木曜日。2001年・2003年製作アニメ、「天使のしっぽ」の二次創作掲載の日です。(当作品の事を良く知りたい方はリンクのWikiへ)。
ヤンデレ、厨二病、メアリー・スー注意
イラスト提供=M/Y/D/S動物のイラスト集。転載不可。
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♪・・・♪♪・・・・♪・・♪・・・
ボンヤリと明ける視界。飛び込んできたのは、暗い天と、ユラユラと燃える濁赤の月。
途切れがちに戻る聴覚。聞こえてきたのは、寂しく、優しい歌声。
虚ろにつながる感覚。感じたのは、頬を撫でる甘い香と、肌に感じる、氷の体温。
ここは・・・。
判然としない意識。
たゆらう、視界。
何処・・・?
暗い空。紅い月。
歌が聞こえる。
歌・・・子守歌。
紅い・・・月。
子守・・歌・・・?
背筋に走る、悪寒。
ここは・・・。
ここは・・・。
纏わり付く冷気に急かされる様に、夢と現の間をうつろう視界を廻らせる。やがて、それがその端に、夜天と赤月以外のものを映し出す。
夜風に流れる銀。
月の煌を受けて、淡く燈る氷白の肌。
サヤサヤと、涼風の様に歌を紡ぐ、薄い唇。
そして―
―狂想綴歌―
「・・・目、覚めた?」
そんな言葉とともに、覗き込んできた琥珀の輝き。
それが、夢と現の狭間を彷徨っていた意識を今度こそはっきりと覚醒させる。
「・・・・・・?」
気がつくと、アカネは元の公園のベンチに、件の少女に膝枕をされる形で横たわっていた。
当の少女は、アカネの頭を自分の膝に乗せ、彼女の長い黄金(こがね)色の髪を、その白く細い指で梳る様に玩んでいた。
「――!!」
起き上がろうとするが、目覚めた意識とは裏腹に、身体は鉛を呑んだ様に重く、言うことを聞かない。
「心配したよ?全然目、覚まさないからさ・・・。」
言葉とともに、白魚の様な指がアカネの髪の中を泳ぐ。その度に、氷の櫛で梳られる様な感覚が背筋を振るわせた。
見下ろす瞳が、きゅうと細まる。労わる様な、嘲る様な、奇妙な表情。
「どう?まだ、動けない?動けないか・・・。」
髪を玩ぶ方とは別の手が、その指でアカネの頬をツツと撫でる。走る悪寒。けれど、鉛の身体は、動かない。
その様子を見とめ、少女はクスリとその口元をほころばせる。
「いいよ?もうしばらく、このままでいてあげる。なんか、御人形遊びしてるみたいで、楽しいし・・・。」
そう言ってほくそえむと、アカネの髪を絡ませた指を口元に運ぶ。夜風にサラサラと鳴る黄金の髪を、薄い唇が愛撫する様にゆっくりと撫でた。
「いいなぁ・・・。綺麗な髪。わたしの髪、色が無いから、羨ましい・・・。」
アカネの髪に頬を寄せながら、呟く。
「でも、一寸痛んでるみたい。駄目だよ?ちゃんと御手入しないと。せっかくの髪が、可哀想・・・。」
そして、少女は笑う。
楽しげに、嬉しげに、無邪気に、笑う。
「・・・あれ、は・・・」
やっとの思いで搾り出した声に、少女がおやっと顔を向ける。
「あは、何?何か、言いたいの?」
少女が、アカネの口元に耳を寄せる。
「“あれ”は・・何?何を・・見せた・・・?」
「あれ・・・?ああ、『番いの窓(シンメトリー・コーニア)』の事?あれはね、術者の記憶と、対象者の記憶を、シンクロさせて脳内再生する術式。つまり、キミの見た“あれ”は・・・」
薄い唇が、ゆっくりと紡ぐ。
「わたしの記憶。わたしの、“過去”。」
アカネの顔がかすかに強張るのを見とめた少女が、コロコロと笑う。
「どうしたの?はは、そんなに、怖かった?一応、一番キツイ所の手前で止まる様に調整はしたつもりだけど・・・?わたし、あの術式組むの、実はちょっと苦手なんだよねぇ・・・。」
と、その軽口をはたと止めると、少女は怪訝そうに、膝上の顔を覗き込んだ。
玩ばれ、乱れた黄金(こがね)の髪。その間から、疲れた様に、けれどしっかりとこちらを見上げる瞳。
そこから、ハラリと一滴、澄んだ滴が零れ落ちる。
一滴。また、一滴。
さらさらと頬を滑った滴は、そのまま少女の膝に落ち、柔らかな熱感とともにその肌を濡らしていく。
「・・・何、泣いてるの?」
