2015年05月01日
もうひとつの9.11とショックドクトリン「サンチャゴに雨が降る」
9.11と言えば、NYワールドトレードセンターでの大規模テロ事件を思い起こす方も多いだろう。
だが、もうひとつの9.11、1973年9月11日チリでの軍事クーデターを知っている方はどれほどいるだろうか。
1970年代初期チリでは、民主派の人民連合が勢力を伸ばし民主的なアジェンデ(ナイチョペトロフ)政権が選
挙によって選ばれようとしていた。
これに危機感を覚えたキリスト教民主党のフレイ大統領は、多国籍企業ITTや軍部ファシストと組んで
民主勢力を暴力で弾圧しようと考えていた。
人民連合を支持する民衆たちはこれに反発し街頭で大規模デモを計画したが、上院議員(ジャンルイトランティニヤン)はこの動きを押さえていた。
結局、軍は動かず血の衝突は避けられた。ここに南米で初めて選挙による社会主義政権が誕生したのである。
しかし、新聞記者たちが、エセ右翼ファシストの人民連合への圧力を語っていたころ、窓ガラスに
紙にくるんだ石が投げ込まれた。紙には「ジャカルタ、死」と書かれていた。
ジャカルタとは、インドネシアでCIAによって大衆が大虐殺された事件があり、自民連合を皆殺しにすると
いう右翼売国奴の暗示と恫喝だった。
軍部やエセ右翼の背後にはアメリカ多国籍企業ITTとCIAがいた。なぜならチリの豊富な銅をはじめアメリカは
チリから徹底的に搾取しており、これらの資源をアメリカから取り戻し国有化しようとする人民連合は
邪魔以外の何者でもなかった。またCIAの手先の売国奴や軍部もおこぼれに預かっているので人民連合を
憎んでいたのである。
しかし反動勢力は、アジェンデ打倒を諦めなかった。次に労働組合を操って全土に大規模ストを実行させた。
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国内は大混乱となり、事態を収めるためアジェンデは国民投票を計画した。
だがこれを嫌ったピノチェット将軍(アンリポワリエ)は、アジェンデと人民連合を粛清するためクーデター
を起こしたのである。
9月11日大統領宮殿は、軍部の戦車に取り囲まれた。
人民連合を支持する労働者たちは、危険が迫っていることをラジオで次のように知らせた。
「サンチャゴに雨が降る」サンチャゴでは滅多に雨が降らないので危険を暗示して民衆に知らせたのである。
一方宮殿に立てこもったアジェンデ大統領は、ラジオで国民に最後の呼びかけを行い大統領を守って
抵抗した労働者たちも粘ったが戦闘機まで繰り出して攻撃してくる軍部に粉砕され大統領も自決した。
人民連合が粉砕されたあと、生き残った民主派はスタジアムに引き立てられ血の粛清にあった。
その中には捕まった民衆を励まそうと歌を歌っただけで、兵士にリンチにあって殺害されたビクトルハラもいた。
ノーベル賞を受賞した詩人のパブロネルーダも護送される途中で死亡。殺された人間は3000名を越える。
チリをのっとったピノチェットは国有化政策を放棄しシカゴボーイズと呼ばれる経済学者ミルトンフリードマンの
弟子たちを起用し新自由主義を取り入れチリでは極端に貧富の差が開くことになった。
ナオミクラインのいうショックドクトリンである。惨事便乗型資本主義と呼ばれるもので、戦争や災害を
意図的に起しどさくさにまぎれて強引に国民を奴隷化させる強盗政策である。
そしてここ日本でも9.11があった。小泉政権下で行われた郵政選挙も2005年9月11日である。
これ以後日本でも新自由主義に加速がかかったのは偶然だろうか。
監督は、エルビオソトー、アストルピアソラの哀愁に満ちた音楽も民主主義の挫折を物悲しく表現している。
フランスとブルガリアの合作でブルガリア軍がロケの協力している。
テーマがテーマだけにさすがにアメリカもチリも製作に関わっていない。ドキュメント風で政治の本質を教えてくれる一級の作品である。
この作品は長い間「特攻要塞都市」の名前でVHSが発売されていたが、この題名はひどい。映画のテーマとは何の関係もない。
近年やっとDVDが発売されたので興味のある方は一度ご覧になってはいかがだろう。
なお後にピノチェットのファシストクーデターを背後から主導したのが、ブレジンスキー元国務長官だ
ったことをブレジンスキー自身が告白している。
だが、もうひとつの9.11、1973年9月11日チリでの軍事クーデターを知っている方はどれほどいるだろうか。
