アフィリエイト広告を利用しています
ファン
検索
<< 2021年05月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
ヨリちゃんさんの画像
ヨリちゃん
プロフィール

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2021年05月22日

オッサンと住む 元アイドルが得た 「最高の天職」 元SDN48 大木亜希子



 オッサンと住む 元アイドルが得た 「最高の天職」

 元SDN48 大木亜希子 女子の共感を呼ぶ生き方


 作 二宮 未央  ライター・コラムニスト  2019/12/13 8:00


5-22-20.jpg

  元SDN48のメンバーで現在はフリーライターの大木亜希子さん(撮影 梅谷 秀司)5-22-20


 🖊・・・最近、歩く度に金属音がカチャカチャ鳴って煩いと思ったら、ヒール先端に打ち込まれた小さなネジが露わに為り、もうボロボロである。しかし私は剥げた部分を黒いペンで塗り潰し、颯爽と見栄えを整える。
深呼吸、深呼吸、精神集中。今日もいける。私は可愛い。
 仕事に向かう為、扉を開けた途端に、フト玄関横に設置した姿見に自分が映った。アイドル時代からおよそ20キロ肥えた胴体、そしてそこから太々しく生えた首。丸太の様な寸胴が、寂し気にこちらを向いている。将来の不安を打ち消す為に、終業後は合コンに繰り出しては、ロボットの様に笑顔を振りまく日々。何時か王子様が迎えに來る筈だ。早い処結婚して、この終わりの無いゲームから逃げ切れば好い・・・🖊


 大木亜希子著『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のオッサンと住む選択をした』より


 彼女が重ねた「ノルマ飯」の呪縛

 ノルマ飯・・・男性と出会い食事をして恋人候補者の手札を増やして行く行為・・・の事を大木亜希子(30歳)はそう呼んでいた。自分にノルマを課して「適齢期」迄に結婚出来る様に必死で調整する。
 それは叶う事無く人生の伴侶は一向に得られ無い。会社を辞め金銭的にも追い込まれた彼女は、等々貯金残高が10万円を切ってしまう・・・現在はフリーライターであり、過つてAKB48の姉妹グループとして活動したSDN48の2期生だった元アイドルの大木は、自身2冊目と為る新著『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のオッサンと住む選択をした』をこの11月末に上梓した。
 書名の通り「仕事なし」「彼氏なし」で人生に追い詰められた元アイドルが、或る日駅のホームで突然、足が動か無く為った事を切っ掛けに、姉の紹介で赤の他人のオッサンである通称「ササポン」(58歳)と暮らす日常を描いた実録私小説だ。先行したウェブの連載を含めてSNSを中心に話題を呼んでいる。

 「有りの侭の、裸の、絶対に格好付け無い言葉で私が代弁する事で、それに救われる人が居ると思うのです」

 12月初め、インタビューに応じた大木は新刊に込めた心情を打ち明けて呉れた。勿論〔若い独身女子とオッサンの同居生活〕を追った興味深いドラマとして面白く読めるが、本質はそこには無い。
 華やかな世界に身を置いた元アイドルが「魂を削る」と言っても好い程の力強い言葉で赤裸々に包み隠さず〔人には話せ無い失敗談〕〔自分の本音アルアル〕を露わにして居る。
 誰もが抱きながらも普通は口にはし難い仕事や人間関係・恋愛等に対する葛藤や苦悶に立ち向かう1人のアラサー女子の生き方。彼女と近い世代の女子からすれば、自分にも起こり得るかも知れ無い。そこに共感が重なるのだ。

 大木は今年5月、初めての著書『アイドル、やめました。AKB48のセカンドキャリア』を出版した。過つてのアイドルが「アイドルを終えたその後の人生」で、如何にして一般社会に戻り別の職業に就き、どのような悩みと共に生きどんな恋をしているのかをノンフィクションで描いた。そこから半年で2冊目の刊行に漕ぎ着けた。
 
 大木は2010年から2012年まで約2年半SDN48に在籍した。それ以前に10代前半から女優として活動し、ドラマや映画で大役を演じたこともあった。2012年3月31日をもってSDN48が〔一斉卒業〕したその翌日から、彼女は〔1人のタレント〕という立ち位置となった。
 過去の栄光にすがりつきながらも、昼は地下アイドル・夜は業界の食事会に顔を出す日々。その後、彼女は芸能事務所を退社する。そして25歳の時、もともと文章を書くことや読書が好きだった彼女は、地下アイドル時代のファンからの「アキちゃんの文章面白いよ」という言葉を励みに、わらにもすがる思いでネットで見つけたライター募集に応募する。

 そこからライターとしてのセカンドキャリアを歩んできた。容姿端麗な元アイドルのライターという特異な経歴。大木は確かに目を引く存在だがライター歴は約5年。駆け出しというほどではないが、業界の中で見ればまだまだキャリアは浅い。
 生き馬の目を抜く編集者が認める「本当の実力」がなければ商業メディアにおける継続的な執筆や書籍の出版なんてできない。
 大木はもがき苦しみながらも、ライターとしての経験を積み結果を出している。ただ、ライターとしてがむしゃらに「頑張る大木亜希子」が水を得た魚のような生き方を見いだせたのは、アイドルとしては結果を出せず「頑張れなかった大木亜希子」がいたからこそだ。

 芸能界に入らざるを得なかった理由

        5-22-21.jpg

 「父親が居たら『辞めて置きなさい』と言われるで有ろうことも、父は居無かったので好い意味でストッパーが在りませんでしたね」(撮影 梅谷 秀司)5-22-21

 大木は父が歯科医院を営む裕福な家庭に生まれた。長女に次ぐ次女と、双子で三女の奈津子と四女の亜希子・・・詰り @長女 A次女 BC双子の奈津子と亜希子と為る4人姉妹の末っ子として育った。幼少期は好くレースのワンピースを着せられ、家族の誕生日にはグランドピアノを囲み、母が「ハッピーバースデー」を演奏する。まるで「人形の家」と云う戯曲の様な、一見すると幸福そうに見える理想的な家庭だった。
 処が、大木が小学校5年生の時一家の運命は一転する。父が脳梗塞で倒れたのだ。ふくよかだった父は、体重30キロ台のガリガリの体に為り、オムツを付けて寝た切状態に為ってしまう。

 「変わり果てた父がそこに居ました。その姿を見て、人間の人生はアッと云う間に終わってしまう、絶対的な存在も何時か居なく為ってしまう、と云う事を痛感しました。その頃から妙な自立心が芽生えました」

 父親の死後、それまで専業主婦だった母親は学童保育やピアノの先生等色々な仕事に携わった。大木は家計を支える為、姉の友人からのスカウトを切っ掛けとして芸能界入りを決意。双子の姉・奈津子と共に芸能コースのある高校に入学する。
 そこでライバルと競争しながら、放課後は区民プールへ行って毎日減量する日々。体重が0.1グラムでも増えたらヤバいと云う、或る種軍隊の様な生活を重ねたが、現実はそう甘く無い。

 「鳴かず飛ばずで、同級生が次々と仕事で授業を休む中、私だけ取り残されて『アレ?コンな筈じゃ無かった』と思いました。これで母親の事を助けられると思ったのにそうでは無かったんです。認めたく無い敗北を認め、その後48グループのアイドルに為って、要約、紅白歌合戦も見切れ組だけど出演出来た。少しは親孝行も出来たかも知れない・芸能界で花開き始めたのかも知れないと思いましたが、実際は全くそうではありませんでした」

 家族を支える為、芸能界で一旗揚げて成功すると云う彼女の目論みは失敗に終わる。とは云え、経験は無駄に為ら無かった。

 「今世の中で注目されている事象やネタや人物の裏側・反義語、主役じゃ無い部分に着目する事が、癖付(くせづ)いて見える様に為りました。目立って居るものの真逆を突き進めて、真実を追求して行きたいのです」

 大木は自分のライターとしての強みをこう語る。主役では無いポジションに居たからこそ、その時に感じた思いや視点が在り見る事が出来た世界があった。彼女は今、自分の全ての経験を体中から絞り出し、自らの体内を通して実感した感情をノンフィクションと云う形で書いて居る。

 「私の視点で、私が今何に注目してスポットを当てるかを見て下さって居ると思うので、私と同じ様に恋愛や結婚・収入等に悩んで居る人達に寄り添える様なルポルタージュを書ける様な書き手に為りたい。私の恥ずかしい過去を露呈する事で共感して頂ける事が、ライターとしての私の使命です」

 元アイドルが文章を通して伝える〔アンチテーゼ〕

 〔元アイドルが文章を書く〕と云う事で面白がって下さる方は沢山居ると思いますが、中には冷やかす人も居ます。会社員時代から『元アイドルなのに請求書なんて作っててウケるね』と外部の方から言われたり、ライターを遣って居る今だと『元アイドルなのに文章チャンと書けるんだね』と言われると超ムカ着きます(笑)
 嫌々『小さな頃から何を遣って居たとしても、今、自分はプロの物書きだ!』って思ってしまいます。でも、それは自分に一生付いて回るものだから、それで注目して貰える事は全然好くて、世の中に対するアンチテーゼでもあります」


