2024年11月30日
奈良県橿原市 橿原神宮へ新年を見越して参詣する 2024年10月16日来訪
初代天皇 神武天皇を祀る橿原神宮へ、新年を見越した参詣旅です。
古都奈良の名所を巡る旅に出た3日目。
空は灰色の雲がおおい尽くし、天気は今にも泣き崩れそうな怪しさを漂わせていた。
奈良県各所に点在する観光名所を、一つ一つ訪ねる。
今日、最初に向かったのが、「橿原神宮(かしはらじんぐう)」。
奈良県のほぼ中央に位置する橿原市にある橿原神宮は、日本の初代天皇 神武天皇(じんむてんのう)と、媛蹈鞴五十鈴媛皇后(ひめたたらいすずひめこうごう)をお祀りしている神社だ。
第一鳥居、第二鳥居と、参道に埋め尽くされた白い砂利の上を進み、本殿を先に見越す拝殿を前にする。
とにかく目立つのが、向かって右手正面に掲げられた、巨大な絵馬。
高さ4.5m、幅5.4mになる大絵馬は、1960年(昭和35年)に今上天皇の御生誕を奉祝して制作されたのが始まりだ。
毎年11月末になると、来年の干支が描かれた絵馬を目にできる。
今年も残り少なくなり、「辰」の大絵馬見納めの日も近づいてきた。
日本の歴史 発祥の地ともいえる橿原で、新たな「巳」年を迎える日を意識し、心が引き締まる。
車を東へ、桜井市に向けて走らせる。
目的地は、初瀬山の中腹に本堂を構える「長谷寺(はせでら)」だ。
初瀬山は牡丹の名所であり、見頃である4月下旬から5月上旬には、その鮮やかな花の色を長谷寺境内でも見て楽しめる。
初瀬山の山麓から中腹にかけて、伽藍が広がる長谷寺境内。
入口の仁王門から本堂まで、屋根付きの階段399段を上る。
息を切らしながら、本堂前に到着。
本堂は国宝に指定されているようだ。
本尊十一面観音像を安置する正堂(しょうどう)、相の間、礼堂(らいどう)から成る巨大な建築で、前面は京都の清水寺本堂と同じ懸造になっていて見応えがある。
本堂西方の丘にある本長谷寺や五重塔などへも、足を延ばして参拝したい。
屋根付き階段 登廊に、期間限定で開催されている「菊回廊」。
今年は10月5日(土)から12月8日(日)まで、「嵐の坂」に、100種類500鉢の菊の花が並ぶ。
階段を上る中、突然現れた菊の花が彩る石階段を前に、自ずと心が踊り出す。
菊(キク)の花言葉は「信頼」「高貴」「高潔」「高尚」。
奈良時代に中国から薬用、鑑賞用として日本へもたらされた菊は、その薬効と美しさから不老長寿の象徴でもあったようだ。
車をさらに東へ進め、宇陀市に入り、深山奥に迎えたのが、女人高野として有名な「室生寺(むろうじ)」だ。
室生川に沿った道を歩き、現れた川に架かる朱塗りの反り橋、太鼓橋を渡ると、室生寺の表門を目の前にする。
約1400年前に建てられた室生寺は、近代まで女人結界が定められて参拝できなかった高野山に対して、同じ真言宗で女性の参拝が許されていた。
女性のお参りができるよう、格式のある寺を弘法大師 空海が開いたと伝えられる。
表門の前に構える石碑には、「女人高野室生寺」と彫られており、その上部には九目結紋という家紋が確認できる。
九目結紋は桂昌院の実家 本庄家の家紋。
江戸時代の中期に、五代将軍 徳川綱吉の生母であった桂昌院の寄進により、室生寺の堂塔が修繕されたようだ。
詳しくは以下のリンクを参照してください。
橿原神宮 https://kashiharajingu.or.jp/
奈良大和路の花の御寺 総本山 長谷寺 https://kashiharajingu.or.jp/
女人高野 室生寺 http://www.murouji.or.jp/
2024年11月23日
北海道札幌市 都会と自然が共存する町 札幌の名所を訪ねる 2024年8月18日来訪
都会と自然が共存する町、北の都 札幌市の魅力を発見する旅です。
まずは、「白い恋人パーク」を訪ねる。
北海道のお土産として、昔から根強い人気なのが銘菓「白い恋人」。
白い恋人は、札幌市の菓子メーカー石屋製菓(いしやせいか)が手がける洋菓子で、ラング・ド・シャでチョコレートを挟んだその甘さがたまらない一品だ。
白い恋人パークでは、その白い恋人の製造ラインが見学でき、観光客からの人気を集める。
創業者は石水勲(いしみずいさお)氏。
イギリスの美しさに魅了され、地元の人にもこの美しさを伝えたいと考えて創られたのが、白い恋人パークらしい。
足を踏み入れると、まるで異国であるイギリスにいるかのように感じられる、魅惑の世界が広がる。
おかし作り体験ができ、チョコレートの歴史も学べる園内を、ゆっくり時間をかけて巡り楽しみたい。
お隣には、プロサッカーチーム 北海道コンサドーレの練習場もある。
その名も「宮の沢白い恋人サッカー場」。
練習が行われる日であれば見学も可能だ。
「野外博物館 北海道開拓の村」は、明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建造物を、移築復元や再現をしている観光名所。
野幌森林公園内に、北海道開拓にかかわる歴史的建造物が52棟、展示されている。
市街地群、漁村群、農村群に分けられた展示エリアは広く、54.2ヘクタールの敷地に所せましと展示物が並び、どのルートで見学しようか迷ってしまう。
写真の左奥は「旧来正旅館(きゅうくるまさりょかん)」。
東永山(ながやま)兵村に屯田兵として入植した来正策馬(くるまささくま)が開業した、旅館兼待合所だ。
退役後、開通直後の宗谷本線の永山駅前に移って1898年(明治31年)に待合所を開業したが、1978年(大正7年)に大水の被害を受け、翌年に旅館兼待合所を新築したと説明書きがある。
手前の路線上には鉄道馬車が見える。
これに乗って村内を移動できるようだ。
各ポイントには気さくなボランティアの方がおられ、展示物の説明を分かりやすく教えてくれた。
開拓して150年ほどしか経っていない北海道だが、短くとも濃い先人たちの軌跡を、直に感じられる北海道開拓の村。
北海道開拓の歴史を知るうえで、大変貴重な施設といえるだろう。
