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2024年02月29日

河竹黙阿弥を読んでしまった



 iPadでの『太平記』読書が時間の関係もあってはかばかしく進まない中、気が付けばジャパン・ナレッジで筑摩の「明治文学全集」が読めるようになっていた。こちらはPCでも比較的ページめくりに時間がかからなかったので、iPadとの住み分けも考えて、PCで読んでみた。
 とりあえずは、最初の作品からだろうということで、第1巻「明治開花期文学(一)」を開く。この「明治文学全集」は、「東洋文庫」や「日本古典文学全集」とは違って、巻号一覧で表示されるのが、巻の題名と表紙か箱の表面の写真だけなので、開いてみないとどんな作品が収録されているのかわからないのである。特に作家単位で独立していないこの第一巻のような巻では収録されている作家さえわからない。「開花期文学」なら多少の想像もできるけど、第九三巻の「明治家庭小説集」となるともうお手上げである。

 話を戻そう。第1巻の巻頭に収録されていたのは、仮名垣根魯文の作品『万国航海西洋道中膝栗毛』だった。二番目に収められた『安愚楽鍋』のほうが歴史的には有名なので、どちらを先に読むか悩んだのだが、昔部分的に読んで面白かったような記憶もある『東海道中膝栗毛』のパロディー『西洋道中膝栗毛』を読み始めたのだけど、ちょっとお手上げだった。日本語の面ではそれほど問題はなく、特に読みにくいともわかりにくいとも思わなかったのだが、話がダラダラしていて全然進んでいかないのである。
 ストーリーとは直接関係のない登場人物同士の気の利いた掛け合いというのは、文学的な評価はともかく、個人的には大好きで、物語の筋立てはそれほど面白いと思えないのに、掛け合いの面白さにひかれて読んでしまった作品はかなりの数に上る。しかし、それにも限度があることをこの作品に思い知らされた。掛け合いばかりが長すぎて話が進んでいかないのと、さすがに時代の開きがありすぎて掛け合い自体もあまり面白いと思えなかったのは、読んでいて辛かった。明治時代に生まれていたら、大喜びで読んでいたかもしれないけど。

 それで、「ヤジ」さんと「キタ」さんが横浜から一歩も出ないうちに読むのを諦めてしまった。本家の『東海道中膝栗毛』も同じような理由ですぐ読むのをやめてしまったのかもしれない。ただ、あちらは面白いと思った部分もあったのに対して、こちらは全くそんなことを思うことはなかった。あらすじを確認した上で、途中から読めばよかったのかなあ。気が向いたら西洋に到着してからの部分を読んでみようか。
 考えてみれば、明治期の小説なんて、読んだと胸を張れるほど読んではいないのである。鴎外にして漱石にしても、いくつかの作品は読んだけれども、それが明治期の作品かどうかは心もとない。とはいえ、この機会に鴎外や漱石なんかを読んでお茶を濁すのはもったいないなあとか、福沢諭吉やら坪内逍遥やらをいまさら読むのもなあなんてことを考えていたら、第9巻が『河竹黙阿弥集』になっているではないか。

 黙阿弥と言えば、歌舞伎の作家で、以前読んだ高橋克彦の小説に、新七の名前で登場していたし、半村良の『講談碑夜十郎』でネタ本的に扱われて引用もされていた作品を書いた人だというので、名前だけは知っていた。例によって戯曲は読むのが苦手だというのと、歌舞伎に対する苦手意識もあって、作品を読んだことはなく、読もうと思ったこともなかったのだけど、これを機に読んでみるのもよかろうと思って開いてみたら、最初の作品が『天衣紛上野初花』。読み方は「くもにまごううえののはつはな」だったかな。副題に「河内山と直侍」とあって、まさに『講談碑夜十郎』に出てきた作品である。
 読み進めていくと、話が面白くてすらすら読めてしまう。芝居がかった七五調の台詞が多いのも、『講談碑夜十郎』のストーリーと比較しながら読めたのも、楽しかった。不満を挙げるとすれば、脇役の人たちの人間関係の複雑さだろうか。誰が誰とどこでどうつながっているのかわからなくなってきて、混乱させられた。これについては、半村良が作品中で役者の格に合わせて役に重みを出すための苦肉の策だったなんて解説していたと思う。この辺から「役不足」なんて言葉が生まれたわけだし。