 アイドルとして実力が発揮出来なかった理由を大木は「芸能界で生き残る術、そこで培われる努力の方法が判ら無かった」と自己分析する。

 「人様に手塩に掛けて貰い、多くの大人の協力の下、パッケージ化されて商品として出て來るのがアイドルです。オーダーメイドの衣装を着させて貰い、プロのヘアメイクさんにメイクをして貰い、マネジメントして呉れるマネジャーや秋元康さんと云うプロデューサーが居て、とても多くの方々の支えが必要なのです。私は元々、それを選べ無い素質だったのです。そこで、私は演じ切る事が出来ませんでした」

 その分、彼女は芸能界における経験を経て自らの力で動ける様に為り、裏方視点で物事を見るスキルを得た。今はアイドル時代の経験を生かして、グラビア撮影のディレクションを任される事もある。裏側を見て居たからこそ出来る黒子の仕事。
 もうマネジャーやプロデューサーも居ないけれど、自分で動く事の方に才能があったから、芸能界では無く今の仕事で花が開き始めたのだ。それは或る種必然の事なのだろう。


 5-22-23.jpg      

 「父が亡く為ってから本音を言う事がズッと出来ませんでした。アイドルに為っても何時もニコニコして自分の本音を隠しながら自己プロデュースをすると云う、矛盾した来とをしていました」(撮影 梅谷 秀司)5-22-23

 アイドルと云う職業は羨ましがられる一方で、スキャンダラスで偏見に晒される事も少なく無いが「アイドル業は、内面が育(はぐく)まれる商売である」と大木は語る。〔元アイドル〕と云う大きな十字架を背負う事が、誇りであると同時に大きなコンプレックスであった彼女は、アイドル時代の経験をどの様に成仏させたら好いのか判ら無かったと云う。しかし今は、当時の経験全てが「これからの人生を生きる上での糧」と為って居る事に気が付いたのだ。

 48と云う屋号を手に入れた事によって生まれた憂鬱(ゆううつ)が、今要約成仏し始めて居ます。生まれ変わっても、もうアイドルに為りたいとは思いませんね(笑)」

 本音を言え無い自分からの卒業


 アイドル会社員フリーライターと云う特殊なキャリアチェンジをして行く中で、内面的にはどの様に変わったのかを尋ねた。

 「今迄は、有りの侭の自分を生きて居ませんでした。昔はモテる事や男ウケを意識する様なメイクやファッション・髪形を意識して居ました。男の人に対しても『えーすごーいきゃーと云う感情の無い、表面上だけの言葉を返し捲って居て、それは相手に失礼な事だと反省し、そんな自分はもう卒業したいと思って居ました。
 でも今は『どの様な自分で在りたいか』を考える様に為りました。自分の為に、自分が身に着けたい洋服やアクセサリーを選ぶ様に為り、話し方や仕事の取り組み方なども変わりました。そう為る事で、自分が無理しない相手に出会えると思える様に為ったのです。
 今は、自分が有りの侭を生きれば生きる程、そこに相応しい人が必然的に現れるに違い無いと思えますし、例え現れ無かったとしても、それは自分がどう生きるかの問題だから相手の問題でもありません。結婚出来なかったら怖いな・自分だけで収入得られるかな・・・とか、そんな不安が30代は付き纏うと思います。でも不安や焦りが無く為り『私は何をしてでも生きて行ける』と思える様に為りました」


 多くの経験を通して、彼女は有りの侭の自分に誇りを持つ事が出来、主軸が〔他人軸〕から〔自分軸〕に変わったのだろう。そんな彼女を精神的に支えたのは『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』の主役とも云える登場人物のオッサン「ササポン」の存在だ。

 「ササポンは私に取って、父親・長老・上司の様な立ち位置です。絶対的な存在である父親がこの世を去ってしまってから、父に甘える事が出来無かったので、酸いも甘いも知る長老の様なササポンに悩み事を打ち明ける事が出来救われて居ました。本当の父親だったら打ち明けられ無かったであろう事も素直に話せましたね。
 赤の他人だからコソ、執着しない〔着かず離れずの関係〕が居心地好かったのです。家族を支え無ければいけ無いと云う思いで、ズッと我武者羅に頑張って生きて来たけれど、ササポンから、そんなに『頑張り過ぎ無くても好いんだよ』と云う事を教わりました。
 ササポンは『こう遣って若い人と住む事で、若い人の考えや流行りを知れるのが面白いんだよ』と言って居ます。58歳と30歳の情報交換ですね。ササポンに取っても世界が広がる様です(笑)」


 自分が自分らしく居られるシェルターを、家族や恋人でも無い処で持つ事で救われるのだと大木は語る。近年、シェアハウスの利用者も増えて来ている。電気の点いて居ない真っ暗な家に帰宅し、自分が抱えている思いを誰にも話さずに1人空しくカップラーメンを啜って眠りに着くと、その思いは成仏出来無いママだ。そんな生活よりも「今日こんな事があってムカ着きました、おやすみなさい」と誰かに言えるだけで救われるのかも知れない。

 自分の人生そのものを仕事の武器に

 最後に、5年後の自分を想像して貰った。

 「それを考えるとドキドキしますが、会社員を辞めた時から人生の安定を捨てて居る様なものだし、これからも状況が変わる事で、視点が変わって好い文章が書けるかも知れないから、それも好いかなと思います。
 一度全部を失って『1からスタートです』と云う、有りの侭の自分がメディアで拡散されて行き、それに興味を持って下さる人の方が多く為りました。人生って不思議ですよね(笑)」



      5-22-24.jpg 5-22-24

 『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社)書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

 「昔の自分だったら『年収幾らの男性をこの歳迄に捕まえて・・・』とか計算して居ました(笑)ひとりで生きる事が怖いと云う強迫観念が在ったんです。今はソコに執着し無く為りましたね。一番大事なのは、自分の心が元気で居る事。不安な気持ちもありますが、今を生きるしか無いですからね」

 最初に就いた仕事で自分の才能や天職を見付ける事は誰にだって難しい。大木の様に家庭の事情もあってアイドルを始めた様な、本人の本当の意思とは言い切れ無い道を選ぶ場合もあるだろう。だからコソの失敗や挫折と云う経験は自分で自分を客観視させ、次のステージで自分の本当の強みや居場所を見付けられる切っ掛けと為る。
 そこで自信を掴めれば自己を肯定出来、前向きに取り組めば結果にも繋がり、様々な出会いを呼び込める好循環に繋がって行く。これは元アイドルの様な特別な職業の人に限られた話では無く、どんな立場の人にも当て嵌り得る。大木亜希子は身を以て実現している。(敬称略)


5-22-25.jpg


 彼女はアイドル時代に培ったあらゆるスキルを生かして居るからこそ今がある。「私がモットモット大成する事で、それを伝えて行きたいですね」(撮影 梅谷 秀司)5-22-25




 〜管理人のひとこと〜

 表面は美人で可愛い、そして元アイドルとしてプロとしての人間関係の接客術にも揉まれている。この様な女性が存在したとしても決して奇蹟でも不思議な事でも無い。今で云う億を稼ぐキヤバ譲や豪華な雰囲気を持つ高級ホステスとしても稼げるだろう。
 その上彼女には、素材の着眼点に非才なものを持ち、無論、生まれ持っ文才もある・・・後は、如何にしてそれを持続でき間歇的にでもそれを世に出せる才能を持ち続けられるかだ。

 彼女は特別な経験を踏んだ訳でも無く、何処にでも居る様な、元アイドルでそれ程売れなかった経験を持つ、多少文才に恵まれた30歳の女性に過ぎない。恐らく、男性から非常にモテテ曳くて数多だった訳でも無かろう。男前に言い寄られても直ぐに着いて行く様な純情さも持ち合わせていないだろうから。
 だから、男にベッタリと寄り添って生活する息苦しさを想像できる才能も持ち合わせ、自分の我儘が通り自由の利く生活を望むのが似合って居る。自分の力で生活できることが当面の目標だろうし、それに努力を惜しまない人なのだ。独立心が強く自由に強く憧れる精神性の高い若き芸術家なのだろう。
 作詞家の阿木洋子氏の様な、接客術で生計を立て偶の作詞で世に出て、夫とも仲良く暮らせる人・・・そんな女性に為れたら好いなーと思う。















 





5月21日・・・今日は何の日? 史上最悪の大量殺人「津山三十人殺し」




 ※5月21日・・・今日は何の日?