小首を傾げ問う少女に、アカネの声がか細く答える。戦慄く様な、喘ぐ様な響きと共に。
「“あれ”が・・“あれ”が、君の、過去・・・?”君”の、“前世”・・・?」
「――!?」
その言葉に、少女の顔からスウ、と色が消える。
「・・・き・・君、は・・ご主人様に・・・・君が、“あそこ”に堕ちたのは・・・“悪魔”に、なったのは・・・」
「・・・“そんなとこ”まで、見えたの・・・?」
かすかな、けれど確かな驚きの混じった声で少女が問う。
アカネは答えない。ただ、止め処なく流れる涙と、それに濡れる瞳が、その問いを肯定した。
「・・・“そんな”所まで、見せるつもりじゃなかったのに・・・。そこまで深く、同調するなんて・・・。」
彼女が珍しく見せる、動揺の気配。
と、不意にその腕に温かい圧力を感じ、少女は我に返った。
―それまで力なく横たわっていたアカネが身を起こし、震える手で彼女の腕を掴んでいた。
「・・・違う・・・」
震える声。掴む手に、ゆっくりと力がこもる。
「・・・違うよ・・・違う・・・。」
まだ力のない身体を、半ば少女に預ける様にすがり付きながら、アカネはうわ言の様に、そう繰り返す。
「違うんだ・・・あれは・・あんなのは・・・」
「違う?何が・・・?」
ほんの一瞬だけ、色を失っていたその顔に、再び表情を戻しながら、少女は問う。
「だって、あれは・・・あれは、ご主人様のせいじゃない・・・!!」
「・・・・・・?」
「そうだろ・・・?だから、だから君が、ご主人様を、“憎む”のは・・・」
そこまで聞くと、少女は何かを察した様な顔をして、そして―
「・・・く・・・くく、あは、あはははは・・・。」
哂いだした。
戸惑うアカネに向かって、哂いながら少女は言う。
「はは、キミもあの娘(ナナ)と同じ様なこと言うんだね?天使って、何でそう短絡的なんだろ?いい、あのねぇ・・・」
少女がその顔をアカネに寄せる。冷たく底光りする琥珀がその姿を映し、深い水面の様にるぉんと揺らぐ。
「わたしはねぇ、ご主人様を怒ってたり、まして憎んでなんか、これっぽっちもないんだよ?」
噛み締める様に、紡がれる言葉。
「ご主人様は、わたしに名前をくれた。わたしを、その名で呼んでくれた。“一端”でしかなかったわたしを、“個”として認めてくれた。この世で初めて、わたしを“わたし”とあらしめてくれた。・・・わたしの世界を、変えてくれた・・・。解き放ってくれた・・・。」
言い聞かせる。アカネに。自分に。
「・・・その“ご恩”の前では、“あの程度”の事なんか、歯牙にもかからない。そうは、思わない?ねぇ?」
寄せられる眼差し。哂う瞳。視界を覆う、揺らぐ琥珀。
そして、アカネは見る。
その奥に。冷たく静む、深い深い、琥珀の奥に。
微かに、けれど確かに燃える暗い、暗い、その灯火を。
チラチラと。ユラユラと。微かに。けれど、確かに。
暗く。
激しく。
禍々しく。
けれど、この上なく透麗に。
燃える、燃える、焔。
「だからね、わたしは、そのご恩を返すの。ご主人様がしてくれた様に。変えてあげるの。ご主人様も。解放してあげるの。“ここ”から。こんな、こんな、悲しみと絶望ばっかりの、“輪廻(ここ)”から・・・。」
浮される様に、紡がれる言葉。
呼応する様に、揺れる灯火。
暗く、暗く、猛る、焔。
それが意味するもの。
その仄暗い輝きが孕むもの。
アカネは、知らない。
それを、知らない。
―まだ、知らない。
だから、ただ、反論する。
その焔の意味を知らぬまま、少女の抱くものを理解出来ぬまま。
それでもアカネは、反論する。
「ち・・違う!!そんな事、ご主人様は望んでない!!」
それが、決して少女の内に届く事は無いと知ってはいても。
少女と自分との間に在る距離。
それを、せめて少しでも潰そうと。
込めれるだけの想いと力を込めて、アカネは少女を否定する。
そして、その中で、アカネの口は自然と彼の記憶の中で得た“それ”を紡ぎかけ―
「理解(わか)って!!そんな事は、間違ってるんだ!!ねぇ、トウ・・・」
けれど、“それ”を紡ぎ上げるより一瞬早く、少女の指によって塞がれる。
「・・・っ!?」
