がある。水車が小さな発電機を回し、夜でも勉強するのに必要な電気を辛うじて確保して居る。「自分は学の無い農場労働者に過ぎ無い」と父親のグラム・フセインは話す。「同じ人生を送って欲しくは無い」と云う11人の子供の内、息子1人と娘2人が既に大学に進んで居る。 「とても誇りに思って居る」とハキミの母親ゼナトが言い添えた。
 その家族の有り方は、何故学校に通う男子が少ないかを示しても居る。9歳の息子アリは家に居て両親の手伝いをして居る。12歳の息子レザは畑仕事に出て居る。「アリは凄く学校に行きたがって居るので、もしかしたら、来年は叶えて挙げられるかも」とゼナトは云う。娘達は、皆学校に通って居る。

 或る日、校長のナシリは、朝礼で他の女子の後ろに隠れる様にして居るフリバ(13)を見付けた。制服を着て居なかった。家が貧しく買え無いのだ。校長は、最寄りの市場で見本に為って居た青い綿布を買った。算数の先生のジョアが、それを長めのユッタリとした上着に縫い合わせた。タリバーン時代に身に付けた事が、ここでは役に立った。ナシリは、布代を借金して工面した。月給は200ドルにも満た無い。
 この6年間、校長を務めながら、妻ロヤ(45)と共に4人の娘と2人の息子を育てて来た。結婚したのはタリバーン時代。妻には、自分が読み書きを教えた。「夫婦で話し合って、ロヤには学校に行って貰う事にした。母親に学が有った方が子供にも好い」
 長女は4年前、母親より一足先に学校を卒業した。ロヤが卒業したのは今年に為って。来年は、大学入試に挑む事にして居る、とナシリは誇らし気だった。「子供を6人育て、今度は自分を高める番だ」

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 ルスタム校と向き合う山の斜面を数百フィート(1フィート30センチ強)上がった処では、羊の群れが草を食(は)んで居た。岩に覆われた様な山肌には、数人の羊飼いの姿があった。その一人、ニークバフト(13)と名乗る少女は、制服に似た青い服を着て居た。
 この日は家には誰も居らず、学校を休んで羊飼いをして居たが、手にはペンとパシュトゥー語(国語)の問題集があった。服は埃に塗れて居たが、手にはペンと公用語の一つ、パシュトゥー語の問題集があった。「学校が好きだけれど、今日は家には誰も居ないので、家畜の世話をして居るの」パシュトゥー語は必修だが、余り好きでは無い。この子も「好きなのは算数」だった。span>

         抄訳 Rod Nordland コピーライトマーク2019 The New York Times   以上








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合意無い性行為 証拠積み上げ認定 伊藤詩織さん勝訴 検察は「再起」可能




 合意無い性行為 証拠積み上げ認定 

 伊藤詩織さん勝訴 検察は「再起」可能



       〜47NEWS 共同通信編集委員・竹田昌弘 12/21(土) 10:42配信〜


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 判決後、東京地裁前で「勝訴」と書かれた紙を掲げるジャーナリストの伊藤詩織氏 12月18日

 ジャーナリストの伊藤詩織氏(1989年生まれ)が元TBS記者の山口敬之氏(1966年生まれ)に対し、意識を失って居るのに乗じて合意の無い性行為を行い、肉体的・精神的苦痛を受けたとして、損害賠償を求めた民事裁判で勝訴した。
 刑事事件として山口氏を告訴したが、準強姦は、現在は準強制性交の容疑は不起訴処分とされた。民事裁判と刑事手続きで何が違ったのだろうか。


 裁判は民事も刑事も「三段論法」

 裁判は、先ず証拠によって事実を認定する。それに法規を適用し、そこから法規の効果を引き出す「三段論法」で行われる。
 例えば、準強制性交事件の刑事裁判では、検察官が起訴状の内容(被告が人の心神喪失や抗拒不能に乗じて、又は心神喪失や抗拒不能にさせて性行為をした)が事実である事を証拠で立証する。心神喪失は精神又は意識の障害により、性行為に付いて正常な判断が出来ない状態。抗拒不能は心神喪失以外の理由で物理的・心理的に抵抗出来ないか、抵抗するのが困難な状態とされて居る。
 起訴状の内容が事実と認定されれば被告は有罪と為る。準強制性交罪を定めた刑法178条が適用され、裁判所は同条に規定された「5年以上の有期懲役(最長20年)」と云う法定刑の範囲内で被告に科す刑を決め、宣告する。


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 判決後の記者会見で「主張が無視された。納得出来ないので直ぐに控訴する」と話す元TBS記者の山口敬之氏(中央)12月18日 東京都千代田区

 同様に例え話だが、準強制性交事件で抗拒不能にさせた事の事実が立証出来無い等として、検察官が不起訴処分とした為、被害者(原告)が損害賠償を求めて民事裁判を起こしたとする。
 原告は証拠により、主張する事実(被告が抵抗出来無い状態の時に合意の無い性行為をした事と、それによる損害の発生)を立証する。それらの事実が認定されると「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」と不法行為に対する損害賠償請求権を定めた民法709条が適用され、裁判所は賠償額を決め被告に支払いを命じる。










 民事と刑事で事実認定のハードル違う?
 
 この様に刑事も民事も裁判は三段論法だが、犯罪を処罰する為の刑事裁判では、事実の認定は「証拠による」(刑事訴訟法317条)「証拠の証明力(事実認定に役立つ程度)は、裁判官の自由な判断に委ねる」(同318条)と定められて居る。
 最高裁は「通常人なら誰でも疑いを差し挟ま無い程度に真実らしいとの確信を得る事」(1948年8月5日の第1小法廷判決)「合理的な疑いを差し挟む余地の無い程度の立証が必要」(2007年10月16日の第1小法廷決定)と云う事実認定の枠組みを示して来た。「疑わしきは被告の利益に」は、合理的な疑いが残り、有罪と確信出来無い時は無罪にする事を表現して居る。