レンガ造りの外観に目を惹かれる「サッポロビール博物館」。
1987年に開園した、日本で最も歴史のあるビール博物館で、1876年の北海道開拓事業から受け継がれるサッポロビールの歴史を体感できる。
道民にとって、サッポロビールはおなじみのビールだ。
北海道の開拓後、札幌を拠点に多くの事業が始まり、そのうちの1つがビール事業だった。
北海道の涼しい気候はビールの原料になる大麦の育成に適しているといわれ、開発が願われたものの、実際にビールを作るのは苦労の連続だったらしい。
しかし、サッポロビール創業者に当たる村橋久成と中川清兵衛の名コンビが、1877年5月にビールの醸造に成功。
当時は「札幌冷製麦酒」の名で販売されていた。
展示スペースでは歴代のポスターやラベルを実際に目にして、サッポロビールの長い歴史を知ることができ、思わず感嘆の声が漏れる。
テイスティングが付いた館内のツアーガイド、「プレミアムツアー」(料金1,000円)もあるようなので、事前予約のうえで参加したい。
北海道といえば、海鮮やラーメン、ジンギスカンを想像する方も多いのではないだろうか。
北海道は、実はスープカレー発祥の地でもある。
1970年代に札幌市で提供した薬膳カレーが、スープカレーの起源といわれる。
一般的なカレーとの大きな違いは、スープがさらさらとしていて、具材が大きくゴロゴロとしていること。
札幌市内には、200店舗以上もスープカレーを提供しているお店があるようだ。
今日は、札幌市中央区に店を構える「Soup Curry Suage」へ。
早速お目当てのスープカレーを注文。
お店オリジナルの味わい深いスープが食欲をそそる。
スープが鶏肉に染み込み、肉の旨みを引き立てる。
あと引く旨さに舌が躍り続ける。
写真は道民に「さつえき」の愛称で親しまれている「札幌(さっぽろ)駅」。
一日に15万人もの人が利用するというこの駅は、グルメはもちろん、ショッピングを楽しめるお店が充実している。
その中で取り上げたいのが、札幌ステラプレイス センター6階にある店舗、「十勝豚丼いっぴん」。
ここで提供される豚丼を求めて、実に多くの人が足を運ぶ。
札幌で1番の人気メニューと言ってもいいだろう。
本店は北海道式豚丼発祥の地である帯広にあり、札幌でも本場の味を楽しめるのはうれしい。
炭火で焼かれた香ばしい北海道産豚ロースを口に運べば、誰もが幸せに満たされる。
また、徒歩10分圏内には「札幌時計台」「大通り公園」など人気の観光スポットが数多くあり、観光拠点としても大きな役割を担う札幌駅。
北海道を訪れた際に巡る場所として、やはり外したくはない。
一日の最後に、繁華街「すすきの」を散策。
にぎやかなすすきのを見守っている、大きな「ヒゲのおじさん」のネオン看板は、1969年に設置されたもの。
すすきのの交差点を彩るニッカウヰスキーの広告看板だ。
実は、札幌には「すすきの」という地名はない。
諸説あるようだが、明治時代に政府がこのエリアに遊郭を設け、「すすきの遊郭」と名付けたことに由来を求められる。
今や東京の歌舞伎町、福岡の中州と並び、日本三大歓楽街ともいわれるすすきの。
今夜もネオンがきらびやかに輝き、観光客はもちろん、娯楽を求める市民を吸い寄せていた。
改稿・編集 会長HT
詳しくは以下のリンクを参照してください。
白い恋人パーク https://www.shiroikoibitopark.jp/
北海道開拓の村 https://www.kaitaku.or.jp/
サッポロビール博物館 https://www.sapporobeer.jp/brewery/s_museum/
札幌初のスープカレー専門店|Suage https://suage.info/
札幌|駅の情報検索 https://www.jrhokkaido.co.jp/network/station/station.html#1
一般社団法人 すすきの観光協会 http://www.susukino-ta.jp/
2024年11月16日
北海道根室市 北方四島間近にある日本最東端 根室の納沙布岬を訪ねる 2024年4月29日来訪
根室へ日本最東端の納沙布岬を訪ね、返還悲願の北方領土を望む旅です。
根室市内に入る前に、中標津(なかしべつ)町にある「開陽台(かいようだい)」を訪れる。
中標津町のランドマークともいわれるこの施設で堪能できるのは、標高270mの高さから一望できる牧草地帯。
眼下に広がる景色は、まさに緑のじゅうたんだ。
夜になると、無数の星々が天空を彩り、北海道らしい長閑な大自然の美しさに息を呑む。
晴れた日であれば、この台地から国後島(くなしりとう)の島影も視認できるので、返還が待たれる北方領土をぜひとも確認したい。
お土産を買い求められる1階の売店では、開陽台で人気の絶品ソフトクリームを注文した。
「しあわせのはちみつソフト」は、地元産の生乳に、カフェスタッフが麓で採取した濃厚なはちみつを使用。
はちみつの甘さが効いた贅沢な味が、舌をとろけさせる。
昼時となり、食事の場所を見定める。
根室といえば、エスカロップがご当地料理として有名だが、全国一の水揚げを誇るサンマ料理も捨てがたい。
サンマの味を求め、納沙布岬近くに構える宿泊施設「ライダーハウスエイト」内の、食事処「食事処Gエイト」を訪れた。
暖簾をくぐると、笑顔が素敵なご夫婦がお出迎え。
時はゴールデンウィーク中で、無論、サンマの季節ではないが、この時期は冷凍もののサンマを提供しているのだそう。
早速、サンマ丼を注文。
一口食べて驚いたのは、サンマの甘さだ。
冷凍というのが信じられないほど、サンマには脂が乗っていて、身も柔らかい。
口の中でとろける感覚に舌鼓を打った。
旬の9〜11月を待たずとも、サンマの味をこのように堪能できるのはうれしい。
根室へ行かれた際にはぜひ立ち寄って食したい。
腹を満たしたあと、「納沙布岬(のさっぷみさき)」に足を向ける。
納沙布岬は、日本で1番東にある岬だ。
毎年、元旦になると、日本一早い初日の出を目当てに全国各地から多数の観光客が集まる。