 もう一つの不満というか、あれっと思ったのは、「天保六花撰」のうちの森田屋清蔵が出てこなかったことである。これはもうこちらが半村良の作品をもとに黙阿弥の作品を想定していたのが悪いのだけど、「天保六花撰」全員が活躍する話が読みたくなってくる。いや、その前に「天保六花撰」ってなんでこの六人だったんだろうという疑問がわく。河内山や金子市あたりと比べると、暗闇の丑松なんて小物も小物である。花魁の三千歳が入っているのも時代がらなのか、小町にならって女性を入れるためなのかよくわからない。まあ本家の『古今集』の六歌仙にも履歴のよくわからん人物が入っているわけだからこれでいいのかな。
 とまれ、『天衣紛上野初花』は最後まで面白く読めた。『西洋道中膝栗毛』を読んだときには、明治期の文学革新運動は必然だったのだとまで思ったのだが、黙阿弥の作品は、配役上のしがらみから来る複雑すぎる人間関係を除けば、近代文学の新しい文学でございと威張っている作品と並べても見劣りしなさそうな印象さえ持った。如何に「新しい」と主張しようと、それまでの文学的蓄積がなければ、存在のしようはないということだろうか。





2024年02月28日

iPadで『太平記』を読む2(中断中)



 いや、覚悟はしていたのだけど、『太平記』長い。軍記物とて登場人物も多くなってきて、断片的な時間を見つけての読書では、話の流れを追いきれなくなってきた。それで、1頁、2頁ずつではなく、一章分ぐらいずつ読むようにしているのだが、そのためのまとまった時間を取るのも厄介だし、一章まとめて読むとなると、時間もかかるので、完全に気楽にというわけには行かず、多少の気力が必要になる。それで、全集本の『太平記』の最初の巻を読み終える辺りで、一休みすることになった。

 この辺りで、気になることと言えば、『太平記』の主役の一人だと思っていた新田義貞の扱いがあまりよくないことで、突然登場して反幕府の兵を挙げて一戦して勝ったと思ったら、次の戦いでは破れ、さらにその次の戦いでは、勝ったものの、指揮は幕府軍から反乱軍に投降した武将に任せる始末である。鎌倉攻略でもそこまで大きな見せ場はなかったし、それは、滅びゆく者に焦点を合わせて記述する傾向のある軍記物語ではある意味当然のことなのかもしれないが、これぞ義貞と言いたくなるような、伝説やら文学作品やらで知っているつもりの活躍は見られなかった。
 佐藤進一著『南北朝の動乱』で読んだ、同じ源氏でも、尊氏の足利家と新田家では鎌倉幕府による扱いが大きく違い、身分、地位にしても、武士の中での知名度、影響力にしても、義貞は尊氏に大きく劣っていたのだという説明が納得できてしまいそうな描かれ方である。義貞の場合には、滅びの様子も、『南北朝の動乱』によれば、あまりにあっさりしていて、これでいいのかと歴史に文句を言いたくなるようなものだったから、『太平記』でどのように描かれているのか読むのが楽しみである。

 ここで、ふと考える。自分の義貞像というのは、どこから来ているのだろうか。『南北朝の動乱』などのこの時代に関する本を読んで、尊氏と対峙したのは後醍醐天皇で、義貞はせいぜいその配下として、特に楠正成の死後に最有力の武将となったにすぎないということを知ってからも、義貞は討幕から南北朝の成立にかけて、尊氏と対峙する存在だったというイメージがどこかに残ってしまっているのだ。
 自分の読書遍歴を振り返って、たどり着いたのが新田次郎の存在である。中学生だったか、高校生だったか、一時期この人の書いた山登り小説をあれこれ読んでいたことがあって、そのときについでに手を出したのが、『新田義貞』という作品だった。考えてみれば、これが『太平記』の時代について読んだ最初の本だった。つまりは、この本を読んで第一印象が未だに自分の中の義貞象に影響を与えているのである。