唇を通して染み透る冷感。
それが、アカネの想いを、力を、そこに猛る熱を、酷くあっさりと、飲み下す。
「・・・言っちゃ、駄目。」
思わずすくみ上がる眼前で、少女の顔は艶やかに微笑む。
「“それ”を最初に呼ぶのは、ご主人様。キミに、その権利はないし、あげるつもりも、ない。」
唇から頬へと細い指が滑り、見つめる瞳がきゅうと細まる。まるで、天上で見つめる月の様に。
「間違ってる・・か・・・。何が、“間違って”る?」
歪んだ月の奥で、暗い灯火が燃えている。
暗く、暗く。狂おしく。
チロチロと、チロチロと燃えている。
「間違ってるのは、わたし?それとも、キミ?わたしの世界を変えた、ご主人様?わたしの手を取ってくれなかった、ご主人様?わたしが生まれた事?悪魔になった事?ご主人様がご主人様である事?わたしとご主人様が会った事?キミがご主人様の側にいる事?わたしがご主人様を想う事?わたしとキミが、同じ人を求める事?」
まくし立てる様に、少女はアカネに詰め寄る。
「ねぇ、間違ってるのは、何?何かな?」
答えに詰まるアカネを見て、少女はその暗い微笑をさらに歪める。亀裂の様な口の隙間で、微かに除く牙がカチリと笑った。
「分からない?答えられない?だろうね。こんな質問、意味ないもの。だって間違ってるのは、もっと、もっと根本的なとこだもの。」
言葉と共に少女の身体がスルリと滑り、アカネとベンチの間から抜けて出る。そのまま輪舞を踏む様にクルリと身を翻す。身体のこなしに引かれて踊った白髪が、月光の中でキラキラと煌を散らした。
「それはね、ご主人様がこの世界に生まれた事・・・。こんな世界が、ご主人様を縛ってる事。それがそもそもの、根本的な大間違い。」
ベンチに取り残されたアカネに向かって向き直った少女は、そう言って大仰に両手を広げて見せる。
「だからね、わたしやキミ達のどっちが正しいかとか何が間違っているのかなんて議論、端っから意味無いの。だって、そうでしょ?わたし達とご主人様の時間は、全部その間違いの上に積み重ねられてきたんだもの。間違いを土台にして作られたものが、正しい形になれる道理は、ないよね。」
全てを、悟郎が歩んできた道を、アカネ達が紡いだ時を、そしてかつて自分が在ったその瞬間すらも否定し、それで尚、少女は笑う。
「そう・・・間違ってるんだよ?わたしも、キミ達も・・・。」
歪む笑み。深く、歪(いびつ)に、揺らぎ歪む。
「だから、わたしはそれを修正する。ご主人様をこの世界から解き放って、間違った土台を刺し崩して、そして新しい土台を、ご主人様の正しい世界を組み上げてあげる。」
「・・・なんで・・・?」
「ん?」
戦慄く様なアカネの声が、その語りを止める。
「何で・・何でそんな事にこだわるんだ!?何でそんなにこの世界を否定する!?何で、この世界で・・・ご主人様が望む世界で一緒に生きようとしないんだ!?」
「・・・分かんないの?」
アカネの叫びに、少女はその顔から笑みを消し、不思議そうに、本当に不思議そうに小首を傾げる。
そして、薄く開いた口が一言。
「だって、この世界にいたら、ご主人様、とられちゃうじゃない。」
「・・・え・・・?」
酷く何気ない調子で紡がれたその一言に、アカネは一瞬呆けた様に言葉を失う。
そんな彼女を無視して、少女は言葉を続ける。
「この世界は、輪廻という理の元に、全ての存在を流転させる世界。全ての存在が、定められた滅びと転生を前提に、今在る事を認められた世界。雪が溶けて水になる様に、花が枯れて土になる様に、人も、動物も、定められた時が来れば今を終え、次へ変わらなきゃならない。それが“死”。それが“輪廻”。そこにどんな願いや想いがあったとしても、それがどんな悲しみや絶望が生まれるとしても、関係ない。この世界はただその輪を回すだけ。ただ、くるくるくるくる、廻すだけ・・・。」
一言毎に、少女の瞳に燃える灯火がその激しさを増していく。
より暗く。より冷たく。より深く。
「そう、この世界にいる限り、いつかご主人様は世界に奪われる。」
瞳が蠢く。キュルキュルと、クルクルと、その中心にアカネを映したまま、けれど何も見ず、彷徨う様に、クルクルキュルキュルと瞳が蠢く。