歯舞群島(はぼまいぐんとう)を目の前に、否が応でも、北方領土を意識する地理的な位置にある納沙布岬。
頻繁に、ロシアの巡視艦が通るのを目にできるようで、タイミングが合えば必見だ。
とにかく、一早い北方四島返還が待たれる。
納沙布岬から見えるラッコやクジラ。
近い将来、北方四島側からも、日本の景色としてぜひとも眺めてみたい。
日本最東端の地、納沙布岬で、航海の安全を守るために立ち続けている「納沙布岬灯台」。
1972年(明治5年)に、北海道で最初に設置された灯台だ。
当時は六角木造で石油を光源としていたが、時は移り、現在はコンクリート造で電気を使用したものに変わっている。
青く広がる空と海を背後に、白亜の色が美しく輝く。
青と白のコントラストが魅せる素晴らしい景色には、ここを訪れる誰もが心を奪われるだろう。
ここから足を花咲港(はなさきこう)まで延ばせば、灯台外壁の色をツートンカラーで魅せる、赤と白のコントラストが可愛らしい「花咲灯台」にも出会える。
灯台の前にある奇岩「車石(くるまいし)」も見応えたっぷりだ。
根室に来たら、こちらも併せて巡りたい。
改稿・編集 会長HT
詳しくは以下のリンクを参照してください。
開陽台 | 観光情報 | イベント・観光 | 中標津町公式WEBサイト
https://www.nakashibetsu.jp/kankou/kankou_jouhou/kaiyoudai/
◆納沙布岬 https://www.nemuro-kankou.com/access/spotmap-nosapp/
船艇・灯台 - 根室海上保安部
https://www.kaiho.mlit.go.jp/01kanku/nemuro/sentei_toudai/nemuro_lh/html/nosappu.htm
2024年11月09日
北海道帯広市 秋晴れに十勝の中心都市 帯広を訪ねる 2023年9月11日来訪
十勝を代表する帯広にて、人気の観光スポットを訪ね、雄大な自然の恵みを味わう旅です。
写真は「十勝大橋(とかちおおはし)」。
秋晴れの中、視界が広がる大きな橋からの景色を楽しみながら、風を切って車を走らせる。
石狩川に続いて北海道では2番目の面積を誇るのが、長さが156kmになる十勝川。
その十勝川に架かり、帯広と音更を繋いでいる橋が十勝大橋だ。
十勝大橋は名前を変えながら、洪水災害の度に作り変えられてきた歴史のある橋である。
前身は1905年(明治38年)に造られた「開成橋」。
1910年(明治43年)には、より頑丈な橋を作ろうと、河西土木派出所により「河西橋」が造られる。
その後も洪水の被害に遭う度に修理をする中、1940年には長さ369m、幅18mの、これまでの木橋とは異なるコンクリートの新しい橋がかけられた。
十勝の人口増加に対応して造られた帯広(おびひろ)と音更(おとふけ)を結ぶ頑丈な橋、旧「十勝大橋」は、当時としては珍しい工法から「東洋一」との賞賛を受ける。
約55年間市民の生活を支えた旧十勝大橋もその役目を終え、1995年(平成7年)に現在の「十勝大橋」が誕生。
大雨による洪水を防ぐために橋付近の川幅を広げ、より安定性の高い橋に造り替えられている。
JR帯広駅前を散策。
北口にある噴水横にて、なんと鹿のオブジェを発見。
自然を感じられる光景に心が和む。
設定は、噴水が表す大雪山から流れ出す小滝の水を飲みに来た、鹿の親子3頭らしい。
十勝の美しい自然を街の中にも取り入れようと考え、設置されたものなのだとか。
ほかにも、地面から伸びた巨大な手のオブジェなどがあり、目を見張る。
帯広駅で降りたらぜひとも目にして楽しみたい。
ランチに選んだのは、帯広の名物料理 豚丼だ。
1933年(昭和8年)創業の老舗、「元祖 豚丼のぱんちょう」の暖簾をくぐった。
豚丼を考案したのは、ここ、ぱんちょうの初代社長らしい。
帯広では明治時代の末ごろから養豚業が盛んであり、豚肉は手軽に手に入ったようで、地元民のためのスタミナ料理として考案された。
炭火で焼いた豚肉は香ばしく、砂糖醤油で味付けしたタレが、豚肉や白米と絡んで抜群の味を創り出す。
まさに絶品。
舌が躍り、幸福を噛み締める。
帯広の製菓メーカー 柳月(りゅうげつ)が運営する「スイートピア・ガーデン」。
帯広市隣りの音更町にあるこの施設では、お菓子の製造過程を見学することができる。
写真はスイートピア・ガーデン限定販売の「十勝きなごろもソフト」だ。
きな粉が香るソフトクリームに、柔らかな和菓子「きなごろも」と黒蜜ソースがトッピングされた一品は、見た目にも食欲をそそる。
コーンの中には十勝小豆のつぶあんがたっぷり入っており、口いっぱいに甘さが広がる。
タレントの田中義剛氏が経営している「花畑牧場」は、帯広市隣りの中札内村(なかさつないむら)にある、地元地域でも人気の観光スポット。
2007年(平成19年)ごろに国内で流行した生キャラメルは、ここで購入できる。
普通のキャラメルより生クリームを多く使用しているので、柔らかく食べやすいのが特徴だ。
敷地内で目にできるのは、放牧されている馬やヤギ、羊たち。
北海道の雄大な自然を感じられる素晴らしい場所に、ただただ癒される。
「花畑牧場ラクレットカフェ」で、十勝産チーズがたっぷりのったピッツァを注文。
注文したピッツァは、北海道産小麦粉100%のピッツァ生地にモッツァレラなどの自家製チーズを使用しており、さらにブラータチーズを中央にトッピングした逸品だ。
ブラータをカットすれば中身がとろりと溶けだす。
酪農が盛んな北海道の十勝で作られるチーズに、舌鼓を打った。
なぜ十勝のチーズはこれほどまでに絶品なのか。
北海道は、本州に比べて湿度が低く爽やかな気候で、朝晩の大きな気温差もチーズの製造や管理にもってこい。
そしてなにより、牛やヤギが広大な十勝平野に茂る牧草を食べてのびのびと育ち、美味しいチーズを作る上では欠かせない栄養豊かなミルクを生み出すのだ。
雄大な自然の恵みを受け、たくさんの美味しいものがあふれる帯広。
ぜひ一度訪れ、十勝の味を堪能していただきたい。