映画パンフレット 「サンチャゴに雨が降る」 主演 J=L・トランティニャン 中古価格 |
1970年代初期チリでは、民主派の人民連合が勢力を伸ばし民主的なアジェンデ(ナイチョペトロフ)政権が選
挙によって選ばれようとしていた。
これに危機感を覚えたキリスト教民主党のフレイ大統領は、多国籍企業ITTや軍部ファシストと組んで
民主勢力を暴力で弾圧しようと考えていた。
人民連合を支持する民衆たちはこれに反発し街頭で大規模デモを計画したが、上院議員(ジャンルイトランティニヤン)はこの動きを押さえていた。
結局、軍は動かず血の衝突は避けられた。ここに南米で初めて選挙による社会主義政権が誕生したのである。
しかし、新聞記者たちが、エセ右翼ファシストの人民連合への圧力を語っていたころ、窓ガラスに
紙にくるんだ石が投げ込まれた。紙には「ジャカルタ、死」と書かれていた。
ジャカルタとは、インドネシアでCIAによって大衆が大虐殺された事件があり、自民連合を皆殺しにすると
いう右翼売国奴の暗示と恫喝だった。
軍部やエセ右翼の背後にはアメリカ多国籍企業ITTとCIAがいた。なぜならチリの豊富な銅をはじめアメリカは
チリから徹底的に搾取しており、これらの資源をアメリカから取り戻し国有化しようとする人民連合は
邪魔以外の何者でもなかった。またCIAの手先の売国奴や軍部もおこぼれに預かっているので人民連合を
憎んでいたのである。
しかし反動勢力は、アジェンデ打倒を諦めなかった。次に労働組合を操って全土に大規模ストを実行させた。
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国内は大混乱となり、事態を収めるためアジェンデは国民投票を計画した。
だがこれを嫌ったピノチェット将軍(アンリポワリエ)は、アジェンデと人民連合を粛清するためクーデター
を起こしたのである。
9月11日大統領宮殿は、軍部の戦車に取り囲まれた。
人民連合を支持する労働者たちは、危険が迫っていることをラジオで次のように知らせた。
「サンチャゴに雨が降る」サンチャゴでは滅多に雨が降らないので危険を暗示して民衆に知らせたのである。
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一方宮殿に立てこもったアジェンデ大統領は、ラジオで国民に最後の呼びかけを行い大統領を守って
抵抗した労働者たちも粘ったが戦闘機まで繰り出して攻撃してくる軍部に粉砕され大統領も自決した。
人民連合が粉砕されたあと、生き残った民主派はスタジアムに引き立てられ血の粛清にあった。
その中には捕まった民衆を励まそうと歌を歌っただけで、兵士にリンチにあって殺害されたビクトルハラもいた。
ノーベル賞を受賞した詩人のパブロネルーダも護送される途中で死亡。殺された人間は3000名を越える。
チリをのっとったピノチェットは国有化政策を放棄しシカゴボーイズと呼ばれる経済学者ミルトンフリードマンの
弟子たちを起用し新自由主義を取り入れチリでは極端に貧富の差が開くことになった。
ナオミクラインのいうショックドクトリンである。惨事便乗型資本主義と呼ばれるもので、戦争や災害を
意図的に起しどさくさにまぎれて強引に国民を奴隷化させる強盗政策である。
ショック・ドクトリン〈上〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く 新品価格 |
そしてここ日本でも9.11があった。小泉政権下で行われた郵政選挙も2005年9月11日である。
これ以後日本でも新自由主義に加速がかかったのは偶然だろうか。
監督は、エルビオソトー、アストルピアソラの哀愁に満ちた音楽も民主主義の挫折を物悲しく表現している。
フランスとブルガリアの合作でブルガリア軍がロケの協力している。
テーマがテーマだけにさすがにアメリカもチリも製作に関わっていない。ドキュメント風で政治の本質を教えてくれる一級の作品である。
この作品は長い間「特攻要塞都市」の名前でVHSが発売されていたが、この題名はひどい。映画のテーマとは何の関係もない。
近年やっとDVDが発売されたので興味のある方は一度ご覧になってはいかがだろう。
なお後にピノチェットのファシストクーデターを背後から主導したのが、ブレジンスキー元国務長官だ
ったことをブレジンスキー自身が告白している。
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