「ご主人様が、奪われる・・・。」
深淵に沈み響く声。揺らぐ瞳が虚空を仰ぎ、薄く開いた口元で、また小さくカチリと牙が鳴く。
「許せないよね。そんな事。ご主人様はわたしのなんだから。わたしだけのものなんだから。誰だろうと、世界だろうと、神だろうと、奪うなんて、許せない。だから・・・」
軽く空を仰いでいた首がカクン、と落ちる。糸の切れた人形の様に、カクンと落ちる。再びアカネに向けられる、暗く揺らぐ、瞳の焦点。
「わたしはご主人様を連れてくの。神の手も、輪廻の繰音(くるね)も、時の理も届かない、”あっち”の世界へ、ご主人様を連れてくの。」
”あっち”の世界。その言葉が意味するもの。
満ちる氷霧。凍てつく黒土。永久の夜闇。紡がれる子守唄。紅く燃える月。絶対の、虚無。
今のアカネならば、容易に思い描ける。記憶に焼きつく、彼の光景。
背筋を走る、拒絶の悪寒。
「”あっち”なら、誰もご主人様を奪えない。何もご主人様を変えられない。わたしはずっとご主人様と一緒にいられる。寄り添っていられる・・・。」
言って少女は笑みを浮かべる。熱病に浮される様な、歪んだ笑みを。
その笑みを見た瞬間、アカネの内で何かが弾ける。
「ふざけるなっ!!」
弾けたそれは熱となり、怒りの声となって夜闇に響く。
「ご主人様を連れて行く!?世界に摂られない為に!?ずっと一緒にいる為に!?そんなの、ただのエゴじゃないか!!ご主人様の夢は、未来は、幸せはどうなる!?それは全部、この世界(ここ)にあるんだぞ!!なのに、きみはその全てを、ご主人様の全部を、自分の望みの為に奪うつもりか!?犠牲にするのかっ!!?」
たった今しがたまで身体に纏わりついていた疲労や脱力、恐怖や緊張。その全てを振り払う様に、アカネは叫ぶ。
少女が抱く、それは想いと呼ぶにはあまりにも歪んだ願い。
それを晒し、尚も笑みを浮かべる少女。
その全てを否定しようと、内に生まれたあるだけの熱を言葉に込め、牙を剥く勢いで、猛り、叫ぶ。
けれど、そんなアカネの熱を、猛りを真正面から受けて、それでも、少女はその顔に氷度の笑みを張り付けたまま。
「分かってないなぁ。犠牲にするんじゃないよ。言ったでしょ?ご主人様の世界を組みなおすって・・・。」
そう言うと、少女はおもむろに右手を自分の胸元に当てた。
「え?」
シュル
虚を突かれたアカネの目の前で、滑る様な音と共にレースの付け襟が取り払われた。
そのまま指が踊り、上着のボタンをプツリと外す。
「ちょっ・・何を!!?」
場違いな調子で慌てるアカネの目の前で、少女はその胸元をパラリと肌蹴る。
「ほら、見て。」
思わず目を逸らしたアカネにそう言いながら、少女は左側の襟に左手の人差し指をかけると、クイッと広げて見せる。
促され、目を向ける。
広く開いた夜色の口から覗く、幻想の様に浮かび上がった白磁の肌。
虚ろに目に染む、氷白の色。
そこに、淡い煌が一つ、浮いていた。
それは、広げ、晒された左胸。その淡い膨らみより、もう少し内寄りの場所。丁度、人間でいう、心臓の位置。
夜目に淡く灯るそれは、形容するのなら確かに「煌」としか言い様のないもの。けれど、それはあくまで他に相応しい表現が無いだけの話。
何故ならそれは、ただ「煌」という概念にはめるには、
あまりにも深くて、
あまりにも透麗で、
あまりにも鋭冷で、
この世に在るには、あまりにも異質に過ぎて。
そんな煌が、少女の奥からまるで染み出る様に生じていた。
「あ・・・!!」
その煌に、アカネは覚えがあった。
それは、少女に見せられた夢の記憶。永劫の静寂と無限の虚無が支配する世界。そこを満たしていた、氷霧。その氷霧が確かに、今眼前で少女の内から漏れ出る煌と同じ煌を放っていた。
「・・・それは・・・!?」
アカネの問いに、少女は左胸に手を当てる。
「わたしの、悪魔の、“核”。」
「“核”・・・?」
「そう。わたしの身体は、もう”あっち”の理の元にある。基本的に、この世界とは相容れない。だから、わたしの内には、維持装置として”あっち”の世界の欠片が仕込まれている。あの世界を満たす霧、『純潔の血漿(アートリス=シーラム)』の結晶が。」