 厳格な立証を求められるので、検察には、原則として起訴するのは「的確な証拠に基づき、有罪判決が得られる高度の見込みがある場合」と云う基準があり、収集した証拠を検討し、慎重に起訴・不起訴を決めて居る。
 一方、紛争を解決する為の民事裁判では「裁判所は、判決をするに当たり、口頭弁論の全趣旨および証拠調べの結果をしん酌して、自由な心証により、事実についての主張を真実と認めるべきか否かを判断する」(民事訴訟法247条)と定められて居る。
 最高裁が示した事実認定の基準では、経験則に照らし合わせて全証拠を総合検討し、高度の確からしさを証明する事で「通常人が疑いを差し挟ま無い程度に真実性の確信を持ち得るものである事を必要とし、かつ、それで足りる」(1975年10月24日の第2小法廷判決)とされて居る。

 証拠に加え、当事者が主張を述べ合う口頭弁論の全趣旨も事実認定の材料と為り、高度の確からしさで事実が認定されるので、刑事よりハードルが低いと言われる事が多いが、基本的に同じと云う専門家も居る。

 伊藤氏は検審議決の1週間後、山口氏に対し、不法行為に対する損害賠償請求権に基づき、慰謝料1千万円と弁護士費用100万円計1100万円の支払いを求める民事裁判を東京地裁に起こした。
 これに対し、山口氏は合意の下の性行為だったのに、記者会見や著書「Black Box」週刊誌等で性暴力被害を訴え、山口氏の名誉と信用を毀損(きそん)しプライバシーを侵害したとして、同様に不法行為に対する損害賠償請求権に基づき、伊藤氏に慰謝料2千万円と仕事が無く為った営業の損害1億円、弁護士費用1千万円計1億3千万円の支払いの他、新聞とウェブサイトへの謝罪広告の掲載を求める反訴(訴訟係属中に被告が原告に対し、当初の本訴と併合審理を求めて起こす訴訟)を提起した。









 シャワー浴びず帰宅やアフターピル、合意あれば不自然

        12-21-17.jpg 鈴木昭洋裁判長

 東京地裁(鈴木昭洋裁判長)は12月18日の判決で、性行為の経緯に付いて次の様に事実を認定して行った。 

 伊藤氏は米ニューヨークの大学でジャーナリズムと写真を専攻して居た2013年12月、バイト先のピアノ・バーで、山口氏と知り合った。山口氏がTBSのワシントン支局長だった事から、就職先の紹介を求めるメールを送信した事を契機として、15年4月3日夜、東京・恵比寿で会食する事に為った。
 2人は串焼き店で食事後、寿司店へ行き、伊藤氏は同店を出た時点で相当量のアルコールを摂取し、強度の酩酊(めいてい)状態だったと認められ、寿司店で2度目にトイレへ入った後、ホテルで目を覚ます迄記憶が無いと云う、伊藤氏の供述内容と整合して居る。
 山口氏は同日午後11時過ぎにタクシーに乗る迄、伊藤氏の酩酊は分から無かったと供述して居るが、寿司店と恵比寿駅は徒歩で僅か5分程度の距離にある事を踏まえると、寿司店を出て、自分と共に伊藤氏をタクシーに乗せた事に付いて、合理的な理由は認め難い。

 伊藤氏がタクシーの運転手に「近くの駅迄行ってください」と伝え、電車で帰宅する意思を示して居るのに、山口氏はホテルへ向かう様指示し同行させた。伊藤氏の帰宅先を尋ねて居ない事も不自然だ。
 山口氏は翌4日午前0時迄に、米国政治の動向を確認する必要があった為、止むを得ず伊藤氏をホテルへ連れて行く事にしたと供述して居るが、以前週刊文春に寄稿した記事を巡り、TBSの懲罰委員会に関する聞き取りの為一時帰国し3月30日から4月4日迄の間、出社に及ばずと通知されて居たのだから、米国政治の動向を確認する事が職務上必須だったと認め難く、山口氏の供述は俄かに信用する事が出来ない。
 山口氏は午前2時頃、伊藤氏がホテルの部屋で起きた際「私は何で此処に居るんでしょうか」と述べ、就職活動の話もして居たので酔って居る様子は見られ無かったと供述する。伊藤氏のこの発言自体、ホテルの部屋に居る事に同意して居ない事の証左である。

 伊藤氏はホテルでシャワーを浴びる事無く、午前5時50分にホテルを出てタクシーで帰宅したが、これ等の行動は合意の下に性行為をした後の行動としては不自然で性急だ。
 山口氏は、伊藤氏が山口氏から渡されたTシャツを着用した事は、合意無く性交渉を行ったと云う伊藤氏の供述と整合し無いと主張するが、伊藤氏は動揺し一刻も早くその場を離れたいとの心理状態にあり、自分のブラウスは濡れたママで、着用出来ない状態だった事からすると、山口氏から渡されたTシャツを咄嗟に受け取り着た事も不自然と云う事は出来ない。
 伊藤氏は4日、クリニックでアフターピルの処方を受けたが、避妊する事無く行われた性行為が予期し無いものであった事を裏付ける事情と言える。その後、友人2人に続き警察に相談した事も、性行為が意に反して行われた事を裏付ける。

 山口氏が同月18日、伊藤氏に送信したメールには「貴女は唐突にトイレに立って、戻って来て私の寝て居たベッドに入って来て、そう云う事に為ってしまった」と記載して居るが、訴訟では、寝て居たベッドに付いて異なる説明をした。山口氏の供述は不合理に内容が変わり、その信用性に重大な疑念がある。
 意識を回復した後の事実に関する伊藤氏の供述は、客観的な事情と整合するもので、重要部分で供述内容が変わる事も無い事からすると、山口氏の供述と比較して相対的に信用性が高い。









 山口氏の名誉毀損・プライバシー侵害を否定

 認定したこれらの事実から、東京地裁は「山口氏が、酩酊状態にあって意識の無い伊藤氏に対し、合意の無いママ性行為に及んだ事実、伊藤氏が意識を回復して性交を拒絶した後も、伊藤氏の体を押さえ着けて性交を継続しようとした事実を認める事が出来る」と結論付けた。
 損害額の算定に入り、伊藤氏は4月6日に整形外科で右膝挫傷等と診断されて居るが、東京地裁は証拠上明らかで無いとして関連を否定。それ以外の事情を考慮し、慰謝料300万円と弁護士費用30万円を認めた。