 ペンネームの名字の新田からも分るように、この作者は新田義貞に対して思い入れがあるようで、物語は一貫して義貞の側から記されていた(と思う)。今回『太平記』で読んで、意外とあっさりしていると思った、義貞の海岸沿いからの鎌倉討ち入りの場面も、義貞の華々しい活躍として描かれ、その後、義貞ではなく、幼年で活躍したはずもない尊氏の息子のところに、武者たちが多く集ったというのを読んで、子供(ってほどでもないか)心に不満に思ったのを覚えている。
 言ってみれば、義貞の側から書かれた作品を読んで、感情移入した結果、尊氏や後醍醐天皇の所業に憤慨していたのである。この読書経験によって、今日まで続く、後醍醐を除けば南朝びいきな南北朝にたいする歴史観が生れたと思うと感慨深いものがある。北畠一族とか南朝方でありながら後醍醐とは考えを異にし、別途に活動をした人々に、今でも惹かれてしまうのである。九州の南朝勢力とか、本来は北朝方だけど南朝と組むことも多かった九州、中国の直冬派勢力とかさ。だれかこの辺を主役にした歴史改変小説を書いてくれないものだろうか。歴史に基いて書くと、最後は絶対うやむやの闇の中に消えていくことになるし。





2024年02月22日

iPadで『太平記』を読む1



 日本の歴史的な時代区分の中で、一番理解しにくい時代が室町時代だというのに異論のある人はあまり多くないだろう。末期の戦国時代として画期される部分も、織田信長の登場以降は、日本が統一されていく過程としてわかりやすくなるけれども、その前の応仁の乱から三好政権のあたりは、何がどうしてこうなったのかわからないことが多く、全体的な歴史の動きが見えてこないというか、理解できない。
 それに輪をかけて理解不能なのが、室町初期の南北朝時代である。後醍醐天皇による討幕、南北朝分裂と足利尊氏による幕府設立、義満による南北朝統合。中学の歴史の授業ではさらっと流していたから、覚えているのはこのぐらいのことにすぎない。九州の南朝の活動もちょっとは出てきたかな。高校では日本史を選択しなかったので、観応の擾乱だの、足利直義とその養子の直冬だのについては全く知らなかった(と思う)。その後、大学に入って中世史の本も読むようになって知識も少しずつ増えていったのだが、この複雑怪奇さは中学生に勉強させるようなものではないと感じた(その辺は応仁の乱から信長の登場までも同様)。それにしても、後醍醐天皇の皇子たちの名に使われた「良」の字を、昔は「なが」と読んでいたのが、いつの間にか「よし」と読むようになっていたのには驚いた。

 一般に、この時代を知るための名著として知られるのが中央公論社の叢書「日本の歴史」の第9巻として刊行された佐藤進一著『南北朝の動乱』である。すでに何度も通読していて、読むたびに、ああそうだと、理解できた気分になるのだが、しばらくするとまたよくわからなくなる。これはもう本の責任ではなく、時代の責任で、このわからなさこそが時代の特徴なんだと言いたくもなる。
 個々の事象については理解が深まっても、全体として把握できないというか、歴史の流れが一つにまとまるのではなくて、すべてが別の方向に向かって進んでいるような印象で、全体像が見えないというか、抑々全体像があるのか不安になってしまう。これが中国史家の宮崎市定氏いうところの分裂の中世ということだろうか。中国の場合には分裂していくつかの国になるのに対して、日本は一応は一つの国、一つの政権にまとまっていながら、実はばらばらというあたりたちが悪い。だから、一度ことが起こると、どうしてそうなる、どこからでてきたと言いたくなるような出来事の連鎖が起こるのだろう。