改稿・編集 会長HT
詳しくは以下のリンクを参照してください。
十勝開拓と川|北海道開発局
https://www.hkd.mlit.go.jp/ob/tisui/kds/pamphlet/tabi/ctll1r00000046hy-att/ctll1r000000czjt.pdf
元祖豚丼のぱんちょう|帯広観光Navi https://obikan.jp/post_spot/955/
スイートピア・ガーデンのご紹介|柳月 https://www.ryugetsu.co.jp/sweetpia
北海道・十勝 花畑牧場 https://tokachibare.jp/post_spot/post_spot-770/
2024年11月02日
奈良県奈良市 大仏さま秋の祭りが行われた東大寺を訪ねる 2024年10月15日来訪
年に一度開催される、東大寺 大仏さま秋の祭り、盧舎那仏造顕発願慶讚法要です。
10月中旬とは思えない、真夏のような暑さとなった奈良市内。
奈良公園周辺をひしめくように生息する鹿と戯れながら、巨大な大仏を目指して歩を進める。
各国から訪れた数多くの観光地客が群れをなして向かう先には、日本が誇る世界最大の木造建築 、「東大寺大仏殿(とうだいじだいぶつでん)」がある。
その東大寺大仏殿に向き合う前に迎えるのが、正門に当たる「南大門(なんだいもん)」だ。
南大門は、大仏殿にふさわしい日本最大級の重層門。
威風堂々としたたたずまいの門内には、金剛力士(仁王)像が安置されている。
東大寺大仏殿に向かって左手に立つのが阿形像、右側に立つのが吽形像。
鎌倉時代初頭の1203年(建仁3年)に、運慶や快慶ら仏師たちにより、わずか69日間で造像されたらしい。
高さが8.4m弱あるその姿は迫力があり、お寺を守る門番としての威厳に満ちていた。
荘厳な南大門をくぐり、中門を越えると、いよいよ東大寺大仏殿を迎える。
さまざまな国籍の観光客や修学旅行の学生たちで、参道は大変な混みようだ。
堂宇の中には、像高17メートルにもなる屋内座像としては日本最大の大仏が、749年(天平21年)鋳造以来今なお鎮座している。
季節外れの陽気に加え、参拝客による密集で、お堂は大変な熱気に包まれていた。
国内屈指の観光スポットとして人気を集める東大寺だが、今日はいつにも増して多くの参拝者でにぎわいを見せる。
そう、本日10月15日は年に一度の「東大寺 大仏さま秋の祭り」、「盧舎那仏造顕発願慶讚法要(るしゃなぶつぞうけんはつがんさんほうよう)」が行われる日。
743年(天平15年)10月15日に、時の聖武天皇により、「すべての生きているものの幸せを願って大仏さまを造ろう」と「詔(みことのり)」が出されたことにちなんだ祭りの日だ。
中央の中門は祭事関係者用の入口となっているため、左手の入口より回廊に入り、そこから中央道に戻って中門を背にして大仏殿と向き合う。
大仏様の正面は法要席でびっしりと埋められ、真正面からは大仏様を拝められない。
10時の時刻を待ち、司会よりお祭り開始の合図が告げられる。
大仏讃歌が響き渡り、堂内は厳かな空気に満たされる。
表千家による献茶式が行われ、最後に、和尚によりお経が唱えられた。
世界の平安を大仏様を前に改めて願い、毎年恒例の祭典を、今年も無事終えた。
「世界が平安で動物(人間も含む)も植物もあらゆる生命が共に栄えることを願って大仏様を造ろう」という詔は、1200年以上を経た現代人にとっても変わらない、共鳴する思いだ。
午後の13時半からは、中門前にある鏡池舞楽台で、慶讃能(能と狂言)が演じられ、日本の伝統的な文化を併せて堪能できる。
まさに日本を代表する、歴史的な平和を祈願する式典である、東大寺 大仏さま秋の祭り。
未来に向かい、良き伝統としてのこのお祭りを、我々日本人の手で今後とも守っていきたい。
東大寺大仏殿前にある「賓頭盧尊者像(びんずるそんじゃぞう)」。
賓頭盧尊者像は、釈迦仏の弟子。
十六羅漢の一人で、神通力をもてあそんだとして釈尊に叱責され涅槃を許されず、釈迦の入滅後も衆生の救済にあたった高僧だ。
お寺に出入りする参拝者が、次々と手を伸ばしていた。
病を患っている場所と同じ場所を撫ぜると、病気が回復するらしい。
像は高さがあり、頭や肩は手が届きにくいのが難点だ。
言わずと知れた歴史的に名高い「正倉院(しょうそういん)」。
正倉院は東大寺大仏殿から裏手へ、10分ほど歩いた距離にある。
校倉(あぜくら)造で高床式の正倉は、1997年(平成9年)には国宝に、翌1998年(平成10年)には東大寺などと併せてユネスコの世界遺産「古都奈良の文化財」に指定されている。
この宝庫には、聖武天皇遺愛の品を始め、飛鳥・奈良時代に遣唐使によって持ち帰られた品など数々の宝物が納められていた。
現在は宮内庁が管理しており、宝物は、構内建築のコンクリート造宝庫に移されているようだ。
歩いて20分ほどの場所にある奈良国立博物館では、毎秋「正倉院展」が開催され、収納品の一部が展示される。
今年第76回正倉院展は10月26日に開幕し、11月11日まで行われる予定である。
観覧する際は、事前予約の日時指定券(2,000円)購入が必要になるので注意したい。
古都 奈良の秋を彩る注目の正倉院展。
日本古代の歴史に思いをはせる貴重な機会を求めて、ぜひとも足を運ぶといいだろう。
詳しくは以下のリンクを参照してください。
東大寺 https://www.todaiji.or.jp/
正倉院 https://shosoin.kunaicho.go.jp/
正倉院展 https://shosoin-ten.jp/
2024年10月26日
京都府与謝郡伊根町 海の京都 伊根の舟屋に泊まる 2024年9月23日来訪
重要伝統的建造物群保存地区に認定された伊根浦の舟屋群を訪ね、舟屋に泊まる非日常体験の旅です。
この度訪れたのは、京都府北部の地域、丹後地方に位置する伊根町。
丹後地方は別名「海の京都」とも呼ばれ、日本三景の天橋立が有名な場所でもある。