「アートリス・・シーラム・・・?」
「そう、あの霧は、”こっち”から”あっち”に堕ちた魂を浄化する為のもの。流れ着いた魂が、何の障害もなく”あっち”に染まれるように、染み付いた”こっち”の色を消し去って、真っ白な、生じたばかりの状態にまで還元する。一つの存在が、別の何かに染められる、その前にまで巻き戻す。丁度、血清が血液を汚す毒を中和するみたいに。」
胸に当てられた指の間。そこから漏れる煌が、少女の言葉に合わせる様に明滅する。まるで、静かに脈打つ、心臓の鼓動の様に。
「その結晶が、わたしの内にある。ここで鳴動して、わたしの内を満たし続けてる。わたしが、この世界に喰われてしまわない様に。この世界が、その内に悪魔(わたし)を溶かし込んでしまわないように。」
乱した服装を整えると、少女はほくそえむ。
「つまり、わたしの内を流れる血は・・・」
言葉とともに、その右手がゆっくりと上がっていく。細い指が薄い唇に添えられる。
プツリ
鋭い牙が、指先の皮を突き破る。見る見る溢れ出た液が、白磁に鮮やかな朱の模様を描き、滴り堕ちる。
少女は唇に付いた血を薄い舌でぺロリと拭うと、不意にその手を凪ぐ様に鋭く振るった。
空を切る、鋭い音。走った朱い飛沫が、近くに植えられていた木の幹へとタタッ、と朱い水玉を描く。
瞬間、幹に付いた飛沫を中心に何かが染み出す。
見える訳ではない。
それでも確かに何かが染み、広がっていく。そんな感覚が、見る間に木全体を覆い尽くし、そして―
ポゥ・・・
木が、淡い輝きに包まれる。
淡く、冷たい、白銀の煌。
木の身体を愛しむ様に、玩ぶ様に包む煌は、それでもほんの数秒で、溶ける様に消えてゆく。
やがて、全ての煌が夜闇に溶けると、後には件の木が元の姿のまま佇んでいた。
けれど―
「・・・。」
アカネは揺らぐ足取りで近づき、木の幹に震える手を当てる。
見た目は変わらず、けれど、当てる手を伝わり感じる存在感は、全くの別物。
それは、まるで同じ風景を描いた絵の、彩色前の白い下描きを見る様な、空虚な違和感。
そこにある木は、もうそこにあった木ではなくなっていた。
「そういう事。」
耳元で囁いた声に、アカネは視線を向ける。
何時の間に近づいたのか、すぐ傍らに立った少女が薄笑いを浮かべながら見上げていた。
「わたしの血は、『純潔の血漿(アートリス=シーラム)』そのもの同然。触れたものは皆・・・」
呼気を感じる程に寄せられた唇が、囁く様に告げる。
「染まる前の、真っ白に戻る・・・。」
薄く三日月に歪んだ口。覗く牙を微かに鳴かせながら、言葉を紡ぐ。
「後は簡単。戻った白は、簡単に染め直せる。ご主人様の、身も心も魂も、”あっち”用に変えられる。そうすれば、ご主人様はもう、”あっち”の存在・・・。」
クスクスと、含み哂う声。
「そう、ご主人様は、別の世界の存在になるの。そうなれば、”こっち”での未来や夢なんて、ご主人様にとって何の意味も無くなる。望む対象ですらなくなる。望まないんだから、犠牲になんか、ならないよね。」
そして、少女は酷く朗らかに微笑んだ。
―この娘は一体、何なのだろう―
哂う少女を前に佇みながら、アカネは思う。
形は違う。
術は違う。
それは分かっていた。
理解していた。
でも。
それでも。それでも―
その願いは、その想いの根底は同じだと思っていた。
思いたかった。
ご主人様の日々のお世話をして。
ご主人様の夢のお手伝いをして。
嬉しい時には、一緒に笑って。
悲しい時には、一緒に泣いて。
そうやって、毎日を繰り返して。
やがて、ご主人様と一緒に歳をとって。
そうやって、ご主人様と一緒に、一緒の時を紡いでいく。
この娘も、それを望んでいるのだと。
形は違っても。
求める手段は違っても。
ご主人様に向ける想いは同じなのだと。
だけど。だけど―
―違う―
この娘は、違う。
この娘が望んでいるのは、ご主人様だけ。
本当に。
純粋なまでに。
残酷な程に。
ご主人様“だけ”。
この娘は、見ていない。
この世の全てを。
今、自分の周りに在る、全てのものを。
