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2021年05月07日

男系男子に固執する 二つのレポートをご紹介



 男系男子に固執する 二つのレポートをご紹介


 なぜ「女系天皇」は皇室を潰すのか 

 「皇室そのものの正当性の根拠は消え・・・内側から解体されていく」との見方も


 夕刊フジ 5/6(木) 16:56配信 門田隆将氏特別寄稿



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                 門田隆将氏 5-6-10


 〜秋篠宮ご夫妻の長女・眞子さまのご婚約を巡る最近のメディア報道の過熱振りを見ると、改めて「日本国民の誰に取っても皇室は、敬愛すべき存在であって欲しいと願う気高きものなのだ」と気付かされる。これ迄「男系」だけで世界に類を見ない長い歴史を紡いで来た中で「女系天皇」を認めてしまえば皇室はどう為るのか。人気作家でジャーナリストの門田隆将氏が、女系天皇の危うさについて緊急寄稿・警鐘を鳴らした〜  


 4月8日、安定的な皇位継承の在り方を検討する有識者会議の第2回会合が官邸で開かれた。ここでは、ジャーナリストの櫻井よしこ氏八木秀次麗澤大教授を初め、皇室や男系継承の意味を深く理解している方々が意見を陳述したので、先ずは安堵(あんど)した。
 だが、私はそもそも「安定的な皇位継承の在り方を検討する」との会議の趣旨に首を傾(かし)げて居る。男系の正統な継承者・悠仁さまがいらっしゃるのに、何故そんな会議が必要なのか疑問だからだ。  

 悠仁さまご誕生前に議論されて居た「安定的な皇位継承」そして「女系天皇」が、親王ご誕生で消えた筈なのに、何故例和の御代(みよ)が来ても必要なのかと云う事だ。
 男系は皇統唯一のルールである。代々の天皇は父方を遡(さかのぼ)って行くと神武天皇に辿(たど)り着く。これが皇統だ。歴史上、8人10代の女性の天皇も、何れも父方に天皇、若しくは皇太子らを持つ男系天皇だ。

 詰り、父方を遡っても神武天皇に辿り着か無い「女系天皇」は1人も存在しない。この足った1つのルールによって日本は「世界最古の国」と為った。エジプトも中国も、国家の興亡が繰り返されその度に新しい独裁者が生まれた。だが、日本は違う。昔も今も日本であり、何時の間にか世界最古の国と為った。天皇は令和の今も脈々と続いて居る。
 その理由こそ男系にある。父系を辿れば神武天皇に辿り着く皇統は時の独裁者にも覆せない。
 平家や源氏、或いは足利・織田・豊臣・徳川・・・どの時代の権力者も天皇に為り代わる事は出来ず、精々娘を天皇に嫁がせ、外戚として振る舞う事しか出来なかった。これは「権威」「権力」を分離した先人の智慧(ちえ)による。

  6世紀に武烈天皇が後嗣(こうし)を残さず崩御した際、5代上の応神天皇迄遡り、越(こし)の国から5代孫の継体天皇を即位させた。  
  江戸時代には、3宮家では皇位が危ないと感じた新井白石が東山天皇の6男の直仁親王に閑院宮家を創設させた。懸念は現実と為り、白石の死後70年を経て後桃園天皇が後嗣を残さず崩御。その際、閑院宮家から光格天皇が即位し皇統が維持されたのである・・・これを、二度の男系の危機と云うらしい。

 どの国でも権力と権威は一致している。独裁者は常に両方を持って居り、国が滅ぼされれば新たな独裁者が生まれる。だが、日本は天皇の存在によって「国が変わること」は1度も無かった。  
 悠仁さまご誕生によって男系は維持される事に為った。しかし「安定的な継承」の為に女系天皇を認めようと云う不遜(ふそん)な動きが起こった・・・悠仁さま廃嫡論だ。共産党の理論的支柱・奥平康弘東大教授が雑誌『世界』の2004(平成16)年8月号に寄稿した論文にヒントがある。  