伊根町の魅力は、なんといっても、舟屋づくりの家々が海岸線に沿って立ち並ぶ街並みだ。
2005年に重要伝統的建造物群保存地区に認定された伊根浦の舟屋群がある伊根町は、日本海側でありながら南側に開いた特殊な地形を持ち、港町として栄えた。
三方を山に囲まれ、出入り口に当たる場所では青島が防波堤の役割を果たし、一年を通して海面が穏やかな伊根湾を漁港としている。
その海難を受けにくい地理的特徴を生かし、舟屋が造られた。
舟屋は、建物の1階部分が船置き場となり、2階が居住スペースとなる特殊な造り。
海に向かって並ぶ、切妻造りで統一された屋根の妻が、類いまれなる景観を見せる。
今では観光地として有名になった伊根町。
現在、230軒並ぶ舟屋のうち、30軒近くが宿泊施設として観光客を受け入れている。
目の前に広がる伊根湾の海を、夜通し一望できる非日常の宿泊体験。
それを実現させてくれたのが、今年オープンしたばかりの「漁師の宿 あっちゃん」だ。
2024年4月に開業したばかりの「漁師の宿 あっちゃん」は、舟屋の生活を身近に感じられる、趣きある建物。
到着するとすぐに、女将である漁師の奥さんが、温かい笑顔で出迎えてくれた。
案内された2階のお部屋では、伊根湾が見せる魅惑の光景を独り占め。
響き渡るカモメの鳴き声が、旅情を誘う。
この伊根湾には、クルージングができる海上タクシーがある。
女将のあっちゃんによる気遣いで、海上タクシーを手配していただき、宿に到着後すぐ乗船できることに。
実家のお母さんを思わせる、人間味のあるあっちゃん。
そのホスピタリティに感動し、徒歩1分ほどの場所にある乗船場所へ向かう。
伊根の町で6隻出ている海上タクシーに乗り、伊根湾における漁業の様子を、クルージングして見学した。
伊根町はさまざまな映画やドラマのロケ地としても使われており、その風光明媚な風景を、船長によるガイド付きで楽しむ。
クルージングの終盤では、「かっぱえびせん」を船長からいただき、カモメへの餌やり体験も。
天候の都合から、カモメがお腹を空かせていたらしく、たくさんのカモメが次から次へとお菓子をめがけてやってくる。
目にしたのは、白いカモメと茶色いカモメ。
白いカモメが大人、茶色いカモメが子供なんだそう。
町の高台にある道の駅「舟屋の里 伊根」から、伊根湾を一望する。
展望台のほか、お土産屋や飲食店を併設した、道の駅からの眺めは最高だ。
写真の左に見える山と右に見える島のおかげで、大きな波風が伊根の町には押し寄せて来ず、台風などの自然災害の際でも舟屋は守られているんだそう。
湾の真ん中には、養殖いかだも確認できる。
クルージングの際に船長から聞いた話では、ここでは岩牡蠣の養殖を行っているんだとか。
伊根町では、伊根湾で獲れた旬の魚のほか、地元で育った新鮮な野菜や米も併せて豪華な食事を頂ける。
今の時期は鯛が大量に獲れるそうで、立派な鯛の煮付けが、お宿にて提供された。
ほかにも、カンパチのお刺身など、新鮮で美味しいお魚料理が数多く並ぶ。
写真に収まりきらないほどの料理皿が次から次へと目の前に運ばれ、その数、計10品。
30軒近くある舟屋の宿泊施設で、食事を提供していただける宿は実に3軒程度なんだとか。
舟屋1階のスペースで、海を眺めながら過ごす優雅なお食事時間。
女将のあっちゃんと、料理人のしーちゃんとも話が弾み、楽しいひとときとなった。
まるで田舎の実家に帰ったような家庭的な雰囲気は、ここへ訪れる誰もを笑顔にさせるだろう。
舟置き場である1階では、釣りをしたり、夏であれば海に飛び込んでみたりと、自由に過ごせるようだ。
海に面した恵まれた環境の中、朝一番に釣りを体験する。
透き通った海水の向こうを泳ぐお魚たちと遊ぶ贅沢な時間。
この時間は何にも代え難い。
釣りをしていると、後ろから「朝ごはんできましたよ〜」としーちゃんの声が。
もはや宿ではなく、実家である。
小さな町だったこともあり、お宿を早めの15時チェックイン、遅めの10時チェックアウトで予定していた今回の伊根町訪問。
しかしながら伊根町は、町中でも散歩をしたりカフェ巡りをしたりと心ときめく時間を過ごせる魅力にあふれており、宿泊時間は必ずしも長く取る必要はなさそうだ。
夏には花火大会があったりと、シーズンごとのイベント行事もたくさんあるようで、事前に下調べをしてから訪問したい。
晴れた日であれば、夜空には満天の星空が見れるという。
訪問した日は天候が優れず見送りとなったが、それを挽回するかのように目にできたのが、山にかかる大きな虹だ。
伊根町での旅を、虹が素敵な思い出として印象づけてくれた。
どこか懐かしい舟屋が並ぶ景色を求めて、ぜひ一度伊根町を訪ね、素敵な思い出を作っていただきたい。
改稿・編集 会長HT
詳しくは以下のリンクを参照してください。
伊根町観光協会 https://www.ine-kankou.jp
漁師の宿 あっちゃん https://www.funaya-acchan.com
2024年10月19日
京都府京都市右京区 風情ある枯山水を求めて龍安寺を訪れる 2024年9月22日来訪
日本随一の枯山水に心が洗われる、京都の名所 龍安寺です。
秋雨の降る日、世界文化遺産に登録されている「大雲山 龍安寺(だいうんざん りょうあんじ)」へ足を運んだ。
京都市右京区の金閣寺からも程近い場所にある龍安寺。
禅の精神を体感できる石庭が有名で、1975年(昭和50年)に英国の女王エリザベス2世が公式訪問したことから、世界的に知られるようになった。
その龍安寺の由緒には、以下のような歴史がある。
徳大寺家の別荘だったものを、1450年(宝徳2年)に管領細川勝元が譲り受けて寺地とし、妙心寺の義天玄承を開山に迎えて創建した。
方丈は応仁の乱で焼失したが、その後、勝元の息子 政元により再建される。
しかし、それも火災により、消失したそうだ。
現在の方丈は、その火災後に西源院の方丈を移築したものらしく、長い年月の中で龍安寺は何度も生き返ってきた。
その守るべき魅力というものについて、深く考えずにはいられない。
