人生の目的といっても、それは幸せになることです。
これは、いわば当然のことです。
だから相手と共通の認識を持ちやすい。
生きる目的ない、という人いなくなります。
もし人生の目的が幸せなら、見つからない、ないよ、というのは
私は永遠に幸せになれないということ。
だから言わない、認めたくない。
みんな幸せになりたくて、幸せ求めて生きている。
早い段階で相手と共通の認識を持つということが相手に真実を説く上で大事なこと。
また、人生の目的と言った場合、相手の誤解の幅が大きくなる。
「人生の目的持ってるよ、海外青年協力隊」
「大気を汚染しないガスを作ることだよ、そのために科学勉強してるんだ」
といった人生の目的。
一生涯打ち込む仕事、ライフワークという意味で人生の目的を挙げています。
これは人生の目的ランキングということからいえば偏差値65越えています。
しかし仏教から見れば、所詮は生きがいです。
大変な誤解があります。
ところが幸せ、と言った場合、誤解の幅が縮まってきます。
ラジオ聞くとき、チューニング。
最初雑音が入ってきます。
ダイヤル絞ると純音になります。
世間一般の認識と親鸞聖人の教えには、ずれがあります。
みんなが認識しやすいことは、他力真実のから言うと、ずれ幅大きいものです。
これを仏教を聞くことで心を耕してピントを合わせていくのです。
タグ:科学
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