 もちろん、こちらが中世史を専門的に勉強したことがなく、中世、特に室町時代の人々の意識についてよくわかっていないのも、理解できない原因の一つだろうけれども、それをいったら、平安時代だって、江戸時代だって、当時の人たちの意識についてわかっているとは言えないのだ。その辺と比べても室町時代、特に南北朝時代の全体としてのわかりにくさ、イメージのできなさは、隔絶している。
 だから『太平記』を読むというわけでもないし、読んだから室町時代への理解が進むというわけでもないのだけど、『太平記』面白い。まだ前半の途中で、歴史的には比較的理解しやすい討幕の過程を描いた部分だからというだけでなく、物語の語り口自体が、『将門記』とは比べ物にならないぐらい進化していて、読みやすい。時に中国の故事が引用されたり、誇張が過ぎる部分や定型的な表現が並ぶ部分があったりするのだけど、それもまた軍記物語を読む楽しみというものである。こうなると『平家』がどうだったかが気になってくるけれども、『太平記』通読までにもまだまだ時間がかかりそうだし、確認できるのはいつになることやらである。

 ここまで、第十巻の途中だから4分の1ほど読み進めてきて気になったのは、後醍醐天皇の描き方である。言葉では「聖王」だったか、「聖主」だったか、「十善の君」ってのもあったかな、偉大なる君主として崇めているように見えるが、その行状についてはけっこう批判的に描写している。『太平記』は、全体的に後醍醐天皇に対しては批判的だと言うが、この辺り、討幕までは完全に悪役にはできないということか。いや当代の天皇を指すのに、実態はどうあれ、「聖」の字を使うのは当然だったのかもしれない。
 それから、戦前は南北朝時代最大の忠臣の一人で、戦後になってその実在が否定されたらしい児島高徳が出てきたのもうれしかった。非実在説を前提にして読むと、最初に登場した場面で、隠岐に流される天皇を救い出そうとして、行き違いになるのは、活躍させても大筋に影響を与えないうまい描き方だと感心してしまう。独自のキャラクターを作り出して物語の主人公としながら、歴史を改変しないタイプの時代小説の書き方に通じるものがある。半村良の作品だと『慶長太平記』とかさ。失敗すると、『慶長太平記』にもその気はあるのだけど、さあこれからというところで、尻切れトンボのように終わってしまうことになるのだが、『太平記』の場合はどうだろう。




とりあえず、在庫一掃をめざすことにする。




2024年02月20日

iPadで古典を読む(幕間)



 年が明けて、職場に出られるようになると、iPadをしばしば持参するようになった。どうしても発生してしまう待ち時間や、休憩時間に暇つぶしがてら古典を読もうと考えたのである。職場のほうがwi-fiの状態がよくて、ページめくりが失敗することもほとんどなく、ストレスなく読み進められるので、特に『太平記』のような長い長いお話を読む際にはありがたい。
 ただ、自宅と職場の間を持ち運ぶ際に、裸のまま持ち運ぶと、カバンには、他のものと分けて別のポケットに入れているとはいえ、何かの拍子に傷つけたりしないか不安である。当初の落とすかもという不安は、意外なことに、大きいから慎重に扱っているおかげか現時点では、現実にはなっていないが、やはり本体保護のためのカバーなり、画面保護のシートなりほしいところである。

 しかし、たくさんあるだろうと思っていた画面保護のシートはiPAD用が見つからず、出てくるのは強化ガラスの画面保護カバーばかりだった。何だか防弾ガラスにでもなりそうな名前の製品もあって、重そうだし、高いし手を出すのはためらわれた。それで、本体のカバーを買うことにしたのだが、これもあれこれ悩んだうえで、とりあえず真ん中ぐらいの値段のものを選んでおいた。「日本古典文学全集」読書専用端末としては、期待以上に使えることがわかったので、多少の投資はするかいがあるというものである。
 そして、したかいもあった。買ったのはリーダーの一号機に付けていたブックカバーのような構造のもので、閉じれば画面に触れることなく大きめの本と同じように持ち運びできる。開いて読む際も右手でカバーごと保持して、左手でページめくりなどの操作をすればいいから、かなり楽になった。これまでは、持ち運びも操作も、失敗しないように、必要以上に慎重にやっていたのである。重いので長時間は読み続けられないのが玉に瑕だけど。

