少年犯罪が世間を賑わせるようになって久しい。
今年も17歳少年のバスジャック事件など、
数多くの恐ろしい事件がありました。
少年法の改正をどうするか、という問題などは
国会で議論されるところとなっています。
そういえば、そんな話題が一層クローズアップされたのは
神戸での凶悪事件が先駆けでした。
サカキバラセイト と名乗るわずか14歳の少年が
顔見知りの小学生を殺害し、学校の校門に置いた。
そのニュースに、日本中が震撼したのはついこの間の事のようです。
さて、そのとき「サカキバラ」の言った言葉で、
巷で有名になった言葉「透明な存在の僕」
そして、本人のやった残虐非道な行為はともかく、
当時、多くの若者達がまた、この言葉に共感を覚えたそうです。
「透明な存在」とは、言い換えれば
「自分の存在が薄っぺら」
「居場所がない」
「自分がこうして存在している意味がわからない」
「生きている実感がない」
「何の為に生きているのか、分からない」
こういう素朴な疑問への問いかけは実に多くの
メディアで取り上げられています。
「命は大切です。当たり前のことで分かっているけど理解できない」
「命は地球よりも重いという。しかし不思議とその理由を知らない」
なぜ人の命は大切なのか、あらたまって、聞かれると
ハッキリと答えられない。
どうもこれは、子供だけの問題ではないようです。
・広島校長先生の自殺
・医師のぶちあたる矛盾(延命治療をしても、また自殺する患者)
・臓器移植の問題
・地球より重い、と言いながら戦争では雑魚のように
よく聞かれる街角の声、キャンパスの声
「何かもの足りない」
「どこか空しい」
「こんなことしていていいのだろうか」
「何かもっと、大事なことをしなければならないのでは」
そういう漠然とした不安を抱えている人は少なくない。
その不安はどこから来るのか?
結局何をするために、生きているのか、分からない
だから、存在感が希薄、薄っぺら。不安。
例えば、
今日、この部屋に誰かから、頼まれてやってきた。
でも、何したらいいのか分からない、
とにかく居ろ、と言われる。
そんな状態では、居心地悪くない?
次から次へといろんな人がやってきて何か、作業をしていく。
自分だけ、何しにきたのか、分からない。
不安になりませんか?
まあ、時間をつぶそう、ということでマンガ読み始める。
でもふと気がつくと
「あれっ、こんなことしていていいのかなあ」
何か不安じゃない?
一時的に気が紛れても、何か落ち着かない。
・学校に来たけど、何が目的か分からないようなもの
・役者がとりあえず舞台にあがった、だけど何していいか分からない
芥川「狂人の主催したオリンピック」
とにかくみんな走っている、しかしどこに向かってか?
ゴールのないマラソン、そんなマラソンを
心から楽しめますか?
人生の目的を知ることが大事、必要。
それがわからないまま、ただ時の流れに身を任せると悲劇。
何しにきたか、分からないまま、時間だけがドンドン過ぎて行く
気がついたらジ・エンド。
さっきのたとえ、この部屋に入った、何しにきたか分からん、
時間がたって、もう出て行かなければならない、
そうなったら、何か心残りがないか。
もう出て行く時間だから、と言わても後味悪くないですか?
西洋の哲学者で知られるパスカルは
「あと1週間の命となってでもしなければならないことを
一生かけてでもしなければならない」
と言っています。
あと1週間の命となってでもしなければならないこと
それは何でしょう?
あと1週間の命で、レポート書きます?バイトしますか?
バイトでどんなにお金を貯めても、
集めたお金を全部置いて、たった一人で死んでいかなければなりません。
そんなこと、本当にあと1週間になってから考えますよ、と
いう人がいます。
でも、いつ「あと1週間になるか」予想できます?
ひょっとしたら、もうあと命の期限は1週間を切っていつかもしれない。
本当にあと1週間となってからでは手遅れかもしれません。
夏休みに入って、まず宿題片付けよう、という人いない。
みな、こんなもの1週間もあれば出来るだろう、と
たかをくくって、後回し、先送りにする。
そのうちいつか、と思いながら、結局、夏の終りが来る。
そして、しまった!と。
どういつかやらなければならないことなら、
早くに片付けてしまった方が、絶対に得でしょ。
この「なぜ生きるか」という事がハッキリしてこそ
心から楽しく、充実した毎日になるんです。
この「なぜ生きるか」という
本当の生きる目的については、
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