 史上最悪の大量殺人「津山三十人殺し」

 ・・・猟銃と日本刀で村人を襲った男の真実



  現代ビジネス 5/21(金) 7:01配信



          5-21-10.jpg

             写真 現代ビジネス 5-21-10


 〜今から83年前の1938年5月21日 日本の犯罪史に残る大事件が起こった その詳細に迫った昨年10月16日の記事を再掲する〜


 一晩で30人を手に掛けた「大量殺人」


     5-21-11.jpg

               Photo by iStock 5-21-11

 1938年 岡山と鳥取の県境に或る山間の村で、深夜の僅か1時間余りの間に足った一人の若者の手で、30人の老若男女が惨殺された。世に云う〔津山三十人殺し・津山事件〕である。横溝正史の金田一耕助シリーズ『八つ墓村』のモデルに為った事件と云えばピンと來るだろうか。
 徐州陥落(じょしゅうかんらく)に沸く日中戦争の最中であるにも関らず、事件の報は日本中の人々を震撼(しんかん)させ、当時の新聞は一面で事件の詳細を伝え続けた。しかし犯人は警察に逮捕される事無く、事件直後に近くの山中で自ら命を絶った。この為、事件の詳細は明かされ無いママ、警察の捜査は中止された。  

 その後も事件の詳細が不明のママだった最大の理由は、警察の捜査資料をまとめた「津山事件報告書」が、戦後暫く閲覧出来なく為って居たからだ。その為1970年代から80年代に掛けて、松本清張や筑波昭(つくばあきら)らの著作が事件を伝える主な資料として取り上げられ、事実関係が曖昧なママ事件の原因や経緯を巡って様々な俗説が飛び交った。中には犯人の若者をダークヒーローとして崇拝する者まで現れた。  
 只最近の市民の調査によって、筑波昭の著作には創作の箇所が少なからず含まれて居る事が判明。バイブルだと思われた資料の信頼性が失われ事件の解明は益々混迷を極めた。

 私は2000年頃から最近迄断続的に現地取材を重ね、犯人の家族の係累を調査し、実際に襲撃されて命拾いした被害者のインタビューを行った。そして、アメリカ西部の大学図書館に所蔵されて居た「津山事件報告書」を見付け、それ迄の定説とは異なる事件の真相に辿り着いた。82年前の大量殺人の真相を此処に伝えよう。


 
 最初に襲ったのは、実の祖母

 事件は、1938(昭和13)年5月21日、中国山地に在る西加茂村(にしかもむら・現在は津山市)の貝尾集落(かいおしゅうらく)で発生した。当時の貝尾の人口は僅か111人。全22戸の内10戸(他に隣接の村で1戸)が襲撃を受け、一晩で村人の3分の1近くが命を失った。
 犯人は貝尾在住の青年、都井睦雄(とい むつお・22) 事件が起きたのは午前1時半頃、朧月夜(おぼろづきよ)だったと云う。
 
 5月20日の夕方、先ず睦雄は犯行前に村へ通じる電線を切断し村を暗闇に包んだ。 夜半過ぎ、睦雄は黒セルの詰襟服(学生服の様なもの)を着込み、茶褐色の巻きゲートル〔脛(すね)に巻く布・怪我やうっ血を防ぐ〕を装着した。
 足には地下足袋を履き、二つの懐中電灯を取り付けた鉢巻を頭に巻いた。首からは自転車用ライトを紐で吊り下げ、薬莢(やっきょう)や弾薬を入れた雑嚢(ざつのう・リュックの様なもの)を左肩から右脇に掛けた。凶器の日本刀一振、匕首(あいくち・小型ナイフ)二口は左腰に差し、上から革の帯で締めて刀が揺れ過ぎ無い様に整えた。
 
 又自ら改造した9連発の猟銃と銃弾約100個を携帯すると、予(あらかじ)め磨いて置いた大きな斧を両手で握り締めた。殺戮(さつりく)の準備は整った。
 睦雄は先ず、同居する祖母のいね(80)の寝所へ向かった。そして、その首目掛けて巨大な斧を振り下ろした。咄嗟にいねは、枕カバー代わりの手拭いの端をグイッと噛み締めた。睦雄は老女の首を一刀両断・・・出来なかった。睦雄は祖母の頸部目掛けて数回に渉って斧を振り下ろした・・・何度目かで要約いねの首は胴体を離れた。

 頸部(けいぶ)の肉は損傷が酷く出血も激しかった為、いねの寝床は血みどろに為った。彼が最初に選んだ犠牲者は自分を長らく育てて呉れた祖母だった。首が千切れる迄幾度も斧を振ったと云う事は、祖母に対する睦雄の恐怖や敵意が尋常では無かった事を意味する。どうやら睦雄はこの祖母をとても憎んで居た様で、絶対に生き返ら内容に、首が胴体から離れる迄安心出来なかった。  
 何故睦雄は育てて呉れた祖母を此処迄恨んだのだろうか。後述するが、睦雄の祖母に対する一連の行為は、犯行動機と密接に結び着いて居たと考えられる。  

 戦前の日本には、未だに「夜這い」の文化が残っていた。特に貝尾の様な山間部の集落は娯楽が少無い為、村内で男女関係が複雑に結ばれて居たとされる。睦雄も何人もの村の女性に夜這いを掛けて居た。
 被害者の多くは彼と性的関係が在って、肺病(肋膜炎・ろくまくえん)を患った睦雄を馬鹿にしたり、笑いものにした女性とその家族だったと云う。その後睦雄は、頭と胸のライトを点けて闇夜の中、貝尾集落中の家を次々と襲撃した。

 恨みの少ない相手は、急所を1発で撃ち抜き仕留めたが、強い恨みを抱いた相手には、子供であっても容赦せず、急所へ多数の直撃弾や刀傷を負わせた。その惨劇の模様をご紹介しよう。

 独特な方法で「確実に」射殺する

 
      5-21-12.jpg

               Photo by iStock 5-21-12

 最初に襲撃した家は、都井家と敷地が隣接する岸田勝之家(戸主の勝之は不在)だった。当時の貝尾には夜間にカギを掛けて居る家は無かった。 睦雄は半狂乱と為って岸田家の納戸に躍り込むと、そこで寝ていた勝之の母つきよ(50) 弟の吉男(14) 守(11)を日本刀で斬り着けて殺害した。
 過つて睦雄はつきよに夜這いを掛けたものの、断られた上近所の人達に面白可笑しく暴露された為相当恨んで居た。また勝之と睦雄は同年代で仲が良かったものの、勝之は徴兵検査を優秀な成績で合格して居たので、周りから病弱と馬鹿にされて居た睦雄は強い引け目を感じて居た。  

 襲撃2軒目は、西川秀司家だった。睦雄は表座敷から堂々と侵入し手前の四畳間に寝て居た西川トメ(43)の上腹目掛けて猟銃を発射。トメは一撃で絶命した。このトメは貝尾でも好色で知られ、睦雄からお金を巻き上げて性的な関係を持った事もあった。  
 しかし徴兵検査で睦雄に肺尖カタル(伝染性の肺病)が見付かってからは、彼の夜這いの様子を村の女達に暴露して「マヌケ」と笑い者にして居た。この様な女達の嘲笑が睦雄の誇りを傷つけ犯行の大きな原因と為った。  

 睦雄は続いてトメの夫の秀司(50) 長女の良子(23) 妹の千鶴子(24)を銃弾の餌食にした。何れも1発から2発で絶命させている。 睦雄は犯行前に入念に撃ち方を練習して居た様だ。闇夜にも関らず、睦雄が被害者を1〜2発で絶命させる事が出来たのは、右腹の肋骨(ろっこつ)の下の部分から上方の急所である心臓へ向けて確実に銃弾を命中させたからである。  
 胸の上から心臓を狙っても銃弾は肋骨に阻まれる。そこで、右下腹部から上方へ向けて銃弾を撃ち込む事で、肋骨の下を通って心臓を直撃出来る。この右脇腹下の事を右季肋下方(みぎきろくかほう)と云う為、私は睦雄のこの撃ち方を「右季肋下方撃ち」と呼ぶ事にして居る。  

 3軒目のターゲットは、勝之家の下隣に位置する岸田高司家だった。睦雄は土間から侵入すると、岸田高司(22)と内妻の智恵(20)を右季肋下方撃ちで殺害。智恵は妊娠6ヵ月で、この胎児を被害者に含めると実に「三十一人殺し」と為る。
 この2人は西川トメの縁者だった。 隣の部屋には高司の母(70)と甥(18)が寝て居たが、矢張り睦雄の猟銃の被害者と為った。  (文中「都井睦雄」以外は仮名を用いて居ます)

 ・・・睦雄の凶行はマダマダ続く・・・生き残った被害者へのインタビューを含む後編の記事はこちら
「津山三十人殺し」の生き残りが語った、大量殺人鬼・都井睦雄の素顔

 石川 清(ジャーナリスト)