方丈の前庭に美しい枯山水の石庭を抱き、訪れる者を魅了し続ける龍安寺。
臨済宗妙心寺派に属し、大雲山と号し、禅苑の名刹として名を馳せる。
拝観の受付所から3分ほど歩くと、方丈にたどり着く。
道中では、紅葉の木々やきれいに剪定された苔の斜面など、自然にあふれた景色が目を楽しませる。
左手木々の隙間からは池の姿も望め、境内の風光明媚な景観に心が躍り、自ずと足取りが軽くなる。
今日は9月の下旬。
現在青々とした緑道は、木々の紅葉を迎える11月ごろに訪れれば、また違った色取りで歩行を楽しませてくれそうだ。
方丈では、靴を脱ぎ、お堂の中を裸足で歩く。
お寺や寺院にて、木造建築の中を素足で歩くのは何とも言えず心地よい。
家へ入る前に靴を脱ぐ習慣は、ウチとソトを分け、ソトからのケガレを落としてからウチへ入る日本人の心を体現しているように感じる。
方丈の中に入ってすぐ、目の前に広がるのが、待ち望んだ石庭の光景だ。
石庭には、大小15個の石が配置されている。
通説では、15石を一目で同時に見ることができないといわれているが、どうだろうか。
視点の角度をさまざまに変えて試みるも、やはり、15個ある石全てを一度に視認するには至れなかった。
この配置に込められた意味などは、謎に包まれており、見る人の自由な解釈に委ねられているのだとも。
荘厳な美しさの中にも、当時の庭師による遊び心が感じられる龍安寺の石庭。
禅の思想を象徴的に表した世界屈指の名庭を前に、澄み切った心境で自身を見つめ直す。
こここそ、本来の自分に立ち返るには絶好の環境といえるかもしれない。
方丈の北東、裏庭に、つくばいを発見。
銭形をしたこのつくばい表面には、「五・隹・疋・矢」の4文字が彫られている。
この4文字は、中心にある穴「口」を共用することで、「吾唯足知(我タダタルヲシル)」と読める。
立て札に記されている説明書きを通して知れるこの真相には、まさに目から鱗だ。
直訳は、「私はただ満ち足りていることだけを知っている」となり、要約すると、「満足することを知っているものは、貧しくとも幸せであり、満足することを知らないものは、お金持ちでも心が乱れている」となる。
禅の格言を謎解きのように図案化しているといわれるこのつくばいは、水戸光圀が寄進したとされる。
つくばいの少し奥に目を向ければ、秀吉が賞賛したと伝えられている侘助の老樹が、枯淡で景趣をそえていた。
有名な石庭だけではない、ほかにもある境内の見どころを探し、より深く龍安寺の魅力を知りたい。
方丈を出て、進路を進むと、大きな「鏡容池(きょうようち)」が見渡せる小道に出る。
徳大寺家によって築かれたこの鏡容池は、かつてはおしどりが群れ遊んだところから、おしどり池と呼ばれていた。
石庭鑑賞後、鏡容池の周りをゆったりと巡れば、澄んだ心が潤いに満たされる。
緑と水が作る自然の情景からくるのだろう。
池の堤防からは、龍安寺全景の山々が古来の姿そのままに眺望でき、四季折々の美しい景色が堪能できる。
龍安寺は、季節を変え、何度となく足を向けたい京都の隠れ家的な名所といえるかもしれない。
改稿・編集 会長HT
詳しくは以下のリンクを参照してください。
大雲山 龍安寺|Ryoanji http://www.ryoanji.jp/smph/
2024年10月12日
京都府京都市左京区 秋冷の季節に貴船神社へ水の神様を訪ねる 2024年9月21日来訪
秋風を感じながら訪ねる、水神の総本宮 貴船神社です。
鴨川の水源地に当たる、水の供給を司る神。
その水神を祀っている「貴船神社(きふねじんじゃ)」を訪れた。
朱色の二の鳥居をくぐり、夕刻には絶好の撮影スポットになる、灯籠が魅せる長い石階段を進む。
迎えた山門を抜け、最初に目にする手水舎には、「水は命」の目立つ文字が。
貴船神社では、水の大切さを悟らせられる。
境内に流れるのは、日照りの日が連日に渡り続いても、かれることを知らない貴船川(きぶねがわ)だ。
貴船川の豊かな流れを感じながら、歩き、参拝する。
手水舎横の石段を登れば、「本宮(ほんぐう)」の社殿に到着。
こじんまりとした印象の社殿だが、昭和の作庭家・重森三玲(しげもりみれい)が手がけた石庭や絵馬発祥の社として造られた馬の像などが近くにあり、水神の総本山たる雰囲気が至る所から感じられた。
神社といえば、やはりおみくじ。
貴船神社は水の神さまを祀っているため、おみくじも水占い形式だ。
本殿の横を流れる御神水に水占みくじを落とすと、文字が浮かび上がる。
おみくじの紙にはQRコードが記されており、英語や中国語など、外国語翻訳にも対応しているようだ。
京都の、外国人観光客を迎えるための徹底した対応姿勢が感じられ、大変感心させられた。
水が染み込み、おみくじに現われた文字はなんと「大吉」。
大吉の結果に歓喜して、おみくじはそのまま記念として持ち帰ることに。
何度も見返して喜びに浸りたいが、時間が経つと文字が消えてしまう水占みくじだけに、たびたび水に浸す必要がありそうだ。
本宮拝殿にて参拝を終えると、そのすぐ横では「貴船山の再生募金」をしていた。
紅葉シーズンになると、1日に1万人もの参拝者が訪れる貴船神社。
人々の踏圧により境内の土が踏み固められ、砂利も細かく割れ粉のようになり、その粉塵が地面表面の隙間に入り込む。
そして地面には水がうまく浸み込まず、土中の空気循環も悪くなり、木々の根っこが窒息状態になってしまうのだそう。
本来の自然を取り戻すべく、立ち上げられた「大地の再生」のプロジェクト。
大地の呼吸と水の通り道を循環させるための水脈を整備し、土中環境を改善させ、木々の生命力を高める。
この活動のおかげだろう。
訪れた貴船神社では、青々とした緑に心洗われ、たくさんの立派な樹木にみなぎるパワーを感じられた。
貴船神社の恵まれた自然環境を守る、人と自然が共存していくために必要な貴船山の再生活動を、ぜひとも今後末永く応援していきたい。
貴船神社は3つのエリアで成り立つ。
本宮、結社、奥宮の社による3つだ。
正式な参拝順は、本宮→奥宮→結社となる。