 女系天皇〈天皇制のソモソモの正当性根拠である処の『萬世一系』イデオロギーを内において浸蝕(しんしょく)する〉と記したのだ。正統性が消えた天皇はやがて滅ぶとの見解である。  
 何故女系天皇に為れば皇室は滅ぶのか。女性天皇が結婚され、生まれたお子さまが即位すれば女系天皇だ。何処の血筋の人か判らないが、何れにしても父方を遡っても神武天皇に辿り着か 。詰り正統性なき天皇である。

 萬世(ばんせい)一系の皇統が途絶すれば、皇室そのものの正当性の根拠は消え、内側から解体されて行く・・・と奥平氏は分析している。仮に国際結婚で父親が中国人なら中国系に為り、韓国人なら韓国系に為る。それが女系天皇だ。皇統と関係の無い天皇が続いた場合、やがて皇室は消え去ると云う見方だ。  
 確かに、長く天皇制打倒を掲げて来た共産党は19(令和元)年6月、志位和夫委員長が「赤旗」女系天皇容認を打ち出し立憲民主党も追随。朝日新聞や毎日新聞がこれを評価した。面子を見れば「何の為に?」と云う事が分かる。  

 男系では、母親が昭和天皇の長女・祖母は明治天皇の第9皇女と云う東久邇家には、今も男系継承者が何人も居る。皇室典範を改正し、皇族が養子を迎える事が出来る様に為れば皇統は何の心配も無いのである。  
 有識者会議の人々がどう云う国家観を持ち知識と常識を備えて居るのか。私はそのことに限りない関心を抱くのである。  

 門田隆将(かどた・りゅうしょう) 作家・ジャーナリスト 1958年 高知県生まれ 中央大学法学部卒業後 新潮社入社 元「週刊新潮」デスク 歴史、司法、事件、スポーツなど、幅広いジャンルで活躍する
『なぜ君は絶望と闘えたのか』(新潮文庫)『死の淵を見た男』(角川文庫)『疫病2020』(産経新聞出版)などベストセラー多数 『この命、義に捧ぐ』(角川文庫)で山本七平賞受賞 最新刊は『新・階級闘争論』(ワックBUNKO)





 皇位継承、男系断絶の危機乗り越えて来た過去


 産経新聞 2019.8.13 21:18
          


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                    5-6-11

 皇統は126代にわたり例外無く男系で維持されて来た。女性天皇は過去に10代8人存在したが、何れも男親を辿れば初代の神武天皇に行き着く男系だ。この皇位継承が危機に瀕する度に、時の為政者は遠縁でも男系の継承者を探し出すなどして来た。

 断絶危機に備えた先人
 
 皇統断絶の危機は何度か訪れたが、解消に尽力した先人たちが居た。例えば大伴金村(おおともの・かなむら)と新井白石だ。
 5世紀末から6世紀半ばの豪族だった大伴は、現在の福井県から応神天皇の5世孫を招き第26代継体天皇として即位させた。江戸時代中期の儒学者だった新井は、皇統断絶に備えて閑院宮家の創設を進言した。この宮家からは現在の皇室の方々と関係が深い第119代光格天皇が即位しており、新井の備えが功を奏した。 

 男系継承に対しては「女性差別だ」との意見もあるが、京都産業大の所功名誉教授(日本法制文化史)は「皇室の祖先神と信じ仰(あお)がれるのは女神の天照大神であり、母性・女性の尊重こそ日本の伝統だ」と否定する。

 管理人・・・女神の天照大神を尊敬し祀るのは、母性・女性の尊重こそが日本の伝統だ・・・とするなら何故女系天皇を忌避するのかの説明に為っていない。

 広まる「誤解」
 
 とは云え、前例の無い女系天皇を容認する声は少なくない。産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の5月の合同世論調査では女系天皇への賛成が64・2%に上った。皇室に詳しい麗澤大の八木秀次教授は「皇位継承の原理原則を知らず、女王がいる英王室等と同一視して居るのだろう」と解説する。
 
