仏教に、卑下慢という自惚れが教えられています。
これは自分を卑下して自惚れることです。
卑下とは、卑はいやしめる、下げるですね。
「私ほど悪い人間はない、毎日欲望や怒りや愚痴の生活です。
私ほどお粗末な人間はない」
といって自惚れます。
どうだ、これほど真面目に自分を見つめて反省しているものはないだろう。
私は凄いだろ。
謙虚だろ。
私は真面目に自分を見つめているんだぞ。
どうだ、と口では言わないが自分を卑下して自惚れます。
しかし心底から思っていない証拠に、もしあなたが仮に
私ほど悪い人間はないと言ったときに、
友達から、
「そうだそうだ、お前の言うとおりだ。
言いたかないけど、言いにくいけど、
お前ほど、どうにもならん人間はない」
と言われたら、かちんとくるよ。
「お前、人のこと言えるのか」
と食いつきたくなります。
本当に心から自分ほど極悪人と思っていたら、
いくら言われてもそんな言葉は出てこないはず。
心底思っていないんです。
こんな話があります。
あるおばあちゃんが、仏教講座で話を聞いた、
阿弥陀如来の本願は悪人正機。
極悪人を救うのが阿弥陀如来の本願だと聞いて、
そのおばあちゃん、
おっしゃるとおり、講師さん、
私ほど極悪人はありませんねといった。
するとその講師は、
「そうか、実は婆さんの言うとおり確かに聞くところによれば、
あんたほど極悪人はないと聞いている」
こう婆さんに言った。
お婆さんびっくりした、
『どこのどいつが言ってるんですか、
そんな極悪人と誰がいっているんですか、
言ってください』
と凄い剣幕で迫ってくる。
するとその布教使は、
『冗談だよ、うそだよ、あんたほど良くできた、
ばあさんはいないといっていたよ』
するとお婆さんは
『ああそうなんですか、そんな驚かさないでくださいよ、全く』
と言ったそうですね。
全然、悪いと思っていないんですね。
悪人正機、私ほどの極悪人はないと思っていたが、
あんたほど極悪人はないと言われたら
『何っ!』と腹を立てる。
これが私たちなんです。
卑下慢です。
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