ご主人様に、そこに連なるべき全てのものを。
この娘の瞳は、見ていない。
自分。
人間。
天使。
命。
世界。
過去。
今。
未来。
夢。
希望。
その、どれも。
見ていない。
何一つ。
何、一つ。
カシャーン
不意に響いた音に、アカネは視線を戻す。
たった今まで、すぐ前に立っていた筈の木が消えていた。
ただ、足元に砂の山が出来ていた。
薄茶色い、木肌色の砂の山。たった今まで、ここに立っていた筈の木の色をした、細かい細かい、砂の山。
よく見ると、その中から突き出た、木の枝が一本。
まるで、溺れる人が助けを求めて伸ばす手の様に。
答える様に、手を伸ばす。
拾い上げると、それは手の中でカシャンと軽い音を立てて崩れた。
崩れた欠片はさらに崩れて、細かな砂となった。
砂になって、指の間から堕ちた。
サラサラと、泣く様な音を立てて。
流れて。
堕ちた。
「あぁ、壊れちゃった。」
傍らで見ていた少女が、何でもない事の様に、そう言った。
「やっぱ、適当にやっちゃ、駄目だねぇ。ちゃんと調整をかけないと、負荷に耐えられないんだよね。」
本当に、何でもない事の様に。少女は言った。
「でも、大丈夫。ご主人様の時は、ちゃんとやるから。失敗しないから。キミには、見せてるよね?そう、あの砂糖。あの時みたいに、ちゃんと術式組んで、丁寧にやれば、ちゃんと出来る。だから、安心して。」
そう言って、クスクス笑う。
何でもない事の様に、クスクス笑う。
振り返る。
目が合った。
少女の瞳に、アカネが映る。映るだけ。見てはいない。見ていない。
その、虚ろな瞳を見つめるうちに。
何かが、合点した。
―ああ、そうか。
この娘は。
この娘は―
「そうか―」
自然と、言葉が口をつく。
「君は―」
少女が「?」と、小首を傾げる。
「君は―」
傾げる少女に、アカネは言った。
「―狂って、いるんだ―」
その言葉を聞いた少女は、ほんの少し、本当にほんの少し、キョトンとして、そして―
「うん。わたし、狂ってるんだ。」
そう言って、アハハ、と笑った。
楽しげに、だけど、どこか儚げに、アハハ、と笑った。
「二十年・・・。」
ひとしきり笑うと、少女は呟く様に言う。
「そう、二十年。待ったんだ。“あの時”から・・・。」
空を泳ぐ、虚ろの瞳。
「“あっち”の世界じゃ、時間なんて無いんだけど、悲しいかな、“こっち”生まれの性ってヤツ?主観では感じちゃうんだよね。それが、二十年。」
「二十、年・・・。」
アカネも、確認する様に繰り返す。
そんな彼女を見て、少女はまたクスリと笑う。
「敬いなさい。本当ならわたし、キミ達の誰よりも年上なんだから。」
クスクスと笑うその姿を、アカネは黙って見つめる。
笑いを紡ぐ、鈴音の様な澄みきった声。
それに合わせてゆれる、幅の無い肩。
あどけない表情で飾られる、小さな顔。
小枝の様な、腕と足。
華奢という言葉すら、表現しきれない程に小さな小さな身体。
時の止まった身体。
天使のそれとは違う、時の無い身体。
「20年待ったの。あの、何にもない霧の中で。想い続けて。焦がれ続けて。手を伸ばして。けれど届かなくて。それでも思い続けて。それで、やっとここまで来たの。届くとこまできたの。なのに、なのに、その代価が有限だなんて、認められると思う?」
あの時、あの氷霧の中で、この娘は全てをあの紅い月に差し出した。
その内を、その想いだけで満たすために。
その、狂気だけで満たすために。
「認めないよ。認められないよ。だから、わたしはご主人様を連れてくの。あっちの世界に、連れてくの。」
不意に、身体を貫く、氷塊を当てられた様な冷感。
少女が、その身をアカネに擦り寄せていた。
傍らに寄り添い、右腕にその両手を絡める。
まるで、恋人にでもする様に。
見上げた瞳と、見下ろす瞳が、虚空でかち合う。
「ね?いいよね?」
琥珀の瞳が、るおんと揺らぐ。
その奥で、燃える灯火。
今なら理解(わか)る、狂気という名の、暗く冷たい焔。
「いいよね?キミ達は、もう十分、ご主人様と一緒にいたよね?感じたよね?だから、もう、いいよね?」
密着する身体。氷の体温。震える、背筋。
ああ。そうか。