 伝統を重視する人達は、戦後に連合国軍総司令部・GHQの意向で皇籍を離脱した旧11宮家の男系男子孫の復帰等による解決を求めている。その中に適任者が居るのか疑問を示す向きもあるが『誤解だらけの皇位継承の真実』などの著書がある作家の八幡和郎氏「旧宮家以外にも男系を守っている方々が少なく無い」と指摘する。
 戦前に皇室を離れた皇族や江戸時代に公家の養子と為った皇族に由来する「皇別摂家」の子孫を指して居り、八幡氏は「秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまの同世代でも対象者は数十人は居るのではないか」と語る。

 世論分断の懸念
 
 只、政界でも男系継承への理解は十分に広がって居ない。立憲民主党は6月にまとめた論点整理で「偶然性に委ねる余地が余りに大きい」として女系天皇を容認すべきだと訴えた。旧皇族の復帰について「グロテスクだ」と嫌悪感を示す政府高官も居る。
 それでも八幡氏は「原則を曲げれば正統性が揺らぎ『本来の継承者に返せ』と云う運動が起きる」と話し、社会の混乱を抑える為にも男系継承を守るべきだと訴える。

 八木氏もこう指摘する『国民統合の象徴』を巡り国家が分断される事態だけは避け無ければ為ら無い。男系継承は守るべきだ。1千年後を生きる子孫から『一時代の価値観に囚われた愚かな世代が伝統を壊してしまった』と嘆かれ無い為にも」

 少なくとも戦後の為政者らは、皇位継承に関し先人並みの汗を流していないことは確かだ。

 内藤慎二 以上



 〜管理人のひとこと〜

 男系男子の原則論・・・お二人のレポートにどれだけの説得力があるだろう。先ず男系を遡れば神武天皇へ辿り着く・・・との事が大原則なのだが、神武天皇が実在の人物であり果たして天皇と呼ばれていたとする事実が在るのかどうかが甚だ疑問なのだ。
 仮に、それに似た人物が存在したのだろうが、その人が果たして天皇と呼ばれていたのか、単に何処かの王であった人で、後に天皇と仮定(古事記・日本書紀で)したに過ぎない・・・詰り、天皇位の存在と各天皇の実存が全く曖昧であるのが事実であり、或る人物の存在を断定できないのに、その人物が果たして男系・男子で在るかの疑問も成立しないのだ。
 架空・想像上の人物を実存だと設定し、何かと権威づけただけであり、それに影響されて仮定の「男系男子」を論じても何の意味も為さないのだ。恐らく「男系男子」も「一統」も疑わしい。明治のドサクサに皇統が作られ数字的にも合わないものを短時間で作り上げてしまったのが初期の明治政府なのだから、天皇陵等も同じで不確かなものを次々と指定して行ったのが歴史の真実なのだ。

                 以上



















真面目な自衛官の苦悩・・・専守防衛と云う「まやかし」



 真面目な自衛官の苦悩・・・

 専守防衛と云う「まやかし」が日本に危機をもたらす



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 作 織田 邦男 JBpress 2021年05月07日 06:00
 
 プロフィール 5-7-2 元・空将 1974年 防衛大学校卒業 航空自衛隊入隊 F4戦闘機パイロットなどを経て83年米国の空軍大学へ留学 90年第301飛行隊長 92年米スタンフォード大学客員研究員 99年第6航空団司令などを経て2005年空将 2006年航空支援集団司令官(イラク派遣航空部指揮官) 2009年に航空自衛隊退職 2015年東洋学園大学客員教授 2018年国家戦略研究所所長



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        コピーライトマーク JBpress 提供 航空自衛隊の主力戦闘機「F-15」 5-7-1

