2022年02月09日
諸戸博士のモラビア・シレジア紀行 六日目
この日もまた山歩きである。カルロバ・ストゥダーンカからチェルベノホルスケー・セドロに向かったところまでは確実だが、宿泊した山小屋の場所がチェルベノホルスケー・セドロなのか、「シユーデツラン山合」という別の場所なのかは、判別できなかった。
六月十日、土曜日、晴天。午前六時半、出発、徒歩。旧牧羊所を経て、ガーベル(Gabel)に出で、此処にて侯爵僧領地ブレスラウ(Breslau)の森林主任バイエル(Bayer)氏、小林区署長ポール(Pohl)氏の出迎を受け、其の案内にてトウヒの撰伐林、及び小父山の無立木地、はい松造林地を視察し、午後一時養牛所に達し、午餐を喫す。食後、音楽、及び舞踏ありて、実に愉快を極む。
ガーベル ビドリ(Vidly)のドイツ名。現在ではブルブノ・ポド・プラデデムの一部となっている。
ブレスラウ 当時はドイツ領シレジアの都市ブロツワフのことだと思われる。侯爵僧領地とあることからこの辺りにブロツワフ大司教の領地が存在したか。
小父山 マリー・デット(Malý Děd)山のこと。標高1368m。前出のプラデット山の近くには、標高1408mのベルキー・デット(Velký Děd)山もあって、祖父と名のつく山が三つ集っている。
午後三時半出立。撰伐林を通じ、午後六時、海抜千〇十一米突のロート山(Rothe Berg)に達し、シユーデツラン山合(Sudeten-gebirgsvereiu)の山小舎にて宿泊す。
ロート山 チェルベノホルスケー・セドロ(Červenohorské sedlo)のことか。標高1013m。セドロは峠を意味するチェコ語で全体を直訳すると「赤山峠」となる。シュンペルクからイェセニークに抜ける国道が山越する交通の要所で、宿泊施設なども整っている。
シユーデツラン山合 いわゆるズデーテン山地のことであろうか。チェコ語では諸戸博士が滞在中のこの辺りの山地はフルビー・イェセニークと呼ばれている。
午後八時より晩餐会あり。例の通り唱歌会あり。余は川中島の歴史を話し、最後に詩吟を為せしが、日本の詩は意味深遠にして、到底我々の詩に及ぶ処にあらずとて、大に賞賛を受けたり。午前一時就寝。学生は午前四時就寝せりと。
この日の酒宴で、諸戸博士は、「川中島」について話したと記すのだが、このことと、諸戸という名字から、長野出身なのだろうと思い込んでいたら、三重の人だった。こいうときは、幕藩体制の記憶も新しい明治の人なら故郷の話をするんじゃないかと思ったのだけど、逆に日本という国家意識が強くて故郷にこだわらなかったのだろうか。諸戸が長野と結びつくのは、長野出身であることを売りにしていた小山田いくの漫画に登場したのを覚えているからである。あの人長野出身という設定じゃなかったかなあ。
詩吟って、日本の詩だったっけか。漢詩の書下し文を節をつけて読むんじゃなかったっけ? 書下し文だから日本語の古文なのは確かではあるが、漢詩は日本の詩人の作品だろうか。いや和歌の朗詠を詩吟と呼んでいるのかもしれない。うちの父親が昔、詩吟教室に通っていたのは覚えているのだけど、その中身までは覚えていないのである。
2022年2月8日
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