2022年02月10日
諸戸博士のモラビア・シレジア紀行 七日目
この日は、最初は山歩き。山越えをしてノベー・ロシニに到着した後は、鉄道でウニチョフに向かい、宿泊。最初「メーレンのノイスツタト」という地名表記を見たときには、ノベー・ムニェストかと思ったのだが、ウィンター・スポーツで有名なノベー・ムニェスト・ナ・モラビェは、ボヘミアとの境界近くにあって、鉄道一本でいけるような場所ではない。改めて調べてみたら、なんとウニチョフであった。市庁舎などの屋根の色合いから、オロモウツの近くでは北方の香りを漂わせた町である。
六月十一日、日曜日、晴天。午前七時出発。バイエル氏及び小林区署長シエーン(Schön)氏の案内にて、とうひ撰伐林、及びはい松林を視察し、午前十一時海抜千三百五十一米突の無立木地ホツホシヤール(Hochschar)に達す。山上の料理店にて午餐を喫す。
ホツホシヤール シェラーク山のドイツ名。歴史的なモラビアとシレジアの境界をなす山で、標高は1351メートル。山頂付近には19世紀末に設置された山荘がある。近くのハヌショビツェのビール工場では、この山から名前をとったビールを生産している。
午後二時出立。とうひの天然林、及び人工造林地を視察して、午後四時、ノイウルレスドルフ(Neu-ullesdorf)村に達す。此の造林地は西暦千八百五十六年にツアイレル(Zeiler)氏の考案に依り、トウヒで植栽し成効したるものにして、海抜面積千二百米突の高地なり。高山造林成効者として、墺国皇帝陛下より第二等賞を得たりと云う。
ノイウルレスドルフ ノベー・ロシニ(Nové Losiny)のドイツ名。現在ではインドジホフという村の一部となっている。シュンペルクからイェセニークに向かう路線沿いの村。この路線は、現在ではイェセニーク以降も伸びており、一度ポーランドに出てからクルノフに向かっている。
此所に於て、森林鉄道、及び傾斜地鉄道の制動装置を視察す。軌条は五キログラムにして、建設費一米突に附き一円六十銭なりしと言う。之より森林鉄道にて走ること、凡そ二十分、距離一里半、徒歩二十分にして、午後五時二十分、ノイウレスドルフ鉄道停車場に達す。
午後五時二十八分発の列車に乗込み、午後八時三十四分、メーレンのノイスツタト(Nähr-Neustadt)市に着す。旅館スタツト(Stadt)に投ず。
メーレンのノイスツタト ウニチョフ(Uničov)。オロモウツからシュテルンベルクを経てシュンペルクに向かう路線沿いにある町。オロモウツからシュテルンベルクまでの開業は1870年、その三年後、1873年にシュンペルクまで路線が延長された。
午後十時、晩餐を喫し、十一時半より舞踏に招待され、十二時半、帰宿就寝。此の日は日曜日にて、此の市は大祭日なりしを以て、舞踏場には土地の男女集合舞踏盛なりし。一行の学生も之に混じて舞踏を始む。此の如き事は、到底我国の風俗より見れば、常識とは思へず。半狂の有様なり。学生は午前四時に帰宿せりと。
2022年2月9日
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