人にいろいろの死に様があるのは、
人の過去世の種まきにいろいろあるからだと
覚如上人は教えられています。
一切衆生のありさま過去の業因まちまちなり、また死の縁無量なり、
病におかされて死する者もあり、
剣にあたりて死する者もあり、
水に溺れて死する者もあり、
火に焼けて死する者あり、
乃至寝死する者もあり、
酒狂して死するたぐいあり。
これみな先世の業因なり、更にのがるべきにあらず。
(執持鈔)
全ての人々は、過去やってきた行いはみな違っている。
そして、死の縁は無量であると。
だから、臨終の有様は色々あるでしょうと仰っています。
臨終の有様は一つの結果です。
いつも聞かせて頂いているように、因縁和合して結果が生じますから、
行いが違えば結果は違ってきます。
日本人は食習慣的に脳溢血で死ぬ可能性が高いといわれます。
また、タバコは百害あって一利無しと言いますね。
車の事故で死ぬ人もいるかも知れません。
ハンドルを握ると性格が変わる人がいます。
それは、因果皆違うからです。
だから、死に方も当然変わってきます。
また、死の縁無量とありますように、どんな死に方をするか分かりませんね。
オーストリアで事故が起きまして、日本人が10人なくなりましたね。
慶応大学の学生や、中学生もなくなっています。
修学旅行で海外に行く人も最近は沢山います。
そういうのと同じ様な気持でいったのでしょう。
それがまさかあんなところであんな事故に遭うとは思っても見なかったでしょう。
そう考えてみると、ついこの前にロシアの潜水艦が沈んでしまった事故がありましたね。
あれも、逃げ場のないところで殺されたようなものですが、
おそらくその事故を今回の事故でなくなった人も見ていたでしょう。
ですから、今回のケーブルカー火災を、怖いなあと眺めている私達も、
今度そのように見られる側になるかも知れません。
また、ジェットバスに髪の毛が吸い込まれて、
小学校2年生の女の子が溺死したそうですね。
もっと前にもあったそうです。
海外に行くときは、気をつけてねといいますが、
我が家の風呂でそんなことはいわないでしょう。
それでも、そんなところに死の縁があったわけですね。
そんな風になくなった人に、今年の年末はなかったわけです。
亡くなった人の中にはオリンピックの強化選手もいたそうです。
まさか自分がそんなところで死ぬとは思ってもいなかったでしょう。
皆さんも将来の計画をたてているでしょうが、そんな者よりも死の縁無量ですから、
いつ死が来るかわからんのです。
ちょっと待ってくれと言ってもどうしようもないです。
そういう事故をこれでもかと見せていただいているのに、
自分もいつそうなるか分からないのに、他人事としてみる私達の姿がありますね。
どんな臨終を迎えるかということは、因も縁もいくらでもありますから、
無限と言っていいほどあるわけです。
安らかに死ねるような病気ならいいですけど、
のたうちまわって死ななければならないような死に方もあるわけです。
また口伝鈔のお言葉は、恨む敵によって殺されたら、凡夫の私達の心には、
その人を恨む心しかないということです。
よく、そうやって死んだら幽霊になるとかいう人がいます。
だから死ぬときに恨みを持ってはいけないと。
もしそうなら、こういうときに他人を恨む心以外に何か出てくるかと。
それ以外の心ないですよ。
自分の嫌いな人から悪口を言われて、どんな心が起きてくるか。
ましてや殺されてみなよ。
「おのれ!」という心しかないでしょう。
また、今回座談会で教えて下さったように、
いくらでも楽に死なせることは、医学の力でできるんですね。
また、拷問で殺されたら、その時笑って死んでいけるだろうか。
たかだか注射一本でさえ、いやーな顔になるのに、
ましてやトンネルの中で焼け死んだらどんな顔になるか。
そんな臨終の相を問題にするのはおかしいということは、
ちょっと考えれば分かりますよ。
そんなのは問題ではないと。
平生元気な只今、後生の問題がハッキリ解決されているかどうかが問題だと仰っています。
平生に信心徹到しておれば、信心決定していれば、臨終ににっこり笑って死のうが、
苦しんで死のうが、浄土往生は間違いありませんと。
これが平生業成です。
平生とは死んだらではなく、臨終でもない、現在生きている只今ですよといわれました。
その一念で、人生の大事業が完成すると。
覚如上人もおっしゃっています。
然れば平生の一念によりて往生の得否は定まれるものなり。
平生のとき不定の念に住せばかなうべからず。(執持鈔)
往生の得否、往生できるか、できないかは、
平生の一念でハッキリしてしまうんだと。
不定の思いというのは、後生の不安のことです。
ハッキリしない心です。
後生暗い心のひとは極楽にいけませんよと。
平生を連発されていますね。
帰命の一念とは信心徹到の一念です。
そこが娑婆の終わりだと。
自力心の臨終と仰っています。
ここで自力の心が死んで、
他力の信心が生まれるんですね。
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