 今年の憲法記念日は、例年になく改憲論議が低調だった様に感じた。他方、新聞の世論調査では、新聞各社によって数字はマチマチであるが、共通して改憲勢力の方が護憲勢力より上回っていた。
 尖閣諸島では、中国公船によって毎日の様に我が主権が侵され、台湾海峡では緊張が高まり、国民は中国の脅威を肌で感じ取って居る。国内では、新型コロナウイルスの猖獗により、今ほど緊急事態条項の不備を実感する時は無い。にも関らず、憲法論議が盛り上がら無い。
 
 東京など主要都市で緊急事態宣言が発出中であり、集会やシンポジウム・野外行進などが制限された所為もあるだろう。何より改憲反対政党のサボタージュにより、国会の憲法審査会が機能してこ無かった事が大きい。改憲と言えば、矢張り「9条」を避けて通る訳にはいかない。 
 現在、世論調査によると、日本で最も国民に信頼される組織は自衛隊である。国民の92%が自衛隊の存在を認めている。先日、政府はワクチン接種の為の自衛隊出動を決めた。災害派遣から豚コレラ処理に至る迄「困った時の自衛隊頼り」は顕著に為り、マルで「便利屋」扱いである。

 もう9割以上の国民が自衛隊を認めて居るのだから、9条改正は不要と云う声もある。だが、今尚憲法学者の62%が自衛隊の存在を違憲と主張して居るのも事実である。学者や政党の間では合憲か違憲かと云う神学論争が今なお続いている。
 自衛隊に対する国民の好感度いかんに関らず自衛隊の存在は、政治的には解決・法的には未解決状態なのだ。自衛隊は日本の安全保障の「最後の砦」である。

 有事が現実化するかも知れない昨今の情勢にあって、未だに宙ブラリンの状態に自衛隊を放置し、いざ有事に為ったら命を賭けて働けと言うのは身勝手過ぎる。自民党はこう云う状況を受け、現行の9条はそのママにして、新たに自衛隊の存在を明記しようとしている。
 改憲のハードルの高さと現在の政治情勢を考えると、止むを得ない選択かと筆者も思う。だが、それは飽く迄次善の策であり、本来の姿では無い事を国民は知るべきだ。改めて憲法9条を振り返ってみよう。

 第9条 (1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 第1項の「戦争放棄」は「パリ不戦条約」(1928年)の焼き直し・・・詰り侵略戦争の否定であり問題は無い。だが第2項の「戦力」「交戦権」否定は矢張り無理がある。この第二項がこれ迄日本の安全保障政策を歪めて来た事は否め無い。
 現行憲法は進駐軍の占領下に在って、連合軍総司令官ダグラス・マッカーサーが約20人のスタッフを掻き集め、約10日間で作らせた速成物である事は公知の事実である。マッカーサーはこの時、真に非武装日本を造ろうとしていた。

 9条は当初「戦力・交戦権」を放棄し、自衛権発動の戦争さえ否定して居た。1946年の国会で吉田茂首相は次の様に答弁している。
 「戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定して居りませんが、第9条第2項に於いて一切の軍備と国の交戦権を認め無い結果、自衛権の発動としての戦争も、又交戦権も放棄したのであります」
 これに対し、日本共産党の野坂参三代議士は「侵略戦争は正しく無いが、自国を守る為の戦争は正しい。憲法草案の様に戦争一般放棄と云う形では無く、侵略戦争の放棄とすべきではないか」と食い下がった。吉田首相はこれに対し「近年の戦争の多くは国家防衛権の名に於いて行われたる事は顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認むる事が偶々戦争を誘発する所以であると思うのであります。(中略)正当防衛を認むる事それ自身が有害であると思うのであります」と述べた。

 今の自民党、日本共産党の主張とは真逆であるのが面白い。憲法制定後、朝鮮戦争が勃発し冷戦激化の事態に直面し、政府は憲法解釈を180度変える。「我が国が独立国である以上、この規定は主権国家としての固有の自衛権を否定するものでは無い」(政府統一解釈) 
 この解釈変更は、パリ不戦条約や国連憲章とも齟齬しないから問題は無い。だが第2項の「戦力」「交戦権」を否定したママであればどうしても矛盾が生じる。この矛盾を「まやかし」と云う苦肉の策で糊塗して来た事が日本の安全保障論議を未成熟なものにした。

