そうであれば、手段ばかり考えているのはおかしい。
目的は何なのか。
太平洋のど真ん中に放り込まれたら、どこへ向かって泳いだらいいか分からない。
知り合いで中野で、スキューバーダイビングの学校をやっている人がいる。
その時に起きた事故。
回り船も陸も見えない。
陸も低い。ちょっと沖に行くと、見えない。
見えないところまで、行った。
3人のお客さん。
海流が、激しいところ。
エンジンを動かしておかないと流されていった。
海の上に戻ったら船がない。
ボードに書いてあった。
船が見えない。
3日後に遺体が見つかった。
ここで取り残された時に、泳ぎ方も大事。
しかし、どっちの方角に泳いでも同じということはない。
島のある方向に向かって泳がなければならない。
もっと大事なものが目的地。
生きることを泳ぐことにたとえると、
太平洋の真ん中に放り出されて、
島も陸も分からずに泳いているようなもの。
何で勉強するのか、分からなければ力が入らない。
方程式とかベクトルとか、要らないのにと思った。
物理の先生が言った。
生活では必要ない。
やりたいことをどれだけできるかという試験とか、
ガマン大会だと思ったらいいよ。
と言っていた。
それも目の前の目標になる。
高校卒業まで頑張る目的はできた。
どこへ向かって泳ぐのかが大事。
必ず死ぬのに泳ぎ方ばかり考えて
目的がハッキリしていないのは可笑しいのではと思う。
スティーブ・ジョブズは、
今日が最後の日だとしたらと考えて
行動していた。
最後の日なら、USJいくかな。
マンガ読むかな。
人生は、大海に放り出されたようなもの。
可笑しいなと言っていた。
人間の営みの全ては、生き方の追及。
政治、経済、科学、医学、法律、スポーツ……
政治は、生命と財産を守るもの。
経済は、資源を平等に配分するため。
科学は便利で快適な生活のため。
法律は仲良く争い毎におりあいをつけて生きるため。
少しでも長く、いい生き方を追及していますが、
より長く生きても死ぬんだよということ。
これが太平洋でいえば土左衛門です。
人生全体を広く見渡して考えなければなりません。
タグ:生き方
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