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 最後に山口氏が名誉毀損とプライバシー侵害を主張して居る反訴に付いて、東京地裁は伊藤氏の記者会見や著書・週刊誌等で山口氏の社会的評価は低下したとしツツ「伊藤氏は自らの体験を明らかにし、広く社会で議論する事が、性犯罪の被害者を取り巻く法的・社会的状況の改善に繋がるとして公表した」として、名誉毀損が免責される公共性・公益性・真実性の三つが有ると認定した。プライバシー侵害の主張に付いても「社会生活上の受忍限度を超えて居ない」として否定し、山口氏の請求は全て退けた。


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 勝訴判決の翌日 日本外国特派員協会で記者会見し「ポジティブな結果が出て驚きを感じて居る」と語る伊藤詩織氏 12月19日 東京都千代田区

 状況証拠を積み上げる検察立証に近いか

 今回の民事裁判での事実認定は、合意の無い性行為を直接示す証拠が見当たら無い中、合意が無かった事を伺わせる証拠や事情を積み上げて行った。検察が自白や目撃証言等の直接証拠が無い事件で、状況証拠を積み上げて有罪を立証する手法に近いのではないか。 
 不起訴処分は無罪判決では無いし、検察官の公訴権(起訴する権限)を消滅させるものでも無い。一旦不起訴にした犯罪を後日起訴しても「同一の犯罪に付いて、重ねて刑事上の責任を問われ無い」と定める憲法39条に反し無い事は、最高裁の判決(1957年5月24日)で確認されて居る。
 検察には、新たな証拠を発見した時等に再び捜査に着手する「再起」が有るので、今回の民事裁判の判決も参考にして、伊藤氏の事件の再起を検討したらどうだろうか。

 なお検察官が不起訴処分にした性犯罪を巡り、被害者が提訴した民事裁判で加害者に損害賠償を命じたケースとしては、
 @ 2019年8月の名古屋地裁判決(中学1年の女子生徒に祖父が性的虐待 賠償額110万円)
 A 同年6月の京都地裁判決(女性高校講師に上司の校長が性行為等 同590万円)
 B 2004年9月の大阪高裁判決(40代の女性に同居男性が性行為強要 同1750万円)
 等がある。被害者は@準強制わいせつと準強姦未遂A準強姦などB強姦致傷罪等で夫々告訴したが、何れも不起訴処分だった。
 C 更に2016年8月の鹿児島地裁判決では、ゴルフの教え子だった女子高校生に対する準強姦罪で、検察審査会の議決に基づき強制起訴され、無罪が確定した指導者の男性に対し、330万円の損害賠償が命じられて居る。

 抗拒不能等の立証が起訴や有罪のネックに為って居ると見られ、性犯罪の処罰に向け「不同意性交罪」等の創設を止める声は高まる一方だろう。
 

 林良平氏編「法学―法の仕組みと機能」高橋和之氏等編集代表「法律学小辞典 第5版」司法研修所検察教官室編「検察講義案」を参照した








 「逮捕状取ったが、警視庁幹部の指示で取り辞め」/span>  
 伊藤氏の話に戻ると、山口氏との性行為は2015年4月3〜4日で、山口氏は性行為があった事は認めて居る。伊藤氏は同月30日、警視庁高輪署に山口氏を告訴した。しかし、東京地検が2016年7月、準強姦容疑に付いて嫌疑不十分(犯罪の成立を認定すべき証拠が不十分)を理由に不起訴処分とした為、伊藤氏は2017年5月、検察審査会に審査を申し立てた。
 その際の記者会見で「高輪署の担当警察官から『逮捕状を取ったが、警視庁幹部の指示で逮捕を取り辞めた』と説明を受けた。私の知り得無い立場からの力を感じる。法律や捜査機関は被害者を守って呉れ無い」と語った。山口氏には、安倍政権の内幕を綴った「総理」「暗闘」等の著作がある。

 2017年9月、東京第6検察審査会も「慎重に審査したが、不起訴処分の裁定を覆すに足りる事由(直接の理由または原因となる事実)が無い」として不起訴相当と議決した。
 東京地検が不起訴処分とし、検審がそれに異を唱え無かったのは、矢張り証拠が足りず抗拒不能等の立証が難しいと判断した可能性は有りそうだ。只山口氏の取り調べを初め、警察と検察でどれだけ捜査が尽くされたのか大きな疑問が残る。


                   以上


 【管理人のひとこと】

 この問題には、素人が首を突っ込んでは為ら無いだろう。男女二人っ切りの場での二人だけでの行動に、何も知ら無い者がトヤカク口を出しては為ら無い。単に男が無理やり女性に肉体関係を求め・・・そして、済ませたのだから、結果として男としては全てを受け入れ無くては為らぬだろう。未遂で有れば「やってないと」言い訳も出来ようが、本人も「しました」と話しているのだから逃れられ無い。女性も「無理やり・・・」と証言して居るのだ。消すにも消せ無い事実として認める以外の道は無い。

 この件の問題は、犯人が安倍晋三氏と親しい関係にあるジャーナリストで有り、被害者が警察に被害届を出して「告訴する」と怒っても検察は調べたのか調べもし無かったのか「証拠不十分・起訴不適当」とかで取り合わ無かったそうだ。これが一番の問題なのだ。
 被害者は「上からの指示で取り辞めに為った」と検察に言われ、憤慨し刑事訴訟から民事訴訟に切り替えた。何とも無様な話で加害者は「スイマセン」と謝罪処か、名誉棄損で何十倍の賠償を求めて訴訟を起こして退けられたそうだ。更に今回の裁定にも不服だと「即控訴する!」と恥の上塗りを始めて居るそうな。何と男らしく無い人なのだろう・・・安倍晋三氏も友人なら「好い加減にしろ!」と叱り着ける位しないと、国民から笑われる。フンとに次から次と下らない事件を起こす厄介者だ。







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野党再編の歴史から考える 立憲民主・枝野代表の「野党共闘」呼び掛けの意義



 
 

 