ただ、地理的な並びは本宮、結社、奥宮となり、流れに沿って自然に歩くと本宮のあと「結社(ゆいのやしろ)」を迎える。
本宮から徒歩5分の結社に祀られるのは、文字通り、縁結びの神様だ。
磐長姫命(いわながひめのみこと)を祭神とする、古来より恋を祈る社として有名な貴船神社。
その恋愛成就の力は、平安時代の有名な女流歌人 和泉式部が、一躍有名にした。
当時夫との仲がうまくいかなくなった和泉式部は、貴船神社にお参りへ行く。
貴船川を飛ぶ蛍を見て、切なくなった心情を歌に乗せ、夫婦仲の円満を祈願したのだそう。
その後、夫婦は円満となり、貴船神社は縁結びの社として名を揚げるようになる。
結社境内にある和泉式部の歌が刻まれている石碑も、訪れた際にはぜひとも確認したい。
結社からさらに5分ほど歩いて、「奥宮(おくみや)」に到着。
奥宮には、本宮と同様に水の神様が祀られている。
造りは本宮と比較すると簡素だが、その道中では荘厳な樹木が創る静寂な空気を感じることができた。
特に、1985年(昭和60年)に京都市指定天然記念物に指定されたカツラの木々は多く見られ、自然遺産の宝庫といっても過言ではない。
ところで、そもそもこの貴船神社の「貴船」という名前の由来は何なのか。
諸説あるようだが、一つには、神武天皇の母に当たる玉依姫命(たまよりびめ)が貴船川を遡りこの地に上陸した際に乗った「黄船」に求める説がある。
今の大阪湾から淀川、鴨川、貴船川を経て、貴船の地に祠を営み水神を祀ったのが始まりであるという。
また、「きふね」は古くから気の生ずる根源として「氣生根」と記され、御神気に触れることで気が満ちると考えられ、そこに言葉の由来があるという説もある。
社名一つをとっても捉え方はさまざまにあり、長い歴史の中で貴船神社に関わってきた、人々の信仰的な思いをかいまみる。
京都に伝わる「川床」文化は、京都を彩る夏の風物詩ともいえる。
暑さの中で涼しさを求める、京都人たちの知恵や工夫が感じられるこの川床。
川面の上に桟敷を張り出して作る床面は、涼みながらお茶や料理を楽しめるのが魅力だ。
鴨川の納涼床(のうりょうゆか)に対して、貴船の川床(かわどこ)と呼ばれ、「床」の字の読み方に違いがあるのがおもしろい。
ここで味わえるのは、鮎や鱧などの川魚や、そうめんなど夏においしい食事のほか、おしゃれなカフェメニューなどなど。
参拝を終えたあと、疲れた身体を休めるのに、川床で過ごすお食事時間をお勧めしたい。
きっと、貴船神社訪問の、記憶に残るいい思い出を作れるだろう。
改稿・編集 会長HT
詳しくは以下のリンクを参照してください。
貴船神社 https://kifunejinja.jp
2024年10月05日
北海道紋別市 カニの爪が注目を集める 紋別市を訪ね歩く 2023年7月9日来訪
2022年にふるさと納税寄付件数が全国第1位となった、紋別市の魅力に迫る旅です。
紋別(もんべつ)市に隣接する町、紋別郡遠軽町(えんがるちょう)。
写真は遠軽町のシンボルにもなっている「瞰望岩(がんぼういわ)」だ。
アイヌ語で「インカルシ」、見晴らしのいい場所という意味を持つ。
遠軽の市街地を一望できる、地上から78mにそびえ立つこの場所は、アイヌ民族の古戦場にもなったという伝説がある。
古くからアイヌ人たちの神聖な場所として使われてきた瞰望岩。
岩の頂上をチャシ(砦)とした湧別アイヌが、麓の十勝アイヌと戦った、「インカルシの戦い」がかつてあった。
十勝アイヌは、湧別川の洪水で全滅したという。
そのような歴史もあり、瞰望岩は、2011年(平成23年)2月7日に国指定名勝「ピリカノカ(美しい・形)」の構成資産として指定される。
余談だが、遠軽町は「機動戦士ガンダム」で有名な作画監督・安彦良和さんの出身地。
安彦良和さんの描いたガンダムのキャラクター「シャア・アズナブル」が、「ようこそ えんがるへ」と訪問客を出迎える看板を目にできる。
ガンダムファンであれば遠軽町を訪れた際にぜひとも確認したい。
写真は紋別市にある「カニの爪」のオブジェ。
高さ12mの「カニの爪」は、遠くから見てもとても目立ち、独特の存在感がある。
幅6m、重さ7tある、紋別のシンボルと言っていいこのオブジェの生まれは、今から約40年前だ。
1983年(昭和58年)に行われた「流氷アートフェスティバル」というイベントが、「カニの爪」誕生のきっかけとなっている。
彫刻家の長崎歳氏、紋別商工会議所の桑原久雄氏、そして紋別の市民により、共同制作された。
時代が昭和から平成、そして令和へと移り変わった現在でも、この場所はフォトスポットとして人気があり、訪れる観光客が後を絶たない。
皆、思い思いの格好で記念写真を撮っているようだ。
紋別の海沿いを散策する。
写真の奥に広がるのはオホーツク海だ。
冬になると流氷で覆われるオホーツク海だが、流氷の底にはたくさんのプランクトンがついている。
暖かい季節を迎えて流氷が去っていくと、付着していたプランクトンはこのオホーツク海に広がる。
プランクトンは、海を泳ぐ魚たちには欠かせない大切な栄養素。
毛ガニやホタテなど、栄養を蓄えたたくさんの魚介類が水揚げされるのは、流氷が多くのプランクトンを連れてきてくれるおかげなのだ。
紋別市の「オホーツクとっかりセンター」は、日本で唯一、野生のアザラシを保護・飼育しているアザラシ専門の施設。
「とっかり」とは、「アザラシ」を意味するアイヌ語だ。
オホーツクとっかりセンター内は、アザラシの観察・鑑賞と保護施設である「アザラシランド」と、アザラシとの触れ合いを楽しめる体験型施設「アザラシシーパラダイス」の2つの施設に分かれる。
野生のアザラシは、流氷の時期に前後して、オホーツク海沿岸にその姿を見せる。
親とはぐれてしまった赤ちゃんアザラシや、けがをしてしまったアザラシなど、保護の対象になるアザラシは意外と多い。
アザラシランドでは、傷病を負っているアザラシに、治療やリハビリを行う。
保護したアザラシは、飼育員たちの手により成長や回復をさせ、最終的に海に帰すのを目的としているという。