 カバーの購入は、久しぶりに大成功と言えるものだったのだが、そうなると欲が出るのが人間というものである。当初の目論見だったiPadにPDFをコピーして読むというのに挑戦することにした。USBとアップル独自規格のコネクターが両方ついているフラッシュメモリーも発見したのだが、通常のものの倍以上する。理論上はこれでPCからiPadにファイルを移動できるはずなのだが、互換性をどこまで信じていいものか。ほかにiPad用のUSBアダプターも見つけたのだけど、アップル製品だったのでかなりいい値段だった。これも、使えなかったときのことを考えると手は出しづらい。
 そこで手を出したのが、うまく行かなくても実害はそれほど大きくならないiPad用のコネクターとUSBコネクターが両端についたケーブルである。リーダーを充電ケーブルでつないだときと同じで、PCがiPADを外部ストレージとして認識してくれれば、特別なソフトなど使わずともコピーできるはずである。少なくとも理論上はそのはずである。

 現在常用している3台のPCのうち職場で使っているものが一番新しい。ウィンドウズのバージョンも新しいはずなので、互換性が担保されている可能性も高かろうということで、最初はこれにつないでみた。PCの画面上に、USBの未知のデバイスを検出してチェック中という表示が出たときには期待したのだが、チェック中に別の作業をしていたらいつの間にか何事もなかったように終了していた。チェックした結果、認識できないと判断されたようだ。うん、アップルの製品だし、ある程度予想はしていたんだけどさ。
 次は自宅でメインですでに10年以上使っているノートPCにつないでみた。今度はまずiPad側で、このPCを信用するかどうかを問う表示が出た。信用するを選ぶと、PC側で、iPadが認識されて、自動で新たな窓が開いてiPadのフォルダが表示された。このPCは長らく不調で、こんなこと、ここ数年起こっていなかったので、つい期待してしまう。しかし、その期待はすぐに失望に変わる。どうあがいてもPC内のファイルをiPad内のフォルダにコピーできなかったのである。やはりアップルは一筋縄じゃいかない。

 もう一台の少し新しめのノートで試した結果も、まったく同じ。こちらのやり方が悪いのか、ウィンドウズのバージョンが古すぎるのか、問題がどこにあるかもわからないけれども、とりあえず今回の試みはこれでおしまいということにする。ネットで検索すると、iPadとウィンドウズPC間のデータのやり取りに使えるソフトなんてのも出てくるけど、ただでさえあれこれフリーソフトが入って動きが不安定になっているPCに余計な負荷はかけたくないので、壊れて新しいのを導入するまでは保留にしておく。







2024年02月19日

iPadで『将門記』を読む



 思い返してみれば、軍記物語は、『平家物語』を部分的に読んだことがあるぐらいである。それで、『太平記』に行く前に、時代はさかのぼるけれども、古い軍記物語を、一つ二つ読んでおくことにした。『平家』は、光瀬版を通読したので理解はしやすいだろうけど、長すぎるので、先ずは、あれこれ伝説に彩られた平将門の反乱を描いた『将門記』を選んだ。昔荒俣宏の『帝都物語』を読んで以来、読んでみたいと思っていたからちょうどいい。いや、これも以前手を出したけど途中でやめた作品のような気もする。

 宿願を果たしたというほど重いものでもないけれども、実際に読んでみての感想は、正直、期待外れだった。欠けている部分があるせいか、こちらが平将門の乱について細部まで知らないせいか、最初から最後まで、視点が定まらないというか、全体的にぼやけた印象が消えなかった。部分部分には興味深いエピソードがあるのだけど、それらが全体として結びついていないのである。
 軍記物というと、血沸き肉躍るじゃないけど、手に汗握るような合戦の描写を期待するのが、『将門記』にはそんな場面はほとんどない。将門自身の描かれ方も、英雄なのか敵役なのかどっちつかずのところがあって、読書の醍醐味である感情移入もしづらい。これなら、『将門記』そのものを読むよりは、『将門記』を題材にして後世作られた作品を読むほうがはるかにいい。