 野党再編の歴史から考える 

 立憲民主・枝野代表の「野党共闘」呼び掛けの意義


         〜HARBOR BUSINESS Online 12/21(土) 8:32配信〜

 〜立憲民主党の枝野幸男代表は12月6日、会派を共同する政党・グループに対し共闘を呼び掛けました。それを受け、国民民主党や社会民主党等は、立憲民主党との具体的な調整に入りました。これに付いては、ジャーナリストの尾中香尚里さんが『「桜を見る会」問題の裏で進むか野党「合流」立憲民主「申し入れ」の意味を読み解く』で的確に解説されて居ます。本論では、野党(非自民勢力)による再編の歴史から、この呼び掛けを考察します〜

           12-21-2.jpg ジャーナリスト 尾中香尚里氏
   

      文 田中信一郎  千葉商科大学准教授・博士・政治学

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 非自民勢力の再編から始まった平成政治史

 始まりの始まりは、1989年の参議院選挙における「連合の会」でした。日本労働組合総連合(連合)を母体として、社会党・公明党・民社党・社民連等の非自民・非共産勢力が一致して参院選挙区に候補を擁立し11人を当選させました。それから野党再編の平成政治史が始まりました。
 始まりの終わりは、1994年の新進党結党です。1993年の細川政権(非自民・非共産の8党派連立政権)を経て「社会党」「さきがけ」を除く殆どの連立各党派が新進党に参画しました。

 第一期再編では「非自民・非共産」が、再編の旗印に為りました。政治理念や目指す国家像で無く、自民党でも共産党でも無い勢力を一致団結させる事自体が目的でした。うたわれた政治理念は「自由・公正・友愛・共生」で、母体と為った新生党・日本新党・公明党・民社党等の理念を足し合わせたものでした。
 しかし、第一期再編は理念で無く、小選挙区制と云う選挙事情によって結集した為に安定せず、直ぐに第二期再編が始まりました。

 1996年、自民党と連立して居た「社会党」「さきがけ」から飛び出した議員達が、「旧・民主党」を結党しました。そして1997年に「新進党」が激しい内紛によって解党し、実質的に6党派(小沢グループ・反小沢グループ・旧公明党・旧民社党等)に分裂しました。

 政権交代を実現した第二期再編

 第二期再編は1998年「新・民主党」の結党と、自民党・公明党・自由党の連立政権発足で決着しました。1996年に結成された「旧・民主党」を核にして、小沢議員と反目して新進党から分裂した各党が合流し「新・民主党」に為りました。一方、公明党と自由党は、自民党と連立政権を組みました。これが、現在迄の自民党・公明党の連立政権の始まりです。
 第二期再編では、第一期の「非自民・非共産」に加え、政治理念「民主中道」が旗印に為りました。新進党が実質的に政治理念を有し無かったのに対し「新・民主党」は、漸進的改良主義の中道路線としたのです。それは議論して「合意した事が好い事」と定義される一方、合意形成が不十分だったり議論の質が低かったり、妙な思惑が跋扈したりすれば忽ち行き詰まってしまいます。

 「新・民主党」は、2009年の政権獲得を実現した一方、2012年の総選挙敗北と共に、実質的に瓦解しました。第一期の新進党よりも大きな成果を上げた一方、それを継続出来なかった点で失敗でした。
 「新・民主党」は、政治理念がプラスともマイナスとも為りました。中道と云う融通無碍な理念が、幅広い結集を可能にした一方、厳しい政治課題への対処を困難にしたからです。或る意味、自民党よりも真面目だった民主党政権は、党内で噴出する異論を的確に合意形成出来ず、真面目に取り組む程遠心力が働く状態に陥りました。福島原発事故や財源問題等はその典型でした。「合意した事が好い事」と云う考え方が、政党ガバナンスの未熟さもあり、政権運営で求められるスピードに追い着け無かったのです。

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 その後、野党の分極状態が暫く続き、2017年の希望の党騒動から第三期再編が始まりました。「新・民主党」は、維新の会と袂を分かった維新の党と合同し、2016年に「民進党」と為って居ました。理念としては、中道を引き継いで居ました。そこに、2017年の都議選で自派を躍進させた小池百合子都知事と、細野豪志議員等民進党の保守系議員が、自民党に並び立つ保守政党を目指し「希望の党」を結成しました。
 細野議員等は、中道と云う曖昧な政治理念が民主党政権を失敗させたとの「反省」を有して居たと考えられます。明確な政治理念は、政治課題に対応する際の「ものさし」に為ります。予め合意して居る「ものさし」に基付いての判断であれば、丁寧な合意形成を経ずとも異論は出難いからです。実際、希望の党の結党者(チャーターメンバー)は、党丸毎合流しようとした民進党議員達に対し、政策協定書と云う名の「踏み絵」を迫りました。







 枝野代表の呼び掛けは、野党再編の終わりの始まり/span>

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 皮肉にも、保守政党を目指した希望の党騒動が、全く異なる理念の野党第一党「立憲民主党」を生みました。立憲民主党は、それ迄の野党再編で出現した政党と全く異なりました。

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 第一に、共産党との連携を排除しない。第二に、保守から革新迄受け入れられるけれども、中道で無い明確な政治理念を掲げて居る。第三に、政党同士の離合集散(ボス間の交渉)に消極的。第四に、労働組合の連合を主たる支持母体として居無い。連合を主たる支持母体とするのは国民民主党。

 筆者は、立憲民主党の結党を通じて、枝野議員の「政治的人格」が変わったと見て居ます。逆境に追い込まれて一人から結党し、それを無数かつ無名の個人が支え、野党第一党まで押し上げられた出来事は、政治家としての「強烈な原体験」に為ったと考えられます。
 詰まり、結党前の枝野Aと結党後の枝野Bは、政治家としてホボ別人で、それが立憲民主党の性格に強く反映されて居るのです。野党第一党の党首の変身は、野党全体の性格まで変えつつあります。

 第一期と第二期の野党再編を通じて、宗教団体を母体とする公明党が政権に参画して一般的な信頼を獲得した様に、第三期の野党再編を通じて、共産党が一般的な信頼を獲得しツツあります。それは、戦前から続く不毛な「アカ」誹謗の終わりであり、日本政治が国民統合の求心力を発揮する上で不可欠なプロセスです。
 そして、立憲民主党を中心とした野党再編は、自公の与党ブロックに対して、立憲・共産の野党ブロックを確立し、30年間の野党再編を終わらせる事を意味します。








