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2022年12月02日

つきまとう女 13



「俺は奈々子に協力し、親父と警察官、それと看護師を殺した。俺はそれで奈々子が満足すると思っていた。だがそれは違った。俺は霊というものに対する知識を、中途半端に持っていたに過ぎない。どんなに復讐を遂げても、奈々子はもう死んでいる。俺の眼の前に居る悪霊と化した奈々子は、奈々子であって奈々子じゃない。ただの情念の塊だ。情念の塊が満足して消えることなんて絶対に無い。俺は落胆したよ。親父を含めて3人も殺したのに、ただ奈々子の形をした悪霊が増大しただけだった。そんな時にお前が現れた。ただの復讐の情念の塊だったはずの奈々子が、お前に魅かれた。俺にとっては驚きだったよ。もしかしたら、と変な希望まで持っちまった。だが、奈々子は死んでいる。普通の生き人とは一緒に居られない」
「それで俺を殺そうと思ったのか?ふざけるな」
「ああ、今思えば愚かもいい所だ。だが、俺にとっては希望だった。お前と居れば、奈々子は奈々子として戻れるんじゃないか、とな」

男の話に俺は納得がいかなかった。

「ただ殺すだけなら、お前には何時でも俺を殺すことは出来たはずだ。何故すぐにやらなかった?何故あんな回りくどいことをする?」

俺は男に問いただした。男の表情に変化はない。

「単純にすぐ殺しても、霊はこの世に留まらない。すぐに消えてしまう。苦しめて、追い詰めて、不条理を与えることで、霊はこの世に強い情念を残し、長く留まる。お前には未来永劫、奈々子と一緒に居て欲しかった」

男の言葉に、俺は全身が震えた。

「北海道から帰ったお前は交通事故を起こし、重傷を負った。あれも俺の仕業だ。お前の会社の人事部長の脳に侵入して、解雇通知を書かせたのも俺だ。左腕の骨折だけの治りが遅かっただろ?あれも俺だ。その他諸々。お前には色々、仕掛けたな」

俺は震える拳を押さえた。

「殴っても良いんだぜ?そこで我慢するのは、元サラリーマンの悲しい性か?」

俺は男の左頬を全力で殴った。男は椅子から転げ落ち、地面に平伏した。

「まあ、一発くらい殴らせないとな…」

男はそう言うと椅子を元の位置に戻し、再び腰掛けた。
俺は怒りで全身が熱くなっていた。

「落ち着けってのは無理な話かもしれないが、話は最後まで聞け。俺はお前に感謝しているんだ」
「感謝だと!?」
「最後にお前が奈々子と一緒に居たときの話だ。あの時、俺はオカマの部下に押さえつけられ、床に平伏していた。事の終わりを見届けろとオカマに言われ、俺はお前たちを見ていた。あの時…、俺は眼前の光景に我が眼を疑った。俺は奇跡を見ていた。ただの復讐の情念の塊だった奈々子は、そこには居なかった。お前も見ただろ?あの奈々子が本当の奈々子だ。生前の頃の奈々子だったんだ。アイツはただのか弱い女だった。あれが本当の奈々子の姿だったんだ。俺は泣いた。奇跡を前に、俺は子供のように泣く事しか出来なかった。最初は光に群がる虫のように、奈々子はお前に魅かれただけだった。それが何時しか、本当にお前のことを好きになっちまっていたんだ」

俺は震える拳を降ろし、黙り込んだ。

「お前も薄々気付いていたんじゃないか?」

そう言う男の顔からは、深海のような冷たさが消えていた。
最後に見たあの女の顔を、俺は思い出していた。
気が付くと、俺の眼からは涙が流れていた。

「泣いてくれるのか?」

男はそう言うと静かに俯いた。

「お前は優しい男だな。あんな事をした奈々子のために泣いてくれるなんてよ。お前は本当にしぶとい奴だった。俺はお前の勇気に驚かされ続けたよ。そして、家族の愛情に恵まれた、優しい男だ。今なら奈々子の気持ちが俺にも判る。俺たちは愛情に飢えていた。本当にお前が羨ましい。奈々子は生前、誰かを好きになるなんて一度もなかった。こんな形じゃなく、奈々子が生きている間にお前と出会えていたら…。お前のように俺にも勇気があれば、こんなことにはならなかった」

俺は泣いた。あの女を思い、泣いた。
あの女は敵だ。あの女が俺に何をしたのかは忘れない。
それでも、俺の眼から流れる涙は止まらなかった。
男は椅子から立ち上がると、天を仰いだ。

「俺も奈々子も、散々人を苦しめた。天国には行けねぇ。奈々子も地獄に落ちたよ。アイツは生まれ変わっても、また辛い人生を送る。でもよ…、もし、お前がアイツに再びであったなら…。その時は…」

