三界皆苦吾当安此(ブッダ)
というのは、
人生の目的はたった一つのものであるぞ、と道破なされたブッダのお言葉。
道破、喝破と言うのは言い切るということ。
きっぱりと言い切る、誤りを打ち破る。
みんな間違った考えを持っている。
多くの人は、万人共通とは思えない。
人それぞれと思う。
人生の目的と趣味と間違えている。
私たちの考えを打ち破っておられる。
天の上にも天の下にも、たった一つであるぞ、
三界は皆苦である。
その中で、吾、まさにここに安んずべし、
または吾まさにここを安んずべし、
とブッダはおっしゃっています。
これはたくさんのお経に出ている。
天の上にも天の下にもというのは、大宇宙広しといえども。
唯我独尊は、
唯我一人尊い、世間では、まるでブッダが威張られたように思っているが、
ブッダそんなことおっしゃるはずない。
ブッダは世界最高の偉人。
実際、世間でも偉い人ほど頭が低い。
「実るほど頭の下がる稲穂かな」
といわれる。
私たちは稲穂にならなければならない。
ミノルタの社長はここからとった。
私たちも人に尊敬されればされるほど謙虚にならなければならない。
また自分の姿が知らされるほど謙虚になってくる。
他にも
「下がるほど人の見上げる藤の花」
藤の花というのは、下がってくる。
花が咲いて下がったら人は綺麗だな、と見上げるんです。
頭が低いほど、人は尊敬するんです。
ブッダは自分だけが尊いんだ、とこうおっしゃっているのではありません。
唯我独尊の「我」というのは、正しい意味は、ブッダだけのことじゃない。
その後のお言葉で分かる。
ブッダは、ご自身のことを言われるときは「吾」とおっしゃっている。
「我」とは我々全人類を言われている。
だから私たちはたった一つそれぞれが果たさねば成らない尊い使命を持って生を受けた。
私たち人間は、たった一つの尊い使命を持って生まれてきたということ。
一人一人が独尊なんですよ。
ブッダは弥陀の本願一つ説くために現れられた。
私たちは弥陀の本願聞くために生まれてきた。
ここで一致するんですね。
大宇宙広しといえどもたった一つなんだぞ、
といわれているんです。
三界とは苦しみ悩みの世界。
私たちが住んでいる世界は苦しみが充満している。
人生は苦なり。
後半の「吾当安此」は、二つの読み方ができる。
「吾、当にここに安んずべし」と
「吾、当にここを安んずべし」。
「ここに」と
「ここを」。
「ここに」と読むと、ブッダは、
この苦しみの世界にありながら安らかなところに出られたと。
「ここ」とは三界。
ここに安らかな楽しい世界に出ることができた、とおっしゃっている。
また、ブッダの目的は私たちを救うこと。
「ここを安んずべし」とも読める。
二通り読むことができる。
私たち自身のこととしても味わえる。
三界の苦しみの中にありながら安らかな楽しい世界がある。
一切の人々は、この無碍の世界に出る為に生まれてきたのだ。
万人共通唯一の、出世の本懐を教示なされたブッダの言葉
大宇宙広しといえども
三界は皆苦しみ。
信心決定するとこの苦しみの世界にいながら安らかな楽しい世界に出れる。
そして、また、たくさんの人が苦しんでいる、
私と同じ世界に出てもらいたいと
ご恩報謝の活動をせずにおれなくなります。
非常に深い御心がこめられているブッダのお言葉
タグ:天上天下唯我独尊
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