 「自衛の為の必要最小限の実力」は「戦力」では無いと云う「まやかし」である。政府答弁書にはこうある。「憲法第9条第2項は『戦力』の保持を禁止しているが、この事は、自衛の為の必要最小限の実力を保持すること迄禁止する主旨のものでは無く、これを超える実力を保持することを禁止する主旨のものである」
 この「まやかし」が生んだ最大の弊害は「専守防衛」と云う用語を製造したことだろう。そもそも「専守防衛」と云う言葉は軍事用語には無く政治用語に過ぎない。従って英語に訳しても諸外国には理解して貰えない。政治用語であるが故に概念が曖昧で、人によって解釈が大きく振れる。

 未だに「専ら守るだけ」「反撃しない」「攻撃兵器は保有しない」と平気で述べる政治家が居るから驚きだ。国の安全に責任を有する政治家がそう云う軍事的非常識を得意げに述べるから罪は深い。専守防衛に対する政府の解釈は以下の通りである。
 「相手から攻撃を受けた時に初めて防衛力を行使し、その態様も自衛の為の必要最小限に留め、また保持する防衛力も自衛の為の必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」(防衛白書)

 これに似た専門用語に「戦略的守勢」と云う言葉があるが、似て非なるものがある。こちらから軍事力を行使する事は基本的には無いが、相手の攻撃を抑止するに十分な合理性ある防衛力を備え、相手の攻撃には即座に反撃・阻止し、また相手の攻撃意図が明白な場合、先制的にこれを阻止する事も在ると云うものである。
 現代戦は侵略か犯罪か不明、或いは防衛事態か警察事態か明白で無いグレーゾーンから始まるのが常態である。「相手から攻撃を受けた時に初めて防衛力を行使」する「専守防衛」では、現代戦には対応出来ない。又攻撃を受けてから初めて防衛力を行使するのでは、国民が被害を受けることを前提にして居る。

 一発の核兵器で何百万人の被害が出る現代戦にあっては、極めて非人道的な政策であることを国民は知るべきだ。サイバー攻撃の様な物理的破壊が伴わず、被害を受けたかどうか分から無い攻撃には対応不可能である。「専守防衛」を受け、政府は「武力攻撃事態」の認定を厳密に行い、防衛出動を自衛隊に命ずる事に為っている。
 詰り「国または国に準じる者」による「組織的・継続的・計画的」な攻撃であるかどうかを議論し認定する訳だ。

 尖閣諸島に数百隻の漁船が来襲し、武装民兵が上陸した事態を想像すれば好い。政府は、自衛隊の出動は愚か、攻撃事態の認定さえ出来ず右往左往する内に機を失し尖閣を奪取されるだろう。
 「自衛の為の必要最小限」の装備と云うのも「まやかし」に近い。装備品は導入に4〜5年掛かりその後30年近く使用する。従って、導入時には約35年先を予測して、実力を確保して置く必要がある。導入時には過剰な実力と為るのは当然である。戦争を抑止する為には、軍事的合理性のある装備品を保有する必要がある。
 最新鋭の装備を導入しながら「自衛の為の必要最小限の実力」を主張するのは「まやかし」以外の何物でも無い。「必要最小限」かどうかと云う不毛の議論では無く「軍事的合理性」があるかどうかを政治の世界で議論すべきだろう。

 「交戦権」については、冷戦時も今も全くと言って好い程議論が無い。これは逆に危ういことだと筆者は思っている。「交戦権」の政府解釈は以下の通りである。
 「交戦権とは、戦いを交える権利と云う意味では無く、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であって、相手国兵力の殺傷と破壊、相手国の領土の占領などの権能を含むものである」(防衛白書) 「交戦権」が無くても自衛権行使には問題無い事を政府は次の様に説明する。