 「津山三十人殺し」の生き残りが語った 大量殺人鬼・都井睦雄の素顔
 
  真っ先に祖母を惨殺した理由



                5-21-15.jpg

              石川 清 ジャーナリスト  5-21-15

 プロフィール 1964年生まれ フリージャーナリスト 上智大学文学部卒業後NHKを経てフリーに 長期引きこもりの支援に携わり「CVNひきこもり支援の集い」を主宰

 〜今から86年前の1938年5月21日未明 中国地方の山間部に在る貝尾集落で悲劇が起こった 性的な関係を持った村の女性達等から馬鹿にされて恨みを抱えて居た都井睦雄(とい むつお・22)は斧や猟銃・日本刀で武装し次々と村人を襲った 既に3つの世帯を襲撃し10人以上の村人を惨殺した睦雄が次の家へと迫る・・・昨年10月16日の記事を再掲する〜

 生き残った女性が語る 睦雄の姿

 4軒目に睦雄が襲撃したのは寺井政一家だ。娘の寺井ゆり子(22)は睦雄の同級生で、彼が心から愛した女性とも言われて居る。しかし、遠方の男性に嫁ぎ村を出て居た。只犯行の直前にゆり子は里帰りして居り、それが犯行の切っ掛けに為ったと言われる。睦雄はゆり子を恨んで居た。
 睦雄はゆり子宅に侵入すると、ゆり子の父・政一(60)弟の貞一(19)貞一の妻(22)妹とき(15)妹はな(12)の5人を銃殺した。5人とも窓や廊下から屋外に逃げようとして居る処に銃弾を撃ち込まれて居た。最後に殺された末っ子のはなは、窓から軒下に落ち助けを求めて右手を前方に伸ばしながら苦悶の表情で絶命して居た。この頃に為ると、貝尾の住民達は銃声を聞き付けて目覚め始めて居た様だ。

 しかしゆり子は何とか屋外へ逃げ出し隣の寺井茂吉家へ逃げ込んだ事で、からくも生き残る事が出来た。私は彼女に直に会い、3時間程当時の話を聞いている。開口一番、ゆり子は次の様に私に語った(私は方言を解せ無いので、長女の方が通訳をして呉れた)

 「私は誰にも話して無いんジャア。情け無いで情け無いで。親が殺されて兄弟が殺されて・・・次々と同級生も殺されたんジャア。殺したむっつぁん(睦雄)も同級生じゃった・・・」

 ゆり子は嫁ぐ前に、睦雄に襲われた事も在ったと云う。

 「自宅まで箪笥の片付けに来て呉れ・・・と嘘を着かれて、行ったら押さえられた・・・皆に嫌われたのが辛かったんジャロうな・・・」

 この時、ゆり子は何とか睦雄の毒牙から逃れたと云う。また睦雄の襲撃からからくも逃れた時の様子に付いて、ゆり子は次の様に語っている。

 「中の間(部屋)から(睦雄は)入って来たんで(私は)奥の間(部屋)から飛び出た。(睦雄は)夜でも見えて居たんジャア。本家へ逃げて(その戸を)トントン遣ったら、本家のおじさん(茂吉)が入れて呉れた。畳の下に蓆(むしろ)を敷いて隠れたんじゃあ」

 この茂吉家が5軒目の被害者と為った。ゆり子はこの家の母屋に駆け込んだのだが、茂吉はその後戸締りをした為、母屋に居た5人は襲撃を免れた。只、隣の離れに寝て居た茂吉の父の孝四郎(84)が犠牲に為った。


 5-21-13.jpg
 
                 Photo by iStock 5-21-13

 襲い掛かる睦雄に対して、孝四郎は危険を省みず素手で挑み、銃弾二発を胸部と心臓部に撃ち込まれる迄抵抗し続けたのだ。孝四郎は左手で睦雄の日本刀に掴み掛かり、その動きを止めたと思われる。遺体に残されていた左手の傷の激しさが格闘の凄まじさを物語っていた。
 生前の孝四郎は睦雄の将来を心配し、就労や結婚を勧めて相談に乗ろうとして居た。睦雄は茂吉家に対しては何の恨みも無く元々ターゲットでは無かった。しかし絶対に許せ無いゆり子が逃げ込んだ事で、凶行はこの家に迄及んだのだ。

 孝四郎老人の奮闘も在って、母屋の5人は睦雄の襲撃から生き延びる事が出来たのである。睦雄はゆり子の殺害を諦め、6軒目の寺井好二宅を襲った。家には寺井好二(22)と母親のトヨ(45)の2人が寝て居たが、睦雄は銃弾で仕留めた。
 睦雄はトヨに金銭を払って屡々性的関係を結んで居たが、彼女は睦雄を捨てて村の分限者(裕福な人)に乗り換えて居た。

 7軒目は寺井千吉家だった。5月は蚕(かいこ)を育てる時期で、母屋には家主の千吉ら5人、養蚕室には手伝いの女達3人が寝て居た。睦雄は事前にターゲットの居場所をリサーチした上で迷う事無く養蚕室を襲撃した。
 そこには岸田みさ(19)丹羽つる代(21、千吉の息子の内妻である平岩とら(65)の3人が寝て居た。みさは一軒目の被害者であるつきよの娘で、睦雄が夜這いしようとして断られた事が在った。又つる代の兄の卯一は寺井ゆり子の最初の夫で、ゆり子を愛して居た睦雄から見れば恨むべき相手だった。
 一緒に寝て居たとらは巻き添えに為り、3人とも銃弾を撃ち込まれて絶命した。睦雄は続いて母屋に侵入して主人の千吉(85)を見付けて銃口をその首に当てたが「お前はワシの悪口を言わ無かったから堪えてやろう」と云い殺害し無かった。


 5-21-14.jpg
 
                 Photo by iStock 5-21-14
 
 30人を殺害した睦雄の最期

 8軒目は丹羽卯一家だった。卯一は異変を察知して警察へ通報に向かって居たが、家には母親のイト(47)が居た。イトは右太腿と左太腿に夫々銃弾を撃ち込まれ、事件から6時間後に出血多量で苦しみながら死亡した。
 9軒目は池沢末男家だ。此処には当主の末男(37)とその妻(34)次男(12)三男(9)四男(5)末男の父(74)母(74)の7人が寝ていた。睦雄が最も憎んで居たと言われるのが末男の妹・マツ子であり此処は彼女の実家だった。

 彼女は睦雄と性的関係を結びながら、裏では彼の事を馬鹿にして居た。その為事件以前から睦雄に脅されて居り、身の危険を感じて既に京都の方へ逃げて居た為事件の難を逃れた。睦雄は就寝していた次男と三男は襲わ無かった。
 しかし、その他の5人には発砲し末男以外の4人は殺害された。未だ幼いにも関らず、四男の小さい体には三発も銃弾を撃ち込み、死体からは肝臓や大小の腸が露出して酷い死に様だった。この四男に対する過剰な暴力について詳しい事は判って居ない。末男は竹藪に逃げ込んでカスリ傷で済んだ。

 10軒目は寺井倉一家だった。倉一(61)は村の分限者で村の多くの女性と関係を持って居た。この為、睦雄は倉一に対し並々為らぬ嫉妬や恨みを抱いて居た。既に睦雄の襲撃を予期して居たのか、倉一の妻はま(56)は雨戸を急いで閉めて侵入を防いだ。
 しかし睦雄は屋外からでも構わず銃弾を撃ち込み、偶々一発がはまの右腕に命中し動脈を傷着けた。彼女は出血多量で12時間後に死亡した。倉一は母屋の2階に隠れて無傷で生き残り、その後昭和の後半迄天寿を全うした。倉一宅襲撃後、睦雄は付近の山の方へ逃亡した。そして、その途中でも民家を1軒襲撃している。


 5-21-16.jpg
 
                Photo by iStock 5-21-16

 11軒目は隣の坂本の集落にある岡本和夫家だった。岡本家には当主の和夫(51)と妻のみよ(32)が住んで居た。過つて睦雄はみよと性交渉を重ねて居たが、それが夫の和夫にバレ、彼は夜も妻を見張る様に為った。
 みよも睦雄に対して辛く当たる様に為り、睦雄はこの夫婦に対して恨みを募らせて居た。熟睡して居た2人は猟銃の餌食と為った。

 犯行を終えた睦雄は山道を北に逃げ荒坂峠へ向かった。午前3時過ぎには、逃亡する睦雄の姿が目撃されて居る。睦雄は開けた場所に出ると鉛筆で遺書を認(したため)めて、自分の所持品を丁寧に地面に整理して並べた。そして、洋服のボタンを外して、ブローニング銃の銃口を自分の心臓部に当て、足の指でユックリ引き金を曳き自決した。
 遺書には村人への恨みが綴られて居たのは言う迄も無い。最後には「思ふ様にはゆかなかった・・・もはや夜明けも近づいた。死にましょう」と記されて居た。以上が犯行の詳細である。

 実の祖母を真っ先に惨殺した理由

 事件の重要な背景に付いて一点だけ記して置きたい。睦雄の父や祖父に纏(まつ)わる悲劇である。睦雄の祖父・菊次郎は、貝尾より可成り奥地の倉見と云う集落の名主で、山を幾つも有する富豪だった。そして1891(明治24)年2月、祖母のいねが貝尾から菊次郎の元に嫁いで来た。
 一方、睦雄の父は振一郎と云い、都井家の跡継ぎ息子だった。彼が生まれたのは1887(明治20)年と言われて居る。これは祖母のいねが都井家に嫁ぐ前だ。詰りいねは菊次郎の後妻であり、睦雄と血縁関係は無かったのだ。

