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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2017年10月07日

仏教の教えに救われた喜び

「噫、弘誓の強縁は多生にも値いがたく、真実の浄信は億劫にも獲がたし。
遇行信を獲ば遠く宿縁を慶べ。
若しまたこの廻疑網に覆蔽せられなば更りてまた昿劫を逕歴せん。
誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。

教行信証総序)

一度読んでみてください。

 

これは、どういうところに出てきますか。
教行信証のはじめ、教行信証は、親鸞聖人が唯一の世界の光である、
親鸞聖人の教えが唯一の光である。
ということは、位置付けは人類の根本聖典である。

 

親鸞聖人は最初に「噫」と言われている。
なぜ親鸞聖人最初に言われているのか。
何か意味があるのか。

 

弘誓の強縁は多生にもあえないものである。
「真実の浄信は億劫にも獲がたし」
なかなかあえないものにあったら私達はどういう風になるのか。

 

唐辛子を口に入れたとき、また道でばったり、小学校以来
会っていなかった友達に遇ったとき、「おお、お前」と言う風に言うかといっ
たらそうじゃない。
「ああーっ!おおーっ!」
まず最初に言葉は出てこない。
その驚きが出てくる。
中国残留孤児なんかが対面する時、

30年、40年と会えなかった何とか会いたいと思っていたけれど。

 

でも出会うことができた、お母さんと出会った。
そのときに「お母さん」「息子よ」こんな言葉が出てくるか。
まず出てくるのは「ああ」

 

高校30年のことでもそんな感じ。
親鸞聖人は多生の間、生まれ変わり死に変わりして
つまらないことに時間をかけて、つまらないことに人生をかけて、
どれだけ苦しんできたかわからない。

 

そんなときに、嬉しいとか楽しいとかはなくって、
親鸞聖人は驚き喜び感動があり、それを言われている。

タグ:教行信証
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教
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