 「我が国が自衛権の行使として相手国兵力の殺傷と破壊を行う場合、外見上は同じ殺傷と破壊であっても、それは交戦権の行使とは別の観念(であり問題ない)」
 諸外国は自衛権行使に当たっても交戦権、詰り戦時国際法で認められた権利を行使して戦う。だが、日本の場合、自衛権行使の際には、交戦権は無くとも同等の権利が行使出来ると云う。本当にそうだろうか。例えば、戦時国際法に認められる「交戦権」には以下のような権利がある。

 @ 敵国の将兵への攻撃および殺傷
 A 防守地域・軍事目標への攻撃およびその破壊
 B 敵国領土への侵入およびその占領
 C 敵国との海底電線の遮断
 D 海上での敵船・敵貨の拿捕・没収
 E 敵地の封鎖、中立国の敵国への海上通商の遮断および処罰
 F 海上での中立国の敵国への人的・物的援助の遮断および処罰
 
 有事の際、作戦所要に応じてこれら「交戦権」に準ずる作戦を政府は果たして命ずることが出来るのだろうか。「専守防衛」との絡みで自縄自縛に陥るのではないか。「必要最小限度の武力行使」と云う美名の下(もと)、軍事的合理性を捨て去り自衛隊を危殆に陥らせる事は無いのか。こう云う事こそ平時に議論し憲法に反映させて行く姿勢が求められている。

 筆者は35年間、戦闘機パイロットとして国防の任に就いて来た。憲法9条2項に依って立つ「まやかし」と実戦との乖離について常に脳裏から離れる事は無かった。尖閣諸島や台湾海峡有事が取り沙汰される中「まやかし」は最早通じ無い。モヤモヤ気分で自衛官を戦場に送り込んでは為らない。
 自衛隊を憲法に明記する事は最低限必要である。その上で、矢張りスッキリした形で我が国を防衛出来る様憲法9条は改定すべきである。国権の最高機関である国会での真剣な議論が望まれる。
                     
                以上



 〜管理人のひとこと〜

 管理人も自衛隊ファンの一人である。著者の指摘するように最近政府は何かというと自衛隊を頼りにし縋ってばかりいる様だ。その分多くの国民から期待と信頼が増すことに為る。地震・水害・その他諸々の災害・化学兵器の防災・・・果ては医師や看護師の派遣・・・実力部隊として直接行動出来る唯一の組織なのだ。
 本来の任務を熟しつつこの様な突発的な出動に対処するには、充分な余力と万全な準備が必要だ。果たして予算や人的な支えが整っているのか心配だ。オーバーワークで隊員の身体的影響も心から心配だ。これら全てのことは、多くの国民から理解され支援される精神的なバックボーンが在ってこそ癒されるだろう。
 自衛隊の法的根拠・・・それが皆無だと隊員を嘆かせるのは政治の怠慢以外の何物でも無い。その為の法律は憲法によって拘束されるので憲法改正へと話が広がらざるを得ない。「憲法改正」に直ぐにでも立ち向かわなくては為らない状況だ。
 唯一の実力組織だと甘え便利に使っているだけだと、間違って何時かは、ミャンマーの様に国民に標的を向け無いとも限らない。物心とも国民が支えなくては為らないのだ。

                以上



















元・豪首相上級顧問が語る中国 「日本人は山本五十六の指摘を忘れては為ら無い」



  元・豪首相上級顧問が語る中国
 
 「日本人は山本五十六の指摘を忘れては為ら無い」



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      牧野 愛博 OFFICIAL COLUMNIST 朝日新聞外交専門記者 5-7-3


 〜過つて衝撃的な著書『アメリカが中国を選ぶ日』を発表したオーストラリアの元国防副次官。最早中国抜きでは成り立た無く為った世界について厳しい未来を語る。安全保障分野のトップジャーナリスト牧野愛博氏によるオーストラリアレポート第4弾〜