 立憲の理念は、野党ブロックの共通理念

 立憲民主党の理念は、日本国憲法と云うタテマエの国家方針と、各種政策と云うホンネの国家方針を一致させる事にあります。それが立憲と云う党名に反映され、保守から革新迄を抱合出来る理念に為っています。故に、野党ブロックの共通理念とも言えます。
 各党の政治理念は、次の様にタテマエとホンネの国家方針の組み合わせで、実質的に構成されて居ます。詳しくは、拙稿「安倍政権とは何か?そして何を目指すのか?有権者に突きつけられる選択肢」で解説しています。

 A 国家重視と云うホンネの国家方針に合わせ、タテマエの国家方針の憲法を変更する。
 B 引き続き政権のホンネの国家方針と、憲法と云うタテマエの国家方針を併存させる。
 C 個人重視の憲法と云うタテマエの国家方針に合わせ、政権のホンネの国家方針を変える。

 
 各党の理念は、上記の3つに分けられます。Aは、安倍首相率いる自民党や日本維新の会・小池都知事の率いた希望の党の政治理念です。Bは、過つての民主党・民進党や公明党の政治理念です。Cは、立憲民主党や共産党の政治理念です。
 現在の状況はBで、これを徐々にCへと移行させる事が立憲民主党の理念で、一定の保守政治家にも受けられるものです。何故為らば、過つての自民党は、Bを中心としつつA論者もC論者も含んで居ました。だからコソ、国民政党とも呼ばれた訳です。
 一方、社会党や共産党は、古くからC論者でしたが、それを急進的かつ先鋭的に実現しようとして居ました。それが30年間の野党再編を通じて、漸進的な姿勢に変化して来ました。それが、野党ブロックの共闘を可能にして居ます。

 「新・民主党」や「民進党」と云う中道政党の行き詰まりは、Bと云う国家方針による日本社会の行き詰まりです。人口減少・経済成熟・気候変動等の厳しい課題に対し、対処方針を示せ無いからです。それらの課題に対する分析に付いては、筆者の『政権交代が必要なのは、総理が嫌いだからじゃない』(現代書館)をご覧頂ければ幸いです。







 国家方針への姿勢が問われる国民民主党議員とチャーターメンバー

 立憲民主党の枝野代表による呼び掛けが、野党再編を終わらせるのは、Cと云う明確な国家方針に基づくからです。Cと云う国家方針を掲げ、そこに「このゆびとまれ」と呼び掛けて居るのです。
 それは、Bを引き継ぐ国民民主党と、一旦はAを主導した「希望の党チャーターメンバー」に対し、政治理念を再考しCを採用するか否かの意思決定を求めるものです。再考してCを掲げる為らば、どの様な形であれ共闘しようと云う事です。

 国民民主党とチャーターメンバーは、この呼び掛けを甘く考えるべきではありません。合流してから理念をBに戻せるとか、共産党と構成する野党ブロックを解消出来るとか、都合好く考えて居るとすれば、野党ブロックの崩壊と共に政治的な致命傷を負うでしょう。
 何故為らば、それは立憲民主党の政治的原体験を軽視し、有権者の信頼を真っ向から裏切る事に為るからです。
 加えて、チャーターメンバーに付いては、AからCへと真逆の政治理念に転換する事に付いて、有権者に対し明確な説明を要します。政治理念の転換は、恥でも間違いでもありません。誰にでも「修練の結果たる心境の変化」は起こり得るからです。
 政治家としての問題は、その事に沈黙し明確な説明をし無い事です。「心境の変化」を説明し無い政治家コソ「変節漢」です。

 再考の結果、Bの理念を堅持したい議員は、同志を集めて新党を結成するか公明党に入党すべきです。自らの政治理念を有権者に訴える事を忌避すべきではありません。それコソが、民主主義を深化させる行動で敬意を表すべきものです。
 そして、Aの理念を重要と考える議員は、躊躇無く自民党に入党すべきです。自己の政治的良心に従う事は、政治家としてあるべき姿です。

 枝野代表による呼び掛けは、この様に再考の機会を設ける点で「踏み絵」と異なり、野党共通の理念を確立する事で、野党再編の終わりの始まりと為って居ます。


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 文 田中信一郎 たなかしんいちろう 千葉商科大学准教授・博士(政治学) 著書に『国会質問制度の研究〜質問主意書1890-2007』(日本出版ネットワーク)また『緊急出版! 枝野幸男、魂の3時間大演説 「安倍政権が不信任に足る7つの理由」』(扶桑社)では法政大の上西充子教授と共に解説を寄せて居る 国会・行政に関する解説をわかりやすい言葉でツイートしている Twitter ID/@TanakaShinsyu

        ハーバー・ビジネス・オンライン   以上









 【管理人のひとこと】

 政界再編の流れ・・・それも野党再編の歴史を、思想的・心情的に更に時間的流れと共に理論として判り易く解説頂きました。特にA〜C分析は初めて目にしたものでした。これで、枝野氏の心情が判り国民民主党の置かれた立場の苦しさも理解出来そうです。
 そうなのです、自民に行った細野氏の行動から判る様な、その流れを汲む様な人達との「野合」は避けたいと思うのが枝野氏の或る意味「強硬」と見られる態度で有り、自民と提携しそうな人達と一線を切りたいとの思いで無ければ、枝野氏の支援者への説明が出来ず本人の立場を相当悪くしてしまうのです。
 これは田中教授が説明する様に、希望の党の出した様な踏み絵では無く、立憲・・・これから統合しようとする野党連合の「共通認識の確立」でありその意思の確認なのでしょう。無論、それを受け入れられ無いなら静かに退き、無所属か維新か公明か自民に移籍願いを出し、与野党をスッキリ分離させた方が有権者に理解され易いのでしょう。

