三重廃立の二つ目は聖浄廃立です。
仏教に聖道仏教と浄土仏教の2つがあります。
浄土真宗を開かれた 親鸞聖人は9歳で出家されて天台宗の僧侶となり、
29歳まで20年間、大変なご修行をされました。
滝に打たれたり、雪の中を走り回られたり、
大曼の難行という大変厳しい修行をされました。
それでも後生の一大事の解決はできませんでした。
口や体は心が命じるままに動きます。
口や体で悪を作らないようにしようとされました。
当時、源氏と平家が戦って、平家が敗れました。
敗れた平家は源氏から逃れるために比叡山に入りました。
比叡山は女性とか、武士が入れないようになっていました。
治外法権です。
それらの者は後生の一大事など関係無く、
命惜しさに比叡山に入って
修行の真似をしているだけです。
それで夜になると京都の町に下りて行って遊び、
朝、比叡山に帰ってくるものですから、
修行というより居眠りばかりしていました。
そんな者を親鸞聖人は見られて、
人間の目をごまかすことはできても、
仏様の目をごまかすことはできない。
ところが仏様とは見聞知のお方です。
私達の思っていることすべて知っておるぞ。
しゃべっていることをみんな聞いておるぞ。
やっていることを見ておるぞ。
これが見聞知です。
親鸞聖人は自分だけは戒律を守って見せると頑張られましたが、
見ざる、言わざるのサルは制御できましたが、
思わざるのサルはどうすることもできませんでした。
お経を読んでいても女性の顔が浮かんでくる。
修行をしていても女性のことが思えてくる。
落ち武者達は体でやっておるから、満
足して心で思わないこともあるが、
親鸞は心で思い続けているではないか。
平家の者よりも劣るのではないかと気づかれたのです。
比叡山から琵琶湖が見えますが、
その琵琶湖の水のように心が静まらないものか。
湖にうつった月のように、さとりの月が拝めないものかと泣かれました。
このように親鸞聖人でもさとりが開けないのですから、
聖道仏教では絶対に助かりません。
これは方便の仏教です。
親鸞聖人は20年間やってみてそれがよく分かった。
だから聖道仏教を捨てて、
浄土仏教を信じよと聖浄廃立を教えられたのです。
聖浄廃立とは、
聖道仏教は助からないから捨てよ、
浄土仏教に入りなさい
ということです。
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