一日に5回、アザラシがご飯を食べるかわいい姿を観察できるアザラシランド。
飼育員たちの、愛があふれるPOPも見れて楽しめる。
一方、アザラシシーパラダイスでは一日3回あるえさの時間で合図が出せる「えさやり体験」ができるので、アザラシと直に触れ合って楽しみたい。
紋別には、4品種、1万2000株のラベンダーが咲き誇る場所がある。
「オホーツク流氷公園」だ。
ラベンダー畑といえば、富良野をイメージする方も多いのではないだろうか。
しかし、紋別も負けてはいない。
オホーツク流氷公園のラベンダー畑の見頃は、毎年7月初旬から中旬にかけて。
海が近いこの公園は、ラベンダー畑とオホーツク海を同時に楽しむことができる、最高のロケーションとなる。
ラベンダーが魅せる色は紫一色ではなく、白色や薄いピンク色も併せ、公園を美しく彩る。
白色や薄いピンク色のラベンダーは、オホーツク海をイメージして植栽しているようだ。
オホーツク海を望みながら、のんびりラベンダー園を散策する。
ラベンダーの鮮やかな花々により創出される、清涼感あふれる風景が、オホーツク海の潮騒と共に最高の癒しを与えてくれる。
旅情がかき立てられる北海道らしい景色を求めて、紋別市自慢のオホーツク流氷公園へ、ぜひとも足を運びたい。
改稿・編集 会長HT
詳しくは以下のリンクを参照してください。
瞰望岩(がんぼういわ)|遠軽町 https://engaru.jp/tourism/page.php?id=441
カニの爪(オブジェ)|紋別観光案内所 https://tic.mombetsu.net/tourist-facilities/5282-2/
オホーツクとっかりセンター https://o-tower.co.jp/tokkaricenter.html
北海道立オホーツク流氷公園 https://seaicepark.jp/
2024年09月28日
北海道川上郡弟子屈町 星野リゾート開業予定の川湯温泉を訪ねる 2024年7月31日来訪
2026年に星野リゾート開業が予定されている、川湯温泉の魅力を探求する旅です。
こちらは、「川湯温泉(かわゆおんせん)」の源になっている「硫黄山(いおうざん)」。
弟子屈町(てしかがちょう)にある魅惑の観光地だ。
アイヌ語では「アトサヌプリ」と呼ばれており、「裸の山」という意味を持つ。
2023年9月には、滞在観光施設「硫黄山MOKMOKベース」が改装オープンし、より訪れやすくなった。
ダイナミックな噴気を劇場スクリーンに見立てた大判ガラスから楽しめる「MOKMOKシアター」のほか、「MOKMOKテラス」や「硫黄山ミュージアム」、「MOKMOKマルシェ&カフェ」など、見所が充実した施設で思う存分観光を楽しめる。
今は観光客でにぎわう硫黄山だが、その昔は硫黄発掘に使われていたという。
明治初期から昭和30年代にかけて、硫黄はマッチや火薬などの原料として需要が高く、この硫黄発掘によって道東の土地は開拓されていったのだ。
ごつごつとした山肌から出る白煙は迫力満点。
硫黄の独特な匂いも合わせ、普段は味わえない非日常の世界が感動を呼ぶ。
硫黄山は、現在も活動している活火山。
地獄を思わせる殺風景の山肌を、登山気分を味わいながら、楽しんで歩く。
女性でヒールを履いている方は、起伏に富んだ山肌で転ばないよう、慎重に歩を進める必要がある。
硫化水素の発生が樹木の成長を阻む、ダイナミックな硫黄山の山肌は、見応えたっぷりだ。
ぜひとも、自然の凄さを観察しに訪れてもらいたい。
硫黄山から車で15〜20分ほどの距離にある「摩周湖(ましゅうこ)」。
摩周湖には、「晴れの摩周湖をみたら婚期が遅れる」「晴れの摩周湖を見たカップルは別れる」という都市伝説が、昔あったらしい。
そのくらい、摩周湖は常に霧におおわれて、湖面が見える日が少ない。
しかし、6〜7月、朝の時間帯に行けば、晴れた摩周湖を拝める確率は高い。
アイヌ語で「カムイトー」と呼ばれ、「神の湖」という意味を持つ、世界最高ランクの透明度を誇る摩周湖。
吸い込まれるような青い色が特徴で、その美しい色合いは、「摩周ブルー」という言葉で表現される。
晴れた日であれば、摩周湖には空の色が映りこみ、幻想的な景色を堪能できるようだ。
散策したあとに迎えたランチタイム。
「すずめ食堂&バル」に足を運ぶ。
「素朴でカラダに優しいゴハン」がコンセプトのお店は、店員のお姉さんも優しく、温かい雰囲気が魅力的だ。
すずめ食堂&バルでは、ベトナム風春巻きやフォー、カオマンガイなど、無国籍料理を提供している。
地元の食材が使われ、手作りの味噌やドレッシングが、食材が持つそのままの旨みを引き立てる。
数あるメニューの中から、タイの人気料理 カオマンガイを注文。
ジューシーな鶏肉に鶏だしが染みたご飯が食欲を高める。
付け合わせのタレもさっぱりしていて、ぺろりと完食した。
ランチを終え、次はおいしいケーキを求めて、JR川湯温泉駅に近い川湯駅前の「森のホール」へ。
森のホールでは、定番の商品を始めとするケーキの種類が豊富で、旬のフルーツを使ったケーキも提供している。
ショーウインドウに並んだケーキは、どの品も宝石のように輝き、目移りして選択に悩む。
迷いに迷い、季節限定のベリータルトを注文。
口へ運んだベリータルトが、タルトの甘みとベリーの酸味が絶妙にマッチした味を広げ、至福の時間を創り出す。
川湯温泉魅力探求の旅を締めくくるのに、ふさわしいひとときとなった。
改稿・編集 会長HT
詳しくは以下のリンクを参照してください。
弟子屈町について|弟子屈なび https://masyuko.or.jp/about/
楽しむ摩周湖&硫黄山 in 北海道 | 自然観光情報サイト
https://mashuko-iozan.jp/
すずめ食堂&バル(Facebook) https://m.facebook.com/100063876480001/
森のホール(Facebook) https://m.facebook.com/kawayumorinohall/