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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2017年09月22日

存覚上人の辞世・釈迦の化身

ぐるぐると迷っている世界から魂の打ち止めをすることを六道出離といいます。

 

存覚御辞世の御詠に云わく、

「今ははや  一夜の夢と  なりにけり  ゆききあまたの  かりのやどやど」

此の言を、蓮如上人、仰せられ候うと云々

 「さては、釈迦の化身なり。往来娑婆の心なり」と云々 

「我が身にかけてこころえば、六道輪回、めぐりめぐりて、

今、臨終の夕べ、さとりをひらくべし、という心なり」と云々

(御一代記聞書308)

 

いまやはや一夜の夢となりにけりゆききあまたの仮の宿々
人生はよく旅人に例えられる。

今時分のように早く日がくれるようになると人生の脊梁感を感じる。

 

旅人というのは同じところにとどまっていない。
例えば江戸から京都を目指している旅人は違った山、道を通る。
そしてこれ以上進めないとなると宿をとる。

そしてそこで一晩だけそこにいる人と一緒に酒でも飲んでいく。

 

しかし、一晩寝れば夢のようなものになる。
そしてまた夕暮れ時になるとまたそこで宿をとってまた新しい人と出会う。
そういう仮の宿の繰り返しが人生。

みなさんも中学校のとき友達がいたと思います。
しかし、高校いったらみんな友達ではない。
また、高校といったらいろんな友達がいる。
そして暫くその友達と楽しむ。
しかし、大学にくるとまた違う。
大学って宿はまた違う宿。
まったく違ったところからきた人達。
それは何かの御縁があって一緒にいる。

ところが、3、4年のうちにまたさよならをいう。
人生っていうのは出会いの数だけ別れを経験しなければならない。

その宿のなかで苦しみのうち止めをできる宿があったかというとそういうのはない。
そうして考えてみると、次の世界次に世界とへめぐって
その世界を楽しもうとしているだけで根本的に解決しようなんて考えていない。

 

これ仏法の教説からいうと人間界に産まれてからも輪廻転生しているが、
死んでもまた次の世界、次の世界と六つの迷いの世界
無始よりこのかた迷い続けていると教えられている。

そういう迷いの命のあることを知ってその迷いのうちどめをするのが
人間界に生れて、仏法聞くより他にない。
人間界に生まれたって心が人間らしい心になったときにしか仏法をきけない。
その迷いの魂を知らせてくれるかたは善知識。
そういう善知識、真の知識にあわなかったらできないことですよ
と教えられている。
そういう善知識にあって阿弥陀仏の本願を聞かせて頂けるのは、
千載一遇のチャンス。

タグ:蓮如
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教
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