この娘の身体が、こんなにも、冷たいのは。
こんなにも、凍てついているのは。
それは、その内が、充たされきっているから。
あの氷霧に、凍てついた想いに、満たされているから。
「今度は、わたしの番だよね?ね?」
まるで、玩具をねだる子供の様に、少女は言う。
「ね?だから、ね?」
歪んだ口が、歪んだ想いを、歪んだ言葉にして、紡ぎ出す。
「―ご主人様、わたしにちょうだい―」
本気ではない。
ただ口に出しただけの、戯事の言葉。
けど。
けれど、その奥に確かに潜む、想いをアカネは感じる。
だから。
だから―
アカネはゆっくり、頭を振った。
それを見て、少女は当然とばかりに薄笑いを浮べ、
「なんでさ?いーじゃん。順番は守ろうよ!」
それでも、アカネが黙っていると、
「ちぇっ。天使はケチだ。」
そう言ってワザとらしく頬を膨らませると、アカネの身体からスルリと離れ、そのままクルンと一回転して向き直る。そして、
「じゃあ、仕様が無いね。やっぱり・・・」
腰を屈め、上目遣いでアカネを見ながら、少女は言った。
「力づく、かな?」
「・・・・・・。」
二人の間に流れる、しばしの沈黙。
しばしの後、最初にそれを破ったのは、アカネの方だった。
「・・・させない。」
目の前の少女を真っ直ぐに見つめ、少なからずの険が篭った声で、そう呟く。
「どんな風に言っても、今の君の想いは、ご主人様にとって災いでしかないんだ・・・。」
「・・・・・・。」
「君が、その想いの形にこだわるなら、わたし達は君を許さない。許すわけには、いかない。」
その言葉に、少女はクス、と薄笑みを浮かべる。
「じゃ、どうするの?狩猟本能でも、甦らせてみる?言っとくけど、わたしも元は“狩る側(プレデター)“だよ。キミになんか、負けないよ?」
「わたしにだって、覚悟くらい、ある・・・。」
「・・・ふうん・・・あるんだ?」
静かに流れる夜闇の中で、二つの視線が交差する。
その視線を、最初に外したのは、少女の方。そして、
「・・・随分、晩くなったなぁ・・・。」
「・・・え?」
「・・・そろそろ、お開きにしようかな?思ったより楽しめたし、いろいろあってくたびれたし・・・。」
毒気の抜けた調子でそう言うと、軽く背を反らして、「う〜ん」、と伸びをする。
「キミの覚悟ってのは、この次見せてもらう事にしよう。」
気だるそうに首をコキコキと鳴らすと、ポカンとしているアカネにクルリと背を向け、歩き出す。
「え、あ・・ち、ちょっと・・・?」
「キミも帰りなよ。でないと、お節介なお姉さまや妹達が五月蝿いよ?」
気勢を殺がれたアカネに向かって、少女は背を向けたままピラピラ右手を振った。
「・・・・・・。」
サラサラと純白の束を揺らす後姿が、そのまま夜闇の向こうに消えようとしたその時、
「・・・なかったのか?」
夜風に乗る様に、不意に響いたアカネの声。
呼びかけるでもなく、引き止めるでもなく、ただ、独り言の様に、か細く漏れた声。
少女の足が、止まる。
「本当に、それしかなかったのか・・・?狂う(そんな道)しか、なかったのか・・・?」
少女は動かない。
夜風に乗る白い髪だけが、サラサラ、サラサラと揺れている。
「同じ・・じゃないか・・・。君も・・わたし達も・・・。同じ人に出会って・・同じ人を想って・・・なのに、何で君は・・・君だけが・・・。」
「・・・同じ・・・?」
カクン
背を向けたまま、少女の首だけが、機械仕掛けの様に動いて振り返る。
月影に沈む肩越しの顔の中で、虚ろに揺らぐその瞳だけが不自然な程はっきりと見えた。
「・・・それなら、こっちも、訊いていいかな・・・?」
「・・・・・・?」
「わたしとキミ達が同じというのなら・・・」
見つめる瞳が一瞬、糸の様に細まって、一言。
「・・・何で、キミ達は狂わないの?」
「――っ!?」
その言葉に、アカネは息を呑んだ。
まるでその時が止まった様に硬直するアカネに向かって、少女は続ける。
「・・・キミは12年、亀のお姉さまは16年、兎は17年、18年、15年、14、13、11・・・」
歌うように数える声。揺れる髪が、サラサラと空気を奏でる。