 この意味で、国民民主党は無理に党ぐるみの移籍に拘らず、個人として自由に立憲への参加を認めたら如何なものでしょうか。今でもそうなのでしょうが、枝野氏は民主党の残された政治資金も必要なのでしょうが、二兎追うものは・・・の通りで、虻蜂取らずに終わるより、共産との提携に腐心すべきでしょう。彼等は「閣外でも好い」と身を引いて大きく譲って居るのです。ここは一番の老舗の共産の顔を建てる事も大切だと思います。無論「社民」「れいわ」も含めた健全な中道左派を目指すべきです。











社会学者・橋本健二氏が語る「アンダークラス」と山本太郎の関係




 社会学者・橋本健二氏が語る 「アンダークラス」と山本太郎の関係


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                社会学者・橋本健二氏


               〜現代ビジネス 12/21(土) 8:01配信〜


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 〜山本太郎が新党「れいわ新選組」を立ち上げ、参院選に臨んだのが2019年春のこと。過労死等労働環境の取材を続け『過労死・その仕事、命より大切ですか』の著書もある牧内氏は、最初は訝しく思い乍らも「生きづらさ」を感じる人々が山本氏に希望を託して居ると実感する様に為った。
 そこから、何故この「れいわ現象」は起きたのかと云う視点で取材をし、マトメたのが『「れいわ現象」の正体』(ポプラ新書)だ。

 社会学者の橋本健二早稲田大学教授は著書『アンダークラス 新たな下層階級の出現』で、非正規労働者の現実を伝えて居る。では橋本氏は山本氏を支持する人達や山本氏に対してどの様な意見を持って居るのか。そして、社会はどうしたら好く為るのか。牧内氏が橋本氏にインタビューした部分を『「れいわ現象」の正体』より抜粋掲載する〜


 れいわ支持者の取材で思い出した『アンダークラス』

 れいわ支持者達の取材を続け乍ら、私は一冊の本の事を思い出して居た。社会学者の橋本健二・早稲田大学教授が書いた『アンダークラス 新たな下層階級の出現』(ちくま新書)である。
 橋本氏はこの本で専門・管理職やパート主婦を除いた非正規労働者を「アンダークラス」と呼んだ。日本には低賃金のアンダークラス達が約930万人居て、正社員への道は険しい為、殆ど階級の様に固定化して居ると云う。
 
 私が興味を覚えたのは、この本がアンダークラスの過酷さを認識しつつ、その中に希望の光を見い出して居た点だ。橋本氏はアンダークラスの人々の事を「日本の現状を変える社会勢力の中心と為り得る」と評して居た。
 アンダークラスの多くは現状に不満を感じ、心の中では格差対策を切実に求めて居る。だが一方で政治への関心が薄く選挙があっても投票に行か無い。この為、実際には格差是正が一向に進ま無い。それが現実だが、逆にアンダークラスが政治に関心を持ち、この層を主な支持基盤とする政治勢力が生まれれば、世の中は変わる・・・橋本氏の本からは、この様な主張が読み取れる。


 




 「れいわ」はアンダークラスを代表する政党に為るか

 「れいわ新選組」が橋本氏の言う「アンダークラス」の受け皿に為るのではないか。取材を始めた頃から私にはそう云う期待があった。2019年6月半ば、橋本氏に直接聞いてみた。都内のマンションの一室にある彼の私用オフィスは、図書館の様に部屋中に本棚が並び「知の隠れ家」と云った感じだった。以下 はその時のインタビューである。
 
 ・・・「れいわ新選組」が2億円程の寄付を集めて居ます。私が取材する限り、ギリギリの生活の中から1千円や2千円等の少額寄付をした人が居ました。これ迄は政治に無関心だったと云う人も居ました。この現象をどうみますか? 
 橋本  アンダークラスの人々は非常に低賃金で仕事にも社会にも不満を持って居る。そして、富裕層から貧しい人に富を分け与える「所得再分配」を進める政策を求めて居る。処が、支持政党が無い人の割合が非常に高いのです。

 ・・・何故でしょうか?
 橋本 生活に余裕が無くて政治に関心を持て無いと同時に、支持したく為る様な政策を打ち出す政党が無い。与党も野党も支持出来無いと云う事です。
 ・・・生活が苦しいのに、投票に行か無いから社会が変わら無いと云う悪循環ですね。  
 橋本 そこに出て来たのが山本さんなのだと思います。例えば、彼が掲げている最低賃金1500円。既存政党がハッキリしない中で、自分達の要求に応えて呉れる政治勢力が出て来たと感じて居るアンダークラスの人々が一定程度居るのかなと感じて居ます。

 アンダークラスを支持基盤とする政治勢力が必要

 ・・・橋本さんは著書で、アンダークラスを支持基盤にする事を公然と宣言する政治勢力が必要だと主張して居ますね。橋本さんがイメージして居るものと比べると「れいわ」はどうですか?
 橋本 「れいわ」新選組の政策の中には、辺野古基地建設禁止等、既存のリベラル色が可成り強いものがありますね。辺野古基地建設が好いか悪いか、判断出来るだけの情報を持って居るアンダークラスの人はそんなに多く無いと思いますよ。広くリベラル政治勢力の支持を集め様と云う意図が見える。その意味では、アンダークラスに特化した政治勢力と迄は言えません。
 ・・・「れいわ」がホームページに挙げている「決意」は、人々の生活苦に焦点が絞られて居ます。「反原発」や「基地」の事が一言も書いてありません。
 橋本 成程「決意」は確かに私のイメージに近いですね。

 大体分かって来た。安全保障等を主要政策に入れると、アンダークラスの中でも意見が分かれる。寧ろそう云った課題は一旦脇に置き、皆が共感出来る格差対策に焦点を絞った方が好い。そう云う事の様だ。
 
 ・・・兎に角、色々な政策を混ぜ込んでしまうと、共感出来ない人が出 て来ると云う事ですね。
 橋本  アンダークラスの大多数が支持政党無しで、投票に行くかも分から無い。そう云う人達を惹き着ける事を考えると、余り沢山争点を持ち込ま無い方が好いでしょう。
 ・・・橋本さんのイメージする政党を具体化するのは難しそうですね。
 橋本 政党では無いですが「薔薇マークキャンペーン」と云う運動がありますね。 反緊縮や積極的な財政出動を掲げて居ます。アノ運動は経済政策に特化して居て、安全保障等のイシューは持ち込ま無い様にして居る。
 日本の左派は、昔から経済主義を嫌って居ました。ゼニ勘定は軽蔑すると云う傾向です。今でもその傾向は無く為って居ないと思いますが、こう云った時代だからポジティブな意味での経済政策を打ち出す政治勢力があって好い。
 