 私は昨年11月、オーストラリアに出張する前、日本の知識人達に「豪州で一番のリアリストは誰だろうか」と尋ねて回った。私の頭の中に「リアリストこそ、現実を好く知る人物」と云う一つの仮定があったからだ。
 専門家なら誰もが知る言葉のひとつに「外交や安全保障は、遣れば遣る程リアリストに為る」と云う文句がある。安全保障と外交の世界に平等と云う言葉は無い。国連安全保障理事国や核拡散防止条約・NPT体制等、全く不平等な取り決めだが「戦後秩序」「パワーゲーム」等の言葉の下で受け入れ無ければ為らない。
 外交や安全保障は、こうした彼我(ひが)の力の差や国際関係を冷静に客観的に分析した上で、議論し無ければ単なる理想論や自己満足な議論に終わってしまう。過つて、戦前の日本の軍部がスローガンとして使った「神州不滅」社会党が展開した「非武装中立論」等もそのひとつだろう。

 私の問いに対し、日本の知識人達が一様に推薦して呉れたのが、豪州国立大・ANUのヒュー・ホワイト教授だった。只、知識人達は「チョット主張が極端なのが偶に傷なんだけど」と付け加えるのも忘れ無かった。



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              ヒュー・ホワイト教授 5-7-4 

 ホワイト教授は、オーストラリアの首相上級顧問や国防副次官等を務めただけあって、誰よりも豪州を取り巻く安全保障の現実に精通した人物だ。同時に、教授は2012年に発表した著作『アメリカが中国を選ぶ日』「中国が巨大に為れば為る程、米国は日本を支える為に、中国との良好な関係を犠牲にする訳には行か無く為る」など、日本人には苦々しいと言える論理を展開した。
 2019年には、豪州が核武装について議論する必要性について問題提起をして関係者らを驚かせた。豪州に取って、同盟国の米国と最大の貿易相手国である中国との関係を両立させるのは簡単では無い。教授の過激な主張は、この問題について悩み抜いた結果だとも言える。

 過激な主張から想像しどんなに気難しい人が出て來るかと緊張しながら、私はキャンベラに在るANUの研究室のドアをノックした。出迎えて呉れたホワイト教授は、私の想像とは全く逆で非常に温厚な紳士だった。彼は2時間近く、私の拙い質問に対して熱心にそして丁寧に答えて呉れた。

 ホワイト教授のリアリズムを生み出した原体験は興味深いものだった。教授は、豪州政府の一員だった1995年から96年に掛けて遭遇した台湾海峡ミサイル危機での体験を紹介して呉れた。当時、中国は台湾周辺海域でミサイル発射実験を実施。米国が原子力空母2隻を派遣する事態に至った。
 教授は当時、米国防総省の当局者に「台湾海峡に派遣した米空母が沈ま無いと確信して居るのか」と尋ねたと云う。米側の答えは「強い自信がある」と云うものだった。それから四半世紀が過ぎた。

 ホワイト教授は「現在、米軍が中国軍の勢力圏内で空母を航行出来るとは思わ無い」と断言した。教授によれば《米国は、台湾を巡る中国との紛争が起きた場合、数週間又は数カ月以内に、明確な勝利を得られると確信出来る軍事戦略を持って居ない》
 教授は「トランプ大統領が、アジアで米国の戦略的リーダーシップを維持する考えを持って居るかどうかも非常に不明確だ」とも語った。

 また、ホワイト教授によれば、台湾海峡危機の際、当時のハワード豪政権は米国を支持したものの、中国からも閣僚レベルの接触を全て凍結すると云う厳しい対抗措置を食らった。ハワード首相は8カ月後に江沢民国家主席と会い取引したと云う。
 ハワード氏は江氏に「豪州は米国の緊密な同盟国であり続ける。だが、中国とも非常に強い関係を持ちたい。豪州は米国の同盟国として中国に直接的な行動は取ら無い」と約束した。