 睦雄は1917(大正6)年に生まれたが、その直後から不幸が次々と都井家を襲った。1918(大正7)年、先ず祖父で当主の菊次郎が肺の病で急死した。その5ヵ月後に父親の振一郎も肺結核で死亡。更に1919(大正8)年春、睦雄の母親も結核で死んだ。
 相次ぐ肺病での連続死で、睦雄一家には「ロウガイスジ・・・労咳筋・結核を発症し易い家系のこと」と云う烙印が押され忌み嫌われた。

 1920(大正9)年秋、幼い睦雄と姉は血の繋がら無い祖母いねと共に、突如自宅があった倉見から放逐され、いねの故郷の貝尾に身を寄せた。都井家の遺産の殆どは菊次郎の弟一族を初めとした親戚が相続し、睦雄達が貰えたのは事実上の手切れ金である少しの田畑と山林だけ。「ロウガイスジ」の烙印者の辛い宿命だった。倉見と貝尾には殆ど交流が無く、睦雄は長らくこの事実を知ら無かった様だ。
 その後次第に生活が苦しく為り、1935(昭和10)年春、睦雄一家は倉見に残して来た田畑と山林を売却し無ければ為ら無く為った。都井本家を相続した叔父一族が、それを安く買い叩いた時に、睦雄は自分の親や祖父の悲劇を知ったと思われる。

 それ迄の睦雄は心優しい優等生だった。しかしその一件から、彼の心の何処かが壊れてしまったらしく、奇行が始まったとされる。この時期から村の女性に頻繁に夜這いを掛け、日本刀や銃器を買い求め始めた。
 睦雄の事件の一報を聞いて、倉見の本家を継いだ叔父は土蔵の中に隠れて3日間出て来なかったと云う。睦雄の復讐を恐れたからだ。睦雄の自決した場所は、貝尾から倉見へ向かう途中の位置に在った。銃弾は20発程しか残って居なかったが、もし残りを使ったとすれば、ターゲットは自分達を倉見から追い出した叔父一族だったのではないだろうか。

 同時期から、睦雄は祖母いねの事も恨んで居たと思われる。彼は、いねが都井本家と共謀して自分の財産を騙し取ったと疑って居たのではないだろうか。倉見から貝尾へ逃げて来た後も、僅かな彼の財産は全ていねが管理して居り、戸主である筈の睦雄が手を着ける事は許され無かった。
 睦雄は思うように生きられ無い不安やイライラを祖母にブツけて居り、等々毒薬を飲まされそうに為った彼女は一時期自宅から逃げ出している。

 事件を具(つぶさ)に眺めると、悍(おぞ)ましい睦雄の凶行にも彼なりの恨みが在った事が見えて來る。都井一族に纏(まつ)わる因縁が、睦雄を狂鬼に変えてしまったのではないだろうか。



 参考文献


 石川清『津山三十人殺し最後の真相』ミリオン出版 2011年
 石川清『津山三十人殺し七十六年目の真実』学研プラス 2014年


                以上


 〜管理人のひとこと〜

 長い文章に為ってしまった・・・管理人が若い頃、足った一度だけ岡山県・津山市へ出張した事が在った。岡山駅から津山線の津山駅である。帰りは、津山からそのまま伯備線で松江と向かったので津山には宿泊しなかった。駅から大きな川を越えた所に在る会社へはノンビリと歩いて出向いた記憶がある。帰りは会社から車で津山駅まで送って頂いた筈だ。
 当時も今も、津山が「八つ墓村」のモデルの地とは知らず、岡山本社の会社の津山営業所への挨拶の為の出張だった。この地は内陸地なので冬には積雪が多く、そう・・・新幹線の関ヶ原の様な雪が見られる地でもある。行ったのは春か秋で雪は無く暑い日だった覚えがある。確か名物は焼き鳥と聞いたことが在ったが・・・

 このレポートには幾つかの特徴が・・・以前の日本が抱え持つ幾多の独特・固有な特徴を感じる。肺病・結核が不治の病で在り住んでいる在地の皆から厭われるものだった事。そして、人口も楽しみも少ない田舎の環境は、男女関係・・・夜這いが必然的に多く、村中が何らかの性的関係のある濃密な人間関係で存在した事。それが決して特異では無く必然的な日常で在った事。
 村の人達は一人では生きてはいけない、経済的以外にも複雑な人間関係の中でしか生きて行けなかった・・・日本の持つ独特な貧しさを引きズッて居た筈だ。複雑すぎる超濃密な人間関係を清算するには、話し合いでは無く殺すか殺されるしか無かった・・・そんな感じがしないでも無い・・・清算不可能な人間関係は、この様な事件でしか始末出来なかったのだろう。犠牲者のご冥福を心からお祈りいたします・・・


                   以上

















  



西野亮廣『えんとつ町のプペル』アヌシー国際アニメーション映画祭コンペにノミネート



 西野亮廣『えんとつ町のプペル』

 アヌシー国際アニメーション映画祭コンペにノミネート

 
  5-22-6.png  5/21(金) 2:00配信 5-22-6




      5-22-5.jpg


 『映画 えんとつ町のプペル』 『アヌシー国際アニメーション映画祭2021』長編映画コンペティション部門「L'officielle」に作品ノミネート 出典  西野亮廣 『映画えんとつ町のプペル』製作委員会 5-22-5


 昨年12月に公開され、興行収入24億円超えを達成し『第44回日本アカデミー賞』優秀アニメーション作品賞を受賞した『映画 えんとつ町のプペル』(西野亮廣製作総指揮・原作・脚本/廣田裕介監督)が、世界最大規模のアニメーション映画祭、フランス・アヌシー市で開催される『アヌシー国際アニメーション映画祭 2021』の長編映画コンペティション部門「L'officielle」に選出されたことが、現地時間20日に発表された。

 アヌシー国際アニメーション映画祭は、1960年にカンヌ国際映画祭のアニメーション部門が独立して始まり、国際アニメーションフィルム協会・ASIFA公認、毎年国内外の約200作品が上映される世界最大規模のアニメーション映画祭として知られている。2021年の映画祭開催日程は、6月14日〜19日が予定されて居る。  
 今年も、95ヶ国から2,892作品の応募があり、そのうち219作品がオフィシャルセレクションに選ばれた。その中でも、長編映画コンペティション部門「L'officielle」は、映画祭の花形とも云える部門で、世界中のアニメーション映画から、選出されたのは僅か11本。

 新人監督による、世界的には無名とも云える本作品がこの「L'officielle」 に選出されるのは〔快挙〕と言って好い。先日のロッテルダム国際映画祭のクロージング作品としての招待に続き、立て続けにヨーロッパの有力映画祭から高い評価を受け、西野は

 「朝から晩まで黒い煙に覆われている『えんとつ町』で、それでも星を探している挑戦者達の物語が、このタイミングで世界から選ばれました。キッと、この作品は『役目』を与えられたのだと思います。これからもエンターテイメントを通じて、明るい話題と希望とエールを届けて行きたいと思います」

 と、益々旺盛に。廣田監督は、本作のアニメーション制作を担当したSTUDIO4℃の生え抜きスタッフで、長編映画の監督は本作が初。アヌシーからの良い知らせに

 「アヌシー国際アニメーション映画祭は、アニメーションに携わる者に取ってはまさに憧れの場であります。その様な大変な歴史ある大きな映画祭で、この作品を選出頂き、とても光栄に思います。スタッフ、キャストの皆様、応援してくださっている皆様にも、この場を借りて改めて感謝いたします。
 先の見え無いこの様な時だからこそ、世界中の方に見て頂き、感じて、楽しんで頂けることが重要だと思います。現地に足を運べ無いのは残念ではありますが、これからのアニメーションの発展と共に、映画祭の成功をお祈りして居ます」


 と、コメントを寄せた。



 5-22-2.jpg

          西野亮廣 製作総指揮 原作・脚本 廣田裕介監督




 5-22-6.png 2021-04-01 18:23

 『プペル』海外進出で西野亮廣が感謝

 「明るいニュースがお届け出来る様に」



            5-22-7.jpg 

 アニメーション『映画 えんとつ町のプペル』が台湾でプレミア試写会 提供GaragePlay / LUX Cinema 5-22-7


 昨年12月25日に公開されたお笑いコンビ・キングコングの西野亮廣が製作総指揮・原作・脚本を手掛けたアニメーション『映画 えんとつ町のプペル』が海外に初進出し、1日から台湾全土で劇場公開された。
 公開に先駆け、3月30日に台北で行われたプレミア試写会では、西野・廣田裕介監督がオンラインで舞台挨拶を開催。西野は撮影で台湾に行った際に気に入った9分の街並みや雰囲気の魅力を語り、廣田監督は10年前の東日本大震災に寄せて呉れた台湾の支援についての感謝を伝えた。
 また、声優を務めた窪田正孝・芦田愛菜もビデオメッセージを送り、700人以上を収容する会場は大きな盛り上がりと為った。同作は日本でも現在もロングラン上映され、観客動員173万人、興行収入23億円のヒットと為って居る。