 考えてみれば、『将門記』は初期の軍記物語で、まだ文学的な完成度があまり高くないということなのかもしれない。その後、『保元物語』などを経てジャンルとしての軍記物語が成熟していく過程で、全体の構成も、合戦の描写についても完成度が高まって行き、その頂点の一つとして『平家物語』があると考えるのがよさそうだ。ならば、もう古い軍記物語を読むのはやめて、『太平記』に行くまでである。『平家』は、一度江戸まで行った後の二周目に読もう。軍記物の大作を二作連続でというのはさすがに食傷しそうだし。
 最後につけたしとして書いておくとすれば、この前の『徒然草』あたりから顕著になった原文と、現代語訳、頭注が分量の関係でずれてしまって同じページにないという問題に苦しめられたことだろうか。いちいちページを行きつ戻りつして確認する気にもなれなかったし、頭注を確認してみたら、別の前の注を参照するようにと書かれていてげんなりしたこともある。この辺が、めくるだけでいい紙の書籍のほうが優れているところだろう。






2024年02月06日

iPadで『徒然草』を読む



 続いて全集でも同じ巻に収録されている『徒然草』である。こちらは、『方丈記』が平安から鎌倉への転換期に書かれたのに対して、鎌倉、室町の転換期に書かれている。ただ、同時代の作品、もしくは『徒然草』のほうが古いんじゃないかと思い込んでいたことは、自戒も込めて書いておかねばなるまい。この誤解は、文章を読んで受ける印象から生まれたもので、文学史などで書誌的なことを学んでからも、大学の国語学の授業で、兼好の書く文章はいわゆる擬古文の傑作で、同時代の日本語よりもずっと古く感じられるのだという話を聞くまでは、完全に拭い去ることができず、しばしば頓珍漢な発言をしていた。
 この『徒然草』も「つれづれなるままに、日くらし」で始まる冒頭部分が人口に膾炙しているわけだが、『徒然草』に関しては、これも大学の国語学の授業で先生が話してくれた、たしか九州地方の方言に、「とぜんなか」という言葉があるという話の方が印象に残っている。この方言は『徒然草』の「徒然」を音読みしたもので、意味からも『徒然草』の「つれづれ」とつながるという話に、先生はそこまで断言しなかったけど、『徒然草』から生まれた方言だと解釈して、九州の人間として嬉しくなったものである。

 作品に関して言うと、まず、長い。いや、長いというより多い。上下巻合わせて約250にものぼる章段の中には、短いものもあれば長いものもあるのだけど、全体を通して通読するまでは、ここまで分量が多いとは思わなかった。興味の持てない内容の話が長かったときには、途中でやめて次の章段に行こうかと思うこともあったけど、せっかくなので最後まで頑張った。
 その感想は、文章はともかく、内容に関しては、玉石混交というか、面白いものもあれば、まったく面白くない、よんでもよくわからないものもあるという至極当然なもので、国語の教科書に本文として引かれていて、読んだことのある章段は、やはり選ばれるだけのことはあって、『徒然草』の中でも傑出した章段なのだと思わされた。またこれかよと批判するのは簡単でも、『徒然草』や他の作品の中から、同等に内容的にも興味深く、文体の面でも優れた部分を探し出すのは至難の業である。少なくとも自分ではやりたくない。

 通読して一番気に入ったのは、比較的短い第八八段の、小野道風が書写したという『和漢朗詠集』を家宝にしている或人の話。公任が撰集したものを、道風が書写したというのは、『朗詠集』ができるより前に道風は亡くなっているのだから、時代が合わないという指摘に対して、だからこそより貴重なんだと答える或人の考え方が何とも好ましい。それに対して兼好が賢しらなコメントをしていないもの素晴らしいところである。
 確かに、兼好のコメントの中には、第五二段の「先達はあらまほしき事なり」のようになるほどと思わされるものもあるのだが、第一一段の「この木なからましかばと覚えしか」については、初めて読んだ高校のときから、「この文なからましかばよからまし」としか思えない。この手のコメントが、『朗詠集』の話に付け加えられなかったことは、幸せなことである。或人の発言を愚かなと断じるのは簡単だけど、裏を読みたくなるのが読者の性というものである。

