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2017年05月23日

「一念」とはこれ信楽開発の時尅の極促を顕す

信の一念が肝要

 

『一念』とは、これ信楽開発の時尅の極促を顕す。教行信証

 

どなたの御言葉ですか。親鸞聖人の御言葉。

どんな意味?
「一念」というのはあっともすっともぎゃーとも言う間のない、

時尅の極促

 

信楽とは、本願成就文では信心歓喜といわれたもの。
開発する。
一人一人の心の中に大安心大満足という信心の華が開く。
いつ開くのかというと、時尅の極促に開く。

一億分の一秒よりも短い時間。
それを時間の極まりと言う。
何十億分の一秒よりも、何兆分の一秒よりも短い時間。
時間のことです、時尅の極促というのは。

促は極めて速い。
速達の速。
親鸞聖人の時代はメールがないから、時尅の極メール。
電子メールって早いでしょ。ボタンを押したら届くから。
今時速達なんか全然早くない。
日本全国速達で東京に送ったら一日で届くか。

メールならすぐに届く。
親鸞聖人の時代はメールがありませんから、極促、
促すという字が書かれている。アッという間に信心の華が開く。

それが教行信証に書かれている。
信巻です。
教行信証六巻の中で一番大切なのは信巻。
だから教行信証の眼目という。
眼目が信巻。
最も大事なところ。
眼目、これも眼、これも目。
ガンをとばすんじゃないよ。
眼目だ。それが信巻上下二巻なんだね。
この教行信証信巻は本願成就文の解説です。
その中でこの信巻の末、下巻の一番最初に信一念釈がある。

 

あの一念はどう言う意味かと言うことをここで親鸞聖人は書かれている。

 

夫れ真実の信楽を按ずるに、信楽に一念有り。『一念』とは、是れ信楽開発
の時尅之極促を顕はし、広大難思の慶心を彰すなり。

 

こう言うことを親鸞聖人ずばっと書いておられる。

真実の信楽ってなに?

本願成就文に説かれている信心、

それはどんな信心?
真実の信心です。

 

世の中に沢山の宗教があってそれらを信じている沢山の人がいて、

沢山の信心があるが、真実の信心は一念あり、こう仰有っている。

 

真実の信心には、必ず一念と言うことがある。
逆に言うと、一念と言うことのない信心は

真実の信心ではないと言うことです。

 

そういうことだね。

真実の信心には必ず一念がある。

 

一念のない信心は真実の信心ではない。

Aならば必ずBである。ということは、
Bでなければ、Aではない。

 

キリスト教に一念と言うことがあるかな。

ない。

 

イスラム教にあるかな。ない。

 

神道にあかるな。ない。

 

天理教にあるかな。ない。

 

どの宗教に一念が有ると教えているか。

そんな宗教があるか。

 

幸福の科学にあるか。ない。
 

親鸞聖人がここで仰有っていることは、

真実の信心には必ず一念と言うことがある。


何千年経っても古くならない御言葉。

これから一万年経っても通用する言葉。
どこに持っていっても通用する。

 

100年経ったら通用しなくなる言葉ではない。

アメリカに持っていったら通じない言葉ではない。

大宇宙何処に持っていっても真実の信楽に一念有り。

 

この体験のない信心は真実の信心ではない。

真実の信心なら必ず一念を突破した信心。

そこで一念とは信楽開発の時尅の極促をあらわす。

 

アッという間もない一念。

これが仏教の肝要です。

要の中の要です。

 

それを親鸞聖人は教行信証の眼目の信巻の下巻の

一番最初に持ってきておられる。

 

これからどんな宗教が星の数ほど出てきても、どんな人が出てきても、

その信心に一念があるかどうかでそれが真実の信心かが判る。
これ以外に真実の信心はない。

 

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タグ:教行信証
posted by 陽葵 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教
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