あなたは何のために仏教を聞いているのですかと尋ねられたら?
それは後生の一大事を解決するためです。
この目的を抜かして仏教を聞いているのは栓の抜けた風呂に水を入れているようなものです。
どれだけ入れても足りるということはない、どんどん抜けていきます。
また、王将を抜いた将棋のようなものです。
これを抜かしてしまったら後生の一大事という大問題を
解決できるということはないので、仏教に終わりはありません。
後生というのは関係ないものではない。
私の問題です。
後生というのは死んだらどうなるかということです。
後生どうなっているのか、
一大事があるといわれます。
お釈迦さまは
必堕無間
と説かれています。
必ず無間地獄に堕ちるということです。
地獄とは今日では苦界ということです。
日ごろの悪業で落ちます。
誰かが生み出したのではありません。
「火の車つくる大工はなけれども己がつくりて己がのりゆく」
台所が火の車というのは、大変苦しい生活です。
ピッチャーが火の車というのも、大変苦しいことです。
その苦しい状態は、自分がつくって自分が乗っていきます。
地球の真ん中とか大宇宙のどっかにあるのではありません。
因果の道理によって悪因悪果、自分で落ちていきます。
因果応報の大道理が分かれば当たり前。
大変な悪を作っているからです。
たとえば殺生です。
自然界でもあること、自分が受けても当然です。
その後生の一大事を解決して絶対の幸福にするのが仏教です。
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