 西野亮廣コメント
 
 沢山の方に応援されて、イヨイヨ海外に進出します。それもこれも、作品に関わってくださったスタッフの皆様と、劇場に足を運んでくださったお客様のお陰です。本当に有難うございました。明るいニュースがお届け出来る様に頑張って行きます。

                 以上



 〜管理人のひとこと〜

 知らぬ人も居るだろうが、西野亮廣氏とは、云わずと知れた大阪・吉本の芸人である。若い頃から売り出し東京に来て超人気の売れっ子と為ってしまった。云わば天才的な芸人だった。天才に在る様に彼は芸術的素質にも恵まれ・・・人気絶頂の12・13年前から楽屋や個人的に時間をみては絵を漫画を描いていたそうだ。
 点描の様な細密画で、余りにも細かいのでナカナカ作業が進まず、周りから「天才?奇人?バカ?」と云われていたそうだ。しかし、人気TV番組の終了と共に彼の人気に陰りが・・・彼は、その時も必死に漫画を描き続け・・・何冊かの絵本を出版し、その発表の為の活動の一環としてクラウディアハンテング・・・今では常識だが、当時では画期的なNETで資金獲得する為の活動を開始した。それと同時にその頃から新たな漫画・絵本の制作方法・・・個人で無く多くの人が分業で一つの漫画や絵本を作る作業・・・それに、映画を製作する方法を考えていた。キャラクター・物語・沢山の人間が関わる制作・制作資金の獲得・宣伝・・・一つの漫画映画を考え、資金を作り制作し、宣伝し映画館に掛ける・・・この全ての作業をコントロールする作業を細分化し沢山の人間が分業し・・・世の中に出す。その為の人材の確保等・・・
 これを12・13年前から、TVに出ながら必死に探って居たそうだ。資金獲得方法や制作や発表するプラットフォームを考えたり、彼の活動は天才的だ。研究態度も熱心だが彼の発想起点も並みでは無い。知りたければ彼の名前で探して欲しい、沢山のYOUTUBEが存在するから。


              以上













将来 五輪自体無く為る? IOCの〔ボッタクリ〕体質




  将来 五輪自体無く為る? 

  デーブ・スペクター IOCの〔ボッタクリ〕指摘


 5-22-1.png 5/21(金) 16:00配信



5-21-20.jpg

 デーブ・スペクター 米イリノイ州シカゴ出身 米ABCテレビのプロデューサーとして来日 タレント・コメンテーター・放送作家としても活躍[写真(株)スペクター・コミュニケーションズ提供]5-21-20


 〜東京五輪の開催まで約2カ月、世論の〔中止論〕が高まっている。米英のメディアも〔中止〕を訴える記事が多く掲載されている。テレビプロデューサーのデーブ・スペクターさんはどう捉えているのか。AERA 2021年5月24日号で語って貰った〜

                *  *  *
 

 東京五輪・パラリンピックの「中止」「延期」を求める世論は国内で6〜8割。海外なら連日、大規模デモが起きても可笑しく無い状況です。何故こう為ったのか、問題は五輪を運営する側に在ります。
 「東京五輪」は何時の間にか「自民党五輪」に乗っ取られました。大会組織委員会の森喜朗前会長も自民党の元総裁ですが、後任の橋本聖子会長も五輪担当相の丸川珠代さんも自民党。運営の中枢に居るのは自民党の顔色を窺う人ばかりです。

 だから、大胆な発想で引っ張るリーダーは存在せず言葉に温かみも感じられ無い。国民が五輪を冷めた目で見る理由の一つは間違い無くソコにあります。五輪にトキメキを感じられ無い中、大会予算はドンドン膨らみました。そこへ新型コロナウイルスが覆う形に為りました。
 五輪を開催したければ、日本はどの国よりも早くワクチンを取得すべきでした。日本のワクチン接種率は経済協力開発機構・OECD加盟37カ国の中で最下位。ワクチンの取得が遅れた段階で、日本は五輪を開催する資格を失って居ます。  

 開催を1年延期するのであれば、7月から10月に開催時期の変更を求める事も出来ました。猛暑の期間に開催されるのは、巨額の放映権料を支払って居る米NBCの要望を無視出来ないからだとされて居ますが、国際オリンピック委員会・IOCが放映権料を下げても好いと判断すれば可能でした。要はIOCが収入を減らしたく無かっただけの話。
 まさに「ボッタクル」為です。米英のメディアから〔東京五輪中止〕を訴える記事が相次いで居るのは、日本のワクチン接種の遅れが大きいと思います。

 選手団を送る側としては、日本の現状を見れば当然、チョット待ったと云う気持ちに為ります。只、近年の五輪開催の在り方に否定的な人が増えて居る事が背景に在るのも押さえて置くべきでしょう。スキャンダル塗(まみ)れの〔IOC〕に対する不信感が、東京五輪開催を巡る議論を機に表面化したとも受け止められます。  

 実は私は、五輪をサッサと開催してしまった方が気分がスッキリする面もあると考えて居ます。「自民党と利権団体の為にどうぞおやり下さい。只今後、貴方達とお付き合いを続けるかどうかは分かりませんよ」と云った気持ちで開催すれば好いんです。大会は多分盛り上がりません。
 それでも〔五輪は過去のこと〕として国民のマインドがリセットされる意義は在ると思いまし、日本では二度と五輪は開催され無いでしょう。近い将来、虚飾に塗れた五輪自体無く為ると私は予想して居ます。


 編集部・渡辺豪  AERA 2021年5月24日号



 〜管理人のひとこと〜

 オリンピックに関しては、人々は二通りに別れてしまいます。一つは、スポーツ精神を絶対視し昔の様にアマチュア精神を高い理想として掲げ、マルで宗教の様に崇め高める人々。そしてもう一方は、スポーツの世界大会が全て集まったもので、スポーツ団体の金儲け・組織の維持の為に在る・・・究極は、国の経済発展を賭けた金儲けだと割り切る人達です。
 オリンピックの目的は、勝つことでは無く参加する事だ・・・と云われたものだが、参加し勝利し国の権威を高揚する以外の何物でも無いのです。特に近代オリンピックは、クーベルタン男爵が古代ローマのスポーツ競技会を参考にして、例え国同士が戦争中で在ってもオリンピック期間中は停戦し競技に参加しよう・・・とするアマチュア精神を重んじた・・・貴族の遊び心を最大に重んじた集まりを指すのです。

 ですから、それに他の精神性や宗教性を付随させる必要は全く無い。オリンピックの開催は、近代は完全に国の威信を賭けた、所謂国威高揚の為のデモンストレーションで在り金儲けの一つの道具として各国が競って誘致したものです。
 北京・リオ・ソウル・・・と発展途上国・低開発国が一流の国に為った証としてオリンピック開催成功を図ったものでしたが、余りにも予算規模が膨れすぎて赤字に陥ってしまった。そこで現在は開催希望国が減少し、色々な改革をして次の開催を図って居るのです。
 現在は、IOC委員の金に関わる不祥事が多発して信頼性が低下しています。余程の経済大国で無ければ開催出来るものでは無く、G7最低国であり20年以上のデフレを克服できない日本には今更可能なものでは無いでしょう。次の記事の様に「東京五輪は、世界の恥さらし・・・」なのかも知れません。


                以上





 上野千鶴子『古い男達の五輪』はもう要ら無い? 