 薔薇マークキャンペーンとは、立命館大学の松尾匡教授(理論経済学)や思想家の内田樹氏が呼び掛けて居る運動の事。消費増税に反対し、社会保障や教育分野の充実や大企業・富裕層への課税強化を掲げて居る。   
 只、私は内心少し不満だった。経済も大事だが、原発や米軍基地の問題は軽んじられ無いのではないか。そんな気持ちが表情に出て居たのか、橋本氏がフォローして呉れた。


 橋本 最も、アンダークラスを支持基盤とする政治勢力の具体的なイメージが出来て居る訳ではありません。世界的に見ても、極端な排外主義やトランプ氏みたいなのが支持を集めたりして居る。「れいわ新選組」も模索して居るのだと思います。
 辺野古基地問題を含めた政策リストを出してみたり、先程の「決意」みたいなものを出してみたり。ココから日本のアンダークラスに適したス タイルが生まれて来たら好いなと期待して居ます。







 「生きててくれよ ! 」の魅力に付いて

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 2017年6月 新宿で演説をした時の山本太郎氏「生きててくれよ !  死にたく為る様な世の中辞めたいんですよ !」2019年参院選でのスピーチが多くの人の心を打った

 山本氏の演説に付いても感想を聞いてみた。

 ・・・山本氏の演説は、素朴な言葉で人々の情念に訴えて居る点が人気を呼んで居るのだと思います。一方「大衆を煽って居る」との批判もある様です。
 橋本 でもね。日本には左派ポピュリズムと云う政治的立場はこれ迄台頭して来なかったのです。左派ポピュリズムが日本に根付く事は悪い事では無いと私は思います。実際に政権を担うだけの政策体系は無かったとしても、広く貧困の大衆の支持を集める政党が出来れば、それで政策のバランスは取れます。こうした政党には十分存在意義がある。
 ・・・「れいわ」に寄付した人を取材して居て気付くのは、山本氏の演説に自己肯定感を与えられたと感じて居る人が多い事です。
 橋本 哲学者のジョン・ロールズが書いた「正義論」で一番のポイントは「自尊」セルフリスペクトです。これが全ての人に保障されるべき最も重要な基本財であるとロールズは書いて居ます。その事を正面から言う政治家はアンマリ居ませんでしたよね。

 ・・・何故でしょう?
 橋本 当たり前だと思って居るのでしょうか。その事を単なるお題目では無くて人に納得させる事は難しいですよネ。もし低所得者の実感に合う様な形で、セルフリスペクトを語り掛ける事が出来て居るのだとしたら、それは素晴らしい事だと思います。
 ・・・これ迄の政治家はそう云う言い方をして来なかったのでしょうか?
 橋本 言うとしたら「基本的人権」ですよね。全ての人には基本的人権があるのだから、生活保護の水準は引き上げねば為ら無い。年金は確保し無ければ為ら無い。普通は、人権概念と云う近代政治の枠組みの中で語って来た訳です。 これは正しいのですが、そう云った言葉では通じ無い人々が居ると云う事です。

 ・・・少なくとも1980年代から日本の格差拡大は始まったと思います。昔はセルフリスペクト等ストレートに言わ無くても好い時代だった。現代はその土台さえ失った人が多数居ると云う事ではないでしょうか。
 橋本 全くその通りだと思います。セルフリスペクトを声高に叫ば無ければ為ら無い時代に為ったと云う事です。
 
 この辺り、橋本氏の言って居る事はとても分かり易かった。私が支持者達と会って感じて居た事を、上手く言葉にして貰った気がした。立派な政治家は他の政党にも沢山居るだろう。だが、残念乍ら少し話が難しかった。学校の授業の様で、聴衆との距離が遠かった。そこに違和 感がある人々が、山本氏に親近感を抱いたのだろう。







 貧困は自己責任じゃ無い !

 普通の学校に通う7人に1人は貧困と言われて居る。その状況は、自己責任で片付けられるものでは決して無い。所謂自己責任論に付いても橋本氏の考えを聞いた。  
 世の中には未だに「貧困⇒自己責任論」が蔓延(はびこ)って居る。貧しいのは本人の責任。努力し無かった本人が悪い・・・こんな考え方が広く行き渡ってしまった感がある。タチが悪いのは「貧しい人々自身がその考えに浸って居る」と云う言説である。
 確かに意識調査をすれば、貧困層にも自己責任論が広がって居る。だが、新聞等のメディアがそれをそのママ報じてはいけ無い。「本人がそう思って居るのなら仕方無い」と為るからだ。貧困層が自己責任論に傾いてしまう「理由」を深掘りすべきである。


 ・・・世の中に貧困を自己責任とする考え方が広まって居る様で、残念です。
 橋本 ものごとを選択する余地がある場合に限り、人々は責任を問われるべきです。アンダークラスの人々に自己責任論は成立しません。低賃金で不安定な仕事を社会的に強制されて居るのです。
 ・・・でも、生活が苦しい人達の中にも、自己責任論を受け入れる人達が居ますよね。  
 橋本 確かに、自己責任論はアンダークラスの人々にも或る程度まで浸透して居ます。「貧乏な自分」と云う現実がある中で、自分は努力して居る、自分には能力があると思い続けるのは難しい事です。矛盾と葛藤を抱え込む事に為るからです。
 しかし、自分は努力し無かったし能力が無いから仕方無い考えてしまえば、現実を静かに受け入れる事が可能に為ります。その様に自分を納得させてしまう人々が、アンダークラスの中に一定程度居るのは事実でしょう。