男は踵を返し、背を向ける。

「…自分勝手にも程があるか…」

男は静かにうなだれる。
その背中には、悲しみが色濃く映し出されていた。

俺は事の顛末を知った。俺には泣くことしか出来なかった。
男とあの女の悲しい過去。俺の知らない家族の話。
全てが俺の胸に突き刺さり、涙を溢れさせていた。
俺はただただ悲しかった。

「じゃあな」

男はそう言うと、俺から離れていく。

「これから、お前はどうする気なんだ?」

俺の問いに男は足を止める。

「俺には初めから守護霊なんてものはいない。自分の身は自分で守ってきた。だが、俺はもう能力を封印する。俺がお前を苦しめたように、今度は俺が苦しむ。もう、お前とは会うこともねぇ。俺の幾つ草木は妹や親父と同じ所さ」

そう言うと男は、俺の目の前から消えた。

俺はレストランのトイレに戻ってきていた。
トイレの洗面所で泣き腫らした顔を洗った。
俺はあの男の言葉を思い出していた。

『俺の行きつく先は妹や親父と同じ所さ』

あの家族に救いは訪れないのだろうか。
一度人は道を外すと、元には戻れないのだろうか。
俺は世の無常を感じていた。
トイレから出た俺は、家族の待つテーブルに帰ってきた。
幸せな光景。あの家族には、この光景を一度も見たことは無いのだろうか。
俺の胸は切なさでいっぱいだった。


「ちょっとぉ、なにボーとしているのよ」

姉の声に俺は我に返る。

「ああ、悪い。ちょっと考え事しててさ」
「さっきから、あんたの携帯、鳴りっ放しだったよ。なんか、出ても悪いかなぁと思って放置してたけど」

俺は自分の携帯を見た。確かに5件も着信履歴が在る。
相手はジョンの携帯だった。
何の用だろうか。俺はリダイヤルした。

「もしもし。お兄さんですか?」
「ああ、なんだ、ジョン?何回も着信履歴が入っていたけど、急ぎの用事か?」
「いやぁ、俺がお兄さんに対して、急ぎの用事って訳じゃないんですけどね。社長が今すぐ事務所に来いって」
「社長が!?」

俺は携帯を切ると家族に謝り、レストランを飛び出した。
社長を待たせる程怖いことは無い。
全力で走り抜け、俺は社長の待つ探偵事務所に辿り着いた。

「ご…御用件は…はぁ…はぁ…なんですか、社長…はぁ…はぁ」

社長はタバコを灰皿に押し付けた。

「はぁはぁ気持ちが悪い!先ず呼吸を整えろ馬鹿!」

俺の目の前に一杯の水が差し出された。

「お兄さん、飲んでください」

ジョンだった。

「ああ…、ありがとう。ジョン」

ジョンは優しく微笑んだ。
ジョンのくれた水を俺は一気に飲み干し、呼吸を整えた。

「良いか?とりあえず、この書類に眼を通せ」

社長の差し出した書類を俺は見た。
そこには『内定通知書』と書かれていた。

「これは…、なんですか、社長?」

俺は唐突な書類の内容に戸惑った。

「見て判らないか?お前を我が社に採用すると言っているのだ。お前は未だに無職なのだろう?私がお前を雇ってやる」

社長の言葉に驚いた俺はジョンの顔を見る。
ジョンは笑顔でサムズアップをしていた。

「え!?いや、嬉しい!けど…。ど、どういうことですか、社長?突然で…」
「戸惑っているのか?」

社長は妖しく微笑む。

「実を言うとな。お前の敵だった、あの男に頼まれたのだ」
「あの男に!?」

俺は驚いた。あの男が社長に頼み事を?

「私も驚いたよ。我が社の口座にいきなり1000万円を振り込んで、お前を雇ってくれと頼み込んできた。せめてもの罪滅ぼしとでも思ったのか。それともお前が気に入ったのか。1000万円もあれば、どんなぺーぺーでも一流に育つ。私は快諾したよ。その気持ちを受け取るかどうかは、お前次第だがな」

俺は迷うことなく「御願いします」と言い頭を下げた。

「お前には霊能の才能が欠片しかないから、探偵として雇うことになる。言っとくが、甘くは無いぞ。覚悟しておけよ?」

そう言うと社長は微笑んだ。ジョンも笑っていた。
俺は探偵として生きていくことを決めた。


俺の物語はここで終わる。
探偵として歩み始めた俺には、様々な出来事が起きる。
でも、それはクライアントの物語。
守秘義務の関係上、これ以上は書けない。


あの騒動で俺は強くなった気がする。
今でも時折、あの女のことを思い出す。
あの女は、今もどこかで苦しんでいるのだろうか?
もし、再びアイツと出会ったなら…俺はその時…アイツを助けてやりたいと思う。
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