「東京五輪は、世界の恥さらし・・・」 



 週刊朝日 2021.3.24 16:02 #2020東京五輪 永井貴子・上田耕司



5-21-21.jpg

           上野千鶴子氏 (c)朝日新聞社 5-21-21


 〜本当に開催出来るのか・・・不安が拭え無い中、東京五輪が近付いて来た。3月25日には澤穂希さんら〔なでしこジャパン〕メンバーを第1走者に聖火リレーが始まるが、此処に来て又も五輪精神に反する不祥事が発覚。このママでは日本の〔恥部〕を世界に晒す大会に為りかね無い〜

               *  *  *

 
 3月21日で首都圏1都3県の緊急事態宣言を解除した菅義偉首相「第4波」の気配が迫る中での決断は、25日から始まる聖火リレーを意識した為とも指摘される。或る政府関係者がこう語る。

 「4月の訪米に備えワクチンを打った菅首相は、バイデン大統領と直談判して五輪開催のお墨付きを貰う事で頭が一杯です。五輪を開催して大会期間中に感染者が一定程度拡大する事は想定内と云う事でしょう。多少、クラスターが発生しようと、大会を開きさえすればその高揚感で国民の支持を得られると計算している。人類はコロナ禍でも大会を成し遂げたと宣伝出来ますから」

 支持率回復の為の五輪だとすれば「平和の祭典」「復興五輪」等の言葉が空しく響く。実際、そうした疑念を抱かれかね無い程、関係者のモラルが問われる不祥事が相次いでいる。
 3月17日には、東京五輪・パラリンピックの開閉会式の演出責任者を務めるクリエーティブディレクターの佐々木宏氏が、演出チーム内のLINEでタレントの渡辺直美さんに豚の扮装をさせる等、侮辱する様な提案をして居た事が文春オンラインの報道で発覚。
 佐々木氏は辞任した。佐々木氏は広告大手の電通出身。東大名誉教授で社会学者の上野千鶴子氏は呆れた様子でこう語る。

 「小学生の虐め並みの幼稚で粗野な容姿弄りですね。2017年には壇蜜さんを起用した宮城県の観光PR動画が性的な表現で炎上する等、広告業界は男社会による旧態依然とした女性蔑視の価値観を許して来た。こうした事が起きる素地は元から在ったと言えます」

 佐々木氏は数々の有名CMを手掛けたヒットメーカー。博報堂出身の作家・本間龍氏が語る。

 「業界では〔天皇〕と呼ばれる位有名。クリエーターと云うより、部下や外部から上がって来たアイデアの中から良いものをピックアップし進めて行くのが得意だった。しかし、今回の一件で、考え方が古く、世界的なジェンダー平等の潮流に取り残されて居た事が露呈してしまいました」

 佐々木氏の出身母体である電通は、五輪組織委にも多くの人材を送り込み、五輪に大きな影響力を及ぼして来た。

 「組織委は東京都・政府・地方自治体やスポンサー等からの出向者の寄せ集め。大半の人は五輪の様な巨大イベントのノウハウ等無いので、電通に頼らざるを得無い。こうした事から、電通出身の佐々木氏が起用されたのでしょう」(本間氏)

 森喜朗・五輪組織委前会長の女性蔑視発言で注目されたジェンダー意識の低さも再び問われて居る。佐々木氏が主導権を奪って以降の演出チームは、スタッフが男性ばかりだと指摘されたのだ。佐々木氏も報道後に公表した謝罪文で<スタッフに男性が多いと云うご指摘はその通り>と認めた。
 森氏の辞任後、五輪組織委の新会長には女性の橋本聖子氏が就任。女性理事を12人増員させる等組織委も「汚名返上」を試みているが、染み着いた体質は相当根深い。前出の上野氏が語る。

 「橋本氏の会長起用は『困った時の女頼み』で五輪の強行開催か中止かの困難な舵取りを押し付けられただけ。女性理事を増やしたと云っても、殆どの事柄が決定済みの最終段階からの参加に意味があるのか。上層部に居る古い体質の男性達の頭は全く切り替わっていません」

 不祥事の度国民の気持ちは五輪から離れて行く。それでも日本が五輪開催に固執する背景には、巨大商業イベントと化した五輪の利権がある。五輪は1984年のロサンゼルス大会から1業種1社のスポンサー制度を取り入れて居たが、東京五輪ではその原則を取り払った。これにより、スポンサー数は2012年のロンドン五輪・16年のリオ五輪と比べても膨れ上がり、68社もの国内スポンサーを着けた。

 「1業種1社だとスポンサー企業が増え無いから、集められるカネに限界がある。だから、スポンサー数は制限無しとした。主導したのは電通です。電通はスポンサー企業と組織委の間でマージンを抜いて居ますから。その結果、組織委は公表して居るだけでも3千億円以上のスポンサー料を掻き集めました」(本間氏)

 巨額の資金を集めてしまった以上、後戻りは出来ない。又、大会経費は既に約1兆6千億円に迄膨張。五輪による景気浮揚を見越してこれだけのお金を突っ込んでしまった東京都と政府も、最早「中止」とは言え無いと云う訳だ。だが、目先の利益を追い掛けて、より多くを失う事に為ら無いのか。前出の上野氏はこう語る。

 「私は当初から開催に反対です。『高度経済成長時代の輝きをもう一度』と、五輪熱で景気浮揚を狙う何て発想が古過ぎます。開催が至上命題とされて居る様ですが、コロナ対策が不十分なママ東京五輪で変異株への感染が拡大したら、日本は国際政治レベルで窮地に立たされますよ」

 本間氏もこう指摘する。

 「外国人観光客を入れ無い事に為り、五輪関連のインバウンド需要も見込め無い。海外から選手や関係者が1万人以上遣って来て、テロ対策や感染対策等、準備の費用も嵩(かさ)む。五輪を開催した方が日本は損をするのではないか」

 〔古い体質の男達〕がノサバル現状を変え無いと世界に恥を晒す結果に為り兼ね無い。


 
 ※週刊朝日  本誌・永井貴子&上田耕司 2021年4月2日号



 〜管理人のひとこと〜

 東京五輪の開催の問題も緊急なのだが、2025年開催の大阪万博はどうなのだろう・・・大阪は知事の活躍の甲斐無くコロナ対策に苦労している。そして、大阪発祥の維新勢力の埋没で政治的発言の低下した橋下氏が最近は東京のメディアに出捲って居る。そんな感じがするのだが、今更彼の政治的発言を必要としているのかは知らない。
 大阪万博の為には、維新・大阪勢力・吉本・自民党・・・等の大阪の勢力を温存しなくては為らない。夢よ再びと「大阪万博」に夢を残している旧態な自民党勢力もこれを東京五輪の様に失敗させる訳にはいかないのだ。五輪・万博共に「古いおやじ体質・・・自民党」の失敗の連続では完全に日本から自民党離れが完結してしまうではないか。


                  以上

















将来 五輪自体無く為る? IOCの〔ボッタクリ〕体質




  将来 五輪自体無く為る? 

  デーブ・スペクター IOCの〔ボッタクリ〕指摘


 5-22-1.png 5/21(金) 16:00配信



5-21-20.jpg

 デーブ・スペクター 米イリノイ州シカゴ出身 米ABCテレビのプロデューサーとして来日 タレント・コメンテーター・放送作家としても活躍[写真(株)スペクター・コミュニケーションズ提供]5-21-20


 〜東京五輪の開催まで約2カ月、世論の〔中止論〕が高まっている。米英のメディアも〔中止〕を訴える記事が多く掲載されている。テレビプロデューサーのデーブ・スペクターさんはどう捉えているのか。AERA 2021年5月24日号で語って貰った〜

                *  *  *
 

 東京五輪・パラリンピックの「中止」「延期」を求める世論は国内で6〜8割。海外なら連日、大規模デモが起きても可笑しく無い状況です。何故こう為ったのか、問題は五輪を運営する側に在ります。
 「東京五輪」は何時の間にか「自民党五輪」に乗っ取られました。大会組織委員会の森喜朗前会長も自民党の元総裁ですが、後任の橋本聖子会長も五輪担当相の丸川珠代さんも自民党。運営の中枢に居るのは自民党の顔色を窺う人ばかりです。

 だから、大胆な発想で引っ張るリーダーは存在せず言葉に温かみも感じられ無い。国民が五輪を冷めた目で見る理由の一つは間違い無くソコにあります。五輪にトキメキを感じられ無い中、大会予算はドンドン膨らみました。そこへ新型コロナウイルスが覆う形に為りました。
 五輪を開催したければ、日本はどの国よりも早くワクチンを取得すべきでした。日本のワクチン接種率は経済協力開発機構・OECD加盟37カ国の中で最下位。ワクチンの取得が遅れた段階で、日本は五輪を開催する資格を失って居ます。  

 開催を1年延期するのであれば、7月から10月に開催時期の変更を求める事も出来ました。猛暑の期間に開催されるのは、巨額の放映権料を支払って居る米NBCの要望を無視出来ないからだとされて居ますが、国際オリンピック委員会・IOCが放映権料を下げても好いと判断すれば可能でした。要はIOCが収入を減らしたく無かっただけの話。
 まさに「ボッタクル」為です。米英のメディアから〔東京五輪中止〕を訴える記事が相次いで居るのは、日本のワクチン接種の遅れが大きいと思います。

 選手団を送る側としては、日本の現状を見れば当然、チョット待ったと云う気持ちに為ります。只、近年の五輪開催の在り方に否定的な人が増えて居る事が背景に在るのも押さえて置くべきでしょう。スキャンダル塗(まみ)れの〔IOC〕に対する不信感が、東京五輪開催を巡る議論を機に表面化したとも受け止められます。  

 実は私は、五輪をサッサと開催してしまった方が気分がスッキリする面もあると考えて居ます。「自民党と利権団体の為にどうぞおやり下さい。只今後、貴方達とお付き合いを続けるかどうかは分かりませんよ」と云った気持ちで開催すれば好いんです。大会は多分盛り上がりません。
 それでも〔五輪は過去のこと〕として国民のマインドがリセットされる意義は在ると思いまし、日本では二度と五輪は開催され無いでしょう。近い将来、虚飾に塗れた五輪自体無く為ると私は予想して居ます。