 それから、読んでいて特に驚いたのは、特に最初の方に、田中康夫ばりのプレーボーイ指南とでも言いたくなるような若い男性に向けたと思われる章段があることと、今なら女性蔑視と批判を浴びかねない記述がしばしばみられることである。兼好って女性不信の気があったのだろうか。たしか高師直あたりに恋文の代筆をさせられたという話もある兼好のことだから、動乱期に生きる女性の姿に、思うところがあったのかもしれない。
 ということで、次は兼好の生きた時代を描いた『太平記』の予定。軍記物語は、いわゆる和漢混交文で、漢文の訓読文の伝統も継いでいるから、中世のものでも読みやすいはずである。


これもまた、一年以上前に書いて放置してあったものである。

2024年02月05日

iPadで『方丈記』を読む

ほぼ一年前に書いて放置していたものである。


 次なる読書の対象として選んだのは、「ゆく河の流れは絶えずして」で始まる冒頭の部分が名文の誉れも高い『方丈記』である。久しぶりの古典ということを考えると、平安期の女流文学の作品を読むのはつらい。読みやすそうなものとなると、こちらが学んだ古典文法に比較的忠実な形で書かれている中世の擬古文である。その代表が『方丈記』と『徒然草』なのだが、どちらも有名な章段を除いては読んだことがない。せっかくなので両方とも読んでしまえと、まず『方丈記』を開いた。
 やはり、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」から、「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」と続いていく冒頭部分は、日本文学を代表する名文である。無常観、もしくは仏教的無常観と呼ばれるもののすべてがこの部分に凝縮されているような印象さえ受ける。日本の無常観なんて、誰にでも理解できるものではなく、大げさに言うとこの部分を読んでも理解できない人は、よほどの特別なことでもない限り永遠に理解できないのではないだろうか。自分も本当に理解しているかと聞かれると、無条件に肯定するのはためらわれるが、少なくとも感覚的にはつかめていると思いたい。

 冒頭の名文を何度か繰り返し味わった後に、次の部分に進むのだけど、そこでちょっと首をひねることになる。火災や、遷都など当時の人々の生活に大きな影響を与えた災害(福原遷都も都人にとっては災害みたいなものだろう)について記され、記録的な価値も評価されている部分をへて、最後に自分の境涯を振り返るような章段に続いていくのだけど、読み進めるにつれて冒頭部分の感動は次第に消えていくのである。冒頭のあのレベルを、短いとはいえ、最後まで維持するのは難しいということなのだろう。
 作品の後に収録された解説だったと思うが、長明編とされる説話集『発心集』について、冒頭の話は素晴らしいけれども、それ以外は投げやりな印象を与え、それは『方丈記』でも同様だなんてことが書かれていたのも納得してしまう。その解説自体が、どこか投げやりな印象を与えるもので、長明風にあえてそんな書き方をしているのかなんてことまで考えてしまった。誰が書いたんだろ。

 だからと、かつてのことを振り返って思う。当時から冒頭部分は気に入っていて、平家の冒頭と合わせて覚えてしまっていたほどなのだから(今はどちらも最初の二文ぐらいしか思い出せないけど)、続きを読もうとしたに違いない。そして、あまり面白いと思えなくて途中で投げ出してしまったのだろう。中世文学の研究なんかしていなかったのだから、今にして、それでよかったのだと思う。
 教科書や、古典文法の参考書なんかに、本文として取られているのが、『方丈記』の場合にはほぼ冒頭部分に限られるのも当然なのである。『方丈記』に関しては、冒頭の部分だけ読めば十分というのが、今回最後まで読んでの結論になる。頑張ってもう一回覚え直そうかなあ。最近、衰え気味の記憶力を鍛え直すのも悪くない。





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