 ホワイト教授はハワード首相の約束について「当時、米国は中国を戦略的ライバルと観て居なかったので、そう言うのは簡単だった」と語り、続けてこう明かした。「だが、中国人は未だ私達と結んだ原則に固執して居るのだ」 事実、教授によれば、中国を「戦略的ライバル」と定義した豪州政府は未だ現れていないと云う。

 ホワイト教授が教鞭を執るANUにも現実の波が押し寄せている。教授は「オーストラリアで学ぶ中国人留学生は20万人前後だろう。ANUでも、中国人が学生の約8割を占める学部もある」と明かす。
 「豪州の4大輸出品は、鉄鉱石・石炭・教育・観光だ。中国人留学生は豪州の大学制度維持に不可欠だと言っても偽りでは無い。もし中国が豪州を訪れる留学生の数を劇的に減らせば、我々の教育システムは壊滅的な影響を受けるだろう」

 ホワイト教授のリアリズムは、非常に厳しい未来を予言する。「中国の野望に反対すれば、直接、対決する事に為る。中国が望むものは何でも与えるべきだとは言わ無いが、我々は幾つか譲歩し無ければ為ら無いだろう」
 教授は「中国は成長を続けより強力に為った。中国との冷戦を唱える人も居るが、その結果はどう為るのか。紛争に為って米国が勝てるとは思わ無いし、日本や豪州も勝てるとは思わ無い。核戦争の可能性だってある」とも語る。

 日米が掲げる「自由で開かれたインド太平洋」FOIP構想や「QUAD」と呼ばれる日米豪印安保協力についても厳しい指摘が飛んだ。
 「FOIPの実現の為に必要なのは、中国の成長力と影響力の封じ込めだが非常に難しいだろう。アジアにおける米国の外交的・経済的・軍事的な立場が中国よりも弱体化して居るからだ」
 教授に言わせれば、FOIPは「単なるスローガンで政策では無い」と云う。教授は、QUADの4カ国の協力にも懐疑的だ「どの国も、中国との関係が非常に重要で、中国との関係を犠牲にする事を望んでいないからだ」

 そして、ホワイト教授は日本の未来についても言及した。

 「尖閣諸島で(日中の)衝突が起きた時、豪州は中国に経済制裁を科すだろうか。そんな事は無い。プレスリリースや閣僚声明は出すだろうが、日本を支える為に、中国との関係を危険に晒さ無いだろう」

 インタビューの最後に、私は日本の一部にある〔優秀な自衛隊と日米同盟があれば、日本は必ず中国に勝てる〕と云う意見についてホワイト教授の意見を聞いた。教授は「自分の評価に非常に冷静である事がとても重要だ。戦略における最も一般的な間違いの一つは、敵対者を過小評価することだ」と語った。
 教授は、米軍が世界で最強の軍隊である事実は否定しない。只、紛争の舞台として予想されるのは東アジアであって、中国の裏庭とも呼べる場所にある(直ぐそこにある近隣)「米国は、中国を打ち破る十分な力を東アジアに投入出来ない。中国に取っての東アジアは、米国に取ってのカリブ海の様なものだからだ」

 そしてホワイト教授はこう付け加えた。「日本は75年前、米国を過小評価して居たが山本五十六連合艦隊司令長官だけは違った。それはヤマモトが当時、米国が保有していた船腹量では無く、米国の造船所の建造能力に付いて理解して居たからだ」
 教授は、山本五十六が過つて「(対米戦争を)ヤレと言われれば、最初の半年や1年は暴れてご覧に入れる。しかし、2年、3年と為れば全く確信は持て無い」と述べた事実を指摘したかった様だ。

 教授は別れ際、日本で翻訳出版された「アメリカが中国を選ぶ日」をプレゼントして呉れた。もっと現実に目を向けて勉強しなさいと云う意味だと受け止めた。

                    以上



 









 
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