 編集部・渡辺豪  AERA 2021年5月24日号



 〜管理人のひとこと〜

 オリンピックに関しては、人々は二通りに別れてしまいます。一つは、スポーツ精神を絶対視し昔の様にアマチュア精神を高い理想として掲げ、マルで宗教の様に崇め高める人々。そしてもう一方は、スポーツの世界大会が全て集まったもので、スポーツ団体の金儲け・組織の維持の為に在る・・・究極は、国の経済発展を賭けた金儲けだと割り切る人達です。
 オリンピックの目的は、勝つことでは無く参加する事だ・・・と云われたものだが、参加し勝利し国の権威を高揚する以外の何物でも無いのです。特に近代オリンピックは、クーベルタン男爵が古代ローマのスポーツ競技会を参考にして、例え国同士が戦争中で在ってもオリンピック期間中は停戦し競技に参加しよう・・・とするアマチュア精神を重んじた・・・貴族の遊び心を最大に重んじた集まりを指すのです。

 ですから、それに他の精神性や宗教性を付随させる必要は全く無い。オリンピックの開催は、近代は完全に国の威信を賭けた、所謂国威高揚の為のデモンストレーションで在り金儲けの一つの道具として各国が競って誘致したものです。
 北京・リオ・ソウル・・・と発展途上国・低開発国が一流の国に為った証としてオリンピック開催成功を図ったものでしたが、余りにも予算規模が膨れすぎて赤字に陥ってしまった。そこで現在は開催希望国が減少し、色々な改革をして次の開催を図って居るのです。
 現在は、IOC委員の金に関わる不祥事が多発して信頼性が低下しています。余程の経済大国で無ければ開催出来るものでは無く、G7最低国であり20年以上のデフレを克服できない日本には今更可能なものでは無いでしょう。次の記事の様に「東京五輪は、世界の恥さらし・・・」なのかも知れません。


                以上





 上野千鶴子『古い男達の五輪』はもう要ら無い? 

「東京五輪は、世界の恥さらし・・・」 



 週刊朝日 2021.3.24 16:02 #2020東京五輪 永井貴子・上田耕司



5-21-21.jpg

           上野千鶴子氏 (c)朝日新聞社 5-21-21


 〜本当に開催出来るのか・・・不安が拭え無い中、東京五輪が近付いて来た。3月25日には澤穂希さんら〔なでしこジャパン〕メンバーを第1走者に聖火リレーが始まるが、此処に来て又も五輪精神に反する不祥事が発覚。このママでは日本の〔恥部〕を世界に晒す大会に為りかね無い〜

               *  *  *

 
 3月21日で首都圏1都3県の緊急事態宣言を解除した菅義偉首相「第4波」の気配が迫る中での決断は、25日から始まる聖火リレーを意識した為とも指摘される。或る政府関係者がこう語る。

 「4月の訪米に備えワクチンを打った菅首相は、バイデン大統領と直談判して五輪開催のお墨付きを貰う事で頭が一杯です。五輪を開催して大会期間中に感染者が一定程度拡大する事は想定内と云う事でしょう。多少、クラスターが発生しようと、大会を開きさえすればその高揚感で国民の支持を得られると計算している。人類はコロナ禍でも大会を成し遂げたと宣伝出来ますから」

 支持率回復の為の五輪だとすれば「平和の祭典」「復興五輪」等の言葉が空しく響く。実際、そうした疑念を抱かれかね無い程、関係者のモラルが問われる不祥事が相次いでいる。
 3月17日には、東京五輪・パラリンピックの開閉会式の演出責任者を務めるクリエーティブディレクターの佐々木宏氏が、演出チーム内のLINEでタレントの渡辺直美さんに豚の扮装をさせる等、侮辱する様な提案をして居た事が文春オンラインの報道で発覚。
 佐々木氏は辞任した。佐々木氏は広告大手の電通出身。東大名誉教授で社会学者の上野千鶴子氏は呆れた様子でこう語る。

 「小学生の虐め並みの幼稚で粗野な容姿弄りですね。2017年には壇蜜さんを起用した宮城県の観光PR動画が性的な表現で炎上する等、広告業界は男社会による旧態依然とした女性蔑視の価値観を許して来た。こうした事が起きる素地は元から在ったと言えます」

 佐々木氏は数々の有名CMを手掛けたヒットメーカー。博報堂出身の作家・本間龍氏が語る。

 「業界では〔天皇〕と呼ばれる位有名。クリエーターと云うより、部下や外部から上がって来たアイデアの中から良いものをピックアップし進めて行くのが得意だった。しかし、今回の一件で、考え方が古く、世界的なジェンダー平等の潮流に取り残されて居た事が露呈してしまいました」

 佐々木氏の出身母体である電通は、五輪組織委にも多くの人材を送り込み、五輪に大きな影響力を及ぼして来た。

 「組織委は東京都・政府・地方自治体やスポンサー等からの出向者の寄せ集め。大半の人は五輪の様な巨大イベントのノウハウ等無いので、電通に頼らざるを得無い。こうした事から、電通出身の佐々木氏が起用されたのでしょう」(本間氏)

 森喜朗・五輪組織委前会長の女性蔑視発言で注目されたジェンダー意識の低さも再び問われて居る。佐々木氏が主導権を奪って以降の演出チームは、スタッフが男性ばかりだと指摘されたのだ。佐々木氏も報道後に公表した謝罪文で<スタッフに男性が多いと云うご指摘はその通り>と認めた。
 森氏の辞任後、五輪組織委の新会長には女性の橋本聖子氏が就任。女性理事を12人増員させる等組織委も「汚名返上」を試みているが、染み着いた体質は相当根深い。前出の上野氏が語る。

 「橋本氏の会長起用は『困った時の女頼み』で五輪の強行開催か中止かの困難な舵取りを押し付けられただけ。女性理事を増やしたと云っても、殆どの事柄が決定済みの最終段階からの参加に意味があるのか。上層部に居る古い体質の男性達の頭は全く切り替わっていません」

 不祥事の度国民の気持ちは五輪から離れて行く。それでも日本が五輪開催に固執する背景には、巨大商業イベントと化した五輪の利権がある。五輪は1984年のロサンゼルス大会から1業種1社のスポンサー制度を取り入れて居たが、東京五輪ではその原則を取り払った。これにより、スポンサー数は2012年のロンドン五輪・16年のリオ五輪と比べても膨れ上がり、68社もの国内スポンサーを着けた。

 「1業種1社だとスポンサー企業が増え無いから、集められるカネに限界がある。だから、スポンサー数は制限無しとした。主導したのは電通です。電通はスポンサー企業と組織委の間でマージンを抜いて居ますから。その結果、組織委は公表して居るだけでも3千億円以上のスポンサー料を掻き集めました」(本間氏)

 巨額の資金を集めてしまった以上、後戻りは出来ない。又、大会経費は既に約1兆6千億円に迄膨張。五輪による景気浮揚を見越してこれだけのお金を突っ込んでしまった東京都と政府も、最早「中止」とは言え無いと云う訳だ。だが、目先の利益を追い掛けて、より多くを失う事に為ら無いのか。前出の上野氏はこう語る。

 「私は当初から開催に反対です。『高度経済成長時代の輝きをもう一度』と、五輪熱で景気浮揚を狙う何て発想が古過ぎます。開催が至上命題とされて居る様ですが、コロナ対策が不十分なママ東京五輪で変異株への感染が拡大したら、日本は国際政治レベルで窮地に立たされますよ」

 本間氏もこう指摘する。

 「外国人観光客を入れ無い事に為り、五輪関連のインバウンド需要も見込め無い。海外から選手や関係者が1万人以上遣って来て、テロ対策や感染対策等、準備の費用も嵩(かさ)む。五輪を開催した方が日本は損をするのではないか」

 〔古い体質の男達〕がノサバル現状を変え無いと世界に恥を晒す結果に為り兼ね無い。


 
 ※週刊朝日  本誌・永井貴子&上田耕司 2021年4月2日号



 〜管理人のひとこと〜

 東京五輪の開催の問題も緊急なのだが、2025年開催の大阪万博はどうなのだろう・・・大阪は知事の活躍の甲斐無くコロナ対策に苦労している。そして、大阪発祥の維新勢力の埋没で政治的発言の低下した橋下氏が最近は東京のメディアに出捲って居る。そんな感じがするのだが、今更彼の政治的発言を必要としているのかは知らない。
 大阪万博の為には、維新・大阪勢力・吉本・自民党・・・等の大阪の勢力を温存しなくては為らない。夢よ再びと「大阪万博」に夢を残している旧態な自民党勢力もこれを東京五輪の様に失敗させる訳にはいかないのだ。五輪・万博共に「古いおやじ体質・・・自民党」の失敗の連続では完全に日本から自民党離れが完結してしまうではないか。


                  以上

















×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。