 ・・・アンダークラスの人々が進んで自己責任論に賛成して居る訳では無い。寧ろ貧困の現状に折り合いを着ける為「自己責任だ」と考えざるを得無い人々が居ると云う事ですね。
 橋本 そうです。一方で、自分は努力して居る、自分には能力があると思い続けるなら、社会が間違って居ると云う認識に辿り着く可能性が大きく為ります。矢張りセルフリスペクトが大切です。

 エリート達の自己責任論をいかに崩すか

 「れいわ」から話が少し離れるが、大事だと思うので書いて置きたい。当然の事ながら自己責任論は、貧困層よりも金持ち階級の方が信じて居る割合が高い。大企業のエリートサラリーマン、橋本氏が「新中間階級」と呼ぶ人々にも深く浸透して居る。この層の人々に自己責任論から脱却して貰うには、ドンな言葉が必要なのか。
 
 ・・・新中間階級の人々に自己責任論が広がって居るのですか。
 橋本 新中間階級に自己責任論の傾向が強まって行ったのは、ココ20 年の事だと思います。私が関わって居る調査によると、1995年迄はかろうじて新中間階級はリベラルだった。不公平がこの世の中に有る事をハッキリ認識して居た人が多くて、富裕層から貧しい人にお金を回す「所得再分配」にも割と好意的でした。処が2005年からアレっと云う結果が出る様に為りました。
 ・・・何故、2000年代から新中間階級に自己責任論者が増えて来たのでしょうか?
 橋本 戦後民主主義の成果と言えるのか分から無いですが、これ迄は弱者との連帯、弱者への共感と云う心性があったのかも知れません。そうしたものの見方が、高学歴な高所得者から急激に失われて来たと感じて居ます。

 ・・・何故新中間階級で目立つのでしょうか? 
 橋本 自己責任論には表と裏、プラスとマイナスの二つの側面があります。プラスは「自分が恵まれて居るのは自分のお陰だ」「自分が努力し、能力があったからだ」と云う側面です。
 これがマイナスに働くと「自分が貧乏なのは自分の所為だ」と為ります。これは表裏一体の関係です。新中間階級はこれ迄勉強や仕事で成功して来た人達です。この人達は先ず、自身の成功をプラスの側面で考える。「自分の地位や財産は自分で築いたものだ」と云う見方です。
 そしてこの層の人々は論理的にものを考えますから、今世の中に有る貧困に付いても同様の考え方をする。「貧しいのは本人の責任だ」そうして置かないと論理整合性が取れ無いのです。こうして、強固な自己責任論が成り立ちます。

 ・・・論理を大事にする人々に自己責任論から脱却し、貧困対策に積極的に為って貰うには、どうすれば好いですか? 
 橋本 正義や倫理だけで多くの人が一斉に動くとは考えられ無い。私は「自分の利益にも為りますよ」と伝える事が必要だと思って居ます。今は恵まれて居ても、子供がアンダークラスに入る可能性は低くありません。大学を出ても好い仕事に就けるとは限りません。
 だとしたら、アンダークラスが生まれ無い様な社会の方が好いし、仮にアンダークラスに為ったとしても、最低賃金で1500円貰える社会の方が好い訳ですよネ。1500円だったら子供がフリーターに為ってもそんなに絶望する必要は無い。
 子供だけで無く、今新中間階級の人達自身が老後に転落する事も有り得ます。退職金は減って居るし、年金の水準も下がって行きます。余程の大企業に勤めて居る人の他はアンダークラスに転落する可能性があります。幾らか貯金があっても大きな病気をしたら1千万円位簡単に無く為るでしょう。

 ・・・新中間階級の人々もい津生活が苦しく為るか分から無いと云う事ですね。
 橋本 もう一つ言いたいのは、格差の大きい社会とは不健康な社会で有ると云う事です。貧困に直面して居る人々だけで無く、それ以外の人々にも様々な悪影響がある。格差の大きい社会ではストレスが高まり、病気に為る確率が増える。追い詰められて犯罪を犯してしまう人が増えるので、犯罪被害に遭う確率も高まる。社会全体から連帯感が失われて行き、助け合いによって問題解決する雰囲気が無く為ります。

 
 説得力の有る言葉だった。貧困・格差は全ての人々を息苦しくさせるのだ。社会全体で貧困・格差を無くす努力を続けねば為ら無い。その為にも声を大にして言いたい。自己責任論を振り翳(かざ)すのは間違って居る。これからも 自己責任論・撲滅キャンペーンを張って行く。

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 牧内 昇平署「れいわ現象」の正体 (ポプラ新書) 貧困層だけでは無い。「れいわ新選組」に投票したのはどの様な人達なのか。そしてその背景は何か。山本太郎の力と危うさとは何か。多くの人の声をリアルに聞き、エビデンスも含めて熱く冷静に分析した一冊。
    

             牧内 昇平     以上








 【管理人のひとこと】

 山本太郎氏は、今や政治問題に限定されず、一つの社会現象として捉えられる様な注目される人物と為ってしまった。彼の政治上の主義主張も特異ではあるが、彼の生き方そのものに多くの人達が注目し興味を持ち、中には期待し恐れる人々が見守って居る。
 自分の個性と能力で、全く無名の新人二人を参院議員に当選させる実力を世に知らしめ・・・その実績は、本人が当選する以上の波及効果を上げる。この様な計算し尽くされたかの様な行動も、彼の実力と受け止められ、落選直ぐから始まった全国行脚も殆どのメディアが取材し短い文章でも報じる様に為った。

 この行動は決して無駄では無く今後の投資だと・・・全国を駆け回りポスター張りと当地の人達と話し合いの場を持った・・・この様な行動をした政治家・しようとした政治家は過去にも稀だろう。それを淡々と為し続ける忍耐力と根気とヤル気・・・政治家とはこの様な人を指すのだろう。
 政治の新しい切り口・新たな支持層の開拓・新しい政治活動・・・全てに於いて自ら学び研究し教えを請い出来上がった「太郎イズム」それが新しい世の中を作る大きな起爆剤に為ろうとして居る。今の地道な行動が何時かは表に現れ、大きな波へと拡がるのを期待して居る。「貴方達が政治の主人公なのだ!」と叫ぶ太郎氏の言葉が実に晴れ晴れと清々しく聞こえるのは私だけでは無いだろう。










 




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