「・・・わたし程じゃないけれど、それでも、その時間が軽かったとは思わない・・・。なのに・・・」
少女の瞳が淡く輝く。
「何で、キミ達は狂わない?壊れない?」
夜闇に鮮やかに浮かぶ朱色の光。それが見通す様にアカネを射抜く。
アカネの、天使の、その心の奥の、さらに奥を見透かす様に。
その視線を誤魔化そうとするかの様に、いやいやと過振りを振る。
「違う?それじゃあ―」
月影に沈んだ少女の顔に、ニヤリと歪んだ三日月が浮かぶ。
「狂いたくても、狂えないとか?」
ドクンッ
その言葉を聞いた一瞬、呼吸と鼓動が、確かに止まった。
心臓の奥を、自分の根底に沈むものを、抉られ、探られる、奇妙で忌まわしい感覚。
「馬鹿なこと・・言うな・・・。わたし達は・・わたし達は、そんな・・・」
辛うじて搾り出した声が、震える。
まるで、悪戯を見つけられ、叱られる事を恐れる子供の様に。
「そんな・・違う・・・わたし達は・・・わたし達は・・・」
言いながら、アカネは戦慄く手で自分の胸元を押さえる。
まるで、胸の奥底で蠢いたそれを、もう一度抑え押し込もうとするかの様に。
そんなアカネを、少女は黙って見つめていた。
意地悪そうに。
哀れむ様に。
愛おしそうに。
優しく、優しく、見つめていた。
「・・・満月。」
「・・・え?」
不意にかけられたその言葉に、アカネは視線を上げる。
見れば、少女は肩越しにその視線を向けたまま、
「満月、だよ。」
また、言った。
「ご主人様を離したくないんなら、失くしたくないんなら、次に“本当”の月が満ちるまで、ご主人様を守ってごらん。そうすれば・・・」
そして、酷く優しく微笑んで、
「キミ達の勝ち・・・。」
キッパリと、そう言った。
「・・・何を・・言って・・・?」
訳も分からず聞き返すアカネに、少女は薄笑みをうかべたまま、返す。
「“ご褒美”、だよ。言ったでしょ。わたしの謎かけに答えられたら、ご褒美あげるって。キミは、“一応”辿り着いたからね・・・。」
当惑するアカネにそう言うと、少女は見返していた顔を逸らし、歩き出す。
「止めてみなよ・・・。キミ達十二人の想いが、わたしのそれに勝るっていうなら・・・。止めてごらん。」
「ま、待って・・・!!」
遠ざかる背に、アカネは思わず声をかけるが、もう、足は止まらない。
「早くお帰り・・・。今はこの辺り結界(人払い)してるから誰も来ないけど、わたしが離れたら一時間位で効力消えるから。こんな人気の無い夜の公園で、キミみたいのが一人でウロウロしてたら、どんな目に遭うか知れないよ?人間(ひと)ってのは怖いんだから・・・。」
くっくっと笑う声に合わせて、白い髪がシャラシャラ揺れる。
「ああ、そうそう。わたしの“名前”とか”あの頃”の事、他の連中に教えちゃ駄目だよ。“それ”は、ご主人様の特権なんだから。もし言ったりしたら、ただじゃおかないからね。」
笑い混じりの声で言いながら、後ろ向きにピラピラと手を振る。
「今夜は楽しかったよ。また、遊ぼうね。“ア・カ・ネ”ちゃん・・・。」
やがて、その姿が闇夜に溶ける様に見えなくなると、周囲に満ちていた冷気も潮が引く様に消えてゆき、辺りには夏特有の生暖かい空気が戻ってきた。
「・・・。」
アカネはしばし、少女の消えた闇の奥を見つめていたが、やがてフラフラとベンチに近づくと、そこにペタンと尻餅をつく様に座り込んだ。
そしてハァッと一息、大きく息をつく。脱力した様に背もたれに身を預け、宙を仰ぐ。
見上げた瞳に映るのは、藍色の空と、白く輝く細い月。消え入る寸前にまで細まったそれから漏れ注ぐ蒼く白い煌に、眩しげに目を細める。
「・・・ご主人様・・・。」
自然と、言葉が漏れる。
それが、何を求めて紡がれたものなのか。
彼の人に乞うものか。
それとも自分に問うものか。
それは、アカネにも分からない。
そんなアカネを、白い細月が見つめていた。
強く照らすでもなく。
雲の合間に逸らすでもなく。
ただ煌々と。
煌々と瞬きながら。
静かに。静かに。
見つめていた。
続く
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